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ANNIVERSARY

寒い冬の午後。
日曜日。
仕事は休みだ。
炬燵に入ってぬくぬくとする。
蜜柑を剥きながらふと窓に目をやると、結露で涙のように水が滴り落ちていた。
それはもしかしたら、あの時の君の涙かも知れないーー。
どうかしている、そう思いながらも、心の何処かでどうしてもそんな事を考えてしまう俺が居た。
あの別れから三年。
罰せられるべきは、俺の心だーー。

部屋のサボテンが萎れてしまった。
大した事ではないのだが、なんだか泣けて来てしまう。
冬なのにうっかり水をやったのがいけなかったのか。
一度の過ちで取り返しのつかない事になる。
人生には、そうしたトラップが数多い。

仕事を辞めようかどうしようか、迷っている。
今は製菓工場で働いているのだが、辞めて田舎に帰ろうかとも思っている。
田舎に帰るという事は、ゲイとして生きる事を諦めるのと、同じ事だ。
でも、それも良い。
どうしようもない俺には、ちょうど良い罰だ。
女を抱くのか。
俺に出来るか。

でも、やってみなければ分からない事があるのも、事実だ。

携帯のメールアドレスを変えられない。
出来なかった。
この三年間、ずっとだ。
また君に逢えたらーー。
そんな妄想に囚われて、女々しくも変えられず終いだった。
今日、変えようか。
どうしようか、悩む。
頭の片隅がやけに痛いのを感じながら、結局はまた変えられないのだった。

上着を羽織って、外に出てみた。
息が白い。
この季節は、いつまで続くのか。
いつまで俺の心を蝕むのか。

携帯がメッセージの着信を知らせる。
どうせ詐欺紛いの広告だろう。
俺はそれを開かない事にして、近所の花屋に向かった。
店頭で。
またもサボテンに目が行く。
サボテン、風水では良くないとされているらしいのだが。
まぁ、何を今更だ。
俺はセレウスというサボテンを買って帰る事にした。
ボブのヘアスタイルが印象的な、感じの良い店員さんが笑顔で言う。
「可愛がってあげてくださいね。」
俺はその時ぼんやりと、女を抱くというのはどういう事なのかと、考えていたりした。
「どうかなさいましたか?」
気が付くと、店員さんが怪訝そうな顔をしていた。
当たり前だ。
俺は自分の浅ましさに嫌気がさし、袋を受け取るとそそくさと店の外に出た。

雪がちらついていた。
君と、そう、あの子と出逢ったあの日の事を思い出す。
あの日も、ちょうどこんな雪の日だった。
五年前。
あの子はウチの最寄りの駅前で待っていた。
時折時計を見る仕草が、遠目から見ても可愛かった。

俺は駆け出していた。
目の前で転びそうになっている所に、手が差し伸べられた。
短くて太い指の、小さな桜色の手だった。
「あの……。嘉之さんですよね?僕、公彦って言います。はじめまして!」
冗談交じりで、空いた手で敬礼のポーズを取る。
そういえば公彦、警備員のアルバイトをしていたのだった。
小さな、丸っこい体の、警備員。
地元のスーパーで働いていたのだった。
あれから、どうしているか。
確か、正社員になっていた筈だったが。
元気にしているといいな。
あわよくば、一目姿が見れたらーー。
女々しくもそう思う自分がこの時、居た。
もう自分にはそんな資格は、ないというのに。

で、その時の俺はというと、転びそうになった事へのフォローに必死だった。
何しろ、可愛いのだ。
「やぁ、ごめんね。君があんまり可愛かったから、早く話してみたくて、焦っちゃった。」
俺は、照れ隠しに舌を出す。
「大丈夫です!ぼくなら、逃げませんから!」
そう言ってはにかんだ笑みを浮かべる公彦を見た時に、俺はこの子の傍に居たい、心からそう思った。

中学校卒業間際。
俺は失態を犯した。
部屋に隠してあったゲイ雑誌が、親に見つかったのだ。
その時の父親の対応は、苛烈と言って差し支えのないものだった。
「お前が心を入れ替えたら、高校や大学に進学させても良い。そうでなければ、中学卒業と同時にこの家を出て行け!これ以上親不孝者の面倒は見切れん。このままならもう二度と、ウチの敷居は跨がせん!」
だが同時に、こうも言っていた。
「お前は家の跡取りの、一人息子だ。心を入れ替えたら、いつでも戻って来るんだ。その時は、嫁さんも加えて、もう一度家族をやり直そう。」
或いはこれが、父親なりの温情だったのかもしれない。

俺は結局、中学卒業と同時に着の身着のままで家を飛び出して、今も勤める小さな製菓工場に就職した。
最初は、忍耐が必要だった。
だが、仲間は出来ないまでも、周りの空気は次第に穏やかなものになっていった。
俺の働きぶりが認められたのだとーーそう思いたい。

当時、面接をしたのは専務さん。
俺は就職後しばらくの間、専務さんからはとても可愛がられていたから、採用されたのも偶然ではあるまい。
或いはもしかしたら、見る目があったのかもしれないが。

ここを辞めたら後がないーーそう思っていたから、これまで無遅刻無欠勤を通して来れた。
それがここに来て、崩れ去ろうとしている。
本当にこのまま流されていいのか。
後悔はしないのか。
何度己に問い質しても、答えは曖昧なままだ。
『どうしようもねぇな、俺。』
俺は積もって来た地べたの雪を蹴っ飛ばして、何となくふらつき始めた。

公彦とは、出逢ってすぐに意気投合。
そのまま、付き合い始めた。
何もかもが順調で、俺たちは幸せを謳歌した。
それから二年。
そう、今からちょうど三年前。
公彦に突如、結婚話が持ち上がる。
それは家同士の都合による、愛の欠片もない結婚だった。

「ねぇ嘉之、助けてよ!結婚なんかしたくないよ!」
涙交じりで縋る公彦に、俺は冷淡だった。
「別れよう。」
それが、公彦に告げた最後の言葉だった。
「うわぁぁーっ!!」
叫び声が、いつまでも耳に焼き付いて離れなかった。
とはいえ、どうせこのまま公彦を匿っていても、公彦の親御さんは乗り込んで来るに違いない。
こうするより他なかったのだ。
それに、この結婚を機に公彦は警備会社の正社員となれるのだ。
いわゆる、コネクションである。
こういうのは、大事にすべきなのだーー。
そう言い聞かせて、誰も居なくなった部屋で俺は独り、号泣した。

それからの三年間。
俺は何もなくなった空っぽの心を抱えたまま、ただひたすらに働き続けた。
汗水流して、一日も休まず、文句も言わずに、黙々と。
「嘉ちゃん、あんまり根を詰め過ぎると、続かんよ。」
パッと明るい笑みで専務さんが声を掛けてくれる。
実はこの三年間、俺は専務さんの性処理相手となっていた。
好きだった訳ではない。
でも、優しかったからーー。
だから俺は、その大きな背中に縋った。
もちろん、専務さんには家庭があった。
だからこれは密やかな、誰にも告げられない関係だった。

ある日、いつも使っていたファッション・ホテルのベッドの上で。
「嘉之は良い子だね。また会おうね。」
「うん。」
頭を優しく撫でられて、この時、俺は情けない事に溢れ出て来る涙を止める事が出来なかった。

気が付くと、サボテンの入った袋を提げたまま、最寄り駅の前まで来ていた。
「いけね、帰らないと。」
この時、何故だか携帯に届いていたメッセージの内容が気になり出したので、取り出して通知を見る。
それを見て、俺の体に衝撃が走った。

その時だった。
「嘉之ー!」
振り返るとそこには、三年前と寸分違わぬ公彦の姿があった。
「僕は今日、離婚して来た。両親とも、家族でなくなった。仕事も、辞めて来た。もしも許してもらえるなら、もう一度嘉之の傍に居させて欲しい。我儘かも知れない。でも、きっと嘉之となら“家族”になれる、そう信じられたから、だから今日、ここに来た。三年前のあの日、もっと体当たりでぶつかっていけなかった事、後悔している。今なら言える。嘉之、愛してる。」
公彦はそれだけ言い終えると、涙交じりの笑顔で、敬礼のポーズを取った。
俺は体が動かなくて、その場に崩れ落ちた。

それから三日後。
俺は専務さんと会っていた。
本当は、これで終わりにするつもりだった。
だが、専務さんはそれを許さなかった。
「ねぇ専務さん、こうして会うの、これで終わりにしようよ。」
「ーー好きな相手でも、出来たのか?」
どきりとした。
何も言えずにいる俺を置き去りにして、専務さんは続ける。
「お前がもう会わないというのならば、私はお前をクビにする。それだけだ。」
固まった。
動けなくなった。
そんな俺に専務さんは尚も続ける。
「別にそいつと別れろと言っているんじゃない。私にだって、壊せない家庭がある。お互い様だ。上手くやれ、そういう事だ。」
俺は何故だか込み上げて来る涙を止められないまま、黙って頷いた。

行きつけのファッション・ホテルからの帰り道、俺は昔楽しかった頃の公彦との思い出を思い返していたーー。

冬。
二人で時々、スノーボードに出掛けた。
転んでは雪をかけ合い、楽しかった。
夜は温泉に浸かって、ほっこり。
さながら、カピバラのような二人。
料理も楽しみの一つだった。
山菜や釜飯、川魚に舌鼓を打った。

春。
近所の公園に、お花見に行った。
夕方、花見客で賑わう中、ブルーシートの上でほろ酔い気分。
桜は、散る間際が美しい、この時改めてそう思った。
では、愛はーー。
それには、今も答えは出せていない。

夏。
二人してアイスと素麺ばかり食べていた気がする。
一応いっちょまえに海にも行ってはみるのだが、芋洗いの中に入り込む気も起こらず、二人してビーチの上でごろごろ。
もちろん、それはもう暑い暑い。

秋。
世間では芸術の秋なんてのもあろうが、俺たちにとっては違う世界の話だ。
もう脇目も振らずに、何と言っても食欲の秋!
色んなグルメがあるが、中でもすき焼きは良く食べた。
本当に、しょっちゅうだった。
二人共、大好物だったのだ。
そういえばあれ以来、すき焼きなんて食べていないーー。

あれから俺たちは、寄りを戻していた。
だが、何処かぎこちない。
たぶん公彦が、俺の振る舞いに不安になっているのだろう。
それでも、今会社をクビになる訳には行かない。
何としてでも。
何しろ、公彦は今、求職中。
俺の部屋で暮らしながらだ。
働いているのは今の所、俺だけ。
安月給と言えども、失くす訳には絶対に行かないのだ。

ある日、帰宅。
今夜はすき焼きにしようと、メッセージで送っておいた。
帰りがけについでに、材料もしこたま買っておいた。
食いしん坊の俺たちでも、たぶん足りるだろう。

鍋を囲んで。
公彦、笑ったままで、泣いていた。
器用な事だ、などと笑い飛ばせる訳がなかった。
公彦には、もう分かっていたのだ。
何も言えない俺。
口を開いたら最後だと、そう思っていた。

次の瞬間だった。
「ごめんね、僕、邪魔だったよね。」
泣きながらベランダに駆け込む公彦。
これはいけない、そう思った俺は、駆け寄りながら叫んだ。
「愛しているんだ、本当に!だから、止めてー!」

翌日、月曜日。
俺は、病院にずっと居た。
可哀想に、公彦の親族へは誰が電話をしても、誰一人として話を聞こうともしなかったらしい。
警察には根掘り葉掘り、色んな事を聞かれた。
それはもう、興味本位ではなかったかという位に。
公彦は、一命を取り留めた。
だが、その後の推移によっては、後遺症が残る可能性も、十分にあった。
俺は専務さんに、この日欠勤した訳を残らず、余す所なく話した。
それはとてつもなく、勇気の要る事だった。
だが、俺の心配を他所に、専務さんはこの時、優しかった。
専務さんは後悔をしているようだった。
そして、話の最後に、こう言ってくれたーー。
「公彦くん、早く良くなるといいな。嘉之、二人で頑張れ!仕事の事は心配するな。見舞いの為に定時で上がる分、ちゃんとフォローしてやる。明日から、ちゃんと来るんだぞ。」

俺は、どうしようもない奴だった。
一人息子なのに家業の和菓子作りも手伝わず、公彦の事も救えなかった。
俺は実家には戻らない決意を固めた。
何としてでも、公彦に寄り添ってやりたい。
その一心だった。

その後。
公彦はなかなか目を覚まさなかった。
だが、ここで俺が折れる訳には行かない。
病院代もあるのだ。
稼がねば。
毎日仕事終わりに病院に顔を出す日々。
「感心ね。頑張って!」
看護師さんには度々、励まされた。

ふと、思い出す。
昔付き合っていた頃に、公彦とこんなやり取りをしていたのを。

「なぁ公彦。もしも俺が浮気してたら、どうする?」
これに公彦、ニカッと笑って、こう言った。
「そしたら僕、居なくなっちゃうかもしれない。」

今思えば俺は公彦にとっては、最後のよすがのような存在ではなかったか。
それだけに、その心情を慮れなかった俺の失態は、決して許されるものではなかったのだ。

あの言葉。
ーーそしたら僕、居なくなっちゃうかもしれないーー

この時まさに、その通りの状況になりつつあった。
掌から零れ落ちてゆく砂のように、公彦の命は風前の灯火にも思えた。

それから半年。
険しい表情をして、ある人物が俺と公彦の居る病室に姿を現した。
公彦の容体は奇跡的に安定はしていたが、まだ目覚めない。
そんな中での来訪。
やって来たのは、公彦の実姉であった。
暫し、無言。
ようやっと口を開いたお姉さん、「これ。」とだけ発すると、小型のアタッシュケースを黙って置いて帰ろうとした。
カチンと来た。
中身の見当は、付いていた。
「何だこれは!」
じりじりと近付く俺に、お姉さんは冷たく言い放った。
「五百万。手切れ金。お金、要るんでしょう?これ以上は出せないし、もう関われないの。ごめんなさいね。」
本当は、怒る所だったのかも知れない。
だがこの時の俺は、情けない事に涙が溢れて止まらなかった。
お金は、喉から手が出る程に欲しかったからだ。
だから、俺はアタッシュケースを抱き抱えると、その場に崩れ落ちたーー。

一年が過ぎた。
この頃は安らかな寝顔を見せてくれる。
これで十分かもしれない。
そう思いかけていた。
だが、その時だった。
「公彦ーー!?」
ついに公彦は目覚めたのだ。

医者の見立ては厳しいものであった。
それだけに、感無量である。
とはいえ、本番はこれからだ。
右半身の一部に、麻痺が残っている。
長いリハビリが、始まろうとしていたーー。

俺は、仕事以外の時間は、極力公彦の傍に居てやるようにした。
俺が居ると、目の輝きが違うのだ。
何だか、照れ臭い。
が、これも大事な、二人の共同作業。
公彦が全快した際には、きっと笑い話になっているだろう。
この時の自分には、そんな予感がしていた。

だが、この話はここで終わらない。
俺たちの読みは、甘かった。
専務さんの奥さんが、かつての専務さんと俺の不倫の事を、嗅ぎ付けてしまったのだ。
たまには携帯のチェックをと思ったらしく、たまたま端末に残っていたメールを、ロックが解除された状態で専務さんがトイレに行った隙に、見てしまったらしい。
それまで綺麗好きで見た目も美人であった奥さんが、みるみる内に家事がこなせなくなり、部屋やリビングにはゴミが堆積。
容姿に至っては、見るも無残だったという。

結局、専務さんは小さな施設に奥さんを入れる事にして、別居する事となった。
その話を聞きつけた俺、いてもたっても居られず、翌朝会社で、専務さんにその事を尋ねてみる事にした。

翌日。
専務さんの顔は、優しかった。
「私は二人に悪い事をした。償っても償い切れない。気にしなくていいんだよ。権力を笠に着て、やりたい放題やっていた自分がいけなかったーーごめんな。」

それだけで、たったそれだけの言葉で、嬉しかった。
全てを許せる、そんな気が少なくとも今の俺にはしていた。
それよりも俺は、奥さんの方が気掛かりだった。
世の中、上手くはいかないーー。
この時の俺はまさにそれを、痛感していた。

それから二年。
俺は良く耐えた。
公彦もそれ以上に、本当に良く頑張った。
俺は会社での頑張りが認められ、副工場長にまで上り詰めていた。
中卒では異例の出世だ。
辞めなくて良かったーー。
本当に心からそう思った。

公彦は、警備員の仕事は絶望的だが、専業主夫としてなら頑張れそうだ。
脳にまだ障害が残っているので、記憶を忘れている事もザラだが、実家の人たちの事は覚えていなくても、俺の事は覚えてくれていた。
まさに、感無量だ。

これから先は、何があっても二人で助け合って生きて行こうと思う。
今日は俺たちの、大切な大切な、記念日となった。
何があってもこの日を、この絆を忘れないーー。
そんな自信がある内は、まだまだ平気だ。
そうだ。
まだ行ける、まだ大丈夫。
二人、手に手を取ったら、意外と俺たち、パワフルなんだ。
これは最近気付いた事。
遅過ぎたかもしれないが。

そう、とにかく頑張る!
脳裏に咄嗟に浮かんだ言葉。
それしかない。
あの子の、公彦のあの堪らない笑顔の為にも。
きっと幸せにすると誓って、俺は息を一つ、深く深く吸い込んだのだった。
掴んだ手は、もう離さない。

-完-

難産でした。
自信はいつもの通りであまりありません。
ただ、少し実験的要素も取り入れてみたつもりです。
もちろん、あくまで自分の中での話ではありますが。
今回はタイトルもシンプルですので、そこは覚えやすいとは思います。
楽しんで頂けましたら幸いです。

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