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三毛猫と白猫 [其ノ伍]

凍えていた。
手が、震えていた。
君の手が、恋しかった。
だから、そっと握った。
温かな感触。
貪るように味わう。
次の瞬間。
君の瞳から、涙が一雫、落ちた。
僕達はもう、戻れない。
振り返っても、仕方ない。
ただ、前に進まなければ。
それだけが、己に残された出来得る事の全てだった。
まるで、男女の駆け落ちのような。
まさに、苦闘の日々の始まりであったーー。

ーー東京・新宿。
奥秩父の実家から、着の身着のままで出て来た。
所持金は僅か。
財布はどうにか持ち出したが、タンス預金を取り出す余裕もなかった。
背後より飛んで来る文庫本から身を守りながら、大慌てで家を飛び出した。
目下、絶体絶命。
ーー俺の心情を察したのだろう。
ここで恋人・信太が口を開いた。
「僕の財布もあるし、それぞれの銀行の預金もあるから。多分、大丈夫。」
そうだ。
良かった。
これで少しは食い繫げる。
「ありがとう。」
他に言葉が浮かばなかった。
東口の前で、どちらからともなくハグをする。
奇異の目線も、気にならない。
嗚咽を漏らす。
涙が、止まらないのだ。

そのまま、暫しの時が流れ。
「行こう。」
信太は俺の胸の中から離れると、手を取って歩き出した。

俺と信太は、幼馴染だ。
同い年で、幼稚園の頃から、一緒。
小学生の頃には、恋仲になっていた。
告白したのは、俺。
「俺、お前の事が好きだ。傍に居てくれ。離さないから。」
それだけだった。
信太は、ただ頷くのみ。
単純な、けれども俺達二人にとっては十分な遣り取りだった。
それからの俺達は、以前にも増して助け合うようになった。
特に勉強は、ノートの貸し借りをするなどして共に支え合った。
実の所は、勉強を口実にして、二人で過ごす時間を作っていたのだが。
それでも、成績が下がると会わせて貰えなくなるので、勉強は頑張った。
二人共、中学に上がる頃には、常に上位の成績をキープするようになっていた。
高校は、地元から離れた進学校に二人で通おうーー。
そう約束し合っていた。
だが。
二人の逢瀬は、互いの両親に筒抜けとなっていた。
中学の卒業式の日ーー。
俺は父から、こう言われた。
「お前たちの事は、前から知っていた。勉強に精を出していたから、一時的に見逃していた。だが、今日でそれも終わり。卒業だ。これからは男とではなく、女との道を歩くのだ。いいな。」
悔しかった。
ただ、悔しかった。
涙が、止まらなかった。
それから三年間、信太とは逢えなかった。
両親は担任に口添えしており、同じ高校なのに逢う事は叶わなかった。
長かった。
遥かな、道のりだった。
毎日、泣いていた。
歯を食い縛って、堪えた。
暗い日々が過ぎ、遂に高校の卒業式。
式を終えると、信太が、俺に近付く。
「さ、行こう。駆け落ちみたいだけど。」
その時信太は、笑っていたーー。
それからは、あっという間だった。
先に信太の家に行って、荷物を取ろうとしたが、兄弟に邪魔されて失敗。
次に俺の家に行くと、今度は祖父母が立ちはだかった。
俺の部屋で。
財布を取り、棚のタンス預金に手を伸ばそうとすると。
祖父母は手近にあった文庫本を次から次へと投げ付けてきた。
もうここへは戻れないーーそう。
退路を断たれた、まさにその瞬間だった。

それから、何となくの流れで、新宿に流れ着いた。
惰性で。
ただ、名前を知っていたから。
それだけの理由だった。

「これから、どうしよう。」
「そうだね。今夜はネカフェのペアシートで過ごそうか。」
「賛成。」
目的地がある訳ではない。
ただ、ネットカフェを探して歩く、それだけの事。
でも、それだけの、たったそれだけの事が、今の俺には、この上なく幸せな事にも思えた。
言うなれば三年ぶりの、二人での共同作業である。
嬉しくない訳がないのだ。
完全個室のネットカフェのシートで。
手を繋いで眠る。
それだけで、現実からの逃避が出来た。
一時的な事だが、それでも、この時には十分だった。
と、ポケットの中でバイブが響く。
慌てて出ると、父からの電話だった。
急いでスピーカーフォンにする。
「圭よ、最後通告だ。今すぐに戻れ。許してやる。見合い話もある。極上の相手だ。戻らなければ、義絶する。」
電話口には、交代で信太の母が出た。
母は信太に、切々と問い掛ける。
「信太、戻って。ホモの病気、一緒に治そ。お母さん諦めない。あなたは絶対に結婚する。だから大丈夫。戻って来て。私には義絶なんて出来ない。だって信太は私の物だから。」
実の所は、気持ちは分からないでもなかった。
でも、「私の物」という表現には流石に俺は激昂した。
「信太はあんたの所有物じゃない!信太は自分の意志でここまで来た。誘拐した訳ではないんだ。渡さない。絶対に。」
ここで信太が沸騰した。
「今日までお母さんでいてくれたあなたには、心から感謝しています。もう構わないでください。僕の前にあなたが現れたら、僕自殺します。許してください。耐えられないんです。」
電話口の向こう側からは、啜り泣く声が延々と聞こえた。
こうして、俺達にとっての不愉快な遣り取りは終わった。
たとえ一時的な事であってもこれは嬉しい、そう思った。

翌朝。
ネットカフェを後にする。
アテはなかったが、仕事は探さなくてはならない。
しかしそれにしても、住所は必要だ。
だからといって、物件を探すのに仕事が要らない訳ではない。
堂々巡りだった。
寮付きの仕事でも見つかれば良いのだが。
そんな事を考えながら二人で街を歩く。
すると、歌舞伎町に差し掛かったあたりで、一匹の猫が足元に寄って来た。
「おはよう。私はミミ。三毛の野良猫。よろしくね!」
噂には聞いていた、喋る野良猫、登場。
信太は怯えているようだったので、大丈夫である事を俺から説明する。
「あら、説明して頂けて助かるわ。二人の小さな願い事、三つだけ叶えてあげる。願い事は、二人同じでも良いのよ。」
ここで信太が口を開いた。
「二人で末永く、誰にも邪魔されずに仲良く一緒に居られる事。仕事が長く続きますように、という事。これから先ずっと、住まいと食べる物に困らない事。二人の願い事はそれだけ!」
信太は、真剣だった。
俺は、ここからが苦闘の始まりだと思いつつも、藁をも掴む思いだった。
「あなた達の手助けはするし、願いが成就する為のきっかけは作ってあげる。後はあなた達次第よ!頑張って!」
それだけ言うと、ミミは去っていった。
後ろ姿が眩しかったのは、陽射しのせいだけではなかった。

新宿西口から西新宿へと歩く。
中央公園で一休み。
スマートフォンを取り出して、求人を漁る。
もちろん、寮付きが良い。
自動車の期間工の求人が多いが、正社員を目指せるらしい。
ミミの力を借りれば、出来るかも。
ここで、去った筈のミミの声が聞こえた。
『大変な仕事よ。でもあなた達なら正社員になれるわ。作業のコツは私が教えるから、大丈夫。二人共、体力があるからピッタリよ!』
これにはお礼を言わずにはいられない。
「ミミ、有難う!」
声が揃った。
前向きになる、自分。

幸い、住所はまだ二人共に実家にあった。
住所不定でなくて、助かった。
とはいえ、所持金の事もある。
急がねば。
二人して早速面接の予定を立てた。
ミミも言っていたが、俺達は高校時代、運動系の部活に所属していたから。
体力には自信があるのだ。
一応、高卒でもある。
期間工を終えた後の万一の仕事探しの際にも。
中卒よりは仕事を見つけるのも楽だろう。
三年間の辛抱が、いつか役に立つかもしれないーー。
そう思えて、俺は嬉しかった。

それから。
俺達は面接の日程を組んだ。
残り少ない預金ではあるのだが。
それでも、背に腹は変えられないので、スーツも買った。
履歴書も用意して。
準備万端だ。

予想通り。
苦闘はここから、始まった。
面接は、受かったのだ。
勤務先の工場は郊外にあるので、俺たちは東京を離れる事になった。
同じ工場での勤務。
嬉しい筈だった。
だが。
いざやってみると、仕事がキツイのだ。
これには面食らった。
怒られる事は、ほぼなかった。
ミミが俺達二人にやり方を逐一教えてくれていたからだ。
手が止まる度に、ミミの心の声が聞こえる。
頼もしい。
しかし、慣れない。
部活で使う筋肉とは、使う筋肉の場所が違うらしい。
それでも。
いつか二人で暮らそうと、決めていたから。
だから、諦めなかった。

歯を食い縛る日々。
それでも、楽しみはあった。
良く互いの部屋に遊びに行った。
部屋では、テレビゲーム三昧。
アニメも良く観た。

夏には、毎週末のように日帰りで海に行った。
水にプカプカ浮いて、何となく波に乗る。
楽しい思い出。

秋には、紅葉狩り。
紅色の葉っぱの絨毯が、綺麗だった。
あてもなくそぞろ歩くだけでも、嬉しかった。
この頃からようやく、ミミのアドバイスなしでもノーミスで仕事が出来るようになった。
上司からは認められていた。
これは有難い。
戻る場所がないだけに、後がないのだ。
仕事中は常に、緊張感が支配していた。
ストレスは溜まってはいたが、二人の未来が掛かっているのだ。
ここで逃げ出す訳にはいかない。
ここが踏ん張りどころーーそれは分かっていた。
分かっていたのだ。

冬。
俺が好きなので、週末、信太を良くスキーへと連れて行った。
幼馴染なのに、これまで一緒にスキーをした事がなかった。
信太は正直、スキーは下手だった。
暫くはボーゲンだろう。
それにしても、信太がリフトに乗り降りする姿を見ていると、怖くなってくる。
いつか落ちるのではないかと、気が気でないのだ。
ゲレンデの雪はパウダースノーで、雪の結晶の形を綺麗に保っている。
まるで信太の瞳の輝きのようで、俺は思わず涙する。
ここまで、長かった。
『もう大丈夫よ。二人共良く頑張ったわ。あなた方は今度の夏の試験で、正社員に正式に登用されるわ。これからも頑張ってね!』
ミミの言葉で、思い返す。

そうだ。
君が、好きだーー。

ーー凍えていた。
手が、震えていた。
君の手が、恋しかった。
だから、そっと握った。
真っ白なゲレンデの上で。
グローブを外して。
温かな感触。
貪るように味わう。
次の瞬間。
君の顔から、笑顔が零れた。
僕達はもう、戻らない。
振り返っても、意味がない。
ただ、前に進まなければ。
それだけが、己に残された出来得る事の全てだった。
まるで、男女の駆け落ちのような。
しかし、ようやく掴んだ、幸せへの第一歩でもあったーー。

春。
お花見をした。
二人で、仲良く。
料理の得意な信太が、お弁当を作ってくれた。
美味しい。
頰が落ちそうだ。
見上げると、桜の花びらが舞っている。
苦労の末に掴んだ幸せ。
手放したくないーーそう思って、泣いた。

帰り道。
飲酒運転の車に、信太がぶつかった。
信太に非はない。
だが、俺は気が動転していた。
すると信太、ぶつかった直後だというのに、笑っていた。
「圭、大丈夫だからさ。落ち着いて。」
相変わらず、情けない俺。
それでも、こんな俺でも必要としてくれるーー。
そんな信太を手放す事は、決して出来ない。
まずは心配だったので、救急車へ通報。
加害者の車は、突然やって来た白猫が、ボンネットの上に乗って足止めしてくれていた。
病院で検査。
軽傷だった。
良かった。
本当に、良かった。

夏。
俺達二人は、本当に正社員になってしまった。
本来ならば驚くべき事だが、ミミがいたから、信じられた。
『二人共、助け合って頑張るのよ!また遊びに来るわ。それじゃ!』
ミミの声が聞こえた。

俺達は、こうして二人手を取って、共に歩んで行く。
やっと掴んだ喜び。
手放す訳にはいかない。
空は、どこまでも抜けるように青くて、見ていて不安になる。
まるでちっぽけな俺達を見下ろしているかのようで。
それでも、俺達には絆があるから、大丈夫。
そう信じられたから、俺は信太の手を離さない。
幸せのページが、また一枚めくられたかのような午後。
今日は休みだ。
この空の下で、これからの未来に思いを馳せながら、前へと進んで行く。
その覚悟を、決めた。
俺達にはきっと、明るい未来が待っているーー。
だから俺達は今、心から幸せだ、そう胸を張って言えるのだと思う。
二人でなら生きて行ける、そう心から思えた夏の日の午後の事だった。

冒頭の文章には、気合いを入れました。
セリフとしては、信太の母の「ホモの病気、一緒に治そ。」というのが、一番のお気に入り。
これ、面と向かって言われたら、結構ムカつきますよね。
終わり方がワンパターン。
そこはちょっと反省。