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三毛猫と白猫 [其ノ肆]

これは、野良猫ナナと少年たちとが紡ぐ優しい物語である。
孤独の底にあった五一。
彼を救ったのは、野良猫ナナと恭吾一家の真心だったーー。
ここに描かれるのは、恭吾と五一のごく短い、心温まる青春譚である。

[序章]

五一が生まれた日。
それは晴れ渡る空が気持ちの良い、五月一日であった。
五一とは、この日付から取られた名である。
長男であった。
両親には、それはそれは可愛がられた。
それがガラリと変わるのは、五歳の時の事。
偶然行われた血液検査で、実子ではないと判明したのだ。
両親の受けた衝撃は、巨大だった。
母は精神的ダメージで、自律神経がおかしくなった。
父も癇癪を起こすようになった。
実子を取り違えられた両家は、話し合いの場を持つのだが。
意見はすれ違い、ヒートアップ。
双方取り乱すばかりであった。
結局は、より押しの強かった相手方の主張が容れられる事に。
実子交換はしないという結論だ。
もちろん、子供たちの事を考えての結論であった。
だが、五一の両親は納得が行かない。
他人の子供を育てる気など、サラサラないのだ。
そこへ、五一にとっては更なる悲劇が!
何と、両親の間に実子が誕生したのである。
両親は実子ばかりを可愛がった。
実子は男の子であったから、両親にとっては新たな長男だ。
両親は、五一を殺すつもりはなかった。
だが、死んでくれてもいいーーそれ位には思っていた。
そんな中で、どちらからともなく自然と虐待をするようになっていった。
五一は逃げられなかった。
相手は、大人二人掛かりである。
敵わないのだ。
次第に弱ってゆく五一。
自殺をするのも、時間の問題に思われたーー。

そんなある日。
暴行を加える両親から逃げ出して、街をふらつく五一。
道の片隅で丸くなる野良の三毛猫を見つけた。
しゃがんでみる。
するとーー。
「こんにちは、はじめまして!三毛の野良のナナです。こう見えても一応はレディ。よろしくね!」
三毛猫が、喋った。
五一は腰を抜かした。
幻聴に違いない、自分もいよいよ終わりか、そう思った。
だが、よくよく聞いてみると、そうでもないらしい。

「私は人々の願いを叶えながら全国を回っているの。私、中学であなたと同級となる恭吾さんのお友達なの。恭吾さん、あなたと仲良くなりたくて仕方ないみたい。だから私、ここに来たの。三つだけ、願い事を叶えてあげるわね。億万長者になりたいだとか、そういうのは駄目。考えて。」
しばし黙考する五一。
喋る猫の言う事である。
信用したのだ。

恭吾の名前を、五一は知っていた。
この辺りでは有名なのだ。
腕っ節が強くて、身体が大きい。
一瞬だけ、その顔を見た記憶もある。
通りすがりでたまたま見掛けたのだ。
友達の子から恭吾と呼ばれていたから間違いなかった。
とても大きな身体と、優しそうな顔が印象に残っていた。
ポッと、五一の胸に灯が燈るーー。
初恋の、予感。

やがて口を開く五一。
「一つ目は、すぐに今の家を出られますように、って事。二つ目は、学校でうまくやっていけますようにって事。三つ目は、恭吾くんと仲良しになれますように、って事。お願い出来る?」

五一の初恋は、元々はもう少し遅れて訪れる筈であった。
本来ならば、まだ五一は恭吾には出会えない筈だったからである。
そして、結ばれないーー。
五一は、恭吾の想いも知らずに、自殺を遂げる運命であったからだ。
元々相思相愛だった二人。
ナナの力で、強く結び付こうとしているのであった。

で。
五一の言を聞くや否や。
「承知いたしましたわ。それ位なら、訳ない事よ。」
駆け出すナナ。
ぼんやりとその後ろ姿を見つめながらーー。
五一は、何故だか胸がキュンとするのを感じていた。
ようやく訪れた、これが幸せへの第一歩であった。

[一日目]

半月後。
今日は中学校の入学式。
帰り道、五一は独りで考え事をしていた。
入学式にも行かないつもりだった五一。
恭吾と出逢えるかも知れない、そんな想いが背中を押した。
でも緊張で、何が何やら分からず終いで終わってしまった。
恭吾にも、逢えなかった。
『あの猫の力も効かなかったみたいだな。これから、どうしよう……。』
苦悶する五一。
明日からの学校はどうしようか。
家に居たら居たで暴行を受けるだけ。
でも、学校で苛められるのも辛い。
やはり昼間は外で当てもなく過ごすしかーー。
そう考えてどんよりとする五一であった。

気が付くと、知らない道を歩いていた。
ここは何処なのか。
朝来た道とは違う。
戸惑う五一。
ナナの力が作用していた。

と、そこへーー。
一回り大きな身体の、同い年の少年が現れた。
恭吾だ。
力が強くて、五年程前から柔道をやっている。
町内では一目置かれる存在だ。
恭吾が、五一に声を掛ける。
「五一くん、初めまして!ぼく、恭吾です!」
五一は驚いた。
「恭吾くん、何でぼくの名前を知ってるの?」
「ずっと仲良くなりたかったんだ。」
恭吾は胸を張る。
自分が五一を守るーーそんな気概に溢れていた。
目の前の、五一の艶やかな漆黒の髪。
そっと触れると、恭吾は優しく撫で回す。
五一は、嬉しかった。
憧れだった恭吾の、知らなかった温もり。
それが今、まさにある。
五一は、酔い痴れていた。
不意に感情が昂って、涙が頬を伝う。
恭吾は、ずっとその様子を見ていた。
すると、五一をそっと胸に抱き寄せる。
「ずっと、ずっと待っていたんだよ。やっと逢えたね。良かった。ぼく、守るから。何処にも行かないから。だから、よろしくね!」
五一の目の前には、恭吾の飛び切りの笑顔があった。
「こちらこそ……。よろしく、ね。」
溜め息混じりで五一も応じる。
二人は笑顔でじゃれあっていた。

五年程前。
恭吾は、恋に堕ちていた。
相手は五一。
五一は気が弱くて力もなく、上級生のサンドバッグとなっていた。
程なくして不登校に。
それから二度と、小学校には現れなかった。
そんな五一を、恭吾は守れなかった。
悔しかった。
だから、柔道にのめり込んだ。
強くなって、いつか五一を守れるようにーー。
体格に恵まれていた恭吾。
持ち前の負けん気の強さもあって、メキメキと上達していった。
恭吾は、強くなった。
長い長い、道のりだった。
やっと、めぐり逢えたーー。

ふと恭吾の視界にナナの姿が飛び込む。
五一は気付いていない。
これも全部ナナのお陰、ナナが居なければーー。
『大丈夫よ。五一さん、元々恭吾さんの事が好きだったの。私は出逢うきっかけを作っただけ。自信を持って!』
恭吾は、改めて抱き締めた。
もう離さない、そんな風情だ。
五一もまた、離れ難いと思っていた。
ここに二人は、結ばれたのであった。

「ねぇ恭吾くん。名前はなんて呼んだらいい?ぼくの名前は、好きに呼んでくれたらいいよ。」
五一の声は微かに、湿り気を帯びていた。
対照的に、恭吾の声は弾んでいた。
「ぼくの名前は恭吾。そのまま恭吾って呼んでくれたらいいよ。五一くんの事はごいっちゃんって呼ぶね。これからずっと、仲良くしようねぇー。」
喜色満面の恭吾を前にして、不意にナナの顔が思い浮かぶ五一。
そんな五一にも、ナナは優しかった。
『大丈夫。これが本当の恋よ。いつか愛に変わるまで、大切にね!』
胸に響くナナの言葉。
二人の長い長い交際が、ここから始まるーー。

「ごいっちゃん。ぼくんちに行こうよ!良かったら今からでも、さ。」
恭吾は、五一の手を引いて連れて行こうとする。
「うん。ぼく、行く!」
五一も、安心しているのか流れに逆らわない。
もう二人の間には、ナナの力は要らない。
むしろナナは違った問題で、のちに苦戦する事となる。

それから何分かして、恭吾の家の前で。
緊張の色を隠せない五一の手を、恭吾が力強く引いた。
「大丈夫だよ、おいで!」
その笑顔で幾らか気が紛れた五一。
恭吾の後を不安定な足取りで付いてゆく。
恭吾が玄関扉を開けると、すぐに恭吾の母・芳子が出迎えた。
「お帰りなさい!後ろに居るのは、お友達ね。さ、上がって!」
芳子は、緊張で固まる五一を、笑顔で迎え入れた。
「ごいっちゃんって言うんだよ。これから毎日来るから、よろしく!」
五一の手を引いてドカドカと上がり込む恭吾。
芳子はこの日、いつにも増して上機嫌であった。
それはナナのお陰ではあった。
が、ナナの力がなくても五一は受け入れられていた筈だ。
芳子にとっての五一は、とても可愛らしい存在だったからである。
ただ、ナナの力がなければ五一はここに来る事はなかったーー。
それもまた、事実であった。
「ごいっちゃん。お飲み物は何がいいかしら?」
スタイルの良い芳子は、少し屈んで五一の顔を覗き込む。
芳子は背が高いので、屈まないと背の低い五一の表情を見る事は出来なかった。
「じゃあ紅茶で。甘いやつならなんでも。」
五一は緊張で少し震えていたが、芳子は気にも留めない。
「承知したわよ!恭吾はどうする?」
「ぼくもごいっちゃんと一緒で!」
笑顔で互いの顔を覗き込む二人。
「後でケーキとお紅茶持って行くから、お部屋で待ってて頂戴な。」
「はーい。ごいっちゃん、行くよ!」
恭吾は五一の手を引くと、階段を上がって自室へと向かうのであった。

恭吾の部屋に入る二人。
広さは、八畳程であろうか。
視界の真ん中には、大きめのベッドが鎮座する。
胸の鼓動が五月蝿い、そう感じていた五一。
恭吾は先にベッドに身を投げると、隣をポンポンと叩いて五一を促す。
「早くおいでよ!」
隣り合って、ベッドの縁に腰掛ける二人。
五一はくるりと部屋を見回す。
「何にもないよー!」
恭吾は五一の様子が可愛くて、思わずくすりと笑う。
「何にもないなんて事ないよ。ぼくの部屋にない物がいっぱい!それにぼく、他の子の部屋に入った事がないから、新鮮なんだ。」
五一は本棚の雑誌や漫画から、恭吾の好みを知ろうとしていた。

暫し無言の二人。
次第に、空気に緊張が帯びる。
するとーー。
恭吾が、五一の肩をそっと抱き寄せた。
嫌がらないのを確認。
そして、恭吾は口を開くーー。

ーーその時であった。
「入るわよ〜。お紅茶とケーキ、持って来たわよ〜。」
ご機嫌の芳子が鼻歌交じりで入って来たのだ。
ノックもせずに。
これには恭吾も腹を立てる。
「ノック位しろって!」
が。
芳子はまるで気にしていない様子。
「ごめんなさいね〜。二人共、仲良くね!」
ウインクをして、出て行った。
芳子は、二人の想いに感付いていた。
女の勘は鋭いのだ。
まぁ肩を抱いていた時点でもう、明らかなのだが。
もちろん、ノックし忘れた事に悪気はない。
要するに天然なのだ。
頭の中に、ノックという概念がないとも言える。
困るのは残された二人。
「実の母親にウインクされて、嬉しい訳ないじゃんか!」
「まぁまぁ。明るくて楽しいお母さんじゃない。ちょっと変わってるけど。」
場が白けたのか、二人は再び無言になる。
黙々とケーキを食べる二人。
一からムードの作り直しである。

それから何分かが経過してーー。
再び五一の肩を抱く恭吾。
五一はその瞬間、飛び切りの笑顔を見せた。
これで恭吾の箍が外れた。
恭吾は五一の唇を強引に奪うと、その身体を押し倒す。
だが次の瞬間、恭吾に理性が戻った。
五一は、恭吾の下で泣いていたのだ。
肩を震わせて。
恭吾は、まさに痛恨といった風情だ。
「ごいっちゃん、ごめん……。」
恭吾もまた、涙を零す。

その時だった。
五一は何と、恭吾の首に抱き付いて、キスをしたのだ。
これには恭吾も仰天した。
とはいえ、降って湧いたチャンス。
逃す訳にはいかない。
恭吾は力一杯、五一を抱き締める。
ここで五一、ギブアップ。
「恭吾くん、ちょっと痛ぃ。落ち着いて、ね。」
猪の恭吾、五一の言葉でようやく落ち着くのである。
「ぼくは何処にも行かないよ。安心していいょ。」
はにかんだ笑顔を見せる五一。
その表情が可愛くて、恭吾は今度は優しくそっと、キスをした。
笑顔になる二人。
ニコニコしながらじゃれ合う。
だが。
次の瞬間。
五一の首元に小さな痣を二つ見つけて、恭吾の顔が引きつった。
「ごいっちゃん。何も言わずに上だけ脱いで!お願い。大丈夫だから、さ。」
五一を労わりながらも、その瞳は曇っていた。
一方の五一だが。
どうせ何時かは脱ぐのである。
だから、覚悟を決めた。
無言で、上半身に纏う服の全てを脱ぎ去った。
「ごいっちゃん、これ……!?」
絶句する恭吾。
無理もない。
五一の上半身は、痣だらけであったのだ。
元々の素肌が綺麗なだけに、恭吾としては余計に辛い。
そして、自分には何が出来るかーー。
ーーその事を考えた時に、絶望するしかなかった。
相手は恐らく大人だ。
中学生では太刀打ち出来ない。
では、同じ大人ならーー。
恭吾は閃いた。
「ごいっちゃん、来て!」
恭吾に手を引かれて、上半身裸の五一は部屋を飛び出す。
階段を駆け下りると、芳子の居る居間へと直行した。

「母さん、これ、見て!」
恭吾はこの時、涙ぐんでいた。
この時の恭吾はまさに、一本の蜘蛛の糸を掴むような心境であった。
「ごいっちゃん、これ、どうしたの!?」
恭吾と似たようなリアクションを取る芳子。
早速、五一から事情を聞く。
「よし、分かったわ。後は母さんに任せなさい!」
芳子はそれだけ言うと、電話に向かってズンズンと進む。
当時は、連絡網というものが存在していた。
それを見て、五一の親に電話を掛けるのである。
開口一番。
「ちょっとあなた!五一くんの事、虐待してるでしょ!五一くんは家で面倒を見ます。さもなくば……。」
その時、電話口の向こう側から声が聞こえた。
それはただ一言、分かりました、というものであった。
こうして、恭吾と五一の共同生活はスタートするのである。
「ごいっちゃん、あなたは今日からこの家の家族になるの。一緒に住むのよ。」
そう言われて、ナナの顔を再び思い出す五一。
『幸せはすぐそこよ。頑張って!』
そんなナナの声が聞こえて、五一は心からの感謝をするのであった。
一方の恭吾といえば、ガッツポーズだ。
そんな恭吾を見て、くすりと笑う五一。
この時二人は、喜びを噛み締めていた。

「さぁ、恭吾、ごいっちゃん。出掛けるわよ。当座必要な荷物を、ごいっちゃんの家に取りに行くの。私の運転する車でね。」
「いぃけど、母さん運転荒いんだから、気を付けてよ。」
恭吾はクギを刺す。
芳子は運転も性格も、剛毅な所があった。
煽られても怯まない。
渋滞を作ってでも、制限速度は厳守。
実際の所は荒い訳ではなかったのだが。
煽る運転手に腹を立てる芳子の姿が、荒っぽく見えたのだ。
「あら、大丈夫よ。」
芳子は、そんな些細な事など気にも留めない。
こうして三人は、五一の案内でその自宅へと向かう。
着いたのは、古ぼけたマンション。
その二階が目的地である。
エレベーターはない。
階段で上がるのだ。
廊下の突き当たり。
インターホンを押す。
現れたのは中年の女。
目が死んでいる。
生活に疲れているのであろう。
少なくとも裕福そうには凡そ見えない出で立ち。
そう。
これが五一の育ての母・麻里子だ。
「何の用?」
如何にも鬱陶しそうに、それだけを尋ねる麻里子。
これに腹を立てた芳子、怒鳴る!
「あなた、子供を虐待しておいてその態度!どういう事!もう家のごいっちゃんには指一本触れさせないから。もしもあなたのせいで何かあった時には、覚悟おし!」
この剣幕にも怯まずに、むしろ気怠そうに麻里子は答える。
「この家、お金ないの。見て分からない?他人の子を育てる余裕なんてないのよ。どうせ荷物でしょ。さっさと運んで、帰って。」
この時、芳子は忍耐を強いられていた。
それに気付いた恭吾、母・芳子に一言。
「帰ったら、四人でパーティーしようぜ!」
「オッケーよ!すき焼きにしましょう!」
「よっしゃ!」
またもやガッツポーズの恭吾。
五一も笑顔だ。
白けたのだろう。
麻里子は奥の居間へと姿を消した。
五一の住んでいた家は、それなりに広かった。
3LDKである。
五一が五歳の頃に、越して来た。
麻里子とその夫は、五一とは共に寝たくなかった。
寝る時にまでその顔を見せられるのは苦痛だと、そう思っていたのだ。
だから、引っ越した。
他に引き取り手も居ない五一と共に住むには、それは必要な事であった。
もちろん、待望だった実子の事もある。
二人も子供が居たせいで、無理をして住んでいたのだ。
五一が居なくなれば、より狭くて安い物件に引っ越せる。
食費も光熱費も浮く。
この話は、まさに渡りに船であった。

中に入る。
空気が淀んでいる。
「早く荷物を積み込んで、さっさと帰りましょ!ごいっちゃん、部屋はどの扉?」
「右端です。」
扉を開ける。
そこには、何もなかった。
着古された普段着の数々は、押入れの中。
数少ない荷物も、押入れの中に収まっていた。
部屋に唯一あったのは、煎餅布団だけ。
テーブルも机もない。
本当に何もないのだ。
「本当に必要な物だけ、運びましょ。ごいっちゃん、何かある?教科書とノート、筆記用具以外で。お洋服や机やベッドは、全て家で新しく買うから大丈夫よ。」
そこで、芳子は五一の顔をじっと見つめた。
答えは、明白だった。
「ないと思います。」
するとここで、押入れの中を物色していた恭吾が、何かを見つける。
「あ!恭吾くん、それは駄目ぇ!」
恭吾が持っていたのは、五一のアルバムであった。
「あら、いいじゃない。持って帰って、後でみんなで見ましょう!」
そうは言うものの、肝心の五一が乗り気でない。
それはそうだ。
このアルバムには、五歳から後の写真は一枚もないのだ。
苦闘の日々を思い起こさせる、まさに鬼門であった。
五一は、唇を噛み締める。
その様子に気付いた芳子。
「これは、燃やしてもらいましょう。」
恭吾からアルバムを取り上げると、放り出す。
「さ、行くわよ!」
結局、教科書の類のみを持って五一のこれまでの家を去る三人。
その後ろ姿を見ながら麻里子は一言、「これでいいのよ」、そう呟いた。
麻里子もまた願っていた。
そう、ナナに。
実子がスクスクと育ちますように、五一が出て行きますように、安いアパートへ引っ越せますように。
願ったのは、それだけの事であった。
決して強欲だった訳ではない。
ただ、他人と寝食を共にするのが、苦痛極まりなかった。
それだけだ。
一方で芳子のような存在も居るのだから、面白い。
人生色々、人も色々、である。

帰り際に、洋品店に寄る三人。
このお店は安くはないが、サイズ展開が豊富なので、芳子は重宝していた。
考えてみれば息子の恭吾も夫も、ついでに五一も。
みんな丸っこいのだ。
だからこのお店の存在は、芳子にとっては有り難かった。
「普段着とパジャマと下着が、それぞれ何着かずつ必要ね。後は靴下。さ、好きなのを選んで頂戴。」
そう言われても困ると思い、下を向く五一であったが。
すかさず恭吾が、助け船を出す。
「ぼくが選んであげるよ!任せて!」
広い店内の沢山の衣服の中から、何点かをピックアップする恭吾。
「家の恭吾、あれで意外とセンス良いのよ。」
確かに。
一同、納得のチョイスだ。
大きな袋を手分けして抱えて、洋品店を出る三人。
「後はスーパーと、お肉屋さんね。」
「よしっ!」
またもやガッツポーズの恭吾。
その隣で五一は、それはもうニコニコ笑顔なのであった。

で。
帰宅。
ちょうど夕暮れ時であった。
「恭吾の隣の部屋が空いているから、ごいっちゃんはそこを使って。二人共、ちゃんと荷物片付けるのよ!」
これに待ったをかけたのが恭吾だ。
「嫌だ!ぼくはごいっちゃんとおんなじ部屋が良い!」
刺すような目付きで芳子を睨む。
「あら、困ったわね。それじゃあ狭いわよ。ごいっちゃんはどうする?」
芳子の問いに、きっぱりと。
「ぼくも恭吾くんとおんなじが良いです!」
そこで芳子、妙案を思い付く。
「二階の二つの部屋の間の邪魔な壁を、取り払っちゃいましょう!パパの知り合いに頼めば簡単だわ!」
この勢いに取り残されたのは他でもない、恭吾と五一。
「そんな事出来んのかょ……。」
「あの、ぼく、今のままで大丈夫なんで……。」
それでも芳子は退かない。
「大丈夫よ!任せなさいって!お片付けちゃんとしておくのよー。」
これでこの話は終わった。
ーーのだが。
「恭吾くんのお母さんって、凄い人なんだね。」
「いや、おかしいんだと思う、多分。」
恭吾と五一は、呆れ気味なのであった。

「取り敢えず今日買った洋服は、隣の部屋に置くね。クローゼットの中でいいよね?」
「ついでにごいっちゃん、制服のままだからさ。着替えておいで。」
「りょーかいっ!」

それぞれの部屋で黙々と作業をする二人。
五一の方が早く終えたので、まずは着替えを探す。
サテン地のドット柄のシャツに黒の綾織りのボトムス。
これで良いだろう。
早速着替えて恭吾の待つ部屋へと向かう。
「恭吾くん、どぅかな?」
少し照れ臭い五一であったが。
「ごいっちゃん、可愛いー!見違えたよ!」
そんな喜色満面の恭吾の顔を見て、満更でもないのであった。

その後。
片付けをひと段落させた二人は、一階へと下りる。
食堂では、芳子がすき焼きの準備を整えていた。
「あら、ちょうど良かったわ。パパももうすぐ帰ってくると思うの。待ってて頂戴な。」
芳子はカセットコンロに鍋を乗せると、火を点けて牛脂をひく。
皿の上には、四人分二キロの牛肉。
「ちょっと多かったかしら。まぁ、みんなで食べ切るでしょう!」
「それにしても多いね。」
五一はポカンとしながらテーブルの上の霜降り肉を眺める。
「いつもはあんなに用意しないんだよ。ごいっちゃんが居るから、奮発したんだね。」
恭吾の言葉で、芳子に感謝する五一であった。
そこへ。
「おー、みんなただいま!君が五一くんだね。ここでは前のようにはならないから、安心するんだよ。よろしく!」
恭吾の父・靖夫が帰宅。
早速五一を迎え入れるのであった。
五一は笑顔だ。

で。
夕食である。
待ちに待った。
「頂きまーす!」
一同の声が、食堂に響く。
と同時に、五一を除く三人の箸が一斉に鍋に伸びた。
五一は遠慮していた。
見兼ねた恭吾、五一の器に大量の肉を入れる。
「はーい!ごいっちゃんも食べなきゃ駄目だよー!」
更に芳子が駄目を押す。
「野菜もね。」
そういえばこの家、器が随分と大きい。
食いしん坊揃いの家には、相応しい器だ。
「は、はい!ありがとうございますっ!」
恐縮し切りの五一ではあったが、こうなると食いしん坊の血が騒ぐ。
それからの四人は、無心に食べ続けるばかり。
結局、二キロもあった霜降り肉はあっという間に姿を消した。
「ご馳走さまでしたー!」
四人の挨拶。
ユニゾンならず。
「二人とも歯を磨いちゃいなさいな。明日の支度もちゃんとするのよー。」
「はーい!行こう、ごいっちゃん!」
五一の手を引いて食堂を後にする恭吾。
早速歯を磨いて、部屋で明日の支度だ。

「ごいっちゃん、明日の一限目は国語。担任の森澤の授業だよ!でもさ、森澤 雫なんて綺麗な名前だけど、どんなんかね。」
「意外と厳つかったりしてね。」
二人は笑うのだが、後にこの話通りの展開となるのだ。
ちなみに、恭吾がナナに願ったのは、次の三つ。
五一と結ばれるように。
五一と末永く共に居られるように。
学校や家での生活が何事もなく上手く行くように。
ここで窓の外にナナが登場。
急いで窓を開ける恭吾。
「こんばんは。調子はどうかしら?」
ピョン、と飛び跳ねて室内に入るナナ。
「調子良いよ!」
「絶好調だね!」
笑顔の二人。
だがナナは、ここで冷や水を浴びせるような事を言う。
「それがね。あなたたちのお付き合いの事だけれど。生徒の皆さんが頑なで、私の力では考えを変えられなかったの。」
「それ、どういう事!?」
瞬時に、二人の目が曇る。
「要するに、苛めが発生するのが避けられない、って事ね。特に同級生の連中は敏感だから、十中八九何らかのアクションを起こすわ。」
「どぅしょう……。」
困った二人は、顔を見合わせる。
すると。
「大丈夫。あなたたちの担任の森澤先生。彼はあなたたちの味方よ。校長先生を始めとする他の先生方にも、意識を変えてもらったわ。安心して!」
「ナナ、ありがとう!」
お礼を言う二人。
声が揃った。
ここはユニゾンである。
「恭吾さん、くれぐれも熱くなり過ぎないようにね!また来るわ。じゃ!」
「またね〜!」
手を振る二人。
窓を閉めると、寝る支度だ。
少し早いが、明日の為だ。
「おやすみなさーい!」
太った二人が並ぶには少し狭いベッドで、仲良く眠る二人。
手を繋いでいた。
どちらからともなく。
そして朝を迎えるーー。

[二日目]

「ごいっちゃん、おはよーう!朝だょ、起きて!」
恭吾の声で、のっそりと起き上がる五一。
「恭吾くん、おはよ……。」
眠い目を擦って、フラフラと立ち上がる。
五一は朝が弱いのだ。
でも今朝からは、恭吾と一緒。
恭吾は朝が強いから、これからは遅刻の心配もない。
早速身支度を整えて、一階の食堂へ。
恭吾の家の朝食の定番は、ポトフとフレンチトーストだ。
朝から贅沢なのである。
「あらおはよう!恭吾、ごいっちゃん!パパはもう出掛けたわ。あなたたちも早くお朝食食べちゃいなさいね。」
「はーい。頂きまーす!」
「ねぇ恭吾くん。朝から豪華だね。いつもこんな?」
「うん、そうだょ。母さん、メープルシロップー!」
「はーい!」
恭吾は、甘いフレンチトーストの上からたっぷりのメープルシロップをかけた。
美味しい時間。
「はい!ごいっちゃんも。美味しぃよ。」
勧められるがままに、遠慮がちにかける五一。
すると。
「えいっ!」
恭吾が瓶を思いっ切り傾けた。
勢い良く注がれるメープルシロップ。
「あーぁ。」
五一は困惑する。
しかしこれが、食べてみると意外と美味しいのであった。
「美味しいね、恭吾くん。」
めでたし、めでたし。

その後。
登校中の路上で。
恭吾と五一は、手でも繋いでしまいそうな距離感で。
周囲の事など、目にも入らなくて。
自分たちの世界に入り込んでいて。
友達が呼ぶ声も聞こえなくて。
……殴られた。
「いてっ!何すんだてめぇ!」
「呼んでいるのに、応えないお前が悪い。ところでお前たち、付き合ってるのか?」
これは堪らない。
唾液でむせる恭吾。
「ぶふぉっ!ごほっ!ごほっ……。」
「図星のようだな。気を付けろ。誰が見ているか分からんからな。バレると厄介だぞ。」
「恭吾くん、大丈夫?ところで、この人誰?」
一人、話しに付いて行けない五一。
恭吾にヘルプを求める。
「あぁ、ごめんね、ごいっちゃん。こいつは幼稚園の頃からの友達。聡って言うんだ。いい奴だよ。」
「ふぅん。ぼく、五一です。よろしくお願いします。」
五一、聡の方に向き直って、ペコリ。
「こちらこそよろしく!ところで五一、付き合っている者同士は手を繋いで歩くのが基本だぞ。」
先程とは真逆の事を言う聡。
五一は、混乱する。
終いには本当に手を繋ごうとするので。
「おい五一。今のは冗談だ。」
溜め息混じりで止めに入る聡であった。
これには、恭吾が怒る。
「なぁ聡。忠告は有難いが、ぼくたち“新婚”なんだ。邪魔しないでくれるか。」
恭吾の猪は、聡の真っ当な忠告を跳ね除けてしまう。
尤も、これは変えられない運命のような事であったから、仕方ないのだが。
結局、その後も仲睦まじく共に歩く恭吾と五一。
その姿を横目に見ながら聡は、ある意味では決死の覚悟を決めるのであった。

その後。
お昼休み。
ここまで、長かった。
特に四限目の数学は、恭吾と五一にとっては理解不能な呪文の連続であった。
苦難を乗り越え、待ちに待った給食の時間。
この学校では給食は、机を動かして好きな者と食べる事が出来る。
当然と言えば当然であるが、恭吾と五一は聡を加えた三人で固まった。
「なぁ五一。部活はどうするんだ?」
聡に聞かれて頭の中が真っ白になる五一。
実際の所、まだ何も考えていなかった。
この学校では、全生徒が何らかの部活に入らねばならない。
捻り出した答えが「恭吾くんとおんなじでいいや」であった。
これは聡にとっては想定通りの答え。
で、恭吾にも聞くのだ。
「お前はどうする?」
恭吾は固まった。
五一同様、何も考えていなかったからだ。
恭吾は柔道を続けて来た。
中学に入っても当然、続けるつもりであった。
だが、五一も入るとなると、話は別だ。
柔道部は上下関係や練習が厳しく、正直五一には勧められない。
どうするか。
咄嗟の答えであった。
「美術部……かな。」
ストライク!
誘導尋問、成功!
「美術部は活動実態がないらしいからな。お前も五一と過ごせる時間が増えて、良いじゃないか。俺もそうするか。」
聡は、最初からこういう結末になるのを想定して、声を掛けたのであった。
で。
ここで聡は話題を変える。
「しっかし暑苦しいなぁ、二人共。どうにかならんのか?」
聡はモデルのようなスレンダーな体型で、丸っこい二人とは好対照だ。
これにぷんすか腹を立てたのが恭吾だ。
「これでいぃの!お前みたいなちんちくりん、ぼくたちは興味ない!」
「痩せる気はないんだな?」
「うん!」
恭吾と五一、二人揃って頷いた。
少しのズレもなく、同時に。
聡は考えた。
ゲイのデブカップル。
突っ込みどころ満載だ。
ここはもう、二人と心中するしか。
そう。
聡は恭吾と、親友であった。
だからこそ、裏切れない。
聡はヘテロセクシャルであった。
だが、この時既に、ゲイであるとの誹りを受け入れようと、腹を括っていた。
厳しい戦いになる事が予想された。
もちろん、それも覚悟の上であった。
周りではヒソヒソ話が盛んに行われていた。
誰の話であろうか。
答えは明白であった。
雲行きの怪しい、春にしては薄ら寒い午後の出来事であった。

下校。
この日は、何事もなく一日を終えた。
嵐の前の静けさであった。
校門の前で。
「それじゃ聡、今日はここで。ぼくたちこれからデェートなんだ。悪いな。」
「そっか。気を付けろよ。んじゃ!」
「聡くん、またねー!」
帰り道。
空が重たい。
雨が降りそうだ。
少し早足になる二人。
程なくして、降り出した。
「急ごう、ごいっちゃん!」
恭吾は、五一の手を取って駆け出した。
空模様は、明日の二人の心模様を映し出していた。
そんな事も知らずに、二人は家路を急いでいた。

帰宅。
玄関扉を開ける。
「ただいまー。」
「ただいま帰りました。」
すると。
花とフラワーベースで両手が塞がった芳子が、二人を出迎える。
「あら、お帰りなさい、二人共。丸福堂の大福があるのよ。食べない?」
「今、要らない。後でいい。」
どこか冷たい恭吾の反応。
「あら、そう。後で取りにいらっしゃいな。」
「今日はノックしてよ!」
「分かってるわよ〜。」
鼻歌交じりの芳子。
恭吾は不安になる。
この後、五一を抱くつもりでいたからだ。
まだ中一だ。
正直、早いかも知れない。
そんな事は百も承知であった。
それでも、我慢が出来ない。
若さ故の事だ。
二人は階段を上る。
鼓動が五月蝿かった。
部屋に入る。
隣り合って、ベッドに腰掛ける二人。
その意識は、既に曇っていたーー。

十五分後。
二人は既に、果てていた。
「また、しようね。」
「うん!」
その時であった。
「入るわよ〜。あら、失礼。」
またノックを忘れたのだが、別に後悔はない。
裸の二人を見て、平然と扉を閉める芳子。
そうだ。
そんな事は分かっているのだ。
大人なのだ。
「お友達が来てるわよ〜。早く下りてあげなさいね〜。」
咎めるでも怒るでもなく、終始上機嫌な芳子。
これは別に、ナナの力によるものではない。
芳子には、ナナの声は聞こえないのだ。
よって、ナナとは出会えない。
対照的なのは、裸で部屋に取り残された二人だ。
「あの人、絶対頭おかしい!」
「ははは……。」
恭吾は次に聡を責める。
「あんにゃろめ、一体何の用だって言うんだ。こんな時に!」
「まぁまぁ。早く下りてあげよぅよ。」
二人は慌てて服を着ると、揃って一階へと下りた。
扉を開ける。
開口一番、聡が。
「抱き合っている所、すまん。悪いが、家に苦手な親戚が来ていてな。上げてくれ。それと五一、ボタン掛け違えてるぞ。直せ。」
恥ずかしさで固まる五一。
これに怒ったのが恭吾だ。
「お前の都合なんか知らん!帰れ!」
だがここで帰る訳には行かないのだ。
頭を下げる聡。
「すまん。頼む。」
「勝手にしろ!」
こうなってしまえばしめたもの。
珍しくウキウキ顔の聡。
それだけ苦手な親戚が、来ていたのだ。
「そうだ、二人共。シャワー浴びて来い。俺は部屋で待ってる。」
「分かった。部屋、荒らすなよ!」
荒らすなと言われれば荒らしたくなるのが、人間というもの。
聡は、大いに荒らすのであった。
散らかすだけ散らかして、見つけたのは一冊のノート。
「おゎ、何だこりゃ。おぉスゲェ。全部五一のスケッチだ。これはストーカーだな。間違いない。」
そこに間の悪い事に、シャワーを浴びた二人が戻って来た。
「人の部屋引っ掻き回しやがって!このやろ、このやろ!」
大騒ぎだ。
「二人共、止めてー!」
五一の叫び声が、虚しく響く。
だが。
「みんな静かにおし!お夕食抜きにするわよ!」
芳子の一喝。
これは効いた。
押し黙る三人。
やがて。
小声で。
「お前、晩飯まで食べてくつもりか?」
「そうだ。そのまさかだ。お前の母さんには、許可は取ってある。すまんな。」
「鬱陶しいな。やっぱり帰れ。」
「まぁ、そう怒るな。」
ここで五一が機転を利かせる。
「ねぇ二人共、丸福堂の大福があるっていう。あれ、取りに行こうよ!」
「そうだね。お前の分はないぞ、聡。」
「お前の母さんは、そんな事はしないな。」
「言いたい事言いやがって。覚えてろこんにゃろ。」
痛い所を突かれて、言い返せない恭吾。
聡は、芳子の性格を良く理解していた。
「さ、行こう。」
五一に手を取られて、立ち上がる恭吾。
「俺はここで待ってる。楽しみにしてるぞ。」
「ちぇっ。」
舌打ちする恭吾なのであった。

一階で。
案の定、恭吾は念を押された。
「いい。みんなで仲良く、分けて食べるのよ!分かった?」
「あいよ。」
受け取るのは、銀座丸福堂謹製高級大福を、六個。
お値段、一個三百円。
「頂きまーす!」
ここは一旦矛を収めて、みんなで仲良く。
「美味しい!」
「これは美味いね。間違いない。」
「押し掛けた挙句にご馳走になって、すまんな。」
「まぁいい。大福が美味かったから、許す。」
ここで話は変わって。
「なぁ、テレビゲームやらせろ。」
「嫌だ!」
「なぁ、頼む。」
「仕方ないなぁ。」
で。
格闘ゲームに興じる恭吾と聡。
五一は全く出来ないというので、観戦。
結果。恭吾の十戦全敗。
「もう寝る!」
拗ねる恭吾。
布団にくるまった恭吾を、五一が揺り起こす。
「テレビゲームで百回負けたって、僕は気にしないよ。大丈夫だから、ね。」
五一の言葉で渋々、のっそりと起き上がる恭吾。
明らかに機嫌が悪い。
「ゲームに負けた位で、何をそんなに大袈裟な。」
聡の意見は尤もだ。
だが、正論を突き付けられて、恭吾の機嫌は更に悪くなる。
「ごいっちゃんの前なのにさ。一回位負けてくれたっていいだろ。」
言葉に、怒気が混じる。
それを察したのか、ここは平謝りの聡。
つい夢中になってしまったのだ。
「すまないな。」
こうして、決裂の危機は回避された。

既に時刻は夕方。
もうすぐ、待ちに待った夕食だ。
「下に行こうよ。」
恭吾の声で皆一斉に立ち上がる。
三人共、お腹が空いていたのだ。
食いしん坊ばかりが雁首並べているのだ。
当然だ。
一階に下りて。
食堂に向かうと、ちょうど寄せ鍋の準備が出来ていた。
「あら三人共、ちょうど良かったわ。パパももうすぐ帰るから、座って待ってて。聡くんが来るのなら、焼肉の方が良かったかしらね。」
「いえ、寄せ鍋は大好物なんで。」
それは焼肉の方が良いに決まっているのだが。
ここは気を遣うのである。
何せご馳走になる立場なのだ。
突然押し掛けて。
当然なのである。
と、そこへ。
「おー、恭吾の友達か。ゆっくりして行くといいよ。二人を、よろしくな!」
父・靖夫は温かい人だ。
大らかに聡を受け入れる。
それもそうだ。
五一の時もそうだった。
ゲイの五一でさえも受け入れるのである。
器が大きいのだ。
まぁ、そこそこ裕福なので余裕がある、というのもあるだろうが。
で、夕食の時間。
待ちに待った。
もう五一も遠慮はしない。
「ごいっちゃん、よく食べるようになったねー。」
感心する恭吾に、五一は答えた。
「今位の量がちょうどいいかも。前の家では我慢してたからさ。」
「ごいっちゃんも結構食いしん坊よね。嬉しいわ〜。私、みんなにモリモリ食べてもらうのが生き甲斐なの。どんどん食べて頂戴な。」
「はーい!」
一同揃っての返事。
奇跡のユニゾン。
滅多にない光景。
それはともかく。
実は芳子も、スレンダーではあるが良く食べる。
で。
五人の食いしん坊が集まった結果。
あっという間に完食。
ここで芳子が一言。
「デザートは丸福堂の羊羹よ。」
まだ食べるのか。
そんな感じでもあるが、一同大喜びなのである。
「でかした、芳子!」
靖夫までもが喜色満面。

さて。
苦手な親戚もそろそろ帰ったであろうという事で、聡が帰宅する。
「世話になった。じゃ、また明日な。」
「聡くん、また明日ねー!」
「聡、明日学校で、な。」
「聡くん、気を付けて帰るんだぞ。」
「あら帰るのね。良かったら羊羹一本、持って帰りなさいな。お土産よ。」
芳子は気を利かせて、高価な羊羹を一本、惜しげもなく持って来る。
「いやぁ、すまんです。」
恐縮し切りの聡なのであった。

聡を見送った後、玄関で。
「明日帰って来たら、ごいっちゃんの机とベッドを見に行きましょう!」
「やったね!ごいっちゃん!」
「お母さん、嬉しいです!」
“お母さん”という言葉が嬉しくて、不意に涙を零す芳子。
「母さん、どしたの?」
恭吾の問い。
これに芳子は、涙を振り払って。
「明日は、奮発するわよ!楽しみにしてて、ごいっちゃん!」
これに答えるのは、喜色満面の五一。
「はい!よろしくお願いします!」
こうして、この日一日は何事もなく幸せに、幕を閉じたのであった。

[三日目]

登校中。
聡と出会う。
「おはよう。今日も愛し合ってる感満載だな。」
「うるさいぞ、聡。おはよう。」
「聡くん、おはよ。」
のんびり歩いて、教室へ。
皆、三人の方を向いてヒソヒソ話をしている。
で。
教室に着くなり、扉を開ける恭吾。
「な!?何だよこれ!」
視界に入ったのは、黒板中に書かれた落書き。
中でも目を引いたのは、巨大な相合傘だ。
下には、恭吾と五一の名前が、仲良く並んで書かれている。
その周りを、無数の低俗な落書きが取り囲んでいた。
ここで後ろにいた聡が耳打ち。
「あの落書き、消させるなよ。俺は職員室に行く。
お前たちは黒板の前で待ってろ。」
黒板の前に立つ二人。
これはもう、晒し者である。
「男同士、愛し合ってるんだぜ!」
「うげぇー!キモ!」
「デブ同士汗まみれで愛し合うんだぜ。」
「サイテー!」
「デブ同士って事は、ナルシストか?」
「早く死んで欲しい。」
「さんせーい!」
最後は、クラス中の声が揃った。
これには、恭吾も堪らない。
「うがあぁー!」
頭を抱えながら身悶える恭吾。
『我慢よ、恭吾さん。』
突然聞こえたナナの声。
五一に抱き寄せられた事もあって、何とか踏ん張る恭吾。
と、そこへ。
「そこまでだ!お前ら!」
担任の森澤、ここで登場。
一瞬で、場の空気が変わる。
本当の所、HR前までには落書きは消す筈であった。
森澤の目に入れない為である。
目算が狂う、いじめっ子たち。
後ろに居たので、聡の存在に気が付かなかったのだ。
「お前たち、俺は情けない。男同士で愛し合うのは、別に悪い事ではないぞ。」
森澤が口を開く。
「異なる価値観を持っていても、利害が対立していても。それでも。共生出来るからこそ、世の中は素晴らしいんだ。」
俄かに騒がしくなる教室。
ここからは質問の嵐だ。
「先生!子供が生まれないからホモは駄目なんだって、テレビで言ってました!」
「テレビのホモカップルを見て、家の母親が気持ち悪いって言ってました!」
「ホモは病気だって聞きました、先生!」
森澤は答える。
「ゲイやレズビアンは別に、病気ではない。子供が生まれないのは事実だが、作らない異性のカップルも珍しくはない。自分と違う生き方をする者を、気持ち悪いと言って切り捨てるのは、悪い事だぞ。」
教室中が静まり返る。
「この件では、近日中に全校集会を開く事にする。今度何かあったら、問答無用で保護者と教育委員会に通報するから、そのつもりで。以上!」
これは効いた。
少なくとも、分かりやすい苛めはなくなった。
だが、これを機に苛めの陰湿さが、より増す事となる。

授業の合間の休憩。
聡は恭吾と五一を誘って、トイレへと向かう。
一人になってしまうと危ないから、出来るだけまとまって行動した方が良い。
そうした考えからの誘いだった。
が。
これが裏目に出る。
今回の苛めの主導者は、女子だ。
三人の筆箱の中から消しゴムを取り去り、女子トイレに流したのだ。
戻って来る三人も、これには気付かない。
やがて授業が始まると、消しゴムがないのにようやく気が付く。
しかし、時既に遅し。
消しゴムはもう戻っては来ないのだ。
三人は、間違えた箇所に三本線を引いて修正していた。
静かな教室。
皆心の中では笑っていたが、眉一つ動かさない。

次の小休憩で。
三人はトイレの時の対策を練っていた。
密かに。
「なぁ、俺か恭吾のどちらかがトイレに行く時には、必ず五一を連れて行く。で、残った一人が教室を見張る。二人が戻った所で、バトンタッチ。残った一人がトイレに行く。これでどうだ。」
結局、この聡の案が採用された。
これで心配は一つ消えたが、お昼休みに新たなトラップが待っていた。

お昼。給食の時間。
この日は、給仕係からシチューを貰う事になっていた。
列に並ぶ三人。
五一の段になって。
突如咳込むシチューの給仕係。
口も抑えずにだ。
不自然な咳。
演技が下手なのだ。
たくさんの唾液が、五一の給食に飛んだ。
この時は森澤が居たので、どうにか交換して貰えた。
「五一、大丈夫か?」
森澤が五一の様子を確かめる。
「駄目かも知れません。」
五一は小さな声で、しかしはっきりと主張した。
少しだけ、逞しくなった五一である。
恭吾が傍に居るから、強くなれたーー。
この時、森澤はある決意を固めた。
森澤は少し前から、五一の事を気に掛けていた。
不登校の生徒が来るらしいーー。
そう聞いて、学年主任の自分が何とかしなければ、そう思った。
それは別にナナの力のお陰ではない。
むしろナナの力は、森澤が五一のクラスの担任になった事に発揮されていた。
森澤は三人に胸を張った。
「俺に任せろ!悪いようにはしないぞ!」
その言葉で、少しだけ安堵する三人。
裏ではナナが、教育委員会の面々の考え方を変えるべく、奮戦していた。
そう。
森澤は黒板の落書きの件を、教育委員会に諮ろうとしていたのだーー。

昼食を終えて、トイレに向かう恭吾と五一。
聡は予定通り、留守番だ。
二人は女子三人組の後ろを歩いていたのだが……。
女子三人組の一人が振り返って五一を一瞥。
するとその女子、わざとらしくハンカチを落とした。
怪訝そうな顔をしながらも、無視は出来ないので拾おうとする五一。
かかった。
「止めてー!触らないでー!」
女子の大袈裟な叫び声が響く。
すかさず駆け付ける森澤。
「五一が触ったんです……。」
嘘泣きしながら吹聴する女子。
森澤は五一に尋ねる。
「何を触った!」
怒気を含んだ声だ。
圧に押されて、言葉が出ない。
「ぼ、ぼくは……。」
後ろでほくそ笑む女子三人組。
その時だった。
何も言えない五一に代わって、恭吾が代弁する。
「こいつらがわざとハンカチを落としたから、五一くんはそれを拾おうとしました。それだけです。」
五一は、歯を食い縛って、泣いていた。
「お前はすっこんでろ!」
このやり取りにイライラした三人組の一人が、声を荒げる。
これで事態を把握した森澤。
三人組を職員室へと連れて行った。
「恭吾くん、ありがとうー!」
泣き崩れる五一。
緊張の糸が切れたのだ。
「ごいっちゃん、もう大丈夫だょ!心配しないで。さぁ、立って!」
差し伸べられた手を掴んで離さない五一。
向かい風を物ともせずに、絆を深めた二人であった。

放課後。
森澤は早速、動いていた。
先程の三人組の保護者たちが早速、呼び出しを食らう。
その事により、動きを察知していたクラスの連中。
表立った苛めの一切を止める事にする。
その代わりに二人は、透明な存在になろうとしていた。
これは聡も同じだ。
恭吾たち三人は、クラスの中で空気のような存在へと変化していった。
「なぁ、帰ろうぜ!」
聡の声。
「おぅ!ごいっちゃんも行こう!」
「うん!」
こうして三人は、どうにか無事に学校での一日を終えた。

「気を付けろよ!それじゃ!」
「じゃあねー!」
「またねー。」
恭吾と五一は、聡と別れると、仲良く寄り添って歩く。
ふと気が付くと、手を繋いで歩くゲイカップルが目に入る。
だから、敢えて。
恭吾は五一の手を、握った。
次の瞬間に、恭吾と五一の目が、ゲイカップルの目と合うので。
にこやかに微笑むゲイカップル。
視線をずらすと、傍にはその様子を忌々しそうに見やる老夫婦の姿があった。
世の中、広いのである。

帰宅。
「母さん、ただいまー!」
「ただいま戻りましたー。」
すかさず芳子の声。
「お帰りなさーい!家具屋さんに行くわよー!二人共、早く着替えちゃいなさいね!」
「はーい!」
「いよいよだょ、ごいっちゃん!」
「うん!ぼく、嬉しい!」
逸る心を抑えて、私服に着替える二人。
制服?
そこはもちろん、学ランなのだ。
ちなみに、家具屋さんは少し遠いので、今日は車で出かけるのである。
「出発!」
住宅街から、商店街を経て、大通りに出る。
片側三車線だ。
左側の車線を、制限速度いっぱいで走る芳子の車。
煽られるのである。
これに腹を立てる芳子。
ある意味では、当然の成り行きだ。
窓を開けて怒鳴る。
大迫力の声で。
「制限速度を守れーー!!」
これには、後続車のドライバーもタジタジなのであった。
やがて家具屋に到着。
広いのである。
「歩きやすい靴で、良かったわ。」
芳子の呟き。
「さ、まずは机を探そ!ごいっちゃん、母さん、こっち!」
目に留まったのは、黒い学習机。
そういえば、恭吾の机も黒いのだ。
「ぼく、これが良いです。」
「あら、恭吾のと同じお色ね。素敵!これにしましょう!」
お値段も控え目。
椅子も適当に見繕って。
次はベッド。
こちらは手強い。
何せ、成長期のデブが使うのだ。
丈夫でなければ。
パイプベッドという訳には行かない。
それを痛い程に理解している芳子、ベッド選びでは主導権を握る。
芳子が提案したベッドは、恭吾と同じダブルサイズで、お値段何と十万円。
これには、誰も異論はない。
「まぁ、母さんが良いなら……。」
「お母さん、良いんですか!?」
「良いのよ、ごいっちゃん!」
ここで芳子のウインクが登場。
一同、笑いに包まれる。
支払いはカードで。
スマートなのだ。
帰り道。
「今夜は焼肉にしましょう!」
「やったね!」
恭吾、恒例のガッツポーズ!
横で見ている五一がまた、幸せそうなのだ。
新婚生活、満喫中である。
曇天だった空も何時の間にか晴れ渡り、夕日が眩しい。
帰りに大量の肉類を調達して、準備は万端だ。
「おー!今夜は焼肉かー!美味そうだなー!」
帰宅した靖夫も、喜色満面である。
「頂きまーす!」
四人揃って。
今日はユニゾン。
奇跡の。
恭吾の家では、焼肉の日には白いご飯を食べない。
ほぼ肉のみなのである。
よって、肉は大量だ。
食べても食べても、出て来る出て来る。
途中、談笑しながら。
焼けるのを待つのだ。
特にホルモンは、良く焼かないといけない。
という事なので。
「あら恭吾、五年も片想いしてたのね。我が息子ながら、根性あるわ〜。」
恭吾から馴れ初めを聞いて、笑う芳子。
「ビール、もう一本!」
「はいな!」
靖夫もご機嫌だ。
酒が進む。
結局この日の宴は、一時間半で幕を閉じた。

[四日目]

朝。
明日は休み。
いよいよ週末だ。
例によってポトフとフレンチトーストを食べると、二人は勢い良く家を飛び出す。
途中、聡と出くわして。
三人での登校。
冷ややかな目で見られている。
だが、気にしないのが今の三人。
学校に着くと。
朝から全校集会だという。
「あれかな?」
「ね!」
「多分、そうだろう。」
行ってみると。
三人の予想通り、苛め問題についての集会であった。
教育委員会のご歴々も顔を揃えて、物々しい。
最初に登壇したのは、校長だ。
「昨今、苛めによる自殺が社会問題化している。我が校でも先日、苛めが発覚した。我が校は、苛めた者を見逃したりはしない。関係した各人、まずは猛省せよ!」
短い挨拶。
だが、圧が凄まじい。
続いて教育委員会のご歴々による長い挨拶。
終わらない、終わらない。
結局、一時限目はこれで潰れてしまった。
教室に戻る。
途中、洗面台の前で。
前を行く男子が、今度は偶然に、ハンカチを落とした。
ハンカチは、五一の足元に。
拾う五一。
「有難う。」
冷たい、事務的な挨拶。
それでも五一は、嬉しかった。
「良かったねー!ごいっちゃん!」
「良かったな、五一。」
「うん、良かったぁ!」
喜びを分かち合う。
で、着席。
「ね、恭吾くん。机とベッド、何時届くかな?」
「五日位は掛かるらしいよ。届いたら、並んで一緒に宿題出来るね!」
「そうだね!それと今日、部屋の壁の工事が一日中あるらしいじゃない?夕方まで、どうやって時間潰そうか。」
「それなら家に来い。映画でも観ながらだべろうぜ。」
「オッケー!」
「聡くん、有難う!」

下校時刻。
これからは、一日が順調に終わる事だろう。
問題なのは、勉強のみ。
それも三人で助け合えば、どうにかなるに違いない。
今日も平和であった。
さて。
恭吾と五一は、聡の家に向かう。
五一にとっては、初めての場所だ。
その家は、恭吾の家の近所にあった。
小さな、けれども綺麗な一戸建てである。
「母さん、ただいまー。」
「お邪魔しまーす。」
扉を開けると、聡の母親が姿を現した。
気さくな人柄が、顔に滲み出ていた。
「あら聡、お帰りなさーい!お友達も一緒ね。さ、みんな上がって!後でお茶とお菓子、持って行くわね〜。」

で。
居間で。
チョコレートやクッキーなどを食べながら。
どんな映画を観ようかを、話し合う。
「家の親父は映画マニアでな。少し前の有名どころなら、大抵はあるぞ。」
という事で。
聡お勧めの映画を二本続けて鑑賞。
ーー鑑賞後。
「おい、どうだった?」
「エグいな。両方共。ごいっちゃん、大丈夫?」
「ぼく、このパターンは駄目かも……。」
「そっか。それは残念だ。それはそうと、これから夕食だ。食べてけ。お前たちの母さんには、連絡済だ。」
「ご馳走になるね。悪いな。」
「有難う!」
「まぁ大した物は出ないがな。お前たちの家ほど裕福ではないのでな。」
で、出て来たのはカレーライスとサラダに、ロールキャベツ。
一応これでも、奮発している。
「あ、美味しぃね!」
最初に声を上げたのは五一だ。
「家に負けてないね。うんまい!」
恭吾も、久々のこの家の手料理を満喫している。
もちろん、皆お代わりをするのだ。
舌鼓を打つ。
楽しい時間。

やがて、帰宅の時。
「じゃあ、またね〜!」
「五一、勉強頑張れよ!」
「有難う、聡くん。またねー!」
帰り道。
手を繋いでみる。
前の時よりも、自然に出来るようになった。
すっかり暗くなった道を、共に歩きながら。
五一は、ほんの何日か前までの日々を、遠い昔の事のように振り返っていた。
遥かなる四日間の旅路が、幕を閉じるーー。

家に戻ると、既に二階の部屋の工事は終わっていた。
二つの部屋の間の邪魔な壁が、全て取り払われたのだ。
自由に行き来出来るようになった二つの部屋。
その中で恭吾は、家具の配置をどうするかを考え始める。
「んーと。今までのベッドの置き場所はそのままにしておこうか。で、机を隣りの部屋の窓際に移そう。ごいっちゃんの机とベッドが届いたら、ぼくのやつの横に並べるんだよ!」
恭吾は、実に楽しそうだった。
軽はずみとも思えた、母親の思い付き。
それが結果的には、二人を幸せにするのだった。

と、そこへ。
ナナがやって来る。
窓を開ける恭吾。
「こんばんは。うまくやっているかしら?森澤さんが担任になったのは、知っているとは思うけれど、私の力のお陰よ。そのお陰でようやく苛めの問題に片が付いたわ。お役に立てて、嬉しいわ。」
「ナナ、ありがとう!」
恭吾と五一の、心からのお礼である。
「あら、いいの。これは私の生き甲斐だから。徐々に取り巻く環境は良くなって行くから心配しないで。あとちょっとよ。頑張って!」
二人の思いは、ナナにはちゃんと伝わっていた。
「それじゃ、私この後用事があるから、失礼するわ。また来るわね。それまで頑張るのよ。」
その後、ナナは窓から去って行った。
見送る二人。
何処か名残惜しい気がした。
でもまた会えるーー。
その思いが、二人の心に響いた。

一階に下りて、芳子に頭を下げる二人。
「あら、良いのよ〜!幸せになるのよ!」
温かな絆。
壊したくないもの。
今この瞬間、その存在を感じて、二人は幸せだった。
それを支えているのは他でもない、芳子なのだった。

こうして、恭吾と五一、それに聡を交えた青春の日々が、ここに始まった。
恭吾と五一は支え合いながら、長い長い年月を共に生きてゆく。
それはもう、仲睦まじく。
そこに聡も加わって、三人はいつまでも仲良くあるだろう。
何しろ、ウマが合うのだ。
一生モノの絆が、芽生えていた。

[五日目]

翌日。
電話で聡を誘う。
芳子が、昨日のお礼をしたいと言うのだ。
「お邪魔しまーす。」
「あら聡くん。昨日はありがとうね。お母さんにもよろしく伝えておいて。恭吾とごいっちゃんが待ってるから、二階に上がって!」
聡は、言われるがままに二階に上がると、恭吾と五一の部屋の扉を開ける。
もちろんノックは忘れない。
「入るぞー……。おゎ!?」
仰け反る聡。
気持ちは分からなくもない。
二部屋分、合わせて十六畳の大空間。
「お前ら、これは贅沢にも程があるぞ。」
「えへへー。」
恭吾と五一は、顔を見合わせて笑う。
そうだ。
空はどこまでも、抜けるように青い。
恭吾と五一、それに聡を味方しているかのように。
見上げた三人には、明るい未来が待っていた。
「おい聡、今日晩飯食ってけ。」
珍しい事に、恭吾からの誘い。
「おぅ、ありがとな。にしても珍しい。雨でも降らなければいいが。」
「たまにはね。昨日のお礼だょ!」
「今日の夕食、何かな。」
三人の前には、こうして幸せへと続く広く長い一本道が続いていた。
明るい未来への第一歩は、まだ刻まれ始めたばかりだ。

最も苦心した作品。
難産でした。
ぼくの作品の中では、書き上げるのにかかった時間、文字数共に最長だと思います。
当初はファンタジーにする予定はなくて、芳子を病気で死なせた辺りで行き詰まったのでした。
そもそも、芳子という名前は、改作時に付けた名前で、それまでは名前もなかったのでした。
反省。
これからはキャラクターたちを大切にしようと思います。
結局芳子は生かす事にして、その上ファンタジーに話を作り替えて、ようやくこのお話、日の目を見たのでした。
足かけ何年、みたいな。
二、三時間で書き終わるお話もありますので、両極端なんです。
ぼくの場合は一気呵成に書き上げる方が向いているみたいです。
でないと、いつまで経っても完成しないという。
個人的にはこのサイトの中では、一番のお気に入り。
番外編共々、是非どうぞ。