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Spruce Forest in the Dark:零れ落ちた愛をもう一度、君に

空が曇っていた。
薄暗い昼下がり。
キリルは唐檜の木の精として、あの丸太小屋から少し離れた場所、Spruce Forestの片隅に、新たな小さな居場所を見付けていた。
「雨、降るのかな、久々だな……。」
雲行きが怪しい事を心配していると、雷鳴が轟き始め、俄かに雨が降り注ぐ。
森中に静かに響き渡るその音は、最愛の人泣き虫プリムのかつての泣き声を彷彿とさせて、キリルの胸中に嵐を巻き起こす。
「あー、プリム!
一目でいいから見たいよぉ!
でもこんな所までは来ないよねぇ!
寂しいよぉぉ、寂しいよぉぉ……。」
本来ならばまだ幼木に過ぎないキリルは、これからどんどん空に向かって成長していかねばならない事もあり、悲しんでばかりもいられないのだが、それでもこの時は、何時にも増して悲しかった。
しかしキリルの弱々しい泣き声など、ひんやりと湿った雨の森の空気に溶け込んでしまい、そんな深い悲しみさえも、まるで空気のように目立たない。
誰もが見過ごしそうな、森の中ではむしろ平凡な景色。
その隣には、昨晩芽生えた新たな幼木が、森の神の力によってキリルの幼木と同じ高さにまで育っていた。
まるでキリルの幼木が深過ぎる悲しみに溺れたせいで朽ち果ててしまっても、代わりの命は既に芽吹いているとでも言わんばかりの、生命の輝き。
こうしていつでも森の営みは冷徹に厳然たる趣きをもって粛々と行われていると、そんな風にも見えなくはなかった。

そんな中。

青く透明な小さな灯りが、ゆっくりと一つ、唐檜の木の精として生まれ変わったキリルの元へと、おずおずと近付く。
申し訳なさそうに、今にも消え入りそうな程に頼りなく、そっと静かにキリルの隣の幼木の中に入り込んで、泣き声を響かせる。
それは懐かしくて愛らしい、けれどもここで一番聞きたくはなかった、最愛の人プリムの声に違いなかった。

キリルは叫んだ。
狂ったように、ただの奇声にしか聞こえない金切り声を、ただ延々と繰り返す。
「くぁぁああー!
ふああぁぁーっ!」

不意に、風が強くなる。
まるでキリルの金切り声を掻き消す事を目的としているかのように、強風が局地的に吹き荒れる。

それでもプリムは、そんなキリルの金切り声さえもが愛おしくて、何時の間にか泣くのを止めると、青く、しかし温かな灯りで、キリルの精を壊れ物に触れるようにそうっと包み込んだ。

「ねぇキリル、僕は強くなるよ!
もう何処にも行かないよ!
何時までも君の側に居るから、あの時の過ちをいつか許してくれるなら、僕は何処までも幸せになれるから、そうしたら今度は僕が君を幸せにするから、だから今は好きなだけ泣くのがいいと思うよ。
君を傷付けた事、何時までも謝るから!
だから君の側に居させて、もう一度居させて。
君がまた笑うなら、僕もまた笑うから、だから、さ……。」
プリムは声を震わせながら、上ずらせながら、それでも泣く事はすまいと、必死に全神経を集中させる。

返事を、待っていた。
自分の過ちは許されるべきものではない、そう思いながらも、側に居たかった。
もしもこの時キリルに完全に拒絶されていたら、森の神に充てがわれた幼木から一目散に抜け出し、遂にここで無になるという事態も、その覚悟故に現実のものとなっていたに違いなかった。

けれども。
程無くして、キリルは笑った。
自らの像を最愛の人の宿る幼木の
前に形作ると、涙を滝のように流しながら、それでも不自然にはならずに、心からの笑顔を最愛の人に向けて贈るのだった。

キリルは知っていた。
最愛の人が、森の神の思し召しに従おうとして、止むに止まれず必死になって、自らを苛烈な言葉と共に拒絶したのだという事を、当の森の神自身の言葉によって、死の直後から全て知っていた。
だからもう、悲しくなかった。
姿形は変われど、自分達の心はまだここにあの時のままで在るのだと、そう確信出来たから。

この時から再び、二人の蜜月は始まった。
季節が少しずつ流れていっても愛が枯れる事は無く、共に寄り添いながら何時でも静かに語り合い、仲間として友として恋人として、或いはまるで家族のように、互いの幼木の生長を喜び合っていた。

ささやかな幸せ。
二人が心の奥底でずっと望んでいた、平和で温かな日々。

ただ、最早互いの肌の温もりを感じる事が一切叶わない、その厳然たる事実だけが、狂おしい程に時に悔しく感じられもした。
だからまだ若い二人の精は、時にやり切れなくて、歯を食い縛るようにして咽び泣いてもいた。

そうして、幾度かの春夏秋冬が過ぎ行き、二人の絆がそれまでにも増して固く結ばれている事をあの森の神までもが認めつつあった頃……。
森の神の遣いの手によって二人のそばに、彼らの幼木よりも少し背の高い苗木が植えられていった。
距離が近いだけに、どんな精が宿ろうとしているのか、不安で緊張を隠せない二人。
しかしその精が自らの像を形作ると、キリルは浮き足立ってプリムに告げた。
「あの人が、ぼくのおじいちゃんだよ!ぼく、行くから!プリムも一緒に話そうよ!」
こうして三人は、自分達の幼木のそばにそれぞれの像を形作ると、抱き締め合うように寄り添い合った。

「ずっと、探していたんだよ」
それが、キリルの耳に届いた、祖父テムによる久方振りの、震え混じりの言葉だった。
キリルは、笑った。
涙交じりの笑顔は、キリルの心の成長を、祖父テムに無言の内に語り掛ける。
だからテムも、笑った。
まだ若いキリルの像を慈しむように、愛おしむように。
プリムが、一歩下がる。
そして……。
もはや互いの感触など少しも分からなくても、二人は繰り返し、抱き締め合うように互いの像を寄り添わせていた。
じゃれ合うように、もたれ合うように。
それがもはや幻に過ぎなくても、それで良かった。
この場にいる二人、いや三人にとってこれは紛れもない真実なのだから。

それから、暫しの時が流れる。

今この場所にテムが宿る幼木があるのは、テム自身が何度となく森の神に祈った事の結果であるに他ならない。
「よくここに来る事を許して貰えましたね。」
笑顔の絶えないプリムにそう言われてテムは、「罪滅ぼしのつもりなんだろう」と言って笑った。

贅沢なまでに、平和なひと時。
キリルはいつまでも、テムに寄り添って離れない。
そんなキリルを、テムとプリムの二人が見守る。

そんな中。
三人の目の前を、一陣の風が吹き抜けた。
森の神の遣いに、違いなかった。
特に三人に用がある訳でもないようだったが、その後みるみる内に気温が下がっていった事を鑑みるに、やはり何か言いたい事はあったようだ。
その変化を察したプリムはテムに、言いにくくて黙ったまま忘れてしまおうと思っていた質問の数々を、敢えてぶつけてみるのだった。
「キリルのお父さんやお母さん、そしておじいちゃんが殺されたのは、どうしてですか?それに、この森で同性愛者が苦しまなければならない理由も、詳しく知りたいです!」
するとテムは、重苦しい空気を辺りに充満させて、質問への回答をやんわりと断る。
しかし、それでも。
プリムは何度も、食い下がった。
理由を聞かなければ、何時の日か納得する事も叶わない。
これまでずっと、そう思ってきたからだ。

暫しの沈黙。

やがてテムは、根負けしたかのように、事のあらましを話し始めた。

「太古の昔からこの森では同性愛は禁忌とされていた。
人的資源の再生産や相互扶養の維持に極めて結び付きにくい形の恋愛である同性愛は、森を滅ぼす行為として殆どの人々から忌み嫌われていた。
同時に、同性愛者は反社会的勢力として、殆どの人々から恐れられてもいたんだ。」
キリルとプリムは、押し黙ったままテムの話を聞いている。
その表情はこの時の空模様のように、どんよりと暗い。
そこへテムは、キリルとプリムの
二人にとっては驚くべき内容とも言える告白を続ける。
「実は私も、その息子のクリル、つまりお前の父親も、同性愛者だったのだ。」
この時、二人の像は驚嘆の表情を見せた。
「おじいちゃんもお父さんも、ぼくやプリムと同じ仲間だったって事?」
俄かには信じ難い事実にキリルは、おうむ返しのようにテムの告白の真意を問い尋ねる。
「その通りだ。
私が亡くなった事はもちろん、クリルが亡くなった事もまた、それが原因だ。」
その一言で、二人は絶句した。
この森にまつわる真実が想像以上に悲劇的で、自分達もまた数多く存在するであろう犠牲者の中の一人に過ぎないという事実。
それを二人は、この時に嫌という程に思い知らされたのだった。
「余程ショックなようだな。
しかし、この森にまつわる真実の重みは、お前達の今の想像さえも上回っているかもしれない。
大丈夫か?
どうしても続きを聞きたいなら、話そう。」
テムの表情は暗く苦々しいものだったが、それでも二人は怯む事なく懇願した。
「大丈夫だよ!」
「聞きたいです、続きをお願いします!」

だからテムは語った。
森について、己とその息子クリルの人生について、そしてクリルの妻マリアについて……。

その語りは長大である為、前半についてはその概略を記す事にする。
Spruce Forestそのものは、その全域がKingdom of the Spruce Forestの領内にある、極めて広大な針葉樹林である。
Kingdom of the Spruce Forestは独裁国家であり、セイシェル王家が代々この地を統治してきた。
血統による支配であり、その血の純粋さを保つ為に長らく近親婚が行われてきた経緯がある。
その為、後継候補が奇形児や障害児として生まれてくる率も高かった。
こうした問題は門閥貴族とて同様に抱えており、宮廷内では深刻に捉えられていた。
しかし、かかる事態への危機感からセイシェル王家の人間について外部の人間との結婚が奨励されるようになったのは、ごく最近の事である。
しかも、外部の人間といってもその相手は同様の問題を抱える門閥貴族に限られており、平民はその対象から除外されていたから、根本的な問題の解決にはなっていないのであった。

こうした保守的且つ封建的な精神的風土である事が、同性愛を始めとするセクシャル・マイノリティへの風当たりを強くしている事は言うまでもない。
事実、Kingdom of the Spruce Forestの憲法にあたる大法典には、平民と門閥貴族間の恋愛・婚姻の禁止を定める条文などと並んで、異常性愛の禁止が高らかに謳われているのだ。
大法典は神聖不可侵のものとされており、その各条文のどれか一つでも破れば、極刑を免れる事は出来なかった。
しかしながら大法典の内容は宮中の人間と門閥貴族、それに自治警察団の者達にしか知らされておらず、機密事項とされていた。
良心に従って生きていれば、国民は自ずと大法典の各条文を遵守する事になるというのが、Kingdom of the Spruce Forestの基本理念だからだ。
大法典の各条文をどれか一つでも破るような人間は、悪魔として忌み嫌われ恐れられ、自治警察団によって処断される前に門閥貴族が主導する悪魔狩りの犠牲者となる事さえままあった。
だから森の神は同性愛者に対しては、自治警察団に逮捕・拘禁される前に、或いは悪魔狩りの犠牲者となる前に、その行為を止めるように告げていたのだ。
森の神は人々の自主性を重んじていた為、大法典の各条文の内容に干渉する事は、少なくともこれまではなかった。
しかし近年、少子高齢化の傾向が強まっている事から、特に同性愛者への弾圧が厳しくなってきており、極刑となった者達やヘイトクライムの犠牲者達への処遇については、特に深く頭を悩ませていたのだった。
中でも、キリルやプリムの死についての森の神の悲しみは、深く大きかった。
まだ子供だった二人の命を助ける為に行った忠告が、結果的にその死に繋がったという事実は、森の神の心に重くのし掛かっていた。
復活させてやりたかったが、亡くなった者達を復活させる為には、人々のDNAと記憶のデータベースである神聖ヘリテイジ・ストーンに、生きている人間の誰かがその復活を祈る必要があった。
なお、神聖ヘリテイジ・ストーンとは、青い鳥に特殊な力を授かった森の神々の代表五人がそれぞれの手で創り上げた、世界に五つしかない貴重なものだ。
それぞれの神聖ヘリテイジ・ストーンは、それを創り上げた森の神が支配する森林国家と、その周辺の森林国家の人々のDNAと記憶をリアルタイムで保存しており、一つとして同じストーンは存在しない。
それだけ貴重なストーンだけに、そのストーンに人々の復活を祈る者の人選は極めて重要であった。
そこで、森の神の脳裏に、かつて共に戦い霧雨の森の英雄となったテット・クラウスとティル・クラウス両名の顔が浮かぶ。
戦いで一旦ヘリテイジ・ストーンは失われたが、森の神の手によって既に再生されていた。
彼らなら喜んで引き受けてくれるだろう、そう思い森の神は自身の遣いを現在の彼らの拠点であるMaple Kingdomへと差し向けるのだった。

さて、この時代の地球は、森林国家と呼ばれる王国群と、商業国家と呼ばれる王国群とに二分されていた。
森林国家は文字通り、国土の大部分が森林に覆われた国家であり、慨して保守的且つ封建的な性質を持った独裁国家であった。
それに対してMaple Kingdomに代表される商業国家の殆どは、自主独立の気風をモットーとした自由な民主制国家であり、森林国家と比べてより人々にとって住み良い精神的風土が特長となっていた。
しかるに商業国家の多くは食糧自給率が低く、食品の原材料はその殆どを森林国家からの輸入に頼っていた。
こうして森林国家と商業国家とは国家レベルでは緩やかに繋がり支え合っていたのだが、市民レベルでの交流、特に往来は殆どの場合森林国家側で規制されており、盛んではなかった。
だが、違いはそれだけでは無い。
元々地球は、幸福の象徴として人々に知られ異世界からの使者でもある青い鳥達の故郷の一つ、The Planet of Blue Coreが太陽系に回遊、多数の小惑星と衝突して爆発した事により生まれた訳であるが、自由な民主制国家である商業国家に対しては青い鳥が直接その統治に関与するのに対して、その殆どが封建的な独裁国家である森林国家に対しては、異なる手法を用いたのである。
それが、各王国に森の神を置く事であった。
森の神々は元々は人間であり、強く清らかで優しい心を持ちながら孤独の中矢折れ力尽きた者達の亡骸と魂とを青い鳥達が聖域Thousandlights Valleyへと集め、各地を治める力を持った神へと昇華させた為に、信仰心豊富な人々の多い森を司る事が出来るのである。

そうした事もあり森の神々は、同性愛者を始めとするセクシャル・マイノリティの者達に対して本来は、殆どの場合寛大である。
様々な立場の者達の利害が劇的に対立していても、最終的に社会が持続可能である内は、共生すべきだとの考えが森の神々の基本理念として存在している為、森の神々がセクシャル・マイノリティの者達を直接弾圧した事例はごく少ない。
Mistyrain Forestの雷神などはむしろ、森の神々の中では異端な存在だったのだ。
しかし、人間による自治に対する内政干渉を極力避けたいとの立場から、そうした理念が森に住むセクシャル・マイノリティの者達の解放に繋がった事例は皆無だった。

そうした状況の中弾圧により亡くなった者達であっても、その死後は他の理由で亡くなった者達と同様に、森の木々の新たな幼木の精として、その木が枯れるまでの長い時を過ごさねばならない。
キリルとプリム、それにテムもまたその例に漏れる事はなかった。

キリルは、父クリルと祖父のテムをヘイト・クライムの結果亡くしており、弾圧の被害者だ。
そして、一同皆知っていた為にテムの話では僅かしか触れられなかったが、プリムもまた弾圧の被害者である。
事の発端はプリムが十歳の頃にまで遡る。
プリムが、近所に住む年下の男の子に告白をしたのだ。
同性愛が禁忌である事など知らなかったプリムは、胸をときめかせながら結果を待ち侘びた。
だが、当然の事ながら相手の男の子は両親に相談してしまい、結果男の子の両親はプリムの両親に猛抗議をする事になる。

プリムの両親は激昂した。
大法典の内容など誰も知らなくても、同性愛者がこの森でどんな運命を辿るのか、それくらいは大人であれば皆熟知していたから、当然だ。
だが、両親のプリムへの愛は強く、自治警察団に差し出す事や自ら手を掛けて殺める事などは、決して出来なかった。
だから森の外れの洞穴にプリムを追放し、実の親からのみ申請する事の出来る義絶届を当局に提出する事で、一応のけじめをつけたのだ。
それはプリムに生きて欲しいからそうしたのであって、決して弾圧に加担しようとした訳ではなかった。
それが証拠に、プリムがキリルと丸太小屋で共に暮らすようになるまでの間、毎日欠かさずずっと洞穴まで使いの者が食糧を届けに来ていた。
しかしその事実に気付いてからも、両親に義絶されたという事態の重みは、プリムの肩にずっと、ずっしりとのし掛かっていたのだった。

テムはこうした事柄について、実に静かに穏やかに話を進めていたが、時は流れその話もいよいよ、核心に入ろうとしていた。

息子のクリル、その相方アルテナ、そしてテム自身の話である。
テムは語りながら更に回想する。

テムの息子クリルは、孫のキリルとそっくりだった。
クリルは、テムのたった一人の子供だ。
笑顔の似合う丸顔が印象的な、人懐っこい子供だった。

そもそもテムは子供など要らないと思っており、結婚にも二の足を踏んでいた。
だが、森で生きていく為には何としてでも、同性愛者であるという事実を悟られる事だけは避けねばならない。
だから、三十になった折、村一番の実力者の娘メアリーとの結婚を両親に勧められて、断る事が出来なかった。
他に森で生きていく方法など、テムには思い付かなかったのだ。

そうした事情によりメアリーとの結婚に踏み切ったテムは、次に子作りをする事になる。
多くの森には、結婚をしたのに子供を作ろうともしない夫婦を村八分とする風潮があり、このKingdom of the Spruce Forestも例外ではなかった。
だからテムは、市販の勃起不全治療薬と制吐剤とを服用して、日々子作りに励んだ。
その成果がクリルであり、男の子だった事もあってそれはそれは可愛がっていた。
実はテムには男の愛人がおり、クリルが生まれる以前は当局の目をかいくぐって時折逢っていたのである。
しかしクリル誕生後は日々の仕事に加えて子育ても忙しくなり、愛人とは別れざるを得なかった。
だからこそ、自分の血を分けた男の子の誕生とあって、可愛くて仕方なかったのである。
もちろん、子供であるクリルを可愛がっていたのはテムだけではない。
性生活の不和などもあり夫婦仲は良好とは言えなかったが、メアリーもまたクリルの事は可愛がっており、その点で協力し合っていた事が、二人が長きにわたって離婚せずにいられた理由でもあった。

こうして二人の愛情の中で、日を追う毎にクリルはすくすくと成長していった。
そして、時は流れ……。
思春期を迎えたある日の夜、クリルは父であるテムに悩みを打ち明ける。
それは、初恋の悩みだった。
「ねぇ、父さん。ぼく、実は今、恋してるんだ。」
「ほぅ、どんな女の子だ?さぞや可愛いのだろうなぁ。」
「いや、そうじゃなくて、あのね、怒らないでね……。」
その一言で、テムは全てを察した。
しかし、息子がまさか己と同じ運命を辿るかもしれないなどとは、容易には受け入れ難かった。
ごく自然に、苦渋の表情を浮かべるテム。
その脳裏には、二年間連れ添った愛人との別れの想い出がよぎる。
別れ際、テムは何度も死のうと思った。
けれども結局、愛人に止められて自殺は未遂に終わった。
その悲しみは筆舌に尽くし難く、同じ運命を息子に辿らせるなど、到底受け入れ難かった。
それでも、目の前で不安からガタガタと震え、今にも泣き出しそうな息子に対して、してやれる事など何もなかった。
だからテムはこの時、心の底から絶望していた。
森には、同性愛者が生まれるのは遺伝的な要因によるものだという俗説が蔓延っており、その事もあってテムは自分を責め続けた。
それから、どれ位経っただろうか。
何時の間にか泣きじゃくっていたクリルは、テムの様子に遂に耐えられなくなって、二人で並んで腰掛けていたベッドから立ち上がると、テムの部屋を駆け出していってしまった。
ハッと我に帰るテム。
これはいけないと思い、何時の間にか流れ出していた涙を服の袖で拭き取ると、慌ててクリルの部屋まで追い掛けていく。
「待ってくれ、クリル!」
叫びながら走り、クリルの部屋の扉を開けると……。
クリルは、開け放たれた窓から、今まさに飛び降りようとしていた。
間一髪だった。
大好きだった父にまで見放されたと思い込んだクリルは、己の将来に絶望したのだった。
「止めなさい!お前は悪くない!だから死んではいけない!」
テムは、窓から身を乗り出しているクリルのそばまで駆け寄ると、力の限りに強く強く、抱き締めてやるのだった。
「うわぁーーっ!」
テムの胸の中で、泣き叫ぶクリル。
テムは、そんなクリルをいつまでも強く抱き締め続ける。

それから暫しの時が経過して。
気が付くと、窓の外がうっすらと白み始めていた。
ようやく泣き止んだクリルは、テムの胸の中で大人しい。
そろそろ良い頃合いだろうと思い、内心で気になっていた事をテムは尋ねた。
「なぁ、お前が好きになった子って、どんな子なんだ?」
するとクリルは、眠たそうな声で訥々と、好きになった子の事を話し始める。
「……あのね、その子の名前は、アルテナっていうんだ。
その子は、ぼくよりも二つ年上で、痩せてはいなくて逞しい感じ。
僕の事を何時でも真っ直ぐに想ってくれる、心の温かい、優しい子だよ。
写真、あるんだ。見せたげる。」
クリルは、よろけながらのっそりと立ち上がると、そのまま机の前まで行き、引き出しから一葉の写真を取り出した。
その間にテムは絨毯敷きの床から立ち上がると、ベッドの淵に腰を下ろす。
「はい。これがその写真。よく撮れてるでしょ。」
クリルから写真を受け取ったテムは、アルテナの姿を見て、軽い衝撃を受けた。
その写真に写ったアルテナは、テムのかつての愛人の昔の姿に瓜二つだったのだ。
テムは内心の動揺を悟られないように、「素敵な子だね」と言うのが精一杯だった。
暫しの沈黙。
やがてテムは、一言一言を噛み締めながら、クリルに自身も同性愛者だという事を告げ、何があっても生きる事を決して諦めないようにと、諭した。
クリルは驚いたが、テムは更に話を続ける。
「私は何があってもお前を守ってやりたい。決して見捨てたりはしない。たとえ同性愛者であっても、クリル、お前は私にとっての最高の宝物なのだから。」
そう言うとテムは、クリルを抱き寄せてきつくきつく抱きしめてやった。
クリルは涙を溢れさせた。
この事は二人だけの秘密となり、テムとクリルの絆は前にも増して強固なものとなった。
それからのテムは、クリルにとっての良き恋愛アドバイザーとなった。
特にクリルにとって大事だったのは、
いかにして自治警察団や門閥貴族の手下の連中の目を逃れて密会するかという事だった。
クリルもアルテナも親元で暮らしており、
毎回逢う度に周囲の目を気にして神経をすり減らしていた。
テムは言った。
「森の外れに小さな洞穴があってな。人々が滅多に近付かない場所だから、比較的安全だろう。地図を書いて渡すから、そこでアルテナと逢うといい。」
クリルは目を輝かせて喜んだ。
「ありがとう、お父さん!」
それからしばらくの間は、テムとクリル、そしてアルテナにとって、幸せな日々が続いた。
ところがある日、テムの妻メアリーが村の実力者の娘マリアとクリルとの結婚話を持ち出して、
事態は一変する。
それは、断れない縁談だった。
村の実力者の娘との縁談ともなれば、断れば村八分にされるのは目に見えていたし、何よりクリルの同性愛指向が村の者達に知れ渡ってしまっては元も子もない。
マリアとの結婚前夜、クリルはテムの胸の中で泣きじゃくっていた。
「こんなの嫌だよ、ぼく、行きたくないよ!」
そんなクリルにしてやれる事は、テムにはもう何も無かった。

その年の冬。
新婚だったクリルとマリアは子を授かった。
性交渉を嫌がる夫クリルを慮って、マリアは辛い不妊治療の末に子を産んだのであった。
生まれてきた男の子の赤ん坊は、クリルの赤ん坊の頃と瓜二つの見た目であったから、クリルはその子をキリルと名付けた。
響きが良く似ているのが気に入っての事だった。
生まれてきたばかりの頃、キリルはクリルとマリアからそれはそれは可愛がられた。
だが夫婦間には性交渉は無く、それが次第に夫婦仲を険悪にしていった。
それだけではない。
クリルには、絶対に誰にも知られてはならない秘密があった。
クリルはアルテナと密通していたのだ。
夫に愛人がいるのではないかと不安になったマリアは、体のとても大きな実の兄に、クリルの後をつけるように頼んだ。
決行の日。
その日もクリルは森の外れの洞穴に一人で向かった。
洞穴の前で抱き合うクリルとアルテナ。
その姿を見た瞬間、大男と言っていいマリアの兄の脳は沸騰した。
「うわぁーっ!」
結局クリルとアルテナは、マリアの兄の大男に斧で惨殺されてしまう。
遺体は、見るも無残だった。
「クリルー!」
あくる日。テムは体中を震わせながらクリルの遺体の前で絶叫した。
可哀想に、アルテナの遺体は引き取り手も見送る者もいなかった。
遺族が同性愛者を忌み嫌っており、身内からそうした者を出した事を深く恥じていたからだ。
メアリーも二人の関係を極めて汚らわしく思っており、
この事件の遠因を作り出したテムが憎らしかった。
程なくしてテムとメアリーは離婚し、クリルとアルテナの遺体はテムが一人で葬ってやった。
クリルとアルテナは隣同士の棺に入れられた。
死後も共に幸せで居て欲しいという、テムのささやかな願いがそうさせたのだった。
クリルとアルテナが眠る場所には、墓荒らしを避けるために墓標も立てなかったが、やがてその一帯には真っ白なノースポールが可憐な花を咲かせた。

残された問題は、キリルを誰が育てるのかだった。
クリルの元妻マリアは、クリルの密通の相手がよりにもよって男だった事にプライドを深く傷付けられ、川に身を投げて既にこの世にはなかった。
テムにはクリルという子供があったから、事情を全く知らない者からすれば、元妻メアリーに魅力がなかったせいで離婚になったのではないかという、ある意味ではテムの立場を同情するかのような見方も意外と多かった。
この森にも男尊女卑の精神はしっかりと根付いていたのである。
やはり子供であるクリルの存在は死後もなお大きく、それがテムを一時的にせよ助けたのには違いなかった。

ともあれ、悪辣な同性愛者を勇敢にも成敗したとして森のちょっとした英雄気取りのマリアの兄は、テムとその孫キリルを心底から憎んでおり、その魔の手から逃れるためにも、テムとクリルは森の外れの人里離れた場所へと逃れる必要があった。
「キリルは何があっても私が育て上げる」
そう固く心に誓ったテムではあったが、森の決して少なくない数の民衆を敵に回したかのような状況下であっては、不安を抱かざるを得ないのも、また偽らざる心境であった。
結局、森の外れの古ぼけた丸太小屋を買い取り、修繕してキリルと二人で自給自足に近い生活をする事になったテムであったが、可愛い孫キリルとの楽しい日々の生活の中で、大男の存在を徐々に忘れていってしまう。
しかもテムは大男とは直接の面識はなかった。
だから、薪割りの最中に大男がやって来て、手伝うから斧を貸して欲しいと頼まれた時、何の疑いも無く斧を貸してしまったのだ。
テムは大男に、クリルと同様に虐殺され、キリルは森で一人ぼっちになった。
こうした内容を、重たい口調で訥々と話し終えるとテムは、深いため息を吐いてこう言った。
「お前達には、お前達には、死んで欲しくはなかった。」
辺りには三人の森の精達のすすり泣く声が響いたが、その音はすぐに強風の音にかき消された。

その時だった。
新たな森の精二人が、キリルとプリム、テムの精達に近付く。
「おぉ、お前達!」
テムの精は叫んだ。
それは、クリルとアルテナの精だった。
クリルの精は口を開く。
「森の神様の許しを得て、お父さんと一緒に居られるようになったんだ。キリル、大きくなったね。」
テムは泣いていた。
クリルとアルテナは終始笑顔だった。
再びクリルの精が口を開いたのは、しばらく経ってからの事であった。
「神聖ヘリテイジ・ストーンの力でキリルとプリム君は蘇る事が出来る。残念ながら記憶のデータとDNAが残っていないから、ぼくやアルテナ、そしてお前のおじいちゃんは一緒には行けない。これからは二人で協力して、仲良く暮らすんだよ。何もしてやれなくてごめん。」
そう言って、クリルはその表情を曇らせた。
「そんなの嫌だよ!ぼく、おじいちゃんやお父さんと一緒がいい!」
そう言って叫ぶキリルであったが、次第にその像は青白い光に包まれて、徐々に形を変えてゆく。
「お父さーん!おじいちゃーん!」

気が付くとキリルは、あの丸太小屋のベッドの上で、プリムとともに横たわっていた。
一足先に意識を取り戻したキリルは、ただ黙ってプリムが目覚めるのを待っている。
テット・クラウスとティル・クラウスの二人の純粋な意志の力によって再びこの世に生を受けた二人は、これから先ずっとずっと仲良く共に暮らして行く事だろう。
森の神も重い腰を上げて、ようやっと過剰な弾圧を抑えにかかろうとしていた。
「プリム、おはよっ!」
やがて意識を取り戻したプリムに満面の笑みで応えるキリルは、鼻の頭にキスをする。
プリムはたまらなくなって泣き出してしまった。
「ごめんよぉ、キリル!もう絶対に離さないから、どこにも行かないから……。」
泣きじゃくるプリムをそっと撫でさするキリルから、笑顔が消える事はなかった。
その後、落ち着いた二人は庭に出た。
ノースポールが一面に咲く庭には、テムの肉体が眠っている。
「おじいちゃん、ぼく、みんなの分まで絶対に幸せになるから、約束するから……。」
そうキリルが呟くと、プリムはキリルの温かい掌を固く握り締める。
こうして、キリルとプリムは再び人間として蘇り、結ばれた。
空には、そんな二人を祝福するかのように、
無数の青い鳥が舞っている。
そのさまはさながら絵画のようで、二人の心に深く深く刻まれたのだった。
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