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Bluebird : 青嵐慕情

来る日も来る日も、単調な日常を繰り返していた。
朝起きては天井の模様をただぼんやりと眺め、眠くなっては欲求の赴くままに眠るだけ。
空腹感を覚えると、誰の気配もしないのを確認してから静かに自らの居る部屋の扉を開き、家人が遥か以前に用意した食事を、トレーごと部屋に引き込む。
誰からの視線も無い部屋で一通りそれを貪り食うと、訪れる睡魔に抗う事もせずに、歯も磨かずに床に就く。
部屋の主の少年はまさに、廃人だった。

その日も少年は、黴臭い煎餅布団に横たわって、天井の模様を眺めていた。
やがてそれにも飽き、そろそろ眠ろうかとしていた正午過ぎ……。
外から大きな物音がするので、本当に珍しく南側の窓のカーテンを開けると、少年は恐る恐る様子を覗き込む。
少年の部屋は、家の二階にあった。
窓の外を見下ろすと、乗用車が電柱に衝突していて、少年は驚く。
家の前の道は車がすれ違えない程に細いのだが、スピードを出し過ぎたのだろうか。
ボンネットが大きく潰れ、抉られていた。
それが興味深く思われたのか、少年は頬杖をついてしばらく眺めていた。
だが……。
油断してぼんやりと見つめていると、車内から出て来た若い男と目が合ってしまう。
恰幅のいい、優しそうな男だった。
意外だな、と思った。
目が離せなかった。
すると男は、照れ臭そうに、そして困ったように頭を掻きながら、笑顔を見せる。
その笑顔が眩しくて、ちょうどそれに引きずられるようにして、まさにこの瞬間、少年の恋は始まったのだった。
久々に訪れたこの恋によって、退屈極まる日常は、一転して昂揚感漲るものへと変化していく。

車を運転していた男の名前は、神林 稔。
「僕は松本 大樹って言います、よろしく……。」
先に自己紹介を済ませた男に名を名乗ると、少年は頭を下げる。
普段は引っ込み思案の少年だったが、この時は好奇心の方が勝っていた。
パジャマのままで階段を駆け下り、玄関先で頭を抱える男に自ら話し掛けたのである。

少年は小さく息を吸い込むと、気になっていた事を聞こうとする。
どうしてぶつかったのか、普段何をしているのか……。
聞きたい事は沢山あった。
だが、いざ男を前に口に出してみると、緊張からしどろもどろになってしまうのだった。
そんな少年を見ながら、事故の後だというのに男は、笑っていた。
好きになった笑顔を真近で見る事が出来た。
そしてその姿が、少年の心を捉えて離さなかった。
正直もう、質問の事などどうでも良かった。
少年は心に誓う。
何があっても絶対に、この人の彼氏になると……。

その夜……。
辛うじて連絡先のメールアドレスの交換に成功した少年は、昼間思いがけない形で出会った男に、いそいそとメールを送信していた。
本当に久方ぶりの昂揚感が、少年の全身を駆け巡る。
それはまるで、電撃のように。
“松本 大樹です。
昼間はどうもでした。
あれから大丈夫でしたか?
とても心配です。”
まずは当たり障りのない文面で様子を見る。
返信は直ぐに来た。
心配を掛けた事を詫びる内容だった。
少年はすかさず返信をする。
こうして、男とのメールの遣り取りはその後も何通か続いた。
男は会社員だったが、平日が休みなのだった。
事故が起きたのは平日。
男はその日、ちょうど休みだったのだ。
実は男はその日、通っている専門学校を熱で休んだ恋人を自宅で看病するために、買い物先のショッピングセンターから車を飛ばしていたのだが、その事を少年はまだ知らない。
そして、男からの「君はとっても素敵なんだから、もっと自分に自信を持って!」という内容のメールに舞い上がった彼は、自らの気持ちを打ち明ける事にする。
“ぼく、あなたの事を好きになっちゃいました。”
だが、盛り上がっていたメールの遣り取りは、それ以降パッタリと途絶えてしまう。
恋人の手前もあって少年の気持ちを受け入れる訳にはいかないが、直接断ると傷付けてしまうのが心配で、男は敢えて少年からのメールを無視する事にしたのだ。
諦め切れない少年はその後も何通かメールを送ったが、返信は貰えずじまい。
結局その後少年は、泣くだけ泣いて疲れると眠る、廃人のような生活を再び送るのだった。

そして、事件からちょうど一週間……。
少年は、思い立ったように布団から這い出ると、窓のカーテンを開け、膝立ちで下を覗き込む。
せめて一目、もう一度あの男を目に焼き付けたい、そんな思いが少年を窓に張り付かせる。
すると……。
何処からともなく、鮮やかな青い鳥が少年の家の、道を挟んで向かい側の屋根に舞い降りた。
少年は思い出す。
インターネットのアンダーグラウンドなサイトで、青い鳥の噂を耳にしていたのだ。
曰く、青い鳥に願い事をすると、願いが叶う代わりに祈った本人は死ななければならない、というものだった。
少年は考える。
死ぬのは嫌だ。
でも、願いは聞いてもらいたい。
考えあぐねた末にある事を思い付いた少年は、駄目で元々のつもりで、青い鳥に静かに祈り始める……。
青い鳥は「分かった。特別に願いを聞こう」とだけ伝えると、飛び去ってしまった。
こうして、少年の願いは聞き入れられた。
だが、少年が消える気配は無い。
代わりに消えたのは……少年の両親だった。
少年は、両親の命と引き換えに、男の彼氏の座を手に入れる事になるのだった。

少年は、のっそりとした動きで部屋を出ると、扉の前で辺りを見回す。
人の気配がしない。
本来ならばこの時間、母親が居る筈だった。
「お母さーん!居るの?」
少年は声を上げながら家の隅々まで見て回るのだが、当然返事は無い。
実は少年の両親は幽霊となって彼の傍に居るのだが、彼には霊感が全く無いので、その姿を目にする事は出来ない。
「やっぱり、居なくなっちゃったんだ……。」
少年はようやく現実を受け入れると、静かに一つ溜め息を吐く。
「稔さんとまた逢えるかな、来てくれるといいな……。」
家の中を一通り探し終えて部屋に戻って来た少年は、ベッドの淵に腰掛けると、変わり映えのしない天井を口を半分開けてぼんやりと眺めながら、あの日の男の笑顔を思い浮かべる。
この時、少年の頭の中は男の事で一杯だった。
だが、少年を取り巻く状況は実は深刻である。
両親が揃って失踪扱いになってしまうために、色々と不都合が発生するのだ。
少年の自宅は持ち家なので家賃は発生しないが、固定資産税や残ったローンは誰が払うのか。或いは誰が処分するのか。
また、家事は誰がやるのか。
そもそも、誰が少年を育てるのか。
問題は山積みである。
それでも、少年の顔からは追い詰められた色は窺えない。
また、少年はこの事態について、親類縁者に相談する気などさらさらなかった。
それは、ただ単に少年には、まだ現実を正しく認識する能力が備わっていなかった、言い換えればまだ少年は精神的に幼稚であった、それだけの事である。
相変わらず口を半分開けたままで天井を眺める少年。
時間は無為に過ぎていく。

と、そこへ……。
インターホンのブザーが鳴り響く。
「もしかしたら稔さんかもしれない!」
居ても立っても居られなくなった少年は、パジャマのままで部屋を駆け出していた。
そして……。
玄関の扉の前。
大きく息を一つ吸って気持ちを落ち着かせる。
それでも動悸が激しい。
思い立ったように慌てて髪を整えると、少年は扉のノブに手を掛けた。
ゆっくりと開かれる扉。
その向こう側を目を凝らして見ると、そこには待ち望んでいた男の姿があった。
この時、男の心の中では、嵐が吹き荒れていた。
これまで付き合っていた青年の事を、どうしても嫌いになれない。
いや、むしろ大好きなのだ。
それなのに、どういう訳だか目の前の少年と一緒に居なければならないという強迫めいた思いが、嵐となって吹き荒れていた。
男は、暫しの間逡巡していた。
男は確かに少年の事を可愛いと思っていたが、それは恋愛感情によるものではない。
「確かに、可愛いと思った。でも、それは……。」
そう、とても可愛い「子供」だった。
それだけだった。
そう思ったからこそ、心からの笑顔を向けたのだ。
それでも今、男の意識は吸い寄せられるように目の前の少年に集中していた。
背中から、脂汗が滲み出る。
本当は、こんな展開を望んでいた訳ではない。
だが、少年が間合いを一歩詰めると、男は観念した様に、ぼそりぼそりと告白をするのだった。
「大樹君、この間はごめん……。俺、やっぱり大樹君の事が忘れられなくて……。他に恋人が居たんだけど、そいつとは、もう別れたから……。だから、俺の……彼氏に、なって欲しい。」
男からの告白。
待ちに待った瞬間。
少年は嬉しそうに笑うと、大好きな男の感触を堪能すべく、思い切って抱き付いた。
その時男は、少年の頭上で静かに、悟られない様に涙を流していた。

その頃、男の恋人だった青年は、大きなトランクの把手を握り締めたまま、二人で暮らしていたマンションのエントランス前で、途方に暮れていた。
瞼は紅く、腫れぼったい。
そう、愛し合っていたのは確かだったはずなのに、青年は今日、長年連れ添った恋人から、突然に別れを告げられた。
泣き叫びながら必死に縋り付く青年を突き飛ばして、男は少年の元へと去っていってしまったのだ。
残された青年は、独りぼっちになってしまった。
それだけではない。
二人で暮らしていたマンションの一室は男が所有する物件だったため、青年は少ない荷物を纏めて出て行かねばならなくなったのだ。
青年は項垂れたまま、機械仕掛けの壊れた人形の様に、ただその場に立ち尽くす。
まだ、頭が正常に回らない。
青年の心は、最早風前の灯であった。
口を開いたまま、ただぼんやりと空を眺める。
時々、視界の中の雲が揺らぐ。
この場所を、思い出のたくさん詰まったこの場所を、出て行かねばならない。
しかし、前へと進む一歩が踏み出せない。
ここを離れてしまったら、男との美しい日々の思い出までもが、消え去ってしまうような気がしたから。
視界は揺らぎ、全ての物が溶け合い、混ざり合う。

すると、突然……。
鮮やかな青い鳥が青年の頭上に留まった。
青年は思い出す。
以前男に教わった、青い鳥にまつわる恐るべき噂を。
青年は頭を抱えた
死には恐怖が付き纏う。
けれども、このまま生きていたくもない……。
考えあぐねた末に青年は、意を決して口を開いた。
青年の心は、怒りに打ち震えていた。
「稔さんを奪っていった奴の命と引き換えに、ぼくをもう一度、稔さんの彼氏にして欲しいです……。」
青い鳥は「分かった」とだけ答えると、青年の元から去っていった。

それから程なくして、男は青年の元に戻った。
「ごめんな、俺が悪かった……。もう一度やり直そう。」
男の目は真っ直ぐだった。
少年を見つめていた時には無い、力強さがあった。
青年の中に、少年には無い色香を、魅力を、存分に見出していた。
そんな男のストレートな謝罪の言葉と、何よりその真剣な眼差しに、凍り固まった青年の心は少しずつほぐされていく……。
「いいよ、謝らなくていいよ!これからも傍に居てくれるなら、それだけで十分だよ……。」
青年は、泣きながら大好きな男に抱き付いた。
青年は、そして少年に告白した時でさえ彼を片時も忘れずに愛し続けていた男は、この時、この上なく幸せだった。

一方、幽霊になってしまった上に男をも奪われてしまった少年は、必死に付き纏う両親の幽霊をどうにか振り切ると、再び青い鳥を探し始める。
すると、少年の目の前に再び、青い鳥が現れた。
「何の用だ。」
青い鳥は少年の肩に留まると、静かに尋ねるのだった。
それに対して、少年は静かに、しかし怒りを隠そうともせずに、青い鳥に向かって口を開く。
「この悪魔め……。こんな姿じゃもう稔さんに振り向いてもらえないじゃんか!だから、もういいから、ぼくも父さんも母さんもこの世界から消えるから、だから稔さんとその恋人の事も消して!」
暫しの沈黙の後、何と青い鳥は少年の幽霊の願いを黙って聞き入れたのだった。

少年とその両親は、すぐにこの世界から消滅した。
そしてやがて、男と青年も透明になっていく。
「稔さん……!?」
「大丈夫、大丈夫だ……。」
全てを悟った二人は、諦めた様にただ抱き合い、互いを求め合う。
「愛してるよ、稔さん……。」
「俺もだ……今まで、ありがとう。」
長い長い、口付け。
少しずつ消えていく、互いの肉体の温かで柔らかな感触。
二人は最期まで、互いの存在を認め合い、そして愛していた。

最期の時がいよいよ近付く。
「稔さぁーんっ!!!」
突然、青年の断末魔の叫びが響き渡る。
心の奥底に抑え込もうとしていた無念の思いが、悔しさが、最後の最後で噴き出してしまった。
最後の最後で、泣いてしまった。
気持ちを、抑え切れなかった。
綺麗に、さよなら出来なかった。

……そして誰も居なくなった。
実はこのような結果になる事を、青い鳥は最初から予見していた。
それでも少年や青年の願いを聞き入れたのは、他人の命と引き換えに自分の幸せを確保しようとする輩に、天罰を与えるためなのであった。
こうして青い鳥は、人々に幸せを運ぶために、今日も羽ばたき続ける……。
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