FC2ブログ

海松色の日常 - 最後の審判 後編 -再会の夜

理屈じゃない
説明出来ない
おれはただ、何としてでも、あの人に逢いたかった
おれはあの人からの五年ぶりのメールを、ただ、泣かずにじっと見つめていた

海松色の日常 - 最後の審判 後編 再会の夜

「みる、元気だったか?
お前が変わらず元気でやっている事を、俺はいつでも望んでいた
五年前、最後の夜に見せたお前の顔を、俺は今でも忘れない
あの時、俺はお前では無く、家庭を持つ事を選んだ
俺の事を信じてくれたお前を裏切り、深く傷付けてしまった

俺は今日、離婚する事にした
俺はこれからは、自分の気持ちに正直に生きる事にする
俺はこの事を、真っ先にお前に伝えようと思う
俺はどうしようもない男だが、会って伝えたい事がある
だから俺にもう一度、お前の顔を見せて欲しい
明日の夜、お前と初めて出会った楓の木の下で、もう一度会いたい
いつでも、お前の都合のいい時間に来てくれればいい
待ってるからな!」

待ち合わせの詳しい場所も、時間も書いていないメール
差出人欄には、見覚えの無いアドレス
だけどおれには分かる
胸が熱くなる

おれはあの人と、この五年間ずっと、音信不通だった
おれがまだあの人と付き合っていた頃、パソコンを使わないあの人との唯一の連絡手段が、携帯だった
別れてすぐに、メールも電話も繋がらなくなってしまい、おれは自分からあの人と連絡を取る手段を失った

だからおれはこの五年間、ずっと同じ電話会社の携帯を使い続けている
あの人からの連絡をいつでも取れるようにしていたくて、二度と逢えないと分かっていたのに、おれは、メールアドレスを変えられなかった

いつか逢えるかも知れない、そう思い込んでいたかった
だから、その可能性を完全に消滅させるような事は、おれには出来なかったんだ

夜が近付き、運命の時が迫る
おれはクローゼットの前に立つ
身震いをするおれ
『今夜は特別だから、特別な服を着て行く事にするよ』

昔のおれは、自分の身に着ける服なんてどーでも良くて、身なりには全く無頓着だった
ある日、そんなおれにあの人は、とても高そうな服や靴を、ひと揃いプレゼントしてくれた
戸惑うおれにあの人は「俺はお前を愛している。本当に大好きだ。俺はお前を守ってやりたい。だけど、いつまでもお前の側に居て守ってやれるかどうかは、分からない…だから、俺の居ない時、孤独に負けそうな時、独りで戦わなければならない時、そんな時にこの服を着て欲しい。この服の持つ力が、俺の代わりに、いつでもお前を守ってくれるよ」と言って、優しく頭を撫でてくれた

おれは嬉しかった
おれは、あの人の好きな黒一色のプレゼントを手に、声を上げて泣いていた
何でも無い筈のその日は、俺にとっては特別な記念日になった

俺は、今でも大切に保管してあるその服に手をかけた

それから程無くして、あの人は結婚をして、家庭を作った
おれは、独りぼっちになった
元々、家庭なんて、家族なんて、自分には関係無いものと思っていた
だからおれにとっては、独りぼっちで生きて行くのは、当たり前で仕方の無い事の筈だった

それでも、あの人と出逢ってから、おれは心の何処かで『この人と“家族”になりたい』と思っていた
だからおれは、結局何にも出来ない、何の役にも立てない自分が情けなくて悔しくて、男である自分には何の価値も無いような気がして、目の前が真っ暗になって、それでも大好きなあの人を責めたくなくて、ひたすらに自分を責め続けた

ドジで弱虫のおれは、あれから何度もつまずいて、何度も涙を流した
その度にクローゼットを開け、あの日のプレゼントの向こう側に見えるあの人の幻にしがみついた
おれの顔を覗き込んで笑うあの人が見える気がして、おれはいつまでもしがみついていたんだ

深く息を吸い、白いシルクレーヨンのシャツを羽織ったおれは、ウールギャバジンの黒いジャケットのぶら下がったハンガーに手をかける
ファスナーを開けてカバーを外すと、気のせいか布地の匂いがふんわりと舞った気がして、おれは嬉しくなる

『おれ、やっぱり、この匂い、好きだ』
ジャケットを羽織り、姿見の前に立つと、ごく自然に、背筋がピンと伸びる
「青丹さん、あれからおれも、少しは身なりに気を遣うようになったんだよ」
黒い服ばかりのクローゼットを前に、おれは静かに語りかける
おれの顔を真直ぐに見て欲しいから、今日は帽子は被らない

黒いローファーを履き、玄関脇の靴箱に乗る青いオードトワレを頭上に振って、おれの戦闘準備は整った

軽い向かい風がおれの頬を撫でる
ひんやりと空気が冷たい
辺りはすっかり暗くなっている
駅の改札を出たおれの脳裏に、次々に不安がよぎる

『あの人は今のおれの姿を見て、受け入れてくれるだろうか?おれはあの人に相応しい男になれただろうか?…』
怖じ気付いたおれは一瞬、引き返そうかと思った

だけど…
『逢ってからでも遅くは無いんだっ!』
そう自分に言い聞かせて、奮い立たせて、再び、待ち合わせの場所へと歩き始める

そうして
おれは立ち止まる
あの日、あの人と初めて出逢った思い出の場所
おれは、楓の木を前にして、拳を握り締めて佇む

久々の再会
あの人の少しも変わらない姿が、おれの背中を力強く押す

おれはあの人の言うとおり、不器用で頑固な奴だ
やり過ごせばいいことは流せないくせに、おいしい話には乗っかり損ねて
そうして、ただあの人のやってきたことを、そのまま真似して、追っかけてばかりで

だから、今までおれが歩いてきた道のりなんて、全然大したことない
今でも、情けなくて、どうしようもない奴なんだ
思い込みが激しくて期待過剰で、同じ失敗を何度も繰り返して
しかもおれは、弱虫だ
そんな現実を綺麗に包み隠してしまう事は、そんな器用な事は、おれには出来ない

だけど
それでも今夜おれは、少しでも成長出来たところを、頑張ったところを、残らず、余すところなく見せたくて
だからおれは、今、ここに居る
おれの思いは、言葉では何も伝わらないような気がする

だけど
自惚れだって、分かり切っていても
これが最後の恋だと、決めていたから
だからおれは、今の思いを、言葉にして伝えなければならない
おれの全てをかけて伝えるから
だから、怒らないで聞いて欲しくて

おれは大きく息を吸う
踏み締める足に力が入る

チェックメイト

覚悟を決めなきゃ

力一杯叫んだ
おれの全てをぶつけた

「おれはあの時も、今でも、あんたとなら“家族”になれるって思ってる!どうしてかって?あの時の、あんたの笑顔を、信じてみたんだよ。根拠なんてないよ。でも、それで十分だろ!」

「おれはあんたのことが大好きだ!」

「だからおれはあんたに、ずっと、ずっと、付いていくんだっ!!」

おれは、肩で息をしていた
あの人は、少しも動かず、何も答えない
真直ぐな眼差しが、おれを突き刺す

だけど
何も言わずに見つめるこの人の瞳の奥に、おれたちの未来を見たような気がした
力強い眼差しの奥で、五年ぶりの笑顔を見せてくれた気がしたから
もう、拒まれても、騙されても、全然構わない
だからおれは、返事も待たずに抱き付いて、彼の“笑顔”にキスをした

風が、止んだ
止まる、時間
はち切れそうな、おれの心
答えを待つ、おれ

次の瞬間、目の前の顔が綻んで、おれたちの未来への扉が、力強く開いた
その笑顔を見て、もう一度、おれは心から、この人なら信じられる、そう思った
この人の笑顔のためなら、全てを投げうっても構わない
目の前には、愛する人の堪らない笑顔
その向こう側に続く広く長い道を、二人で歩く姿が、おれには今、はっきりと見えた気がして

おれは、いや、おれたちは、本当に幸せだった

エピローグ

一世一代の告白を終えたおれは、目の前の愛する人に、泣かずに、真剣な眼差しをぶつけた
楓の木の下で、おれたちは見つめ合った
息遣いの伝わる距離で、互いの存在を確かめ合う

おれの笑顔をもう一度伝えたくて、思い出して欲しくて、おれは青丹さんに心からの笑顔を見せる
次の瞬間、青丹さんの唇がおれに近付く

「みる、好きだ、愛してる。ずっと一緒にいよう。今度こそ、お前を守るから、約束するから」
優しく、だけど力強く、告げられた愛の言葉

ふいに感情がこみ上げる
おれの心を激しく揺さぶる
だけど、おれは泣かなかった
おれは笑った
それでいいと思った
青丹さんは、そんなおれにキスで応える
短い時間だったが、力強く抱き締め合いながら、おれたちは、互いの価値を、生まれて来た意味を、教え合っていた

「みるは、珈琲でいーか?」
おれたちは喫茶店に移動していた
おれが隅の席に腰掛けると、青丹さんはその隣りに当たり前のようにやって来て、にんまりと微笑んで尋ねる
昨日までも付き合っていたかのように、おれたちはすっかり打ち解けている
おれは、こんな時におれが何を頼むのかを覚えていてくれた事を知って、胸を熱くしている
そしておれは、内心の喜びを悟られないように、ポーカーフェイスで答える
「おう」

ん?
テーブルの上のメニューに一旦は向けられた青丹さんの視線が、再びおれに投げられる
なんだ?

「あれ、話し方変わってる(笑)」
この人は、おれの一世一代の告白を聞いていなかったのだろうか?あん時に気付けよなーと思う

おれは確かに、昔は自分の事を“ぼく”なんて言っていた
弱虫のおれは、可愛がって欲しかったし、守って欲しかったから、少しでも自分を可愛く見せたかった
だけど青丹さんがいなくなってからしばらく経った頃、そのままでは駄目な気がして許せなくて、弱い自分を変えたくて、おれは自分の事を、無理して強く見せる事にした

今でもちょっと無理をしている自分に気付いて、何となく恥ずかしくて照れ臭くて、おれはムキになる
「いーじゃねえか、別にっ!おれだっていろいろあるんだっ!一人で今まで頑張ってたんだぞっ!」
少し言い過ぎたかも知れないと思い、おれは、手元にある水を一口、口に含んで、喉を潤す

「無理すんなー」
あ、やっぱり見透かされてやがる
おれを見守ろうとする優しい笑顔が、少し意地を張っていたおれの心をほぐす
そんな青丹さんに、やっぱりおれは敵わなくて、おれはますます照れ臭くなってしまう
そうやって俯くおれの頭を、青丹さんは嬉しそうに撫でてくれた
話し方は戻せそうにないけど、どうやらおれはこれからは、この人にたくさん甘える事になりそうだ

『情けねえな、おれ』
でも
「無理なんかしてねえっ」
強情を張るおれの顔から、自然と笑みが零れる
さっきからずっとニコニコ顔の青丹さんを前に、おれは肩の力が抜けていくのを感じる

「別にいいぞー、いっぱい甘えろなー」
何だか子供扱いだ
それでもおれは幸せだった
よく見ると、あの人もとても嬉しそうだから、観念しておれは頷く

誰かに甘える事、それがどれだけ難しい事なのかを、おれはこの五年間で、少しは学んできたつもりだ
だからおれは、弱虫で甘えん坊のおれを、馬鹿にしないで受け入れてくれるこの人が、たまらなく愛しかった
もう、何があっても離れるもんかっ!

「また、寝技いっぱいかけてやるからなー」
なんだ、そっちかっ!おいっ!
だけどおれは、青丹さんとの久々の“夜”が今から楽しみで、居ても立ってもいられなくなる

頭の中はもう、おれを抱く青丹さんのいやらしい姿で、いっぱいだ
記念すべき夜、しかも喫茶店の中だというのに、体が火照って、腰の辺りが気になりだして、おれは困る
目の前には、おれの異変に気付いた青丹さんの、意地悪そうな顔
今夜はおれにしては珍しく、格好良く決まったというのに……これじゃあ、台無しだ
恥ずかしいおれ

『あーあ、おれの猪』
相変わらずの自分に、ため息を吐くおれだけど、こんなのも自分らしくていいと思えた

「それにしても太ったなー、なんかますます可愛いーぞ」
落ち着かなくて上の空のおれに、青丹さんが嬉しそうに話し掛ける

かつておれは、青丹さんの好みを知りたくて、聞き出そうとした事がある
おれみたいなのがタイプだとはぐらかされてしまったが、もしかしたら自分の体重だと物足りないんじゃないかと、心配だった記憶がある
『おれ、ちょっとは青丹さんの好みになれたかな?』
五年前と比べて、一回り大きくなった自分の腹を見つめながら、おれは大きく息を吐く

「うるせぇ、中途半端じゃ相手にされねえから仕方なくなんだぞ、でも抱き心地は抜群だと思うぞ、早く試してくれよな」
おれは顔を真っ赤にしながら、思い切って胸を張って、腹をさすって、青丹さんを誘ってみる
こんな事、初めてかもしれない
頬が、あっつい

「おー、みるから誘ってくるなんて珍しいなー、今夜どーだ?引っ越したばかりのマンスリーマンションだけど、良かったら来いー」
そう言いながら青丹さんは、手を伸ばしておれの腹を軽く撫で回す
おれはただ黙って大きく頷いて、潤んだ目で青丹さんを見つめる
頭から、湯気が出そうな気分だ

だが、詳しい事情を知らないおれは、自分なんかが青丹さんの部屋に上がっても大丈夫なのか、不安に思う
そんなおれの心の内を察してか、青丹さんは、別れた奥さんとは少し前から別居しており、正式な離婚手続きも昨日済ませた事などを、丁寧に説明してくれた

そんな青丹さんを見つめながら、おれは隣りにある柔らかな手を、そっと握る
暖かくて切なくて、幸せで胸がいっぱいになる
青丹さんも、おれの手をそっと握り返してくれる
やがておれたちは、少しの間黙り込む
今夜青丹さんに抱かれるかもしれないと、想像するだけで、おれのあそこからは先走りが流れ出る
情けなくて恥ずかしくて、おれはうつむいて青丹さんに寄り掛かる

その後
おれたちは二人の未来を語り合った
下半身はすっかり落ち着いても、おれの興奮が冷める事はない
話が一段落ついた頃、青丹さんは大きな鞄の中から、何かを取り出す

「ほい」
テーブルの上に、高そうな箱が二つ乗っかる
どうやらおれへのプレゼントらしい
早速それぞれの包みを開けると、中からは最新のiP◎d Proと、ブランド物の専用ケースが出て来た
Appl●好きなおれを思う気持ちが嬉しくて、おれは無邪気にはしゃぐ

だが
『………』
おれの顔色が変わる
まじまじと良く見て気が付いた
このiP◎d Pro、家の古いパソコン(M○c)では、そのままでは同期出来ないのだ

『あぁ…』
せっかくのプレゼントだから、何としてでも有効活用したい
新たな出費の増えたおれは、内心の動揺を悟られないように笑顔を浮かべつつ、小さく一つ、ため息を吐いていた