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海松色の日常 外伝 - 春(LOVE)、いつまでも君を想おう

あれから五年が経ったというのに。
どうしたものだろう。
あの日の出来事を、まるで昨日の事のように覚えている自分がいる。
そして、ズキズキと痛む胸を押さえ付けながら、今日も下唇を噛み締める。
「こんなんじゃ、駄目だ……。」
そう、もう分かり切った事だった。
別れの原因が自分には無い事も、それでもあの人が二度と戻っては来ない事も。
「何とかして、どーにかして、前に進まなきゃ……。」
おれは、自分に言い聞かせるようにそれだけを言い終えると、歯を食いしばり、拳を握り締めてその場に立ち尽くした。
「ちくしょう……。」
雑踏の中、ただ一人立ち止まったままの意気地無しのおれは、溢れ出しそうになる感情を押さえ付けるのが精一杯だった。
「何でおれは、捨てられちまったんだ……。」
おれは、押し潰したような声をどうにか絞り出して、自分自身に問い掛けた。
答えなど出ない事は、分かり切っていた。
もう、数え切れない程に繰り返してきた問い掛けだった。
「いーさん……。」
堪え切れずに、あの人の名前を呼んだ。
次の瞬間、涙が溢れた。
呼んではいけない名前だと、分かっていたのに、呼んでしまった。
おれは、弱虫だった。
六年目の春、未だに変われないおれの、悪足掻きにも似た、これが日常だった――。

海松色の日常 外伝 - 春(LOVE)、いつまでも君を想おう

――家に戻ると、枕元に置き忘れた携帯がメールの受信を知らせていた。
「誰からだろう?」
ベッドに倒れ込んだおれは携帯に手を伸ばすと、差出人欄に目をやる。
次の瞬間、おれは目を丸くして驚いた。
「春希くん……!?」
それは、同じ大学に通っていた頃からの友人である、春希くんからの久々のメールだった。
『猛くん、久しぶり~。
元気だった?
ぼくは相変わらずかな。
良かったら今度会いたいな(^_^)
それじゃ、へんしーん、待ってるよ!』
おれは正直、迷っていた。
今は誰とも会いたくない。
そんな気分にはなれない。
でも、春希くんとなら、会って救われる事だってあるかもしれない、そんな思いも心の隅には確かにあった。
結局おれはその日の内に返事を出し、週末の休みに会う約束を取り付けた。
「おれ、どーしようもねぇな……。」
激しい自己嫌悪に陥ったおれは、布団を被ると、頭を抱えたまま眠りについた。
いわゆる、寝逃げというやつだった。

思いがけない告白

土曜日の昼下がり、近所のカフェの店内で、おれはいつになく真剣な表情の春希くんを前に、少し戸惑っていた。
「どーしたの?何だか緊張してるみたいだけど……。」
おれが声を掛けても、春希くんは黙ったままだ。
どうしたものかとおれが考え込んでいると、春希くんはようやく、重い口を開いてくれた。
「ねぇ、猛くん……。」
早く続きを聞きたくて、おれは固唾を呑んで見守る。
大抵の事には、驚かないつもりだった。
だが、彼の口から飛び出した言葉のあまりの意外さに、おれは思わず固まってしまった。
「お願い、ぼくと付き合って!ぼく、猛くんのことがずっとずっと好きだったんだ、きっと幸せにするから、だから、ね……。」
そうだ、よく考えてみたらこれは別に不思議な展開ではないのだ。
何故なら大学の頃から春希くんの気持ちには気付いていて、
時間が経つ間に忘れていただけなのだ。
気が付くと目の前の春希くんは、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
初めて見る表情だ。
そして、おれがなけなしの勇気を振り絞って春希くんの頭にそっと手を伸ばすと、春希くんは大粒の涙をポロポロと零し始めた。
「泣かなくていーよ!おれも春希くんの事は好きだからさ。でも、返事はもうちょっとだけ待ってくれないかな?待たせちゃって悪いけど……。」
おれがそれだけ言い終えると、春希くんは泣きながら黙って頷いてくれた。
やがておれが席を立つと、春希くんは精一杯の笑顔を見せて、手を振って見送ってくれた。
その姿を見て改めて“可愛い”と思ったおれの心の中には、この時、明らかに変化の兆しがあった。

別れと、出逢いと

その後、家に戻ったおれはベッドに横たわると、春希くんとの昔の出来事を思い返していた。
思えばおれは、春希くんに何度も救われてきた。
明るい春希くんの無邪気な笑顔がおれにとっての唯一の支えだった時期も、確かにあったかもしれない。
それに、春希くんは昔からとてもいい奴だった。
そう、春希くんは冴えないおれの彼氏になるには、もったいないくらいに魅力的なのだ。
だが……。
おれは未だに、青丹さんとの事を忘れられないでいる。
こんなおれが春希くんと付き合う事は、果たして許されるだろうか?
それに、おれには青丹さんのあの笑顔は、どうしても忘れる事が出来ない……。
気が付くと、頬に一筋の涙が伝っていた。
おれはやっぱり、どうしようもなく駄目な奴だ。
いつの間にか、おれの脳は優しかった青丹さんの笑顔でいっぱいになっている。
おれは、誰もいない部屋の中で、自分の体を両手で抱きかかえると、ある予感を抱きながら声を上げて泣き叫んでいた。

覚悟

翌朝……。
あれから結局、そのまま眠ってしまっていたおれは、目が覚めると、頭を掻きながらおもむろに携帯に手を伸ばした。
返事を待たせてはいけないと思い、春希くんに電話を掛ける事にしたのだ。
おれは深呼吸を一つすると、電話帳から春希くんの番号を探し出して、それを選択、発信する。
だが、春希くんはなかなか出ない。
諦めて携帯を耳から離し終話ボタンを押そうとしたその時、春希くんの元気の無さそうな声が微かに聞こえて、おれはホッとした。
「春希くん、昨日の話だけどさ……。」
おれが呼び掛けても、聞こえるのは吐息だけ。
それなのに、春希くんの緊張が受話器越しに伝わる。
おれは、早く春希くんの緊張を解いてやりたくて、言葉を続ける。
「正直、まだ青丹さんの事は吹っ切れてないんだけど、そんなおれでも良ければ、春希くんの彼氏にしてもらえたら、って思ってるよ。」
そこまで言い終えると、覚悟を決めたおれの顔には笑みが浮かんでいた。
後は、春希くんの言葉を待つだけだ。
だが、春希くんは何も言ってはくれない。
ハッとして、おれは耳を澄ませた。
春希くんは、泣いていたのだ。
そして、ようやく口を開いてくれた春希くんは、泣きじゃくりながら懸命に思いを伝えてくれた。
「ありがと、すっごく嬉しいよ。ぼく、早く猛くんの一番になれるように、頑張るよ!頼りない奴だけど、これからもよろしくね!」
こうして、可愛い彼氏が出来たおれは、幸せな日々を送る……はずだった。
だが、運命の神様は、時に残酷な仕打ちをするものだ。

束の間の幸せ

午後、早速逢う事になったおれたちは、おれの住む部屋の最寄り駅前のロータリーで待ち合わせをした。
春希くんは車で来るらしい。
クラクションが短く鳴ったので振り返ってみると、そこにはハンドルを握る春希くんの姿があった。
「猛く~ん!こっちだよ!」
にこやかに笑いながら手を振ってくれる春希くんは、やっぱり可愛い。
おれは手を振り返すと、春希くんの乗る車に駆け寄り、助手席に乗り込んだ。
「早速だけど、海に行かない?伊豆の白浜、まだ人がいないから、砂浜も綺麗だよ!」
伊豆白浜といえば、中学生の頃以来行っていない。
春希くんは、目を輝かせておれに迫る。
だからおれは、大学生の頃の夏の思い出を思い出すと、ちょっと意地悪くこう答えた。
「まだ寒いから海の中でHは出来ないよ、残念だね。」
海と言えば、どうしてもあの時の事を思い出すのだ。
で、春希くんはというと、破裂しそうな程に頬を膨らませて、「あの時だってしてないじゃんか!」と怒るのだった。
それはもう、ぷんすか音がしそうな程に。
可愛い、と思った。
何だか嬉しくなったおれは、身を乗り出すと春希くんの河豚みたいになった頬に、軽くキスをした。
「あ……。」
春希くんが声を上げるので見てみると、顔が茹でだこみたいに真っ赤なので、おれは驚く。
あれ、キスなんて昔散々したのにな。
でもま、恋人同士になったという事で、気分が改まったというのも、きっとあるだろう。
おれは深く考えない事にして、春希くんが用意してくれていたペットボトルに手を伸ばす。
「これ、飲んでいいよね?」
春希くんが笑顔になって頷くので、おれは蓋を開けると、半分程を一気に飲み干した。
ちょうど喉が渇いていたのだ。
「猛くん、ちょっと飲み過ぎ〜。」
春希くんが笑って頬を突っついてくるので、おれも笑った。
楽しい時間だった。
そうして、やがて春希くんは車を発進させる。

悲劇

だが……。
それから五分も経たない内に、悲劇は起こってしまった。
昼間だったにもかかわらず、居眠り運転のトラックが突っ込んできて、春希くんの運転する車と衝突したのだ。
……その瞬間、おれは死んだかと思った。
だが、気が付くと幸いな事に、身体に痛みはない。
何時の間にか春希くんに手を握られていたので、おれは声を掛けようと横を向く。
と、そこでおれは、見てはいけないものを見てしまった。
春希くんは既に空の星になっていたのだ。
それも、信じられない、信じたくない姿に変わって。
おれは叫んだ。
手を握ったまま叫んだ。
「春希くーんっ!!!」

いつまでも君を想おう

葬儀の場で、おれは涙が止まらなかった。
かわいそうで、あまりにかわいそうで。
可愛かった春希くんの、無残に変わり果てた姿が目に焼き付いて、おれを苦しめていた。
『春希くん……。おれ、多分春希くんの事、ずっと前から好きだったんだ。気付いてて、でも青丹さんとの事も忘れられなくて、それで……。忘れないから、いつまでも想い続けるから、約束するから、だから、自分だけ助かった事、許してくれ……。』
泣きながら懺悔するおれの手の中には、春希くんの掌の感触が未だに、そしていつまでも残っていた。
結局おれは大好きな恋人すらも守れない、底なしの役立たずだった。
おれは本当に、何にも、何一つしてやれなかったんだ。
だってさ、そんなに急いで逝くから、おれ……。
こうして春、満開の桜の中、おれは一つの別れを、受け入れられずにいた。
葬儀の帰り道、おれは空を見上げると、独り呟いた。
「春希くん……おれ、いつまでも君を想うよ、おれの心の中では、これから先もずっと、一緒だよ……。愛してるよ。」
これから先、誰と付き合う事になっても決して忘れない、そう心に誓って、おれは心の中でもう一度、大好きな春希くんを抱き締めた。
その瞬間、春希くんが笑ったような、そんな気がした。
だからおれは、道の真ん中だというのに、蹲っていつまでも、泣いていたんだ。