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Bloomin’ Flowers IV : 徒然小噺

水の中に潜る。
ゆったりとした波の動きに、暫し身を預けてみる。
旅先の海で、シュノーケリング。
ゴーグル越しに覗いた海は、魚たちの楽園だった。
「気を付けな!握った手綱は、決して離さないんだよ。いいかい?」
海の中から聞こえてくる声。
俺はどうしたらいいか分からなくて、ただ黙って頷いた。
それからずっと、何かある度にその時の言葉を思い出すようになっていた。
この時、相方さんは聞いていなかったようで、何も知らなかった。
休暇を取って二人で出掛けた、沖縄での事だったーー。

ずっと、一緒に居よう。
それが、二人で交わした、たった一つの約束だった。
白い薔薇の咲き乱れる庭の真ん中で、俺らは抱き締め合った。
俺らには時々、白い薔薇の囁きが聞こえる。
最初は幻聴だと思ったが、それにしてはいやにはっきりと聞こえる。
しかも、二人共同じ内容を聞いているのだ。
それはもう、驚いた。

最初は不気味だったが、どの薔薇も俺らへの敵意がないと分かると、自然と友達になっていった。
もちろんこの事は、二人と薔薇だけの、秘密だった。
バレると騒ぎになるからだ。

「ところでーー。」
俺らで勝手に長と名付けている薔薇の花が、よく通る声で一言一言を噛み締めるように、ゆっくりと話し始める。
「互いの気持ちを、裏切ってはいけないよ。ずっと仲良くするんだ。そんな姿が、お前さんたちには良く似合う。笑顔で、居るんだよ。」
気にはなった。
でもこの時は、忘れる事にした。
忘れて、しまったんだ。

それから一ヶ月後ーー。
俺は成り行きで、仕事先の先輩に組み敷かれていた。
酒を飲み過ぎたせいで、ここに至るまでの記憶は曖昧だ。
「リリン、リリン、リリン、リリン」
俺の携帯が鳴っている。
相方さんとは共に暮らしているので、心配したのだろう。
だが、今出る訳にはいかない。
放置していると、着信音は鳴り止んだ。

細い道を歩く。
だいぶ酔いが醒めてきた。
すっかり遅くなった。
お詫びにコンビニでアイスでも買って行こう。

家に戻ってインターホンを押すも、反応がない。
ここは鍵を使って開けるしか。
だが、鍵を解錠しても、チェーンのせいでドアが開かない。
困った。

俺は携帯を取り出すと、何度も鳴らしてみる。
が、音信不通だ。
もう家の前であるとはいえ、時刻は既に終電後。
無理もないか。
大体、俺がこんなに遅くなるのは珍しいのである。

待つ事暫し。
そろーっと扉が開く。
中から現れたのは、恨めしそうな顔。
「何だよ、こんな夜更けに。」
「そう言わずに入れてくれよ、頼む!」
「せっかく美味しい麻婆麺作って待ってたのにさ。ご飯はないよ。」
チェーンが外され、ドアが開く。
と共に抱き付いてくる我が相方。
可愛いな。
そんなことを思っているとーー。

「やっぱり!香水臭い!いつも香水なんかつけない癖に!この浮気者!出てけぇーー!!」
またドアは閉じられてしまった。
この家のローンを返済しているのは、俺なのだが。
とはいえ、酒のせいでもあったが浮気したのは、事実、なのだろう。
都合が良いのか悪いのか、その辺りの記憶がどうにも曖昧なのだ。
気が付いたらベッドの上。
その後も記憶は途切れ途切れ。
まぁ断片的には映像が思い浮かぶから、たぶん浮気したのだろう。
だがそもそも、俺には浮気をする動機がない。
俺はずっと相方さん一筋で生きてきた。
高校時代からの付き合いだ。
一度の過ちで全てを失くすのか。
情けないな、俺。

その夜は、繁華街のネットカフェで一夜を過ごした。
朝方。
携帯のバイブで目が醒める。
差し出し人は、相方さんだった。
「出て行く事にした。残った荷物は、全部処分してくれていいから。追いかけたって無駄だよ。僕、結婚する事にしたから。」
顔から血の気が引いてゆく。
相方さん、バイではない。
ゲイなのだ。
だから高校卒業後、二人して逃げるようにして、上京して来たのだ。

ここで庭の薔薇の花の声が、耳元で微かに聞こえた。
「いいかい、これが最後のチャンスだょ。タクシーを捕まえて、駅まで先回りするんだ。相方さん、まだ家だから、間に合うょ。すぐにそこを出て!」
俺は慌てて会計を済ませると、大通りでタクシーを拾い、大急ぎで駅まで向かった。

高一の夏。
クラスメイトに、俺は告白をした。
今の相方さんである。
「変態だと思うなら、それでも構わない。もし良かったら、俺と付き合って!」
相方さんに似合うと思って、白い薔薇の花束を渡した。
そうしたら相方さん、とても嬉しそうに笑って、黙って頷いてくれた。

それからは楽しかった。
ただ、俺らが住んでいたのは地方都市とはいえ結構な田舎であったから、怪しまれないように、それだけは気を遣った。
場所がないのでSEXもキスも出来ず、本当にプラトニックな交際を続けていたのだが、それでも毎日は楽しかった。

同級生は、上手くごまかせた。
元々共通の友人も居たので、三人でつるんでいる分には、誰の疑いの目もかからなかったのだ。
最後の最後で騙し切れずに俺らの関係が発覚してしまったのは、両家の両親だ。
卒業式終了後。
感極まって、周りに両親が居ない事を確認してから、俺らはこっそりとファースト・キスを済ませた。
それを、俺の父が物陰で盗み見ていたのだ。
そこへ、両家の両親が集まる。
無言の圧が凄かったが、彼らは至って冷静だった。
四人で何やら、ひそひそと話をしている。
やがて四人を代表して、俺の父が口を開いた。
「せっかく受かった大学、行きたいだろう?今この場で別れるのならば、通わせてやる。良い見合い話もあるだろう。別れないというのならば、即刻出て行ってもらう。それでも、結婚する気が起きた時は戻って来ていいぞ。よく考えるんだな。」
そこで二人手と手を取り合って、それぞれの実家に急ぎ、最低限の荷物だけを持ち出すと、上り列車へと滑り込むのだった。

「どうする、これから?」
俺が不安の眼差しを相方さんに向けると、目の前の丸顔はあっけらかんとしてこう言った。
「大丈夫だょ。二人だもん。何とかなる。」
その根拠のない自信が何処から出て来るのかは不思議だったが、何となく伝わってくるものは、確かにあった。

それからは、二人して物流関係のアルバイトをして生計を立てながら、地方公務員の試験の勉強をしていた。
安アパートにて、二人暮らし。
男同士なので、物件探しが大変だった。
これはもう、本当に。
まだ東京だったから救われたのだ。
仕事と勉強の両立は、それはそれは苦労の連続だったが、嬉しい事に二人共、試験は受かったのだ。
まぁこれでも二人揃って地元では、成績優秀で通っていた訳である。
そうでもなければわざわざ親が、あんな田舎から金のかかる大学へと進学させようとする道理はない。
少なくとも俺らの実家の方では、皆そう考えていた。

公務員になってみて、予想よりも激務だという事には面食らった。
だが時間が経つにつれて、家のローンを組めるようになったり、クレジットカードを作れるようになったりと、それまで考えられなかったような暮らしが出来るようになっていった。
ボーナスも多い。
なるほど、これは辞められない。
二十代も終わりに差し掛かった頃に、貯金の大部分を頭金に回して買った家は、都内近郊の一戸建て。
格安のリフォーム済み中古物件で、小さいながらも、庭が付いていた。
俺らはその庭を、白い薔薇で埋め尽くそうと話していた。
思えばあの頃が、それまでの人生の中で、一番楽しかった頃だったのかもしれない。

タクシーが、駅に到着する。
近くに花屋があるのを思い出した俺は、白い薔薇の花束を買って、相方さんの到着を待っていた。
今日は祝日。
店、開いていて良かった。

ドスン!

振り向くと、相方さんがこちらを見たまま手荷物を落として、呆然と立ち尽くしていた。
一歩、一歩、距離を詰める。
「今度デパートで結婚指輪を作ろう。もちろん、お金は俺が出す。頼む、戻って来てくれ!」
目の前の顔がくしゃくしゃになって、涙と鼻水でべちょべちょになる。
「可愛い顔が台無しだょ、ほら。」
俺がハンカチを差し出すと、顔中一通り拭いてから、色気も何もなくチーンと鼻をかんで、自分のパンツのポケットにそれを突っ込んだ。
『や、高かったのだが、そのハンカチ。』
とまぁ、思わない事もなかったが、ここは自業自得。
諦めねばならない。

「行こう。」
相方さんの掌が出て来た。
もう二度とないチャンス、繋いだ手は、離さない。
「もうしないでね。」
上目遣いで弱々しくこちらを見るので、俺は「もちろん!」と胸を張った。

帰る途中で、お昼の材料を買う事にした。
「今日から二人で禁酒!酒癖悪いんだから。今回のもどうせそのせいでしょ。破ったらお尻百叩き!絶対やるかんね!」
怖!
俺は別に酒に依存している訳ではないので、断酒は容易い。
ただ、弱いのだ。
すぐに意識を失くす。
俺はもう二度と酒は飲むまいと心に誓いつつ、それとなしに相方さんの横顔を眺めてみるのだった。
「う、何?なんか付いてる?」
「ううん。あんまり可愛いから、つい。」
「恥ずかしいょ、止めて。」
二人して笑った。
これでもう、大丈夫だ。

買い物しながら。
「実家には連絡入れたの?」
「ううん、まだだった。ギリギリセーフ。」
「良かった!麻婆麺作ってよ!炒飯と餃子もね。」
「良いけど、昨日早く帰ってくれば食べられたんだょ。ちょっとは反省してよね。」
「ごめん!」

スーパーで一緒に買い物。
休みの日はいつもだ。
平日は早く帰れそうな方が買い物をする。
二人共料理は作れるので、料理も早く帰った方の担当だ。
今日は休みなので、料理は一緒に作る。
幸せな時間。
豆腐や麺を選んでいるだけでも、楽しい。
二人して、笑顔が絶えない。
手放したくない、この時間を。
決して。

次の週末。
新宿のデパートの宝飾品売り場に来ていた。
二人してすっかり、お上りさん。
勇気を出して、店員さんに声を掛ける俺。
二人の結婚指輪を作りたいというと、怪訝そうな顔一つせず、商品を紹介してくれた。
良く出来た店員さんだ。
それにしても。
「や、高いな。」
思わず漏れた言葉。
横では、そんな俺を相方さんが睨んでいる。
買うとも、買いますとも!
もうこうなればヤケクソである。
どうせもう少し待てば夏のボーナスもある。
何とかなるっ!

サイズの調整があるので、その場では受け取れなかった。
また来るのかょ、ここに。
正直言って、デパートは苦手なのだが。
まぁ、元々が身から出た錆なのであるから、仕方ない。

カフェで休憩。
ぼんやりしていると、昔の事を思い出す。
中学生の頃。
クラスメイトの男の子から、告白をされた。
正直、好みではなかった。
だから、断った。
男の子、泣きながら駆け出して行った。
胸がちくりと痛んだ。
それで、終わる話だった。
が。
その場面を盗み見していた者が居た。
学年きってのいじめっ子と、その子分だ。
二人は、男の子がゲイだと吹聴して回った。
俺は断ったから助かったようなものだ。
可哀想に、男の子は遺書も残さずに自殺してしまった。
学校側はいじめがあった事を全面否定。
うやむやになって、終わってしまった。
ある日、男の子の両親と学校の廊下ですれ違ったのだが。
その時の両親の、鬼のような形相が今でも忘れられないーー。

「おーい!どうしたのー?心ここに在らずな感じ。まさか男の品定めとか!許せなーい!」
「違うからー!中学生の頃のクラスメイトの話。自殺した。」
「あぁ、その話か。悩むのはわかるけど、君は悪くないょ。大丈夫だから、ね。」
「ありがとう……。」
俺は思わず、泣き出してしまった。
涙と鼻水で、顔中べちょべちょだ。
「はい、これ使って良いょ。こないだのお礼!」
下ろしたてのハンカチを渡してくれた。
嬉しくて、更に涙が溢れて来る。
その後俺らは再び、デパートに戻った。
ハンカチを買うのである。
二人共に潔癖症のきらいがあるから、涙と鼻水でべちょべちょになったハンカチを、洗濯機で洗う気がしないのである。
地下食料品売り場で今夜のおかずも買って、帰宅。
一緒に夕食を用意して、笑って、喋って。
楽しい。
やっぱり俺には、君がいい。
心からそう思うのだった。

食事の後は、借りて来たブルーレイの鑑賞。
スプラッター映画だ。
二人共好きなのだ。
怖面白いのが、素敵だ。

夜。
事も済ませて、ベッドの縁に並んで。
相方さんの顔が優れない。
「どったの?」
「んぃやね、昼間泣いてたでしょ?似たような話が僕にもあってさ。記憶に蓋をしたくて、今まで話さなかったんだけど……。」

相方さんは切れ切れに、話を始めた。

「僕ね、中一の頃に、痩せ型の体の大きなクラスメイトから、告白されたんだけど。タイプではなかったので断ったら、たちまちいじめられるようになってしまって。結局転校したんだ。」

ゲイの告白、なかなか難しい。
俺も相方さんへの告白は、決死の覚悟でやったもんな。

俺は相方さんに、こんな言葉を贈った。

「東京は自由だ。俺らには住みいい。自由は時に残酷だけれど、それなしではたぶん、ゲイは生きられない。だから俺は自由が好きだょ。たとえ荒波に揉まれて沈む事があっても、二人でなら平気だ。自由であった事を、それで恨んだりはしない。そうだろう?」

相方さんは大きく頷くと、俺に抱きついて来た。
「今度は香水の臭いしないね。うん、僕はこれがいい。」
そのまま抱き合って眠りに就く。

翌朝。
今日からまた、仕事だ。
「頑張ろうね、お互い。」
「うん。」
所属する部署が違うので、仕事中に顔を合わせる事はない。
まぁ、その方が仕事に集中出来るから、良いのだ。
頑張って働かねば。
まだ家のローンがたんまりと残っている。
相方さんの笑顔の為にも、今日も頑張る!

ふと窓の外を見ると、木の枝にムクドリが二羽、留まっていた。
俺らもあんな風に見られたいものである。
可愛い。
そんな事を思って少し手が止まると、上司がやって来て咳払いをする。
いけね!

同じ庁舎に勤務しているので、上手くいけば一緒に帰れる事もある。
今日は二人揃って定時退勤。
こんな日は、二人でスーパーに行くのが楽しみなのだ。
今ここに在る幸せを、決して手放さないようにーー。
もう過ちは犯さない、そう固く心に誓った。
家の薔薇や海の生き物たち、みんなありがとう。

もうすぐ、相方さんと出逢った記念日だ。
忘れてはいない。
プレゼントはちゃんと考えてある。
俺らの日々は、まだまだ終わらない。

お・し・ま・い

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Lumina Sacra : 光の波に抱かれて

海岸に独り、佇む。
水平線が丸く見える。
向かい風が、少し冷たい。
季節は、秋。
一番嫌いな季節なのに、ここに来ると何故かほっとする。

そっと、歩き出す。
波の音が心地いい。
誰も居ない海岸では、聞こえるのはひたすら波の音だけだ。
うっすらと空が白み始める。
朝焼けに照らされて水面がきらきらと光っていた。

ここは俺の、とっておきの場所。
人はここを、光の海岸と呼ぶーー。

Lumina Sacra : 光の波に抱かれて

終わっていた。
俺は、とっくに。
後悔は、していない。
あの子の事が好きだったから、犯されても構わなかった。
ただ、生きる事が大変だった。
ただ、しんどかった。

四年前の秋。
俺はあの子に出会った。
二つ年下の、丸っこい男の子。
はにかんだ笑顔が可愛い、人の良さそうな小悪魔だった。
俺は、夢中になった。
出会ってたちまち、恋に堕ちた。

ある日の午後。
大学のキャンパスで。
あの子から声を掛けてきた。
チャンスだ。

「今日これから、時間ある?良かったら一緒に食事でもどう?」
鼓動がやけにうるさい。
どうも、少し調子がおかしい。
こんな時だというのに、俺の三半規管は悲鳴を上げていた。
でも、俺は踏ん張った。
「良いよ!何処か希望ある?奢るよ。」
どうにかそう言い終えて、俺は少しほっとした。
「ほんとに!?やったね!僕、イタリアンが良い!」
男の子、嬉しそうだ。
良かった、本当に。

レストランで。
中途半端な時間だったからか、店内は客もまばらだ。
サーブされたフレーバーウォーターを口に含みながら、俺は少し考えていた。
何から質問しようか。
正直、迷っていた。
ここでも、口火を切ったのは男の子の方だった。
「僕の名前は、弘也。よろしく!」
柔らかそうな掌が差し出されて、慌てて握る俺。
失敗した。
そうだ。
まだ、名前も聞いていなかったのだ。
「こちらこそよろしく!俺の名前は章彦。」
それだけ言うと、俺はグラスの中のフレーバーウォーターの残りを飲み干した。

パスタとピザがやって来た。
それにしても弘也、美味そうに食べる。
俺も負けてはいられない。
こんな飲み物、どうって事ない。

弘也、青葉台で独り暮らしをしているらしい。
家賃は四十万円だとか。
もしかして、親がセレブなのかな?
築三十年のアパート暮らしの俺とは、えらい違いだ。
そういえば服も垢抜けていて、お洒落だし。
そんな事を思いながら、話を聞いていた。
そもそもこれ、俺が奢る話なのか?
年上だから仕方ないのだけれども。

弘也はバイだという。
聞かれたので俺は、ゲイだと即答した。
嫌な予感がした。
特に根拠らしい根拠は、なかったのだけれども。
ただ昔、付き合っていた子がやはりバイで、俺と女の子と二股をかけていた事が分かって、手を焼いた事があるのだ。
その二の舞は困る訳だ。
だから俺には、ここで引き返すという選択肢も用意されていた。
そうだ。
そうしていれば良かったのだ。
だが猪だったこの時の俺は、目の前の弘也の見た目の可愛らしさに気を取られて、肝心な事を見失っていた。
今思えば、愚かだった。
いや、そうだろうか、そうだったろうか、果たして本当にーー。

ベッドの上で。
俺に組み敷かれた弘也は、寝乱れていた。
食事の後、早速自宅に誘われた俺は、成り行きで弘也を抱いていたのだ。
コンシェルジュ付きの窓も開かないガラスカーテンウォールのタワーの一室、1LDK。
何もかもが俺の住む世界とは違っていて、俺はこの時、舞い上がっていた。
まるで自分までもがセレブになったような気でいた。

俺の両親は、厳格だった。
保守的な考えの二人だったから、一人息子がゲイだなどとは、考えもつかなかったに違いない。
それを分かっていたから俺は、その事は敢えて隠し通そうとしていた。
たとえそれが、無理押しだと分かり切っていてもーー。

二回戦目。
弘也は、今度は自分がリードするという。
されるがままに、堕ちて行く。
今度は俺が、寝乱れていた。
カメラの前で。
そう。
この時俺は、隠し撮りをされていた。
そんな事とはつゆ知らず、俺はこの時、快楽の坩堝に居た。

事を終えた弘也は、さっきまでとは一転して、冷たい態度を取るようになっていた。
まぁこんなものかと思い、その日はそれで解散となった。
連絡先の交換をして、それでお終い。
呆気ないものだ、そう思っていた。

翌日、大学のキャンパスで。
弘也は、見せたいものがあるという。
手を引かれるようにして再び、弘也の自宅マンションへ。
内廊下を歩いている間、俺はジャングルの中の昆虫のような気分だった。
部屋に入ると、おもむろにビデオを見せられる。
驚いた。
腰が抜けそうになった。
そこに映っていたのは、紛れもなく俺。
何という事だ。

弘也に出会うまで、俺は大学には友人は一人しか居なかった。
名は、克太郎と言った。
俺は克太郎には、親が厳格だといった事を含めて、個人情報を洗いざらい話していた。
信用していたのだ。
俺は間抜けだった。
漏れるとしたら、そこからしかないのだ。

俺は言った。
「克太郎とも寝たのか?」
弘也は、ただ下卑た笑いを浮かべるだけだった。
そして、暫しの沈黙の後、畳み掛ける。
「これが意味する事、章ちゃんなら、分かるよねぇ?」
抵抗する事は、最早許されない。
そう思うしかなかった。

敢えて俺は聞く。
動機が知りたかった。
どう考えても、金に困っているようには思えなかった。
答えは、簡単だった。
「親の仕送りだけじゃ、服代とか酒代とか、足りないんだよね。このニット、十二万すんのよ。まさか着た切り雀って訳にも、いかないだろう?」
しかし、服代はまだしも、酒代とは!
弘也はまだ未成年なのにだ。
まぁ本人にしてみれば、あまり関係のない事だったのかも知れないが。
で、俺はプライバシーと引き換えに金を払う事になるのだ。
だが、俺にはそもそも、余分な金は一切なかった。
そんな考えは見え透いていたらしく、弘也は短くこう言った。
「金がないなら作ってもらう。今日から、俺の客と寝ろ。」
要は、売春しろという事だ。

回らない頭で考える。
そもそも俺の裸には商品価値はあるのか?
甚だ疑問だった。
だがその日の夜の情事の相手を一目見て、俺は事情を理解した。
相手は、老人だったのだ。
それも総入れ歯で、レビトラを使って無理矢理に勃たせているような。
正直、吐き気がした。
気持ち悪かった。
でも、引き下がる訳にはいかない。
そんな事では、これから先待ち受ける運命に耐えられる筈がなかったのだから。

それからの日々は、地獄だった。
俺は毎日のように、金持ちの老人の相手をさせられた。
それだけではない。
フェイスマスクを被った弘也と、寝る事もあった。
内心は、複雑だった。
弘也と寝られるのは嬉しいが、その映像はAVとして世に出回るのだ。
そんなものをうちの親が観たら、卒倒するに決まっている。
何しろ、仕送りで生活する身だ。
ここは隠し通すしかない、そう思った。

この頃から、空いた時間に独りで、海に行くようになった。
密かに光の海岸と呼ばれる、知る人ぞ知る名所があるのだ。
そこに行って無になる事で、魂が浄められる気がした。
それで俺は、救われていたのだ。
誰にも教えたくない、秘密の居場所。
そこは程なくして、俺の宝物になったーー。

実は誰かから性的陵辱を受けるのは、これが初めてではなかった。
容姿に自信はなかったが、俺は童顔だったので、少しは需要があったようなのだ。
その相手は、中学校時代の担任だった。
「俺と寝ろ。嫌なら断ってもいいが、内申書はどうなるかなぁ。後は、分かるだろ?」
今にして思えばたったそれだけの事で、俺は担任に逆らえなくなっていた。
その担任は絶倫だったらしく、週末も含めてほぼ毎日相手をさせられていた。
逃げる事など許されなかった。
ただ、生きる為に体を奉仕した。
そうするしかなかった。
少なくとも、あの頃は。

良い事もなかった訳ではない。
同級生による虐めから、担任が俺を守ってくれたのだ。
これは俺が担任の性処理相手となっていたからこその事だった。

もちろん、弘也も鬼ではない。
俺はSMが大の苦手だったので、無断でそうした行為を強要してくる相手の事は、弘也が排除してくれた。
コンドームの着用も、念を押してくれていた。

それでもーー。
心は、いつでも痛かった。

俺は確かに、自尊心の欠片もない人間だ。
それでも、誰かに守られたい時はある。
そんな時、弱虫だった俺は、自分で自分の体を抱き締めて泣く事でしか、自分自身を慰めてやる事は出来なかった。

それから四年後。
ある晴れた秋の日の、夜明け前。
俺は光の海岸を前にして、佇んでいた。
昨日、弘也に一言、こう言われた。
「死ぬなよ。」
どういう意味でだったかは分からない。
だがそれでも、たったそれだけの言葉で、俺は救われたような気がしていた。

ふと、水に手を入れてみる。
ひんやりとした感触が、心地いい。
この中に入って、あの世に行ってみるのも、悪くはないと思えた。
でも、そこで先程思い返したあの弘也の一言が、効いた。
あれがなければこの日、俺は死んでいたかもしれない。
弘也は、俺を見ていないようでいて、実はしっかりと見ていたのだーー。

昔話。
高校時代。
同級生の男の子から、告白をされた。
その子は、真っ赤な薔薇の花束を持って俺の前に現れた。
「章彦くん、僕と付き合って!」
彼なりの、精一杯。
俺は、その告白を受け入れたーー。

しばらくの間は、幸せだった。
だが交際を始めて一年が経った頃に、事態は急変する。
互いの両親に、関係が知られたのだ。
程なくして、俺たちは逢瀬を禁じられた。
俺は、両親から何度となくビンタをされた。
「信じられない!穢らわしい!うちに居たかったら、二度としないで!」
「親不孝者め!お前と言う奴は!この野郎が!」
同級生の男の子は、引っ越して居なくなってしまった。
俺は心の支えを、失った。

話を戻して。
光の海岸から帰って来ると、弘也から告白をされた。
「章彦、今までごめんね。良かったら、僕と付き合って!」
弘也はどぎまぎとしていて、珍しく取り乱していた。
それもまた可愛くて、俺は嬉しかった。
何より良かったのは、老人相手の売春から解放された事だ。
弘也、足を洗うらしい。
俺は住所はそのままで弘也の家に転がり込んで、両親には内緒でハッピーゲイライフを満喫する事となった。
意外な事に、付き合ってみると弘也は一途だった。
てっきり根っからの遊び人かと思っていた。
人は見かけによらないのである。

弘也の家の台所には、高い酒のボトルが幾つもあった。
弘也は酒を餌にして仲間を呼び寄せ、度々パーティを開いていたのだ。
その、置いてある酒というのがまた振るっている。
ドンペリゴールド、リシャール、ルイ13世、ロマネ・コンティーー。
俺は服はともかく、酒は止めるように勧めた。
強制はしなかったが。
またぞろ誰かを餌食にするというのでは、あんまりだというのもあった。
健康の事も、もちろんある。

弘也が酒断ちをしてから三日目の夜。
仲間とも断交。
それがあまりにも辛そうだったので俺は、彼を光の海岸へと連れて行く事にした。

独り自宅に戻って、車を取りに行く。
中古車だが、俺は一応、車を持っていた。
助手席に弘也を乗せて出発。
それにしても、弘也のマンションと俺の車、合成写真のようでどう見ても釣り合わない。
まぁそこはご愛嬌である。

子供の頃。
虫が大好きだった。
今とは大違いである。
中でも、カブトムシが一番、好きだった。
中には食べる人も居るようだが、当時の俺にとってそれは、考えられない事だった。

父とはよく一緒に、森へと出掛けた。
数少ない親子の共同作業、或いは共通の趣味。
カブトムシを何匹も捕まえては、虫籠に入れていた。
父はとても嬉しそうだった。
俺もとても嬉しかった。

母は虫が大の苦手だったので、虫籠には近寄ろうともしなかった。
ある時、父は言った。
俺の普段の振る舞いを見て、不審に思ったのかも知れない。

「ホモにはなるなよ。虫けら以下になるぞ。」

ただそれだけの一言が、ずしんと心に響いた。
それからも父とは、度々森へと出掛けたーー。

俺は弘也との秘密は、墓場まで持って行く事に決めていた。
今度こそ何が何でも隠し通す、そう決意していた。

朝焼けの中。
光の海岸に着いた。
弘也は目を丸くした。
水面は煌びやかに光り輝き、宝石のようだった。
静かな海岸で二人、波音に耳をそばだてるーー。

「綺麗だね。」
「うん。」

それ以上の言葉は、要らなかった。
二人にとってこの時間はかけがえのないものだったのだと、後で知る事となる。
この時を境に、弘也は変わったのだ。
これも聖なる光の力のお陰かも知れない、そう思った。

分不相応な酒瓶は、弘也の家の台所から、姿を消した。
弘也は、洋服も前程には買わなくなっていた。
以前は、クレイジーショッパーだった。
そう言って、弘也は笑ったーー。

ある日、弘也はデパートに俺を誘った。
俺は正直、乗り気ではなかった。
だが、てっきり洋服でも買うのかと思っていたら、違ったのである。
弘也は俺と、宝飾品を見ようとしていた。
結婚指輪を作ろうというのである。
いい考えだとは思った。
指輪を見れば、周りも安心するかも知れない。
ただ、俺には金がなかったーー。

「お金ならいいよ。散々体で稼いでもらったからね。これはそのご褒美!」

二人の結婚指輪。
まるで新婚の夫婦ではないか。
内心では、戸惑いもなくはなかったが、そこはやはり嬉しさが勝った。

幼稚園の頃。
無邪気に結婚に憧れていた。
だが俺は女の子と仲が良くて、当たり前のように結婚は男の子とするものだと、そう思っていた。
女の子と仲が良い事は、男だから自然だと、両親も咎めなかった。
ただ、ままごと遊びだけは、固く禁じられたーー。

男らしく、女らしく。
両親が求めていたような価値観に、気付けば俺は違和感を感じるようになっていた。
俺は自分が男らしいかどうかは、正直言って自信がない。
それでも、こんな俺でも弘也は、必要としてくれた。

「生まれて来てくれてありがとう、弘也。」
ふっと、素で出て来た言葉。
それが弘也の涙腺を刺激したようだった。
「章彦もだょ!ありがとね。」
それからしばらくの間、二人、何も言わずにただ抱き合っていた。

SEXの方は、予想通り弘也は、絶倫だった。
だがその点では俺も負けてはいない。
まだ若いのだ。
この点、相性が良かった訳である。
良かった。

その後。
ある日の夕方、再び俺たちは光の海岸へと足を運んだ。
二人共、自分たちの関係は死ぬまで親には内緒にするつもりだ。
それでもいい。
とにかく、一緒に居たい。
それだけだった。

これから先、何があるだろうか。
果たして、耐えられるだろうか。
疑問は残る。
それでも、前に進むしかないーー。

そんな思いを内に秘めたなら、きっと強い筈、そう思った。
俺たちには、武器がある。
どんな時でも、あの聖なる光のシャワーを浴びれば、きっとまた立ち直れる筈だ。
そう信じているから、頑張れる。
まだまだやんちゃな弘也だが、徐々に俺色に染まって来ていた。
これから先、どうなるかーー。
俺にとっては、それも楽しみだった。
未来の俺らに、まずは乾杯だ。

お・し・ま・い

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Hero [キミに捧ぐ詩]

独りぼっちだった。
ずっと、ずっと。
もう思い出せない程昔から、ボクの傍には誰も居なかった。
そんな日々を、苦闘を、キミだけは見ていた。
いつの頃からか、そっと寄り添うように。
だからボクは、キミのためにならどうにでもなれる、そう思った。
初めての気持ちだった。
胸がポカポカ、温かかった。
そんなキミも、ずっと独りぼっちだった。
ボクたちは惹かれ合うだけではなくて、同じ、仲間でもあったんだ。
この話は、そんなボクたちの特別で普通な日常を綴った、日記のような物語であるーー。

Hero [キミに捧ぐ詩]

ボクは幼い頃から何度も自殺未遂を繰り返して来た。
リストカット、首吊り、色々やった。
両親や親類縁者からは、既に見放されていた。
通っている中学を卒業すると同時に、自活する事になっていた。
全てを、諦め切っていた。
ただ、寂しかった。
それだけだった。

胸が痛い。
いや、こころが痛い。
軋むように。
そんな中。
学校で。
ボクを見つめる、キミを見つけた。
独りぼっちで佇んでいた。
ボクと、同じだった。
憂いに満ちた瞳が、それを物語っていた。
もしかしたらボクもあの子にはそう見えているかも知れないーー。
そう思った。
だから、嬉しかった。
やっと、仲間を見つけた。
そんな気がした。

この時、ボクは中学三年生だった。
両親は居ない。
ボクが幼稚園の頃に、山のような借金を残して失踪した。
事業が失敗したのだ。
それ以来、親戚をたらい回しにされる日々。
誰からも疎まれていた。
仕方なかった。
所詮は親子ではない。
他人なのだ。

小学校の頃。
ある年の夏。
ボクは親代わりの親戚に、線香花火をねだった。
店先で。
「ねぇ、これ欲しい。」
バチン!
頬を叩かれた。
これが初めてではない。
だがこの時に、ボクはようやく学習した。
誰にも何もねだらない、決して甘えない。
そう、固く心に誓った。
隣には、別の親子の姿があった。
「ねぇパパ、花火やりたい。」
「よしよし、どれが良い?」
「これー!」
「よーし、帰ったら一緒にやろうな。」
息子の頭を撫でる父。
正直、羨ましかった。
でも、羨んでも意味はない。
ボクはこの時から、ある意味では諦めが良くなった。
自殺未遂を始めたのも、この頃からだった。
この世界に未練はない、これ以上迷惑を掛けたくないーー本気で、そう思っていた。
これは、単なる我儘だったのかも知れない。
それでも、衝動的に死のうとするのを止める事は、出来なかった。
だが。
死ねなかった。
意外と、難しいのだ。
ただ、一日一日が気怠く、鬱々としていた。

こんな事もあった。
ある日。
熱を出した。
珍しく。
39℃あった。
だが、親代わりの親戚は、何もしてはくれなかった。
学校へも連絡してくれない。
「軟弱ね!熱なんて気持ちの問題よ!早く学校へ行きなさい!邪魔なのよ!いっそこのまま死んでしまえばいいんだわ!そうよ、自殺するくらいなら、そうなさい。それがいいわ。」
罵倒された。
結局、行った先の学校で倒れてしまい、家まで帰る事に。
布団に寝ていたが、ぐちぐちと文句を言われたものだ。
今思えば、それすらも懐かしい。

それからも親代わりの親戚の顔ぶれは度々変わったが、互いの関係性に違いはなかった。
余計な物をねだれば叩かれる。
余計な事を言えば蹴られる。ど突かれる。
だからひたすら目立たないように、大人しくしていた。
それ以外には、自分の感情を押し殺す事以外には、生きてゆく方法はなかった。
ただ、死にたかった。
その思いだけが、日増しに募っていった。

学校でも、いつも独り。
特に虐められていた訳ではない。
ただ何となく、無視されていた。
勇気を出して声を掛けても、誰からも返事はない。
独りぼっちの長い一日。
正直、持て余していた。
何の記録にも、記憶にも残らない、透明なだけの日々。
キミに会うまでは、ボクは空っぽの、本当にただの、がらんどうだった。

出会った日。
というよりも、ボクがキミを初めて意識した日。
ふと視線を送ると、キミは笑う。
憂いに満ちていた冷たい瞳に、温もりが灯る。
それは、精一杯の勇気の証。
だからボクも、笑った。
勇気には、勇気で応えたかった。
やがてボクは近付いて、教室を出るように促した。
「行こう。」
もう間もなく授業開始。
でも、ボクは進学しない。
だから、関係なかった。
すれ違った先生も見て見ぬ振り。
厄介事には関わらないのだ。
二人して、廊下を歩く。
気が遠くなった。
鼓動がうるさい。
自分でも意外な程に、この時の自分は大胆だった。
すると。
キミの手が、温かな手が、スッと伸びてきた。
慌ててそっと、握り締める。
誰も居ない廊下で。
無言のやり取り。
ボクはこの時確かに、幸せだった。

そのまま空き教室に入り、二人で話をした。
「ねぇ、キミ、名前は?」
ボクが訊ねる。
「悠真。キミの名は、何て言うの?」
「陽太。よろしくね。」
久々の、本当に久々の笑顔が零れた。
自分もまだ笑えるんだーーそんな当たり前の事が、意外にも思われた。
その時。
キミもまた、笑った。
「多分、陽太もボクと同じ、仲間だよ!仲良くしようね。」
そう言って、キミはボクのヒーローになった。
いつまでも変わらない、絆がここに生まれた。

それから、いろんな話をした。
悠真にも、両親は居なかった。
幼い頃に自動車事故で亡くしていたのだ。
親戚の元へと身を寄せる事の辛さ、切なさを、悠真は分かってくれていた。
悠真は言う。
「授業を抜け出してきちゃったけど、陽太は進学するの?ボクは就職するよ。だから大丈夫。これ以上親戚に迷惑も掛けられないしね。」
そんな事まで、同じだった。
「ボクも就職するよ!おんなじだね!」
嬉しくて、声が自然と上ずった。
その時。
不意打ちだった。
「陽太は、ボクの事好き?友達としてでも、それ以上でも。」
固まってしまった。
衝撃で思わず。
目の前の顔がみるみる残念そうに変わる。
でも、だからこそ、再び勇気が出た。
「好きだよ。大好きだよ。」
顔が火照っているのが分かる。
次の瞬間。
悠真はボクの事を力一杯抱き締めて、嗚咽を漏らし始めていた。
ボクはただ、あまりの展開の早さに戸惑って、悠真の胸の中で、もらい泣きをするしかなかった。
やがて悠真は、笑った。
「もしかしたら、ってずっと思ってたんだ。キミならきっと、酷い事は言わない気がしたから。だから勇気が出たんだ。」
だからボクも笑った。
「ボク、キミみたいな子が好きなんだ。付き合うってだけじゃなくて、仲間に、同士に、お互いの味方になれる気がしたから。嬉しかったんだ。ずっと想っていてくれて、本当にありがとう。」

その日から、ボクたちの交際はスタートした。
と言ってもまだ中学生。
ましてやどちらの親も、悠真やボクの来訪は歓迎しない。
という訳で、交際はほぼプラトニックだった。
まぁ、キスは済ませたけどね。

それから、学校をちょくちょくサボるようになった。
もちろん、二人でだ。
今のボクたちの親代わりの親戚は、そういった事には一切、無関心だった。
ただ、中学校を卒業したらすぐに働く。
これは絶対に破れない約束だった。
それさえ守れば、中学校卒業と同時に居なくなるのであれば、うるさくは言わない人たちだった。
まぁ、迷惑さえ掛けなければボクたちに無関心なのは、間違いがなかった。
それはある意味では、とても有り難い事でもあった。
さて二人共、小遣いはほとんど貰っていないから、お金のかかる遊びは出来ない。
という訳なので、図書館や公園通いは日課となった。
近所に大きな公園があって、そこは時間潰しには最適だった。
本屋での立ち読みもよくやった。

ある日、公園で。
悠真が悲しい顔をしている。
放ってはおけない。
理由を訊ねてみる。
「僅かなお金を毎月少しずつやっと貯めて買った一冊の漫画本、親代わりの親戚に破り捨てられたんだ。この穀潰しめ、資格の本でも買うと思ったら!って言って四発ビンタされちゃった。ボクが悪いんだ。けど、悲しいぃ。」
悠真の目には、涙が浮かんでいる。
もう、見ていられない。
ボクは思わず、叫んだ。
「キミは悪くないよ!僅かでも、お小遣いには違いないんだ。漫画を買ってはいけない、そんな道理はない筈だよ!」
悠真はボクの体にしなだれかかって泣いていたね。
本当はボク、そんな時間も幸せだったんだ。
悠真にはそんな事、口が裂けても言えないけどね。

この頃、学校ではちょっと困った事が起きていた。
ボクたちの交際が、クラスメイトにバレたのだ。
時々は学校に行くようにしていたのだが、クラスにいる間中、嘲笑と嫌がらせの嵐。
机の足下に画鋲がばら撒いてあったり、宿題でやって来たプリントを盗まれたり。
ボクは正直に、プリントがなくなった、そう言った。
だけど先生は、全く取り合わなかった。
それどころか、ボクが嘘をついていると一方的に決め付けて、ボクをみんなの前で晒し者にした。
「忘れたら忘れたと、そう言いなさい!あなたは底意地の悪い大嘘つき。どうして嘘なんかつくの!やる気がないなら、出て行きなさい!進学しないからって、適当に授業を受けるなんて、私は許さない。この愚か者が!親が居ないから、こんな馬鹿が育つんだわ!後であなたの親戚を呼んで、叱咤してもらうようにします。覚悟おし!」
涙が、止まらなかった。
クラスメイトは皆、クスクスと笑っていた。
「みんな、こんな馬鹿と同じになりたくなければ、笑うのはよしなさい。ところであなた、まだ居るの?どうせやる気なんてないんだから、出てって頂戴。邪魔!」
ここで救いだったのは、悠真が駆け寄ってくれた事。
「もう学校なんて行かないで、一緒に遊ぼうよ。その方がずっと楽しいよ!」
悠真の言葉に、また救われた。
やっぱり悠真は、ボクのヒーローだ。

それからは就職活動までの間、前にも増して二人でよく遊んだ。
ちなみに、プリントの件では、ボクたちは二人共親代わりの親戚に、殴る蹴るの暴行を受けた。
「この恥晒しが!貴様なんて、人間の風上にも置けないわ!このアホンダラあぁーー!!!」
この一件で、また一段と強くなった。
元々の諦めの良さもあるにはあったが、いちいち落ち込んでいてはキリがないと、ようやく悟ったのだ。
まぁ、悪い事ばかりではないという事だ。

それから、卒業式まで一日も学校へは行かなかった。
職場は、小さな町工場。
雑用からのスタートだが、嬉しい事もある。
悠真と一緒に働ける事になったのだ。
仕事は、キツかった。
だが、二人だ。
一人ではない。
だから、まだ頑張れる。
やれる。

仕事を始めてから、一緒に住み始めた。
LGBTフレンドリーな物件に詳しい不動産屋さんで、男同士で住める格安の物件を見つけたのだ。
築28年だがこの際だ。
文句は言うまい。
二人暮らしでダブルインカム、しかも家賃は格安。
暮らしに少しばかりの余裕が出来た。
嬉しい誤算だった。

勤務先の人たちは、仕事さえ出来ればゲイであろうとなかろうと、関係はないという人たちばかり。
だからこそ、頑張るしかない。

やがて、勤務開始から半年。
仕事にも慣れて来た。
勤務先の人たちの殆どは、ボクたちの関係を知っている。
それでも、何も言われなくなった。
みんな、当たりが柔らかくなって来たような気がする。
以前のように罵倒される事がなくなった。
「おはようございます、皆さん!」
「おはよう、悠真、陽太。」
工場の中に、やっと小さな居場所が出来た。
もう手離すまい、そう思った。

ある日の夜。
二人の自宅で。
まだお酒は飲めないから、ジュースで乾杯。
お酒ってどんな味がするのだろう?
興味はある。
早く成人して、一人前になりたいものだ。
さて。
今日は悠真の誕生日なのだ。
珍しくホールケーキなど買って、お祝いをする。
プレゼントは、前から欲しがっていたテレビゲーム機。
「わ、これ、良いの!?」
「当たり前だよ!キミのために買ったんだから。」
「嬉しい!やっぱり陽太は、ボクのヒーローだね!」
あ、おんなじだ。
ボクがずっと思っていた事。
やっと共有出来た気がして、嬉しかった。

その夜。
布団の中で。
SEXもそこそこに、二人で語り合った。
驚いたのは、悠真にとってはボクが初恋の相手だったという事だ。
「陽太の事が可愛くて、ずっと見ていたんだ。男同士だし、それ以上の事は出来なくてさ。でも初めて目が合った時、きっと陽太はボクとおんなじだって、直感でそう思ったんだ。だから勇気が出た。出会えて、良かった。」
ボクにとっては悠真は二人目の恋の相手だったが、これには特に触れないでおこう。

翌朝。
今日は仕事がお休みなので、朝から凝った料理を作ってみる事にした。
なに、材料は昨日の内に買い出してあるのだ。
あとは腕次第。
どうなるか?

それにしても、二人並んで仲睦まじく料理だなんて、幸せ過ぎる。
今日は朝から天ぷらと煮物、それに銀ダラの煮付けと豚の角煮、そして山程の豚汁を用意するのだ。
気合いが入っている。
豚の角煮は圧力鍋で作る。
圧力鍋、珍しくボクがおねだりしたのだ。
やっぱり時短でしょ、という訳で。
ご飯は一升炊いてみた。
食べ切れるかな?
まぁ無理なら晩御飯にでも、と思っていたのだが。
やっぱり食べ切ってしまうのだ、二人で。
や、我ながらこの家、エンゲル係数高いな。
大丈夫か?
少し心配になる。
「何ぼーっとしてるの?陽太の分、ボクが食べちゃうよ。」
悠真になら良いのだが。
食べられても、別に。
でもまぁここは、慌てて食べるふりをするのである。

午後からは遅い昼食を食べに外出だ。
二人の洋服も見たいので、都心に出る事にした。
電車に揺られる。
勤務先の工場は家の近所だから、こんな事でもない限り、電車に乗る事はない。
車内の混み具合はそこそこ。
助かった。
ボクたち二人共、満員電車は苦手だったもんね。

やがて電車は新宿駅に到着した。
降りるボクたち。
が、ここで。
ボクはいつの間にかはぐれてしまった。
しばらく探していると、悠真に良く似た姿を発見。
たぶん間違いない。
筈なのだがーー。
その男、地下通路で女と、キスをしていた。
まさかね。
まさか。
でも、不安で。
悔しくなって。
久しぶりに涙が零れる。
と、そこへ。
携帯への着信。
悠真からだ。
「ねぇ、今何処?ボク、マルイ前。早くおいで。」
良かった。
本当に。
こういうのを、取り越し苦労と言うのかも。
心配して損した。

マルイ前に到着。
だが、別にマルイで洋服を買う訳ではない。
高いし、どうせサイズもないのだ。
洋服はサカゼンで買うとして、まずは腹ごしらえだ。
心配したらお腹が空いた。
こういう時は、食べ放題のお店がボクたちの味方だ。
とは言っても、別にホテルまで出向く訳ではない。
そんなにお金はないのだ。
格安のランチビュッフェ。
お値段なりだが、悪くはない。
「さっきボク、悠真に良く似た人が女の人とキスしてるとこを見ちゃってさ。心配したよー。」
「何だよそれー!ボクがそんなに浮気者に見えるのか?残念だ!」
「ごめん、悪かったよ。でも、良かった。」
二人で、笑った。
すっかり二人だけの世界に入り込んでいたボクたち。
気が付くと、ランチビュッフェの制限時間が到来。

その後、ボクたちはサカゼンで服を見立てて、帰途に就く。
電車の中で。
ボクたちは互いに見つめ合って、笑顔だった。
これからも、こんな平和な日常が続いていくといいな。
そう思った。
やっと得た居場所。
手放す訳にはいかない。
ボクたちはもう独りぼっちじゃないんだ、そう思うと、不意に涙が零れた。
それを悠真は、ハンカチで優しく拭き取ってくれた。

ーーキミは、ボクだけのヒーローだ。
ボクもきっと、キミだけのヒーローになるから。
だから、一緒に居よう。
結婚なんて出来なくてもいい。
これがボクたちが見つけ出した、唯一無二の答えなのだからーー。

幸せになるんだ。
そう誓って、一人、拳を握り締めるのだった。

-完-

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Rebirth -君に贈る詩- [Bloomin’ Flowers III]

声が枯れるまで、叫んだ。
ただその場に立ち尽くしていた。
震えが、止まらなかった。
涙が、止めどなく溢れ出てきた。

僕らは何故、こんな別れ方をしなければならなかったのだろう。
少年はそう、何度も己の胸に問いただした。
答えは、出なかった。

「それでも、前に進むしかない。」
少年は、生きる覚悟を決めた。
それこそが、今は亡き最愛の人への弔いになる唯一の事だと、分かっていたから。

やがてしばしの時が流れ、
少年は最愛の人の墓標を後にする。
帰り道の電車の中で、
車窓を眺めながら少年は過去の思い出を脳裏に蘇らせていった。

Rebirth -君に贈る詩- [Bloomin’ Flowers III]

それは、ある冬の夜の事だった。
予知夢という現象があるという。
そうでなければいいのだが。
この夜、少年・章吾は、大の仲良しの友達の悠太の夢を見ていた。
それは、悪夢だった。
夢の中で悠太は、信号無視の車に轢かれて、亡くなっていた。
悠太が、衝動的に飛び出しているようにも見えた。
章吾が予知夢ではないかと思ったのには、理由がある。
この夢を見たのは、これが二度目だからだ。
これには、流石に参った。
何しろ、友達とは言うものの、少なくとも章吾は、悠太の事が大好きだったのだから。

夢の中の墓標は、何処だったのだろう?
帰り道の車窓の景色は、何を映していたのだろう?
はっきりと覚えてはいるが、何処も見覚えのない景色だったーー。

やがて章吾は、二度目の悪夢に呆然としながらも、悠太と出会った頃の事を思い出すーー。

雲ひとつない快晴だった。
ツンとした、抜けるような青空が綺麗な、学校からのいつもの帰り道。
下り坂を駆けて行くと、章吾が以前から気になっていた同級生の子が、ひとりぼっちで歩いていた。
「いつも、寂しそうだな。」
そう思うと胸が締め付けられる思いがした。
話がしたい、せめて一言だけでも……。
想いが爆発しそうだった。
章吾は決死の覚悟で、その子の背中を叩いた。
「ね、君ひとり?一緒に帰らない?」
何気ない一言。
しかしそれとは裏腹に、声は上ずり、震えていた。
掌に僅かに汗をかく。
章吾は永遠とも思えるほんの数秒を、胸が張り裂けそうな想いで待ち続けた。
すると、どうだろう。
その子は満面の笑みを浮かべて、力強く大きく頷いたのだった。
こうして、章吾と悠太の関係はスタートした。

初めは、ぎこちなかった。
緊張の中、言葉を紡いでゆくのが互いに難しかった。
それでも章吾は、こんな自分に笑顔をくれる、それだけで嬉しい、そう思って、すっかり舞い上がっていた。
すると、突然、少しくぐもった小さな声で。
「ぼくんち、来る?」
聞き逃しそうだった。
けれども、章吾にとっては、願ってもない誘い。
断る訳にはいかない。
「いいの!?行く、行く!」
こんな風に嬉しい時、ついついはしゃいでしまうのが章吾の癖なのだが、そんな様子さえも笑顔で見ていてくれる悠太に、章吾はすっかり心を奪われていた。
『この目の前の弾けるような笑顔を、この先もずっと傍で見ていたいーー』
そう思う章吾は、恋に落ちていた。
いわゆる一目惚れ、初恋というやつだ。

悠太は、童顔にムチムチとした体つきの、優しい雰囲気の少年。
章吾は本当に、いっぺんでやられた。
上手く仲良くなれる自信は、正直言ってなかった。
だが、ここは行ってみるしかないのである。

「お邪魔しまーす。」
引き戸が開けられるのにつられて玄関をくぐるが、人の気配がしない。
悠太の家は一戸建て、古い民家だ。
そう、確かに古いのだが、手入れが隅々まで行き届いていて、全体に風情がある。
粋なのだ。
章吾は生まれた時からのマンション住まい。
正直、こんな一戸建ては羨ましい、そんな風に章吾は思っていた。

「家の人はいないの?」
一応、聞いてみる章吾。
「親は共働きだから、夜にならないと帰ってこないんだ。僕一人っ子だし誰も居ないから、遠慮しなくていいよ。」
これは願ってもないチャンスだ。
この機を逃す手はない、章吾はそう思った。
「僕の名前は章吾。好きなスポーツは野球。少年野球のチームでキャッチャーやってるんだ。よろしくね。」
まずは自己紹介から。
章吾は太ってはいたが、スポーツ万能なのだ。
すると……。
「へぇ!野球出来るなんて凄いな。僕なんて柔道とか相撲とか、よく誘われるけど、スポーツはからっきしダメ。章吾君はクラスでもいつも友達と仲良さそうにしてるから、友達の居ない僕からしてみたら、なんか羨ましいっていうか、憧れちゃうな。」
章吾、悠太に感心されてしまった。
今度キャッチボールにでも誘ってみようか、章吾はこの時そんな事を考えていた。
それにしても、まだ名前も聞いていない。
そう思っていたら……。
「僕の名前は悠太。よろしくね。」
手を差し出された。
温かくてスベスベで、柔らかくて気持ちいい。
「手、スベスベだねー。」
「そんな事ないよー。」
たわいもない会話も、悠太となら楽しかった。
章吾はこの時、浮ついていた。

「二階へ行こうょ。僕の部屋があるんだ。色々と見せたい物もあるし。」
「OK。何があるのか、楽しみだなぁ。」
章吾、行ってみて仰天した。
悠太の部屋は二つあるのだ。
一つ目の部屋は八畳間。
入るなり、部屋いっぱいの鉄道模型が目に飛び込んできた。
「ひゃー!こりゃ凄い!カッコいいねー。」
章吾がはしゃぐ。
その様子を見た悠太は、顔を綻ばせてとても嬉しそうにしていた。
「Nゲージ。ちゃんと動くよ。」
悠太がスイッチを入れると、電車が本当に動き出す。
「へぇ、こりゃ凄いや。悠太君家ってお金持ちなんだね。」
章吾なりの素直な感想。
章吾にとっては、こんなに大きな鉄道模型を間近で見るのは初めての体験だ。
本棚には鉄道関連の本がぎっしり。
小さな台の上には、一眼レフに白い大きなレンズ。
とても中学生の持ち物とは思えない。
きっと悠太は両親から大事にされているんだろう、章吾はそう思っていた。
これは実際にその通りで、溺愛とまではいかないにせよ、悠太は両親の愛を一身に受けて育っていた。

「隣が寝室兼勉強部屋なんだ。今からお茶とお菓子を持ってくるから、その辺の本でも読みながら待ってて。」
そう言って悠太が下に降りて行ったので、章吾は暇つぶしに鉄道雑誌でも読んでみる事にする。
「それにしても難しい漢字が多いなぁ。悠太君、頭良さそうだもんな。年中落第点の僕の手には負えないや。」
章吾が少ししょんぼりしていると、トレーを持った悠太が声を掛けた。
「隣の部屋でお茶にしようよ。ここじゃ狭いから。」
実際には、Nゲージに場所を取られて座る場所がないだけで、決して狭くはなかったのだが。
トレーの上を見ると、そこにはどら焼きと水羊羹。
どっちも章吾の大好物。
隣の六畳間。
二人の間にあったのはたわいもない会話ばかりで、特に何が起きたという訳でもないのだが、どら焼きと水羊羹も手伝ってか、章吾はこの日一日中上機嫌だった。
それは、ある冬の日の出来事だったーー。

一年後ーー。
悠太は、ある男からお金を受け取っていた。
「五万でいいね。」
「うん。」
中年の男は、前払いで悠太にお金を渡すと、いつものようにアパートへと連れ込んだ。
アパートは、彼の好みである中学生男子を連れ込む為だけに借りていた物件なので、自宅は別にある。
男には妻と子供が一人ずつ居るが、当然二人はこのアパートの存在を知らない。

悠太は、男の事を正直、気持ち悪いと思っていた。
でも彼は悠太にとっては、いい金づるなのだ。
少なくとも自分が中学生の間は、手放すわけにはいかない。
本当は止めたいという気持ちも、ないではなかった。
それでも、止める訳にはいかなかった。
悠太は上級生に目を付けられて、金をむしられていたのだ。
渡す金がなくなったら、暴行を受けてしまうーー。
だからこそ、悠太はこんな事を止められないでいるのだ。
章吾に相談しようかーー。
何度もそう思った。
けれども、章吾を巻き込む訳にはいかない。
ましてや、両親にはーー。
そんな思いが、誰かに相談するのを躊躇わせた。

行為の間中、悠太は苦痛に顔を歪めていた。
痛い上に気持ち悪い。
吐き気を催す事もしばしばだった。
こんな自分を誰かが救ってくれたらーー。
そう思って、悠太はその馬鹿馬鹿しさに自分で呆れるのだった。

行為を終えると、男は素っ気なかった。
いつもの事だ。
帰り道、上級生が待ち伏せていた。
「おぅ!変態のヤリマン。金は用意出来てんだろ?さっさと渡せよ。」
さっき受け取ったばかりのお金を全額、上級生に渡す悠太。
「よしよし、また来週もよろしくー。」
そう、これで悠太は月に二十万円も稼いでいたのだ。
デブ専にとっては極上の容姿の、男子中学生。
お金になるのだ。
これでどうにか悠太は、暴行を受けないで済んでいたのだ。
上級生にとって悠太は商品だ。
金を渡してくれている間は、暴行をする道理はないのだ。
痣でも出来たら、高く買ってもらえなくなる。
それは、自分の取り分が減る事を意味するからだ。
それはまさに、外道の行いであった。

その一週間後、章吾は。
ベランダのノースポールが何やら騒がしいので、話を聞く事にした。
このノースポールが喋るのは、家族みんなが知っている。
もう慣れたので、誰も驚かない。
「ねぇ、何?」
章吾が尋ねると、ノースポールは慌てた口調でまくし立てる。
「悠太くん、今晩辺り死んじゃうかも!」
「走ってきた車に飛び込んで、轢かれちゃうかも!」
「自殺だってさ!」
「悠太くん、売春しているらしいよ!」
「そのお金、全部上級生に渡してるとか。」
「もう疲れたんだって。助けてあげたら?」
章吾は、愕然とした。
親友だと思っていた。
なのに、何も気付いてやれなかった。
何も出来なかったーー。
今もそうだ。上級生相手に勝てるだろうか。

あの時の悪夢が蘇るーー。

声が枯れるまで、叫んだ。
ただその場に立ち尽くしていた。
震えが、止まらなかった。
涙が、止めどなく溢れ出てきた。

僕らは何故、こんな別れ方をしなければならなかったのだろう。
章吾はそう、何度も己の胸に問いただした。
答えは、出なかった。

「それでも、前に進むしかない。」
章吾は、生きる覚悟を決めた。
それこそが、今は亡き最愛の人への弔いになる唯一の事だと、分かっていたからーー。

ーーもとより章吾には、後追い自殺などするつもりはなかった。
それでも、何としてでも悠太の自殺は防ぎたい。
何か出来る事はないか。
本当に、何もないのかーー。

「そうだ!カメラだ!」
悠太を尾行して、お金を受け渡している所を、カメラで撮影するのだ。
再びノースポールに尋ねる章吾。
「ねぇ、悠太が売春する曜日と時間、それに場所って毎回決まってるの?」
「うん、毎週土曜日の午後三時から、木村クリニックの前のアパートの201号室で。毎回同じだよ!次はちょうどこれから!今から行けば十分、間に合うよ!」
「分かった!ありがとね!父さんに一眼レフと望遠レンズ、借りて来る!」

「ねぇ父さん。近所で景色を撮りたいから、カメラと望遠レンズ、貸してくれないかな?」
「お、お前がカメラに興味があるとは、知らなかったな。やっぱり俺の息子だな。貸すのは良いけど、壊すなよ。」
章吾の父・大吾は笑顔でそういうと、ガラス張りの棚から光学式手ぶれ補正付きの高価な一眼レフと望遠レンズを取り出して、大事そうに手渡してくれた。
ここは感謝感謝、そう思う章吾だった。

午後四時。
現場で。
物陰に隠れて様子を伺う章吾。
上級生がやって来た。
見覚えがある。
『腕力はほどほど、一匹狼だから多人数を相手にするよりはやりやすいだろう。』
そんな最悪の事態を想定しながら、章吾は悠太が出て来るのを待つ。

来た!
玄関先で男が見送っている。
章吾はすかさず写真を撮った。
お次は現金の受け渡し場面。
これもばっちり!

章吾は学校の先生の事は全く信用していなかったので、まずは帰宅して父・大吾に事情を説明。
お金の受け渡しの写真があったから、すぐに事情は理解してもらえた。
写真をプリントアウトすると、まずは大吾と一緒に、買春をしていた男のアパートへと急ぐ。
男は、運良くまだ居た。
大吾、ここで鎌をかける。
「うちの子の同級生の悠太くんが、お宅と売春したと、白状しました。」
男は目を丸くした。
続いて、アパートの玄関先を撮った写真を見せる。
「ここには、悠太くんとお宅が一緒に写っています。言い逃れは出来ませんよ!」
男はしょげ返っていた。
「もうしません。だから、警察にだけは言わないでください。」
ここで大吾が男に尋ねる。
「お金の使い道について、悠太くん、何か言っていませんでしたか?」
「ーーーーあ!そういえば一度だけ、上級生に巻き上げられていると言っていましたね。」
大吾はここで、語気を強める。
「その上級生の家に、今から行きます!付いて来てくれますね?」
「はい……。」

ここで章吾ははたと、重大な事に気付く。
章吾は、その上級生の名前は知っていても、住所までは知らなかったのだ。
その事を正直に打ち明けると、大吾はニンマリと笑った。
「俺に任せとけ。」
大吾の後を付いて行くと、ある一戸建ての前に辿り着いた。
表札の苗字は確かに、上級生のものだ。
何故知っているのだろう?
後で聞いてみよう。
この時の章吾は、そう思っていた。

大吾がインターホンを押す。
程なくして、上級生の母親と思しき人が玄関扉から顔を出した。
「あら、佐伯さん!いつも主人がお世話になっております。どうぞ上がってください。」
章吾と買春の犯人は黙って大吾の後を付いて行く。
この時ほど父・大吾の事が頼もしく思えた事は、少なくとも章吾には今までにはなかった。

リビングに通される一行。
そこには、上級生の父親と思しき人がソファに腰掛けていた。
「あなた、佐伯さんよ。」
「これはどうも。いつもお世話になっております。今日はどういったご用件でしょう?」
「それがね。まずはこの写真を見て頂くとして。これを、どう説明なさいます?」
お金の受け渡し場面の写真。
これを見た上級生の父親らしき人の顔から、見る間に血の気が引いてゆく。
だが、それでもお構いなしに大吾は続ける。
「隣のこちらの方が、写真にも写っているうちの子の友達と売春行為をしていましてね。一回五万円、毎週やっていたそうです。そのお金を全部、お宅の息子さんが巻き上げていた、という訳でして。」
「はい、売春していました。間違いありません。」
この大吾と悠太の売春相手の言葉を聞いて、上級生の父親らしき人はしばらくの間、絶句していた。
「お宅の対応によっては警察に持ってゆく事も出来ますし、お宅の会社との全ての取引を中止するよう社内で掛け合ってもいいんですよ。代わりの取引先なんて、幾らでもありますから。」
そう、この人物は大吾の勤める会社の取引先企業の社員だったのだ。
一行の目の前の顔は真っ青だった。
“猛犬”を野放しにしていた罰だとも言えるだろうか。
ざまあみろ、章吾はそう思っていた。

そこへ、上級生が帰宅。
ナイスタイミング。
上級生の父親、不肖の息子に飛びかかった。
「お前という奴は!この野郎!最近妙に金回りが良さそうだと思ったら、人様から強奪していたとは!人間の風上にも置けん奴だ!とにかく謝れ!これから被害者に謝罪に行く。同行しないなら、義絶する!」
不肖の息子は、黙って父親に殴られていた。
不良にも勝てないものもある、という事だ。

一行は早速、悠太の家に向かう。
途中、章吾にだけ、ノースポールの囁きが聞こえた。
ノースポール、力が弱まっているのだろうか。
「章吾くん、急いで!早くしないと、間に合わない!悠太くんが出掛けちゃう!このままだと、死んじゃうよ!」
章吾は居ても立っても居られず、駆け出した。
残りの一同もそれに続く。
「居た!」
悠太は、公園前の横断歩道を、信号が赤なのにもかかわらず渡ろうとしていた。
「待ってー!死なないで!もう大丈夫だから、悠太!愛してる、だから行かないでー!」
章吾が叫んだ。
全身に力を込めて。
悠太は、車道に一歩踏み出していた。

ドン!
鈍い音と共に、悠太はタイヤの下敷きになる。
ーーそれから半日後。
悠太は、一命を取り留めた。
章吾があの時叫んでいなければ、亡くなっていただろう。
力を使い果たしたのか、章吾の家のベランダのノースポールは、枯れていた。
章吾はそれを見て、涙を流した。

何日かして、病室で。
章吾は、最近覚えた林檎の皮剥きを、チマチマチマチマやっている。
そんな様子を、悠太はニコニコしながら眺めていた。

この時、悠太は思っていた。
自分は、章吾たちのお陰で、生まれ変わったのだとーー。

二人は、付き合い出した。
まだ中学生、プラトニックな恋愛を抜け出せてはいなかった。
悠太の心の傷を思うと、抱き合うのはまだ早いと、章吾にはそうも思えた。
ただ、両家の親も認めてくれていたから、居心地の悪さはなかった。
ウブな二人、キスもまだだったが、愛の言葉だけは交わすようになっていた。
「愛してるょ、悠太。」
「恥ずかしいょ、章吾。でも、ぼくも。」

二人はこれからも、長い長い道のりを、共に手を取り合って歩んで行く。
何があっても共にあろうーー。
そんな覚悟が、二人には芽生えていた。
この二人には幸せが良く似合う。
だからノースポールは、命懸けで二人を助けたのだろう。
約束の地は、もうすぐだ。

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[Part 1 : 語り・かねじー]

まぁ何というかね。
出会い系ですよ。
自分の生き甲斐というのはね。
年齢?
今年で19になります。
遊んでばかりいて、虚しくないのかって?
虚しくなんかないっ!
虚しくなんかないっ!
虚しくなんかないっ!
恋愛ってそもそも、重たいし。
こう見えても可愛いって良く言われるので、相手には困っていないのです。
まぁ、出会い系から恋愛に発展する人も居るんだろうけど。
自分の場合は、面倒臭くって、もう。
という訳でぼく、仲間内からは“かねじー”と呼ばれています。
よろしくっす!(何がだよ。)

さて、今日も今日とて、出会い系。
いい相手を見つけたら、SNSのID交換するんだ。
お、早速いい感じのが。
相手、ちょっと奥手みたい。
こういうのは、ちゃちゃっと会ってみないとね。
まどろっこしいやり取りはなし!

で、カフェですょ、カフェ。
まぁここは行きつけなんで、ホームグラウンド。
こちらに有利。
相手の男は、っと。
顎の無精髭がいい感じ。
ゆるーい感じのデブかな。
ぼくはむちむちしているって良く言われるので、ちょっと方向性が違う。
でも、これもまた良し。

それよりも困るのは、会ってみて分かったのだけど、相手の男、想像以上に無口なんだ。
まぁ本当は嫌いではないんだけどね、そういうのも。
寡黙な男、ってやつ?
でも、ぼく的にはそういうのは、やっぱりちょっと苦手かなー。
いや、何度も言うけど、嫌いじゃないんだょ。
ただ、何しろ経験値が少ないから(どの口が言うか!)、どう対処したらいいのか、分からないのですよねー。
というか、ぼくネコなんで、リードするのは苦手なのです。
年下なんて初めてだし。
けどま、ここまできたらチャレンジあるのみ!

「あ、あのー。」
ぼくが夏向けのアイスドリンクのベンティサイズを啜っていると。
視線がこちらに向けられている。
「これから、どうします?」
振ってきた。
丸投げかょ、おぃ。
まぁでも、ここは仕方ない。
「とりあえずウチに来なよ。」
いきなりの直球、早過ぎたか?
などという心配は無用だったみたいで。
「はい、是非!喜んで!」
それはもう嬉しそうに言うので、安心と共に少し気が抜けた感じがした。

とりあえず、行きつけのカフェをそそくさと出て、徒歩で自分の部屋のあるマンションへと向かう。
空のてっぺんからじりじりと照り付ける陽射しが、鬱陶しい。
「かねじーさんの部屋って、ここから近いんですか?」
「う、どうだろう?ここから歩いて十五分位だょ。」
まぁそぞろ歩くといった感じに近い雰囲気で、でも一応は部屋には近付いているという感じなんだけども。
それにしても、会話がない。
困った。
仕方ないのでとりあえず、最近のアニメの話題を振ってみた。
本当は、オタク気質が多少なりとも知られるのは、恥ずかしいから嫌なのだけど。
とはいえ、どうせ部屋を見られる事だし。
関係ないか。
と、ここで。
意外にもこの話に乗ってくる相手。
まぁこの場はこれで繋げたからいいけど、後で火傷しないといいなぁ。

彼の愛称はハリモグ。
理由は聞かなかった。
まぁ何となく分かったから。
ハリモグラ、ね。
でも見た目はもっと大人しい、可愛らしい感じの子なんだけどな。
それはさておき。部屋に到着である。
「来て早々何なんですけど、お風呂頂いていいですか?汗かいちゃって。」
「いいよー。そこの棚のタオル、洗ってあるから自由に使って。」
流石は良く肥えているだけの事はある。
この時期、汗はマスト。
もちろん、自分だって人の事は言えないが。

待つ事四十分。
や、意外と長いな。
ま、昨日観損ねたアニメの録画があったから、暇を持て余していたという程ではないのだけど。
「長風呂、すいません〜。夏でもしっかり浸からないと駄目な方なんで。」
「あ、いぃょいぃょ。気にしないで。冷蔵庫のペットボトル、空いてないの好きに飲んでていいから。ぼくも風呂入ってくるね。」

で、出てみると。
何と!
ぼくが今晩一人で食べようとしていたプリンが、哀れハリモグの胃の中へ……。
何も言えずに立ち尽くすぼく。
ハリモグは「ご馳走さまでした!美味しかったです!」と、あっけらかんと言ってのける。
「いぃょいぃょ、気にしなくて。」
とは言ってはみるものの、内心では泣いているのだった。

ベッドの上で、壁に寄りかかって、二人並んで。
距離が近い。
やがて、どちらからともなくキスーー。

四十分後。
事を終えた、ぼくたち二人。
ぼくはハリモグにシャワーを勧める。
「浴び終えたら、今日泊まってきなよー!」
「いぃんですか?喜んで!」

ハリモグは一こ下。
二人共ネコだったので、ここは年上のぼくが頑張った。
ぼくがタチをするなんて、珍しい。
雨でも降らないといいけど。
ハリモグ、寡黙な青年だと思っていたのだが、部屋に着いてからは良く喋る。
たぶん、緊張がほぐれたのだろう。
ハリモグが出て来たのを見計らって、ぼくが交代でシャワーを浴びる。

部屋に戻ると。
ハリモグ、ぼくの昔の写真が収められたアルバムを、勝手に見ていた。
というよりも、没入している感じ。
そんなにいいのか?
よく分からない。
が、恥ずかしいので、背後から没収。

「やー、何すんのー!見てたのにぃ!」
何すんのって、それはこっちのセリフだ。
「ハリモグ、寛ぐのは構わないけど、居ない間にあちこち引っ掻き回すのはやめてね。」
頭が沸騰しそうなのを感じながらも、なるべく穏やかに、しかしはっきりと自分の意思を伝えてみる。
「そうですね。ごめんなさい。」
ハリモグ、ここはあっさりと折れてくれた。
これは有り難い。
いい子だ。
「でも、可愛かったですょ、かねじーさん!」
頰が熱い。
こういうとこ、自分まだまだ修行が足りない。
まだまだウブなのだ。

翌朝。
ハリモグが帰るので見送る。
「かねじーさん、またお相手よろしくお願いします。では!」
「あいよー。またねー。」
戻ると、部屋の中がザワザワしていた。
音はベランダの方から聞こえる。
カーテンを開け、サッシを開け放つと、ベランダに置いてある鉢植えの朝顔が何やら喋っていた。
朝顔が喋るのである。
普通に考えれば、一大事である。
が、ぼくは以前にも同じような経験をしているから、こんな事では驚かないのだ。
で、耳を澄ますとーー。

「ハリモグ、今頃泣いてるょ。」
「昔の思い出が辛いらしいね。」
「かねじー、ハリモグと付き合っちゃえばいいのに。」
「あの馬鹿かねじーは面倒臭がりだから、厄介事には首を突っ込まないと思うょ。」
「人でなしかねじー。」
「そうそう、ちょっと可愛いからって、何をしてもしなくても許されるって訳じゃないのにね。」
「お似合いだと思うんだけどな。」
「そう思う!ぼくも!ぼくも!」

ハリモグが泣いているーー。
それを聞いて、胸がざわざわした。
でも、ぼくに何が出来るってんだ!
そう思ってイラついたから、ベランダに向かってぼくは叫んだ。
「うるさーい!」
一瞬にして辺りは静まり返った。
ぼくって、結構残酷なのな。

[Part 2 : 語り・ハリモグ]

かねじーさん家からの帰り道。
体が重い。また罪悪感を感じている。
こんな自分が嫌だ。
あの日から、全てが狂ったままだ。

電車に揺られる。
いつもの事なのに、今日は何だかそれだけでイライラする。
早く帰ろう。
最寄り駅を降りると、途中コンビニで弁当二つとサラダ、それにコーラを買って家へと急いだ。

ぼくは一人暮らし。
そこはかねじーさんと一緒。
大学に通いながら、仕送りで生活をしている。
静まり返った部屋で独り弁当を食べていると、何だか泣けてきた。
次第に泣き声を抑えられなくなり、最後には号泣。
いつものパターンだ。
こんなぼくには、彼氏など出来やしない。
いや、そもそも作る資格がないのだ。

あの日ーー。
ぼくはハッテン場で、初体験を済ませた。
途中までは意識もしっかりとしていた。
コンドームも、ちゃんと着けてもらうつもりだった。
でも、カプセルのようなものをお尻に入れられてから、ぼくはおかしくなった。
相手は、生で挿れようとしている。
危険だ。
なのにーー。
身体が、言う事を聞かない。
生で犯されるぼく。
無我夢中だった。
気持ち良かった。
その時は、それで良かったのかもしれない。
だがーー。
後日、不安になって自治体の無料の性病検査を受けると、HIVの感染が明らかとなった。
結果を聞いたその日の夜。
ぼくは眠れなくて、独りで部屋で泣き喚いていた。
心にも身体にも、絶望感しか残っていなかった。

それからもぼくは、出会い系やハッテン場で相手を見つけてはSEXを繰り返していた。
もちろん、ゴムは着けてもらっていた。
まぁもっとも、相手がゴムを着けなかった所で、困るのは自分ではないと、高を括っている節はあったのだが。

こんな自分だから、彼氏など作る資格もないと思ってきた。
第一、説明するのも面倒だ。
だから、ぼくには彼氏など居た事もない。
顔は少なく見積もっても十人並みではあると思うから、これはおかしな事態と言えなくもなかった。

かねじーさんと別れた日の夜。
ぼくは気を紛らわす為に、またもSEXの相手を探していた。
堂々巡りである。
結局その晩は見つからず、眠れぬまま朝を迎えた。

翌日。
土曜日の朝。
ぼくはようやく眠くなり、そのまま眠りに就く。

夢を見た。
悲しい夢だった。
昔の事を、思い出してしまった。

還らない温もり。
父さんの大きな背中。
ぼくは父を、中学生の時に亡くしていた。
父は、病気だった。
父を蝕んでいた病の名は、エイズ。
父もまたぼくと同じように、ゲイだった。
父の死後間もなく、母が失踪。
たぶん、色々とショックだったのだろう。
その後は親戚の家で育てられた。
親戚の家の人たちは皆優しかったが、ぼくは父さんの温もりが恋しかった。
失くした温もりを求めて、男から男へと彷徨う日々。
でも、何度抱いても抱かれても、心が満たされる事はなかったーー。

起きると、窓の外はすっかり暗くなっていた。
シーツは、脂汗でべっとり。
とりあえず、誰かと寝たい。
そんな気分だった。
人肌の温もりを一時でも感じて、気を紛らわせたいーー。
ぼくはいそいそと携帯を取り出すと、画面を操作し始めた。

結局ぼくは、適当な相手を見繕って、その日の内に会う事にした。
夜。
知らない駅前。
待ち合わせた男と対面する。
タイプだ。
少なくとも、悪くはない。
二言、三言会話をする。
だが、別にそれが目的ではない。
だから自然と会話がなくなる。
とりあえず、抱いてくれればそれでいいーー。
いつものように、この時もぼくはそんな風に思っていた。

シーツを握る。
手に力がこもる。
足が突っ張る。
声が勝手に出てくるーー。

相手は、手練れだった。
夢中になる事、小一時間。
宴は、終わった。

二人してうつ伏せで、ベッドの上に横たわる。
相手が、尋ねてきた。
「君、遊んでるよね?」
別にそんな事を聞かれる筋合いはない。
腹が立ったぼくは、それとなく立ち上がると、服を身に纏う。
「帰るの?」
素っ気ない声。
ぼくは黙って頷いた。
「駅まで送るよ。」
助かった。
この辺り、道が入り組んでいて、道順を覚えていなかったのだ。

「じゃ、またその内に。」
「はい。ありがとうございました。」
相手と別れる。
たぶんもう、会う事はないだろう。

その時だった。
携帯が鳴った。
見ると、かねじーさんからのメッセージだった。
そこに書かれていたのはーー。

[Part 3 : 語り・かねじー]

ハリモグと別れた日の夜。
またも朝顔がうるさい。
花は萎れている癖に、口だけはいっちょまえだ。
耳をそば立たせてみるとーー。

「ハリモグ、HIVなんだってさ!」
「うちの主人と同じだね!」
「仲間だ、仲間!」
「仲良くすればいいのにねー。」
「ほんとだょー。」

驚いた。
まさか、と思った。
ちなみに、ぼくがHIVに感染した経緯は至って単純。
コンドームの先っぽを、切られていたのだ。
その時にハッテン場でSEXをした相手は、少なくとも誰かには、確信犯的に感染させるつもりだった筈だ。
で、たまたまカモられたのがぼくだったーーそういう事。

で。
ハリモグに再度連絡を取るかどうかーー。
ぼくは丸一日悩みまくった。
悩んで悩んで、遂に出した答えが、連絡を取る、というものだった。
生半可な覚悟ではいけない。
それは分かっていた。
それでもぼくは、あんなに可愛い子が苦しんでいるのを、放っておく事は出来なかったーー。
ぼくに何が出来るだろう、そうも思った。
でも、ただ側に居るだけでも救われる事があるーーそんな気がしたから。
だから、それ位の事ならきっと出来ると、そう思ったからーー。

ぼくはのっそりと起き上がると、携帯を手に取ってメッセージを送る。
文面は単純だった。

「やぁ、ハリモグ。何か悩みはないかい?ぼくはあるよ。実はHIVなんだ。ハリモグには隠さない事にした。何か困ってる事があるなら、何でも相談に乗るよ。暑いから、冷たい飲み物を用意して待ってるょ。良かったら、今からおいで。」

これだけだ。
あとは萎れた朝顔の未知の力に期待するだけだ。

それから小一時間。
朝顔がざわめき出した。

「ハリモグが来るよ!」
「ほんとだ。もうすぐ来るね。」
「どうなるかな?」
「期待しちゃうね!」

そして、ハリモグはやって来た。
息を切らして。
熱帯夜の最中、走って来たのだ。
案の定、汗びっしょり。
「お風呂入りなょ。ゆっくり浸かるといいょ。」
ハリモグは、涙交じりの笑顔で、頷いたーー。

[Part 4 : 語り・ハリモグ]

かねじーさんからのメッセージ。
そこには、自らがHIVである事を明かす一文があった。
全身に電気が走ったような、そんな感覚を覚えた。
走った。
今なら、まだ間に合う。
居ても立っても居られなかった。
もしも運命の人なんてのが本当に居るのなら、かねじーさんをおいて他には居ない、そう思えた。

かねじーさんの家に着いて。
彼はこんなぼくの事を、笑顔で迎え入れてくれた。
そして、お風呂に入るように促した後で、こう言った。
「来てくれて、ありがとう。」
その瞬間に、強張っていた身体から、力が抜けた。
その場に崩れ落ちて、わんわん泣いていた。
かねじーさんはそんなぼくの側で、そっと背中をさすってくれていた。

「嬉しい?」
不意にそう聞かれて、ぼくはただ頷いた。
するとかねじーさんも、笑いながら。
「ぼくも嬉しい。」
そう言って、ぼくの事を抱き締めてくれた。
その温もりが、冷え切っていたぼくの心に、火を灯してくれた。
ぼくたちは、ずっと笑顔だったーー。

それから、色んな事を話した。
かねじーさん、高校までは意外な事に、いじめられっ子だったらしい。
大学に入ってから、はっちゃけたみたい。
ぼくは、亡くなった父さんの事を話した。
やがて、話すのに疲れて、ぼくがうとうとしかけた時。
かねじーさんは、耳元でそっと囁いた。
「付き合わない?ぼくと。」
だからぼくは返事の代わりに、隣のかねじーさんの手を、ぎゅっと、ぎゅっと握った。

窓の外の空が白み始める。
朝顔が花を咲かせ、小鳥がさえずる。
新しい朝を迎えて、ぼくはただひたすら、幸せだった。
こんな日がずっと続けばいいと、心からそう思った。
そんなぼくの思いを察してか、かねじーさんは、「だいじょーぶ!」、そう言って頭を撫でてくれた。
夏もいよいよ本番。
これからはかねじーさんと、思いっ切り楽しみ尽くしてやるんだ!
そう思えたこの日が、ぼくたちの記念日になった。
これもみんな、朝顔たちが助けてくれたからーーそれを知ったのは、もう少し後の事だったけど。
悲しい過去とは、もうさよならだ。

お・し・ま・い

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