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Lumina Sacra 3 [Dreamer’s Sky]

視界が、ぐるりと回る。
地球が回っているようだ。
初めての逆上がり。
呆気なく成功した。
昔はどんなに苦労しても、出来ず仕舞いだったのに。
大人気ないと言われてしまうような気もする。
でも、子供のように嬉しい。
久々の、楽しい時間だった。
まぁ、独りなのだけれども。
思えば、昔よりも独りで過ごすのが上手くなった気がする。

公園からの帰り道。
道端にたんぽぽが咲いていた。
そういえば僕の想い人も、どこかたんぽぽのような雰囲気のある人だった。
どこか可憐で、清冽な心の持ち主。
今、僕の想い人は何処で何をしているだろうか?
或いは、僕と同じ青空を何処かで見上げているのだろうか?
離れ離れになって、およそ四年。
追い掛けようかとも思ったが、あの時、僕達の関係は友達でしかなかった。
諦めるしか、なかった。

僕の想い人、静哉には夢があった。
東京で著名なアートディレクターになるというものだ。
大きな夢である。
一方の僕は、両親の敷いたレールの上を歩く日々。
情けない。
でも、自分の意志でそう決めた事。
後悔は、微塵もない。
静哉とは親しい友達だったが、それぞれ違う大学を出て以降、連絡を取り合わなくなった。
その後僕は、両親の経営する地元の小規模な建設会社で、見習い期間を経ていきなり課長待遇となっていた。
現場の職人さんからは軽んじられている上に、やっかみもあって、頭の痛い日々。
資格を取るのも一苦労だった。
しんどかった、本当に。
大体、見習いから一気に課長だなんて、幾ら何でも急過ぎる。

でも、これはある意味では夢が叶った結果とも言えるのだ。
幼い頃、父の大きな背中を見て、いつかこんな風になれたらと、そう思ったものだ。
そんな訳だから、一時の恋愛感情に身を任せて、全てを失う訳にはいかなかったのだ。
だから、僕達は初めから結ばれない運命にあったのだ、そう思っていたーー。

静哉とは幼馴染だった。
幼稚園の頃からの付き合いだ。
月日が経つのは、早いものである。
あの頃、僕達は奔放だった。
互いの両親の前で手を繋いで、僕達は将来結婚する、そんな事を度々言っていたものだ。
それでも、皆優しかった。
ただ、うちの母からは「男同士では結婚は出来ないの」と言われて、それはもうがっかりした記憶がある。

それからも、僕達がゲイである事について、互いの両親から咎められる事はなかった。
ただ、成長してゆくにつれて、僕達の関係は友達へと姿を変えていった。
それでも僕は密かに静哉に恋をしていたから、人知れず涙を流した事も一度や二度ではない。

かつて、静哉は言っていた。
「いつか俺は佐藤可士和に次ぐ大物になるんだ」と。
僕は静哉の事を心底から応援しつつも、内心ではいずれ離れ離れになる事への哀しみに囚われていた。
ここは地方都市。
アートディレクターになるなら、東京に出るのが近道だから、それは仕方のない事なのだ。

高校卒業の日。
卒業式を終えると僕達はベンチに座って、取り留めのない事を話した。
最後に、また会おうな、そう言われてガッチリと握手をしたのが、とても印象に残っている。

静哉は、東京藝術大学へと進学した。
当時、皆が驚いていた。
藝大に入るのは東大に入るよりも難しいとの、専らの評判だったからだ。
僕は地元の国立大学の理工学部へと進学。
実家から通う。
これで僕は、静哉との接点が僅かな携帯でのやり取りだけとなった。

僕も静哉も、夢を選んだ。
これは多分、正しかったのだと思う。
でも、心はいつも寂しかった。
この気持ち、静哉には分かるまい、この時はそう思っていた。

小学校低学年の頃、僕は静哉とよく、虫を取りに出掛けた。
クワガタやカブトムシは、僕達にとってはスターだった。
何故あの頃あんなに夢中になっていたのかが分からない程に、僕達は揃って今では虫嫌いだ。
ただ、早熟だった僕にはちょっとした下心があって、静哉の太い二の腕や丸々とした後ろ姿を眺めるのが、とても楽しみだったりした。
それだけの事ーーそれでも僕にとっては、忘れられない大切な思い出だったのだ。

大学進学を翌々日に控えた夜。
静哉が、うちに突然やって来た。
歓待する僕の両親。
夕ご飯を一緒に食べた。
この日は焼肉だった。
ちょうど良かった。
「美味しいです!いきなりお邪魔した上にご馳走になって、申し訳ないです。」
一見すると神妙な面持ちにも見えるが、よく見ると嬉しそうだ。
僕はというと、それはもう心臓バクバクものだ。
そんな僕の心境を知ってか知らずか、母は言う。
「あら〜、いいのよ。ゆっくりしていってね。泊まっていってもいいのよ。」
父も言う。
「そうだ、そうしなさい。明日発つんだろうが、朝に戻れば間に合うだろう。今夜は、うちの子とゆっくり話でもするといい。」
「ありがとうございます!」
静哉がそう言う間にも、肉はどんどん減ってゆく。
我が家は食いしん坊揃いなのだ。
でもそれは、静哉も同じ事。
負けじと箸を伸ばす。
「うんまいです!」
静哉、やはり何だかとても嬉しそうだった。

食後。
二人で、いろんな事を話した。
まずは小学生の頃静哉が、学校のトイレを使いたくなくておしっこを漏らしてしまった事。
トイレで性器の大きさを馬鹿にされているクラスメイトを見て、怖くなったらしい。
あの時、笑い者になった静哉を、僕が一人で庇ったのだっけ。
そこから大きな虐めにならなかったのは僕のお陰だと、その時の静哉には随分と感謝されたものだ。
それから、中学生の頃にうちと静哉の一家のみんなでスキーに行った時に、降りる直前で僕がリフトから落ちてしまった事。
危なかった。
積もる話は尽きない。
と、ここで突然静哉が言った。
「今度会う時は、違う関係性になっていると思う。お互い、夢を叶えるために頑張ろう!」
ガッチリとハグをする僕達二人。
内心では別れの辛さから泣き出したい所だったが、ここは我慢だ。
気がつくと、空が白んでいた。
暫しの別れ。
「頑張れ、静哉!」
僕は握手をする。
早朝だというのに、うちの両親も見送ってくれていた。
「道中、気を付けるのよ!」
「静哉、お前は私たち家族の誇りでもあるんだ。頑張れ!」
それに無言で手を振る静哉。
何故だろう。
静哉、泣きながら、笑っていたーー。

大学では、新たに友達が出来た。
智樹という名の、丸っこい子。
何処となく静哉に似ているような。
ただ智樹には交際相手が居たから、そういう関係になる事は、あり得なかった。
少なくとも、その時点では。
同じゲイ同士、ゲイに対する偏見はない。
それもあってか、こんなゲイ丸出しの僕とも仲良くしてくれた。
ありがたい。

静哉とは、時々携帯で話をした。
メッセージのやり取りもあった。
近況報告がメインだが、それでも嬉しかった。

ファーストフード店で、智樹と二人。
見る人が見れば、暑苦しいツーショットだろう。
僕と智樹は、同じものを頼んだ。
面倒臭がりの智樹は、頼むものを考えるのが苦手で、僕と同じにする事がこの後も度々あったのだ。
出会ったばかりの二人。
どうもぎこちない。
ちなみに僕達が頼んだのは、チーズバーガーとてりやきバーガー、ナゲット12ピースとポテトのLサイズ、それにコーラのLサイズをそれぞれ二つずつ、それでちょうど二人前だ。
実は物足りないのだが、ファーストフード店も意外と高いから、これ以上は盛れないのである。

さて、智樹。
話があるという。
聞くと、交際相手と別れたらしい。
相手の浮気が原因だとか。
彼、店内だというのにテーブルの上に突っ伏して、泣き出してしまった。
どうしていいか分からない。
ただ、彼、可愛かった。
タイプだったのだ。
ここで静哉の顔が頭をよぎる。
けれども、僕の頭の中の静哉は、この出逢いを応援してくれていた。
都合の良い話ではある。
だが、待っていても静哉とは結ばれる事はないのだ。
そう思った。
だから珍しく、悩まずに決めた。
打算だったかも知れない。
それでも今、この状態でならきっと落とせるに違いない、そういう期待と下心はあった。
ずるい考えかも知れないけれど。
僕は言う。
「良かったら僕とお付き合いしない?僕、初めて見た時から君の事がタイプだったんだ。気が乗らなかったら、無理しなくていいけど。」
すると、彼の丸々とした掌が目の前に差し出された。
大きく一つ、頷く智樹。
成功だ。
僕は彼の手を取って、店内だというのにキスをした。
我ながら節操のないものだ。
しかし、待っているだけでは未来は明るくない。
少なくともこの時は、そうだった。

それからは、毎日が楽しかった。
ある日僕は、とっておきの海岸に智樹を連れて行った。
いつか静哉と行きたかったその海岸、知る人ぞ知る絶景スポットなのだ。
曰くその地は朝と夕方に、聖なる光で満たされるという。
日没前。
太陽の光の力を借りて、水面がダイヤモンドのように輝くーー。
その光はまさに、聖なる光と呼ぶに相応しかった。
二人して、ただ立ち尽くす。
溜め息を漏らす僕達に海が微笑みかけているような、そんな時間。
とてもとても、大切な思い出になった。
温かい気持ちを抱いて、僕達はこの時、幸せだった。
空は、そんな僕達を高みから、何処か冷たく見下ろしていた。

それから四年近くが経って。
智樹は僕と別れざるを得なくなっていた。
演劇の世界に進みたくて、上京するのだ。
皆夢を追って、僕の元を去ってゆく。
寂しかったが、仕方ない。
そもそも智樹には申し訳ないのだが、付き合っている間も僕の心の片隅にはいつも、静哉が居たのだ。

最後の夜。
「頑張るんだょ、智樹!」
「そっちこそ。頑張って!」
そんな何処かありきたりなやり取りで、僕らは別れた。

遡る事、二年。
僕は静哉と、会っていた。
休みを利用して、静哉が地元に帰って来たのだ。
静哉とはこれまでは、ただの友達だった。
だが、互いに好き合っている、それは既に暗黙の了解だった。
古風な雰囲気の喫茶店で。
場違いだったかも知れない。
薫り高いコーヒーを飲みながら、黙ったままの僕達。
先に沈黙を破ったのは、静哉の方だった。
「卒業して仕事の目処が立ったら、遠恋でもいい、必ず迎えに行く。だからもうしばらく待っていてくれ。好きなんだーー。」
僕はずるかった。
智樹という存在が居るのに、これに黙って頷いてしまったのだ。
智樹が演劇志望なのは知っていたから、多分卒業後には上京するのではないかという計算もあった。
でも何よりも、嬉しかったのだ。
静哉の告白がである。
理屈抜きに、そう思った。

その日、たった一度だけ、静哉と“彼氏”として共に時間を過ごす事が出来た。
寝た訳ではない。
ただ、それでもやはりそれは智樹への裏切りには違いなかったから、僕の胸はちくりと痛んだ。
そしてもちろん、静哉も智樹の事は知らない。
僕は二人を裏切ってしまっていた。
まさに、どうしようもない人間だったーー。

智樹との時間は、楽しかったのだ。
だが、静哉の事を忘れられないでいたから、家に帰ると頭を抱えるばかりだった。
悩んでいた。
だからあの海岸に、今度は独りで出掛ける事にした。
到着するなり、光の群れが目に焼き付く。
どす黒かった心が清らかになってゆく、そんな気がした。
明日からもまた生きてゆける、そう心から思えた至福の時間だった。

それからも静哉とは、時々連絡を取っていた。
会える訳ではなかったが、内心ではとても嬉しかった。
だがそれも、大学を卒業と同時に、ぱったりと途絶えてしまう。

大学在学中はずっと、智樹とは仲が良かったが、今ひとつのめり込めない。
静哉の事もあったが、何よりいずれ上京してしまうのだろうという思いが、没頭する事を邪魔していた。
そして、その思いは現実のものとなった。

大学を卒業して丸五年経ったある休日。
木漏れ日の中をそぞろ歩いていると、目の前に猫、突如現る。
三毛の雌だった。
野良猫だったが、良く懐くので飼う事にした。
甘えたがりの猫のようだ。
両親には、その場で連絡をして了解を取ってあった。
僕はまだ実家におり、勤め先への出勤もそこからしていた。
近いから都合が良いのだ。
ミィと名付けた猫を抱き抱えながら、自宅へと向かう。
途中、ペットショップがあったので、餌やトイレなど必要なものを買い揃えた。
「おかえりなさ〜い!あら、まぁ!野良なのにふくふくしちゃって。可愛いわ!さしずめ、我が家にアイドルが誕生したって感じかしら。」
母はミィの事をいっぺんに気に入ってくれた。
あとで父にも見せたが、やはり満更でもない様子。
確かにこの猫、可愛いのだ。

その日の午後三時。
僕にとってはおやつの時間。
僕の腹時計は正確なのだ。
時計なんか見なくても、大体分かる。
ミィは僕の部屋の窓辺の机の上で、ちんまりと寛いでいた。
隣には僕の携帯。
「ニャン♪」
ミーは僕の携帯に触れる。
遊びたいのだろうと思いボールを投げてみるが、見向きもしない。
ミーは何度も何度も、僕の携帯を触っていた。
するとーー。
「♪♪♪♪♪」
携帯が音を立てる。
見ると、静哉からだった。
恐る恐る出てみる。
静哉はいきなり告げた。
「やっと仕事が軌道に乗った。まだ駆け出しだけど、食えるようになった。遠恋で良ければ、付き合って欲しい。来週の土曜日の夕方、昔よく行った噴水のある公園で、待ってる。」
願ってもない事だ。
もう無理かと思っていた。
それだけに、嬉しかった。
遠恋でもいい。
彼氏として時折同じ空気を吸える、それだけでも十分だったからだ。
「うん、いいょ!必ず行くから!」
そう言って僕は、電話を切った。

翌日。
再会の日を明日に控え、僕は職場でそわそわしていた。
「どうされましたか、課長」
僕よりもだいぶ厳つい感じの年上の部下に怪訝そうな顔でそう聞かれて、僕はしどろもどろになるのだった。

そして、いよいよ再会の日。
空を見上げると、吸い込まれそうな、そんな気がして。
ちょっと怖かった。
雨上がりの空、雲一つない。
ただ胸がツンと痛くなる景色ばかりが広がる。
ふと首を下ろして前を向くと、以前と変わらぬ面影を宿した静哉が、一直線にこちらを目掛けて歩いて来た。

昔の事。
地面を蹴って、目の前の小さな丘に向かう。
二人して、肩で息なんかして。
まあるい地球の息吹を感じる丘のてっぺんへと、二人して駆け上がっていく。
そんな思い出。
懐かしい。
だから走ってみた。
またあの小さな丘へ。
思い出したのだろう。
静哉も駆け出した。

夕焼けの空がもう、耐え切れずに落ちていく。
昼と夜とが混ざり合い、溶け合って美しい。
時間さえ忘れて僕達はただ、空を見つめる。
「共に居よう、いつまでも居よう。」
どちらからともなく、そう誓った。
いつの間にか握った手の力を強めて、僕達は幸せだった。

その日は結局、実に久々に実家の僕の部屋に泊まる事になった静哉。
今日の夕食はしゃぶしゃぶだ。
「明日は日曜日。今晩はゆっくりしていくといいわよ!たくさん食べて頂戴ね。静哉ちゃん!」
母のこの言葉で、再会の宴はスタート。
皆黙々と、肉を頬張る。
大量の肉は見る間になくなり、母は食後にとフルーツを持って来るのだった。

食後。
僕は静哉と部屋に向かった。
「どれ位の頻度で逢えそう?」
気になっていた事。
静哉にぶつけてみる。
「毎月一度、泊まりに来るょ!うちの近所だと周りの目もあるから、その方が都合がいいんだ。」
まぁそれなら、何とかなりそうだ。
と言うのは嘘で、実際の所は、どうにかそう言い聞かせているだけだったのだが。
「ねぇ、朝方になったら、海に行こうょ!絶景スポット、知ってるんだ。」
僕は静哉に、あの海の話を振ってみる。
「いいね、行こう。」
「ニャン♪ニャン♪」
ミィ、僕の足にまとわりついて離れない。
「分かったょ、ミィも一緒に行こう。」
「ニャン♪♪♪」
ミィ、嬉しそうだ。

この晩、智樹から久々に連絡があった。
智樹もまた、貧しいなりに劇団員として生活出来ているという。
「今度舞台、観に来てょ」とメッセージにあったので、彼氏同伴で良ければと答えた。
近々、行く事になるだろう。
一時の事とはいえ付き合っていたのだから、あまり邪険にするのも良くないだろう、そう思ったのだ。
それに話を聞いているとこの舞台、結構、面白そうだ。
静哉も興味津々の様子。
きっと二人で、楽しめるだろう。

その晩、僕は静哉と初めて寝た。
人生で二人目の経験。
ミィの居る前でだったから少し恥ずかしかったのだが、猫だからまぁいいか。

海に着くと、朝焼けが見事だった。
水平線が見えて、その遥かな想いを静哉へと繋げる。
「ニャン♪♪♪ニャン♪♪♪」
ミィも喜んでいるようで、何よりだ。

僕達の関係は、まだまだ続く。
たとえひびが入りそうになっても、きっとこの場所で二人して海と空を眺めれば、元通りになるはずだ。
やっと手に入れた居場所。
もう離さない、そう誓って、隣の静哉にキスをした。
今日覚えたばかりの大人の味。
静哉との二回目のキスは、甘くて、切なかった。
素敵な思い出をたくさん作ろう、そしてずっと一緒に居よう、それが二人だけの約束。
大丈夫、僕達はこう見えて案外、粘り強いのだ。
空は僕達夢見る者達を上から見下ろすように、今日も高く澄み渡っていた。
何処までも続く一本道、きっと歩き抜こうと、二人で誓った。
とても嬉しい、記憶に残る、早朝の出来事だったーー。

お・し・ま・い

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Lumina Sacra 2 : 恋のフレーバー

広大な海を前にして。
自分の悩みなどちっぽけだと思う、そんなよくある話。
知る人ぞ知る場所、朝焼けに照らされた水面はきらきらと輝き、青年の悩みを洗い流そうとする。
そう、実際大した事ではないのだ。
青年はだが、確かにそう思うも、今ひとつ吹っ切れないでいたのだった。

青年は、恋をしていた。
相手は男。
遅い初恋だった。
告白は、出来ていない。
そんな勇気はない。
両親にさえ、カミングアウト出来ずにいるのだ。

自分はいつか、幸せになれるだろうかーー。
そう思うと青年は、暗鬱とした気分になるのだった。

翌日。
青年は出会い系を利用する事にした。
恋人ではなく、セックスフレンドを見つけようというのだ。
発展場は怖いので、それで出会い系。
いずれにせよ、これが初体験である。
のんびり探す事小一時間。
別に焦ってはいない。
猿ではないのだ。
と、視界に素敵なプロフの男の人を発見。
早速、メッセージを送る事にする。
暫しのやり取りの末、画像を交換する事となった。
が、ここで衝撃の事実が明らかとなる。
相手の男の人は、青年の初恋の相手だったのだ。
この世界は狭いのである。

いそいそとメッセージを送る青年だったが、胸中は複雑だった。
このまま知り合っても、良くてセックスフレンド止まりかも知れない。
だが、このチャンスをふいにしてしまってはもう二度と、顔も見られない可能性が高い。
結論は出ていた。
それでも、溜め息を漏らさずには居られない青年なのだった。

翌日、青年は早速、初恋の相手と会う事にした。
鉄は熱いうちに打て、という事だ。
会って、惚れて、改めて。
素敵だ。
舞い上がった。
夢中だった。
だが、そんな浮き足立つ青年をよそに、初恋の相手は至って冷静だった。
「初めまして。俺の名は、宗弥。君は?」
低いトーンで、どこか冷たさを感じさせる声。
焦った青年、答えるのだが吃ってしまう。
「ぼ、僕の名前は、ひ、大翔です。」
夏のオアシスのようなカフェの店内で。
「俺はOKだよ。君は?」
「はい!僕も、も、もちろん!」
「じゃあ、行こうか。」
茶番のような会話、そして。
もちろん向かうのはホテルなのである。
この時の宗弥にとっては、大翔がどんな人間かなど、興味はなかった。
絵面が良ければ、それでいい。
所詮は一時のアヴァンチュールみたいなもの。
帰れば、家庭が待っている。
戻りたい訳ではなかった。
だが、枠の中に収まってさえいれば、みんなが安心してくれる。
だから決めた事。
自分で決めたのだ。
最後までやり抜かねば、そう思っていた。
大翔の事はタイプだった。
しかも実は、知っていた。
恋していた。
だがだからこそ、その気持ちに、蓋をした。
叶えられない恋、考えるだけ、時間の無駄なのだ。
分かっていた、筈だった。

ホテルのベッドで。
組み敷かれる大翔。
大翔の初体験は、呆気なかった。
「また連絡する。今日はこれで。」
ひんやりとした声色と残り香を残して、宗弥は先にホテルを後にした。
傍らには、精算用にと宗弥が置いていった、一万円札。
取り残された大翔はベッドの上で、ただ蹲るばかりだった。

幼稚園の頃、宗弥は仲良しの男の子と砂場で遊んでいた。
宗弥は早熟だったから、恋とまではいかずとも、その仲良しの子を可愛いと思っていた。
だからだった。
好意の印に、宗弥はその子の手を取った。
で、嬉しかった宗弥はそのまま、母の元へと行こうとする。
その時だった。
宗弥の母は、怒らなかった。
だが泣きそうな、とても悲しい瞳を見せた。
それで宗弥は、その子と手を繋ぐのを止めた。
途端に母の顔が明るくなる。
この時幼いながらも宗弥は、男の子とあまり仲良くし過ぎてはいけないのだという事を悟った。
それ以来ずっと、宗弥は同性とは距離を置いている。
しんどかったーー。

大学を卒業して。
宗弥の元に見合い話が来る。
母は言う。
「恋愛結婚でも構わないけど、あなた奥手みたいだから、素敵な女の子を紹介したいの。前向きに考えてみて!」
嬉しそうだ。
正直うんざりしていた宗弥だったが、期待には応えたい。

見合いの席で。
宗弥は一度たりとも相手の顔を直視しなかった。
どうしてもそちらに向きたい時には、額の辺りを見るのだ。
で、すぐにOK。
宗弥にとっては、相手がどんなルックスでも、女である限り同じなのだ。
惚れる事など有り得ない。
だから、誰でもいい。
こうして、インスタントな偽装結婚の成立だ。
付き合わされる方は堪らないだろうが。

結婚式当日。
父が言う。
「心配したんだぞ。ホモじゃないかと思って。でもこれで安心だ。良かった。子作り、頑張れよ!」
この時宗弥は、自分の心の中がどろどろとした黒い液体で満たされてゆくのを感じていた。
『何が子作りだよ。自分だって種ばら撒いただけじゃないか、偉そうにーー。』

宗弥は大翔と、大学で出会っていた。
大翔が通う大学で、宗弥は常勤講師をしていたのだ。
宗弥は思った。
この子は可愛いと。
だからその感情に蓋をした。
だが、きつく締め上げた筈のその蓋が、大翔を抱いた事によって、今まさに外れようとしていた。
我慢出来なくなっていたのだ。

そう。
限界は、刻一刻と近付いていた。
宗弥は、大翔を無我夢中で追い求めていた。
そしてそれが叶わぬ願いなら、せめて塗り潰したかったのだ。
過去も、家族も、何もかも。

真っ黒でいい。
白くなくてもいい。
それでいい。
何もかも塗り潰して、なかった事にしたかった。
それで宗弥は必死に、願っていたのだ。

これまで、いろんな事を諦めてきたつもりだった。
誰にとっても、人生なんてそんなものなのだろうと、辛うじて納得していた。

だから願いが叶わぬならせめて何もかも、塗り潰したいと宗弥は思っていた。
ずっと、ずっと。
過去の恥ずかしい振る舞いも情けない思い出も、家族との関係も、何もかも。
真っ黒でいい。
綺麗な白なんかじゃなくていい。
それでいい。
そう思っていた。

いっその事……。
宗弥は自分の事など誰も知らない場所に移り住んで、こんな顔など跡形もなく変えてしまいたかった。
名前だって変えたい程だった。
こんな人生、何もかも塗り潰して、最初からなかった事にしたい、そう思っていた。
そうやって「前に」進んだら、きっと生まれ変われるようなそんな気が、確かにしていたから。

それでも、そんなささやかな願いさえも、宗弥は心の内に無理矢理に押し込んでいた。
いつまで経っても妻の顔さえも、ろくに見ないままにである。
そういえば妻の顔、よくよくとは知らなかった。

そして、偽りと孤独の日常を、よれよれになりながらもやり過ごしていた。
密かに嬉しかった大翔との大学での短い時間を失ったあの日から、宗弥はずっと、重苦しい日々を過ごしていた。
そう、宗弥は大学での大翔との接点を失っていた。
だから大翔と再会した時、実はとても嬉しかった。
それを隠そうとして、ぶっきらぼうな態度にはなっていたのだけれどーー。

大翔への恋。
それは誰にも明かせぬ想いだった。

でも、限界だった。
だから宗弥は心の中で呟いたーー。

『振り向いて、もう一度。
微笑んで、もう一度。
君は、とても愛らしい。
その笑顔、ただ触れる、それだけで心、温かく満たされる。
出会ったあの時、ちょうど君の心が、一瞬、ふわりと、宙を舞ったように、そう感じられたように。
いや、きっと、それ以上に、あの時の俺の心の温度は、温かくなっていて。
きっとそれまでに感じた事のない空気を、君の傍で、感じていたんだ。
初めてだった君の無邪気な笑顔が、一瞬の仕草が、とても嬉しくて、あの時、本当にほんの一瞬が、俺には、まるで永遠のように思えたんだ。
誰にも言えなかった。
言える筈がなかった。
会いたかった。
ただ、会いたかった。
だから君を抱いた時、心の底から、嬉しかった。
また会える、そう自分に言い聞かせた。
もう会えないなんて思ったら、いろんな事頑張れなくなりそうだったからーー。
振り向いて、もう一度。
微笑んで、もう一度。
君は、とても愛らしい。
その笑顔、ただ触れる、それだけで心、温かく満たされる。
それが叶わぬ願いなら、せめて……。
塗り潰したいよ。
過去も、未来も、何もかも。
真っ黒でいいからさ。
白くなくてもいいからさ。
何もかも塗り潰して、なかった事にしたくて、俺はひたすらに願い続けるーー。』

手が、勝手に動いていた。
昨日会ったばかりの大翔を、宗弥は呼び出す事にしたのだ。
メッセージを送る。
覚悟は、決まった。
チェックメイトだ。

宗弥には、まだ子供は居なかった。
両親からはせっつかれてはいたが、気が進まなかった。
それが幸いした。
妻には、自分はバイセクシャルであると説明した。
その上で、好きな人が出来たから、別れたい。
そう告げた。
宗弥の妻は、薄々だが既に勘付いていた。
怒る気は起きなかったようで、ただ誠意を見せて欲しいと、それだけを宗弥に告げるのだった。
宗弥は貯金の一部をはたいて慰謝料を払うと約束。
それが誠意の証だ。
離婚である。

翌週。
大学を休んだ。
夫婦で役所に行き、離婚届を記入、提出。
程なくしてその事実は、宗弥の両親の知る所となった。

遡って。
大翔にメッセージを送った翌日。
梢に留まった小鳥が囀る中、公園の欅の樹の下で宗弥が待つ。
駆け寄る大翔。

繰り返し、繰り返しの事でうんざりしても、引き返せない毎日。
頭が痛い。
けれども、そんな中でも宗弥にとっては大翔は、たった一つの希望の灯火だった。
想うだけで、手に付かない、何も。
そんな日々でも、確かに、心の底から幸せだったーー。

「ありがとう。だから、一回だけ言う。好きだ。たぶん、愛してる。だから、付き合おう、俺と。」
片手を差し出して、一つ頷く宗弥に、大翔は堪らずに抱き付いた。
まだ愛とは呼べないその関係は、恋のフレーバーを身に纏っていた。

二人の未来は、明るかった。
けれどもそれは、様々な人達に影を落とした。

海。
あの海岸。
今度は二人で、やって来た。
週末の朝焼けは、それは美しかった。
その力は二人に、これから訪れる切ない困難を乗り切れるだけの力を与えた。
聖なる光が満ちていた。
それは二人にとっての、宝物となった。
掛け替えのない、眩い記憶となったーー。

大翔の父は、既に他界していた。
今から十年も前の事だった。
交通事故だった。
大型トラックの運転手だった父。
過労の末に事故を起こしたのだった。
TVのニュースにもなって、当時は大変だった。
その事で大翔は、学校で虐められるようになった。
太っていたから、より一層馬鹿にされた。
放課後体育倉庫で、ギャラリーの前で全裸にさせられるなど、日常茶飯事だった。
上履きやペンケースなど、色々なものがしょっちゅうなくなった。
それでも、母には言えなかった。
どん底の母には、これ以上の苦労は掛けられなかったのだ。
なくなったものは極力、自分の少ないお小遣いから工面するようにしていた。
それでも足りないものだけは、土下座してお願いをした。
母はそんな大翔には優しかった。
将来孫の顔を見せてくれるのを、心から待ち望んでいた。
忙しくて心労の重なっていた母にとってはそれは、唯一の希望だったのだ。

カミングアウトの日。
大翔は思い切って、ゲイである事、そして付き合っている人が居る事を、明かす事にしたのだった。
宗弥の存在が、言うまでもなくそれを後押ししていた。
その時の母の表情は、衝撃だった。
力なく俯いて、涙を零していたのだ。
「頑張れ!独りで生きていくのよ!無理は言わない。ただ、私が出来る事はここまで。これからは己の二本の足で、たったそれだけで歩いて行くのよ。もう一度言う。頑張れ!」
母、号泣だった。
大翔は、胸を痛めた。
張り裂けそうだった。
だが、自分で決めた事。
自由なのだ。
それでどうなろうと、全ては自分の責任だ。
自分の尻は自分で拭わねばならない。
自由とはそういう事だ。

一方の宗弥も、けじめとして両親にカミングアウトをした。
本当はゲイだったが、それでは刺激が強すぎると思い、バイセクシャルであると告白した。
もちろん、好きな人が居るという事実も添えてーー。

宗弥の母には、兄が居た。
勉強もスポーツも万能。
密かに、尊敬していた。
だが、兄はゲイだった。
両親にカミングアウトをするも認められず、駆け落ち同然で姿を消した。
時代も、悪かった。
それ以来、兄には会っていない。
宗弥の母は、兄の交際相手が恨めしかった。
純粋な兄を陥れたのだと、信じて疑わなかった。
それ以来、ゲイの事は心の奥底で、憎んでいた。

宗弥の父は、昔気質の体育会系の人だ。
ゲイへの理解などない。
おっとりとした所のある宗弥の事を内心では歯がゆく思っていたが、それ以上にゲイではないかと心配していた。
親なのだ。
分かるのである。

そんな二人へのカミングアウト。
上手く行く訳がなかった。
長男である宗弥に、ここぞとばかりに噛み付く二人。
「バイセクシャルって事は、女の人の事も好きなのよね?だったらまた女の人と結婚すればいいじゃない!」
「一時の気の迷いであんなにいい奥さんを失ったのか?馬鹿め!バイセクシャルならまた結婚しろ!お前は長男なんだ。責任を果たせ。」
たまらず宗弥はその場を走り去ろうとする。
だが、そこへ二人が立ち塞がった。
だから、叫んだ。
「俺は、ゲイだ!あなた方が産んで育てて、そうなった!好きでやってる訳じゃない!」
すると、父が一言。
「好きにしろ。」
母はその場で、泣き崩れていたーー。

宗弥の告白は、親戚中に波紋を広げていた。
だが宗弥はゲイであり、離婚は既に済んでいる。
どうにもならない、皆がそう思っていた。
宗弥は、帰る場所を一つ、失った。
その代わりに、大翔と新たな家族になろうとしていた。
大翔はまだ大学生だったが、成人していた。
だから共に住み、更には養子縁組をする事で、強く繋がろうとしていたのだ。
大翔のこれから先の学費は、宗弥が出す事にした。
待っていても、大翔が大学を卒業して就職したら、暮らしは楽になる。
だから宗弥は大翔には、ここで学ぶ事を放棄して欲しくはなかったのだ。

再び、海で。
二人は佇む。
海岸に押し寄せる波は、神々しく光り輝いていた。
力を貰っているかのような、そんな感覚が二人を満たした。
二人は、養子縁組を済ませた。
2LDKの新居も、宗弥の名義で購入した。
中古マンションだったが、まだ綺麗だ。
実はこうした事態を見越して、前妻との住まいは賃貸マンションだったのだ。
結局、これで良かったのだ。

半月後。
二人は新居への引っ越しを済ませた。
嬉しい事は、他にもあった。
大翔の母が、ゲイである事について、理解を示してくれたのだ。
彼女なりに、いろいろと考え、勉強したのだ。
一人息子だったから、孫の顔は見たかった。
でも大翔には罪はない、そう思えるようになっていた。
結ばれた二人の前で笑顔を見せる、大翔の母。
記念に写真を撮った。
わざわざスタジオで撮ったのだ。
三人揃って、良い顔をしていたーー。

大翔の母は度々、二人の新居に訪れた。
二人にとっては、味方が一人増えたのだから、それはもう心強い。
三人は、家族になった。

大翔は母から、料理を教わっていた。
宗弥は大学での講義で忙しいので、自然な成り行きだ。
母も仕事で忙しかったが、退勤した後すぐに度々駆け付けてくれた。
肝心の大翔の料理だが、もともと手先は器用だったので上達は早く、母をも驚かせた。
「もうお料理で私が教えられる事はないわ。後は、心を込めて作るのよ!」
ある日そう太鼓判を押されて、大翔はどこかこそばゆいのだった。

それから時は流れ、一年が経とうとしていた。
三人は度々、夕食を共に摂っていた。
賑やかな食卓。
「宗弥さん、大翔をお願いね。」
黙って笑顔で頷く宗弥の心の内に、嘘はなかった。
これから大翔は、就職活動で忙しくなる。
「大翔も忙しくなるから、これからは時々、お料理作りに来てあげる。」
願ってもない提案。
二人は、頭を下げた。

ある日、あの海岸に三人でやって来ていた。
朝焼けに染まる水面が、きらきらと輝いて美しい。
その半年後に、大翔の母は再婚をした。
もしかしたら、あの海の光の力かも知れないーー宗弥と大翔は、そう思った。

大翔の母の新しい旦那さんはフランクな人で、宗弥と大翔ともすぐに打ち解けた。
宗弥と大翔の二人にとっては、家族が四人に増えた、そんな感覚だった。
四人は度々顔を合わせた。
それは幸せな時間だった。
大翔は、母の再婚を心から喜んでいた。
長年、働き詰めだった母。
遂に再び、専業主婦となったのだ。
おめでとう、お疲れさま。
大翔は、そんな気持ちでいっぱいだった。

これから先も、宗弥と大翔は、周りの人達の力を借りて、更なる高みへと突き進んでゆく。
もう、二人を阻むものは、何もなかった。
聖なる光の力で、恋のフレーバーは、愛へと形を変えようとしていた。
そんな休日の午後、宗弥と大翔は寄り添い合って、幸せだった。

-完-

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Lumina Sacra : 光の波に抱かれて

海岸に独り、佇む。
水平線が丸く見える。
向かい風が、少し冷たい。
季節は、秋。
一番嫌いな季節なのに、ここに来ると何故かほっとする。

そっと、歩き出す。
波の音が心地いい。
誰も居ない海岸では、聞こえるのはひたすら波の音だけだ。
うっすらと空が白み始める。
朝焼けに照らされて水面がきらきらと光っていた。

ここは俺の、とっておきの場所。
人はここを、光の海岸と呼ぶーー。

Lumina Sacra : 光の波に抱かれて

終わっていた。
俺は、とっくに。
後悔は、していない。
あの子の事が好きだったから、犯されても構わなかった。
ただ、生きる事が大変だった。
ただ、しんどかった。

四年前の秋。
俺はあの子に出会った。
二つ年下の、丸っこい男の子。
はにかんだ笑顔が可愛い、人の良さそうな小悪魔だった。
俺は、夢中になった。
出会ってたちまち、恋に堕ちた。

ある日の午後。
大学のキャンパスで。
あの子から声を掛けてきた。
チャンスだ。

「今日これから、時間ある?良かったら一緒に食事でもどう?」
鼓動がやけにうるさい。
どうも、少し調子がおかしい。
こんな時だというのに、俺の三半規管は悲鳴を上げていた。
でも、俺は踏ん張った。
「良いよ!何処か希望ある?奢るよ。」
どうにかそう言い終えて、俺は少しほっとした。
「ほんとに!?やったね!僕、イタリアンが良い!」
男の子、嬉しそうだ。
良かった、本当に。

レストランで。
中途半端な時間だったからか、店内は客もまばらだ。
サーブされたフレーバーウォーターを口に含みながら、俺は少し考えていた。
何から質問しようか。
正直、迷っていた。
ここでも、口火を切ったのは男の子の方だった。
「僕の名前は、弘也。よろしく!」
柔らかそうな掌が差し出されて、慌てて握る俺。
失敗した。
そうだ。
まだ、名前も聞いていなかったのだ。
「こちらこそよろしく!俺の名前は章彦。」
それだけ言うと、俺はグラスの中のフレーバーウォーターの残りを飲み干した。

パスタとピザがやって来た。
それにしても弘也、美味そうに食べる。
俺も負けてはいられない。
こんな飲み物、どうって事ない。

弘也、青葉台で独り暮らしをしているらしい。
家賃は四十万円だとか。
もしかして、親がセレブなのかな?
築三十年のアパート暮らしの俺とは、えらい違いだ。
そういえば服も垢抜けていて、お洒落だし。
そんな事を思いながら、話を聞いていた。
そもそもこれ、俺が奢る話なのか?
年上だから仕方ないのだけれども。

弘也はバイだという。
聞かれたので俺は、ゲイだと即答した。
嫌な予感がした。
特に根拠らしい根拠は、なかったのだけれども。
ただ昔、付き合っていた子がやはりバイで、俺と女の子と二股をかけていた事が分かって、手を焼いた事があるのだ。
その二の舞は困る訳だ。
だから俺には、ここで引き返すという選択肢も用意されていた。
そうだ。
そうしていれば良かったのだ。
だが猪だったこの時の俺は、目の前の弘也の見た目の可愛らしさに気を取られて、肝心な事を見失っていた。
今思えば、愚かだった。
いや、そうだろうか、そうだったろうか、果たして本当にーー。

ベッドの上で。
俺に組み敷かれた弘也は、寝乱れていた。
食事の後、早速自宅に誘われた俺は、成り行きで弘也を抱いていたのだ。
コンシェルジュ付きの窓も開かないガラスカーテンウォールのタワーの一室、1LDK。
何もかもが俺の住む世界とは違っていて、俺はこの時、舞い上がっていた。
まるで自分までもがセレブになったような気でいた。

俺の両親は、厳格だった。
保守的な考えの二人だったから、一人息子がゲイだなどとは、考えもつかなかったに違いない。
それを分かっていたから俺は、その事は敢えて隠し通そうとしていた。
たとえそれが、無理押しだと分かり切っていてもーー。

二回戦目。
弘也は、今度は自分がリードするという。
されるがままに、堕ちて行く。
今度は俺が、寝乱れていた。
カメラの前で。
そう。
この時俺は、隠し撮りをされていた。
そんな事とはつゆ知らず、俺はこの時、快楽の坩堝に居た。

事を終えた弘也は、さっきまでとは一転して、冷たい態度を取るようになっていた。
まぁこんなものかと思い、その日はそれで解散となった。
連絡先の交換をして、それでお終い。
呆気ないものだ、そう思っていた。

翌日、大学のキャンパスで。
弘也は、見せたいものがあるという。
手を引かれるようにして再び、弘也の自宅マンションへ。
内廊下を歩いている間、俺はジャングルの中の昆虫のような気分だった。
部屋に入ると、おもむろにビデオを見せられる。
驚いた。
腰が抜けそうになった。
そこに映っていたのは、紛れもなく俺。
何という事だ。

弘也に出会うまで、俺は大学には友人は一人しか居なかった。
名は、克太郎と言った。
俺は克太郎には、親が厳格だといった事を含めて、個人情報を洗いざらい話していた。
信用していたのだ。
俺は間抜けだった。
漏れるとしたら、そこからしかないのだ。

俺は言った。
「克太郎とも寝たのか?」
弘也は、ただ下卑た笑いを浮かべるだけだった。
そして、暫しの沈黙の後、畳み掛ける。
「これが意味する事、章ちゃんなら、分かるよねぇ?」
抵抗する事は、最早許されない。
そう思うしかなかった。

敢えて俺は聞く。
動機が知りたかった。
どう考えても、金に困っているようには思えなかった。
答えは、簡単だった。
「親の仕送りだけじゃ、服代とか酒代とか、足りないんだよね。このニット、十二万すんのよ。まさか着た切り雀って訳にも、いかないだろう?」
しかし、服代はまだしも、酒代とは!
弘也はまだ未成年なのにだ。
まぁ本人にしてみれば、あまり関係のない事だったのかも知れないが。
で、俺はプライバシーと引き換えに金を払う事になるのだ。
だが、俺にはそもそも、余分な金は一切なかった。
そんな考えは見え透いていたらしく、弘也は短くこう言った。
「金がないなら作ってもらう。今日から、俺の客と寝ろ。」
要は、売春しろという事だ。

回らない頭で考える。
そもそも俺の裸には商品価値はあるのか?
甚だ疑問だった。
だがその日の夜の情事の相手を一目見て、俺は事情を理解した。
相手は、老人だったのだ。
それも総入れ歯で、レビトラを使って無理矢理に勃たせているような。
正直、吐き気がした。
気持ち悪かった。
でも、引き下がる訳にはいかない。
そんな事では、これから先待ち受ける運命に耐えられる筈がなかったのだから。

それからの日々は、地獄だった。
俺は毎日のように、金持ちの老人の相手をさせられた。
それだけではない。
フェイスマスクを被った弘也と、寝る事もあった。
内心は、複雑だった。
弘也と寝られるのは嬉しいが、その映像はAVとして世に出回るのだ。
そんなものをうちの親が観たら、卒倒するに決まっている。
何しろ、仕送りで生活する身だ。
ここは隠し通すしかない、そう思った。

この頃から、空いた時間に独りで、海に行くようになった。
密かに光の海岸と呼ばれる、知る人ぞ知る名所があるのだ。
そこに行って無になる事で、魂が浄められる気がした。
それで俺は、救われていたのだ。
誰にも教えたくない、秘密の居場所。
そこは程なくして、俺の宝物になったーー。

実は誰かから性的陵辱を受けるのは、これが初めてではなかった。
容姿に自信はなかったが、俺は童顔だったので、少しは需要があったようなのだ。
その相手は、中学校時代の担任だった。
「俺と寝ろ。嫌なら断ってもいいが、内申書はどうなるかなぁ。後は、分かるだろ?」
今にして思えばたったそれだけの事で、俺は担任に逆らえなくなっていた。
その担任は絶倫だったらしく、週末も含めてほぼ毎日相手をさせられていた。
逃げる事など許されなかった。
ただ、生きる為に体を奉仕した。
そうするしかなかった。
少なくとも、あの頃は。

良い事もなかった訳ではない。
同級生による虐めから、担任が俺を守ってくれたのだ。
これは俺が担任の性処理相手となっていたからこその事だった。

もちろん、弘也も鬼ではない。
俺はSMが大の苦手だったので、無断でそうした行為を強要してくる相手の事は、弘也が排除してくれた。
コンドームの着用も、念を押してくれていた。

それでもーー。
心は、いつでも痛かった。

俺は確かに、自尊心の欠片もない人間だ。
それでも、誰かに守られたい時はある。
そんな時、弱虫だった俺は、自分で自分の体を抱き締めて泣く事でしか、自分自身を慰めてやる事は出来なかった。

それから四年後。
ある晴れた秋の日の、夜明け前。
俺は光の海岸を前にして、佇んでいた。
昨日、弘也に一言、こう言われた。
「死ぬなよ。」
どういう意味でだったかは分からない。
だがそれでも、たったそれだけの言葉で、俺は救われたような気がしていた。

ふと、水に手を入れてみる。
ひんやりとした感触が、心地いい。
この中に入って、あの世に行ってみるのも、悪くはないと思えた。
でも、そこで先程思い返したあの弘也の一言が、効いた。
あれがなければこの日、俺は死んでいたかもしれない。
弘也は、俺を見ていないようでいて、実はしっかりと見ていたのだーー。

昔話。
高校時代。
同級生の男の子から、告白をされた。
その子は、真っ赤な薔薇の花束を持って俺の前に現れた。
「章彦くん、僕と付き合って!」
彼なりの、精一杯。
俺は、その告白を受け入れたーー。

しばらくの間は、幸せだった。
だが交際を始めて一年が経った頃に、事態は急変する。
互いの両親に、関係が知られたのだ。
程なくして、俺たちは逢瀬を禁じられた。
俺は、両親から何度となくビンタをされた。
「信じられない!穢らわしい!うちに居たかったら、二度としないで!」
「親不孝者め!お前と言う奴は!この野郎が!」
同級生の男の子は、引っ越して居なくなってしまった。
俺は心の支えを、失った。

話を戻して。
光の海岸から帰って来ると、弘也から告白をされた。
「章彦、今までごめんね。良かったら、僕と付き合って!」
弘也はどぎまぎとしていて、珍しく取り乱していた。
それもまた可愛くて、俺は嬉しかった。
何より良かったのは、老人相手の売春から解放された事だ。
弘也、足を洗うらしい。
俺は住所はそのままで弘也の家に転がり込んで、両親には内緒でハッピーゲイライフを満喫する事となった。
意外な事に、付き合ってみると弘也は一途だった。
てっきり根っからの遊び人かと思っていた。
人は見かけによらないのである。

弘也の家の台所には、高い酒のボトルが幾つもあった。
弘也は酒を餌にして仲間を呼び寄せ、度々パーティを開いていたのだ。
その、置いてある酒というのがまた振るっている。
ドンペリゴールド、リシャール、ルイ13世、ロマネ・コンティーー。
俺は服はともかく、酒は止めるように勧めた。
強制はしなかったが。
またぞろ誰かを餌食にするというのでは、あんまりだというのもあった。
健康の事も、もちろんある。

弘也が酒断ちをしてから三日目の夜。
仲間とも断交。
それがあまりにも辛そうだったので俺は、彼を光の海岸へと連れて行く事にした。

独り自宅に戻って、車を取りに行く。
中古車だが、俺は一応、車を持っていた。
助手席に弘也を乗せて出発。
それにしても、弘也のマンションと俺の車、合成写真のようでどう見ても釣り合わない。
まぁそこはご愛嬌である。

子供の頃。
虫が大好きだった。
今とは大違いである。
中でも、カブトムシが一番、好きだった。
中には食べる人も居るようだが、当時の俺にとってそれは、考えられない事だった。

父とはよく一緒に、森へと出掛けた。
数少ない親子の共同作業、或いは共通の趣味。
カブトムシを何匹も捕まえては、虫籠に入れていた。
父はとても嬉しそうだった。
俺もとても嬉しかった。

母は虫が大の苦手だったので、虫籠には近寄ろうともしなかった。
ある時、父は言った。
俺の普段の振る舞いを見て、不審に思ったのかも知れない。

「ホモにはなるなよ。虫けら以下になるぞ。」

ただそれだけの一言が、ずしんと心に響いた。
それからも父とは、度々森へと出掛けたーー。

俺は弘也との秘密は、墓場まで持って行く事に決めていた。
今度こそ何が何でも隠し通す、そう決意していた。

朝焼けの中。
光の海岸に着いた。
弘也は目を丸くした。
水面は煌びやかに光り輝き、宝石のようだった。
静かな海岸で二人、波音に耳をそばだてるーー。

「綺麗だね。」
「うん。」

それ以上の言葉は、要らなかった。
二人にとってこの時間はかけがえのないものだったのだと、後で知る事となる。
この時を境に、弘也は変わったのだ。
これも聖なる光の力のお陰かも知れない、そう思った。

分不相応な酒瓶は、弘也の家の台所から、姿を消した。
弘也は、洋服も前程には買わなくなっていた。
以前は、クレイジーショッパーだった。
そう言って、弘也は笑ったーー。

ある日、弘也はデパートに俺を誘った。
俺は正直、乗り気ではなかった。
だが、てっきり洋服でも買うのかと思っていたら、違ったのである。
弘也は俺と、宝飾品を見ようとしていた。
結婚指輪を作ろうというのである。
いい考えだとは思った。
指輪を見れば、周りも安心するかも知れない。
ただ、俺には金がなかったーー。

「お金ならいいよ。散々体で稼いでもらったからね。これはそのご褒美!」

二人の結婚指輪。
まるで新婚の夫婦ではないか。
内心では、戸惑いもなくはなかったが、そこはやはり嬉しさが勝った。

幼稚園の頃。
無邪気に結婚に憧れていた。
だが俺は女の子と仲が良くて、当たり前のように結婚は男の子とするものだと、そう思っていた。
女の子と仲が良い事は、男だから自然だと、両親も咎めなかった。
ただ、ままごと遊びだけは、固く禁じられたーー。

男らしく、女らしく。
両親が求めていたような価値観に、気付けば俺は違和感を感じるようになっていた。
俺は自分が男らしいかどうかは、正直言って自信がない。
それでも、こんな俺でも弘也は、必要としてくれた。

「生まれて来てくれてありがとう、弘也。」
ふっと、素で出て来た言葉。
それが弘也の涙腺を刺激したようだった。
「章彦もだょ!ありがとね。」
それからしばらくの間、二人、何も言わずにただ抱き合っていた。

SEXの方は、予想通り弘也は、絶倫だった。
だがその点では俺も負けてはいない。
まだ若いのだ。
この点、相性が良かった訳である。
良かった。

その後。
ある日の夕方、再び俺たちは光の海岸へと足を運んだ。
二人共、自分たちの関係は死ぬまで親には内緒にするつもりだ。
それでもいい。
とにかく、一緒に居たい。
それだけだった。

これから先、何があるだろうか。
果たして、耐えられるだろうか。
疑問は残る。
それでも、前に進むしかないーー。

そんな思いを内に秘めたなら、きっと強い筈、そう思った。
俺たちには、武器がある。
どんな時でも、あの聖なる光のシャワーを浴びれば、きっとまた立ち直れる筈だ。
そう信じているから、頑張れる。
まだまだやんちゃな弘也だが、徐々に俺色に染まって来ていた。
これから先、どうなるかーー。
俺にとっては、それも楽しみだった。
未来の俺らに、まずは乾杯だ。

お・し・ま・い

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