FC2ブログ

Bloomin’ Flowers VI : シクラメンに誘われて

美しい人を見た。
外見が、ではない。
身に纏った凛とした空気感が、美しいのだ。
黒いロングコートの裾が、風を受けて広がる。
彼は静かにそっと、口を開いた。
静寂のひと時。
その溜め息は、冬の青空に溶け込んで、僕の目を捉えて放さなかった。

僕は、恋をしていた。
年上の、まだ若い男の人。
通っている高校の、美術の先生だ。
太っていた。
笑顔が、可愛らしかった。
ある日冬空の下でその人をたまたま見ていて、そのえも言われぬ美しさに一目惚れをしたのだった。
それが僕の、初恋だったーー。

僕は常に孤独を感じていた。
当時両親には、カミングアウトは出来ていなかった。
このまま死ぬまで秘密にしておこうと、この時は思っていた。
友達は、要らなかった。
小学生の頃には、居たのだ。
初めは、仲が良かった。
だが、いじめっ子の転校生が同じクラスになると、その子はいじめっ子の子分となって僕をいじめるようになった。
裏切られた、そんな気持ちでいっぱいだった。
結局僕は中学校卒業までの長い間、その連中にいじめられ続けた。
最初は穏やかだった。
せいぜい口で罵倒する位だったからだ。
その内に段々とエスカレートしていって、個室で用を足している最中に、頭上の隙間からホースで水をかけられたりするようになった。
小便器で用を足していても、後ろから引き剥がされて、丸見えになった。
それ以来、学校のトイレが使えなくなって、漏らす事もしばしばだった。
それからの僕は度々、笑い者となった。
そしてついに暴行である。
それは、中学に進学した時から始まった。
僕は、黙って耐えた。
ここで折れたら負けだと、そう思っていた。
誰も、助けてはくれなかった。
味方は、居なかった。
親でさえ、学校に行くのを渋ると、家から叩き出すばかり。
人は所詮、孤独な生き物。
良くも悪くも自由で、独りで生きてゆくしかないーー僕はその頃から、そう思っていたのだ。

小学生の時分。
母にこう言われた。
「あなたは鈍臭いから、公務員か研究者にしかなれないの。一般企業は厳しいから、あなたの居場所なんてないわよ。」
当時は額面通りに受け取っていたこの言葉。
実は違うのだ。
それは親の願望だったのだ。
公務員か研究者になって欲しいという。
そんなに期待された所で、トンビは鷹を生まないのだ。
残念な事だ。

高校に入学して、環境が激変した。
友達はすぐには出来なかったが、ノートの貸し借り位はさせてもらえたし、いじめはピタッとなくなった。
人間、辛抱してみるものである。
こんな事になるとは、まさか。

部活に入った。
うちの高校では帰宅部というのは禁止だったから、仕方なくだ。
一番活動実態のない美術部に入部。
丸っこい体型だったので相撲や柔道に誘われたけれど、あまり気が向かなかったのだ。
体力はあるのだが。
気が弱いので、どうもね。
入部して、最初の日。
引き戸を開けて教室に入ると、のちの初恋の人が教卓の前に陣取っていた。
椅子に座る。
この時はまだ、意識はしていなかった。
ろくに顔も見ていなかったのだから、当然だろう。
自己紹介をして、簡単なデッサン。
実は密かに漫画家志望だったので、ちょろいちょろい。
と、いつの間にか先生が背後に立っている。
「上手いね。出来上がったらそれ、教室に飾っていい?」
「はい、ありがとうございます!」
それだけのやり取りだったが、内心ではとても嬉しかった。

美術部の活動はゆるいから良い。
それからも時々顔を出しては、仲間に教えたりしていた。
そんな中で出来た友達が、恵斗だった。
友達なんて要らないと、心底から思っていた。
だが、あまりの熱心さに押されて、もう一度、もう一度だけ、人を信じてみよう、そう思った。
夏の初めの事だ。
「お前ほんっと、絵上手いよなー!」
恵斗があまりに大袈裟に言うので、ちょっとこそばゆい。
「そんな事ないょ。もっと上手い人はたくさん居るょ。あと、こう見えても漫画家志望だし。親は公務員か研究者にしたがってるみたいだけど。でもそんなのは、真っ平御免だから、仕方ないね。」
「公務員は激務だっていうし、お前は研究者って感じでもないもんな。だいたいそんなのは、俺だって真っ平御免だ。俺は小説家志望なんでな。でもさ、漫画家志望だなんて言ったら、ご両親沸騰すんじゃねぇか?大丈夫なのか?うちは平気だったけど。」
恵斗は僕と同じ位の成績。
学年で、中の上。
そんな訳で僕は、両親から尻を叩かれている。
もっと勉強しろ、という事だ。
でも正直、今が限界だ。
やはりトンビは鷹を生まないのだ。
これはなかなか、上手い事を言ったものである。
で、返答は。
「まぁ、沸騰するだろうね。逃げるしか。」
とまぁ、こんな感じ。
二人して笑うのだった。

季節は流れ、十二月。
休みを利用して、日帰りの写生旅行に出掛ける事になった。
最初、両親には反対されたが、押し切って強引に参加する事にした。
両親としては、そんな暇があるなら勉強しろ、という事のようだった。
『勉強なんて大っ嫌いだし。あの人達、何にも分かってない!』
僕は心の中で毒づいた。

場所は、ごつごつした岩場のある、吹きっさらしの海岸。
まずもって、寒い。
しかも押し寄せる波や岩など、難しい題材ばかりだ。
気合いを入れねば。

ふと見上げると、まだ若い先生が高そうなロングコートに身を包んでいる事に気が付く。
頭には、多分ボルサリーノ。
そんなお金、何処から出て来るのかな?
いつも疑問に思っていた事。
先生、お洒落なのだーー。

美しい人を見た。
外見が、ではない。
身に纏った凛とした空気感が、美しいのだ。
黒いロングコートの裾が、風を受けて広がる。
彼は静かにそっと、口を開いた。
静寂のひと時。
その溜め息は、冬の青空に溶け込んで、僕の目を捉えて放さなかった。

恋に堕ちた、まさにこの時が、その瞬間だった。
動悸がする。
目を離せない。
「どうしたんだょ。まさかあのボンボン先生に恋したとか?」
「・・・・・・」
「まじか!」
何も言えなかった。
言葉を、紡げなかった。
痛恨だった。
目の前には恵斗の、暗くじめじめとした表情。
後で知った事だが、恵斗はこの時から既に、僕に恋をしていたのだ。

「これはいけない!」
そう呟いて僕は、写生に集中する事にした。
しかし視線はどうしても先生の方に向かってしまう。
結局、先生を含めた絵を描く事で折り合いを付けた。
終わった後僕の絵を見て、先生が。
「相変わらず上手いね。でもちょっと恥ずかしいな。」
そう言って頭を掻いていた。

叶わぬ恋だと知った。
先生には、許嫁が居た。
恵斗の知り合いからの情報だったが、実は裏が取れていた。

二階にある自室の出窓に、随分と前からシクラメンが飾ってある。
このシクラメン、喋るのだ。
精が宿っているらしい。
精の力で、年中花が咲いている。
ある意味、気味が悪い。
写生旅行から帰るなり、その精が言うのだ。
「あの美術の先生は学校の理事長の孫で、将来の校長候補。許嫁も居るから、恋に堕ちても悲しいだけだょ。」
僕はただひたすら、嗚咽を漏らすしかなかった。

写生旅行前日の夜。
父と母はテレビを観ていた。
いかにもトンビらしい時間の過ごし方だ。
テレビには、おねぇ系のタレントさんが映っていた。
それを観ながら、父は言う。
「面白いなぁ。おねぇっていうのも一つの才能だな。でもうちには要らないんだよなぁ。」
母も一言。
「ホモとかオカマとか、うちにはねぇ。アハハハハ!」
高笑いをしていた。
その夜、悔しくて眠れなくて、結局ずっと勉強をしていた。
少しは気が紛れるかと思ったのだ。

シクラメンは言う。
「恵斗に告白してみたら?恵斗も入学直後から君の事を好きでいるみたいだし、今だったら上手くいくかもょ。」
確かに恵斗も可愛い。
タイプだ。
しかし、そんなに簡単に気持ちが移ろう筈もなく、僕はただ頭を抱えるのみだったのだ。

季節は過ぎゆき、高二の冬。
先生に恋してから、一年が経とうとしていた。
僕は校内で、恵斗を探していた。
遂に告白する決意を固めたのだ。
気持ちの整理が、ようやっとついたという訳だ。
シクラメンからは、もう遅いかもょ、と言われていた。
それでも構わない。
正面からぶつかってやるんだーー。
探し回っている内に、普段誰も近付かない倉庫が目に留まった。
人の声がする。
そうっと忍び寄って覗いてみると、恵斗に顔も知らない男の子が、組み敷かれていた。
涙が止まらない。
その日から、僕は恵斗を意識的に避けるようになった。
恵斗は恵斗で、新しい恋人に夢中な様子。
僕達の友情は、終わりを告げた。

それから二年。
卒業したらお見合いをする事を条件に、僕は地元の国立大学へと進学していた。
実の所、その約束は反故にするつもりだった。
コネでとある企業の研究所に就職出来るかもしれないから頑張れと、息巻く両親。
正直、迷惑だった。
僕は漫画家になるーーその決意に揺らぎは一切なかったからだ。

ある日の夜。
いつまで経っても枯れない元気なシクラメンが僕に、耳の痛い事を告げた。
「あのね、絵が上手いだけじゃ漫画家にはなれないの。ちょっと才能不足。かといって、君自身が思っている通り、君は結婚にも研究所勤めにも向いてない。職人を目指すといいょ。大工さんなんてどう?体力も空間認識能力もあるし、手先も器用だから向いている筈だょ。」
頭に来た。
シクラメンの植わった鉢を持ち上げて、放り投げようとする。
するとシクラメン、透明な涙のような液体を滴らせながら、震えた声で「いいょ」と言うのだった。
僕は冷静になった。
「ごめんね」それだけ言って鉢を元に戻した。
シクラメンは頑張れ、頑張れと励ましてくれた。

恵斗とはあれ以来連絡を取っていない。
大学も違うので、会う機会もない。
大学の漫画研究会では友達も出来たが、浅い付き合いだ。
これまで意地になってはいたが、やはり僕の漫画は、研究会の皆からも評価は高くない。
詰んだ日常。

休日。
部屋でごろごろする。
やはり大工になるべきなのか。
思えば、シクラメンの助言は、常に当たっていた。
そのシクラメンが言う。
びっくりした。
「高校の頃の美術の先生、許嫁と結婚したくなくて、学校を辞めたらしい。大学を退学して家を出る覚悟があるなら、今なら結ばれるかもょ。その気があるなら、急いで!」
僕はシクラメンから彼の居場所を聞くと、大急ぎで支度をして、電車に飛び乗った。

三十分後ーー目的の駅に電車が滑り込む。
改札を抜け、近くの公園に向かうと、彼がベンチに座っていた。
僕は彼の前に佇む。
下を向いた彼が顔を上げて、あぁ君か、と声を漏らすのと同時に僕は告白をする。
「ずっと好きでした。僕とお付き合いしてください!」
頭を深々と下げる僕。
その直後、僕達の関係は、呆気ない程に簡単な一言でスタートするのだった。

「いいょ。」

僕が驚きで固まっていると、すっと手が出て来た。
「行こう。」
そう言われて、僕は彼と手を繋ぐ。

僕達は一時的にウイークリーマンションに住む事となった。
無職となった僕達が住むのにはうってつけなのだ。
お金は、彼の貯金がある。
学校は私立なので、一応雇用保険もあるようだ。
そうは言っても、僕も早く仕事を見つけねば。
彼も焦っているようだ。

後日。
一旦、実家に帰る僕。
荷物を取りに行く為だ。
彼も付いて来たかったようだが、僕が断った。
不測の事態を考えての事だ。
自分の親とはいえ、僕はあの人達の事をそこまで信用している訳ではないーー。

鍵を開ける。
するといきなり、母と鉢合わせになった。
「今まで何処へ行ってたの!」
怒気を含んだ声が響く。
僕に迷いはなかった。
「僕、大工になる。好きな男の人がいるので、その人と一緒に住む。今までありがとう。」
これに母は、一言だけ吐き捨てた。
「馬鹿ね、あんた。」

休日なので、父も居た。
大学を退学して大工になる事を改めて告げると、思ったよりも冷静な、しかし冷たい一言が放たれた。
「好きにしろ。ただし、もう戻って来るなよ。」
この時、僕は泣きたかった。
でも、踏ん張った。
この先、辛い事は幾らでもあるのだ。
その度に泣いていては、きりがないーー。

最小限の荷物だけをトランクに詰め込んで、シクラメンの入った袋を空いた手に下げて、僕は歩き出す。
振り返る事はしない。
ここはもう、僕の居場所ではないのだ。

その日の夕食。
カップ麺である。
二人して、無言で啜る。
侘しい宴。
と、ここで彼が言う。
「お互い仕事が見つかったら、すき焼きやろうね。」
「うん!」
急に元気が出て来た僕。
そこへシクラメンのアドバイス。
「先生は外国語教室の講師になるといいょ。すぐに仕事が見つかるょ。」
これで決まった。
彼、英語と仏語、それに日本語のトリリンガルなのだ。
明日からは職探しだ。
シクラメンのアドバイスは当たるから、仕事が見つかるのは早いだろう。
今夜はとりあえず、おやすみなさい。

初体験も終えて、翌朝。
どこか清々しい。
横には、愛すべき人の可愛らしい寝顔。
頰を突っついてみる。
「んぁ……あともう少し。まだ眠いょ。むにゃむにゃ。」
今朝の朝食も、カップ麺。
身体に悪いので、今夜辺りから自炊しようか。

昨夜のピロートークで。
僕の事を好きだったという、彼の驚きの告白があった。
昔からずっと、年下の太った男の人ばかりを好きになる自分が居て、嫌になっていたらしい。
家を飛び出した時は、まさに修羅場だったそうだ。
家が保守的だと、みんな悩むね。
仕方ない。
そうした事も含めて、自由なのだから。
そして、僕達ゲイは自由な世の中でしか生きられない。
何かあったら飛び出す勇気と覚悟の一つもなければ、情けないではないかーー。

半月後ーー。
僕達は揃って、仕事を見つける事が出来た。
僕は近くの小さな工務店。
彼は大手外国語教室チェーン。
という訳で、すき焼きである。
「二人共良かったねー。」
シクラメンの嬉しそうな声、僕達も嬉しくなる。
「まずは良かった、という事で、ね。かんぱーい!」
「かんぱーい!」
僕はまだ未成年なので、ジュースで乾杯だ。
「もう少しでお酒飲めるね、一緒に飲もうね。」
彼がそう言うので、大きく頷いた僕。
幸せいっぱいだ。

それからしばらくして、僕達は引っ越した。
今まで住んでいたウイークリーマンションがワンルームだったから、だいぶ広くなる。
彼の名義で借りるのだ。
部屋探しは難航したが、その甲斐あって良い部屋だ。
彼の仕事は至って順調。
僕の方も、初めは厳ついお兄さん達が怖かったものの、慣れて来ると良い人達で助かった。
親方には素質があると褒められて、嬉しい気分。

ある時本屋で、二人して新刊を物色していると。
たまたま手に取った一冊の本の著者名を見て、僕は声を上げた。
恵斗なのだ。
小説家になっていたのだ。
あとがきをぱらぱらとめくってはみたが、ゲイだとは何処にも書いていない。
写真は間違いなく恵斗だから、クローズにしているという事だろう。
迷惑が掛かるといけないから、連絡は取らない事にした。
本はもちろん、購入。
まだ初々しいが、なかなか面白い。
先が楽しみな作家だ。

翌年のお正月。
帰る実家もない二人、仲睦まじく二人で過ごす。
二人共料理は一応作れるが、あまり得意ではない。
なのでおせち料理は、コンビニで申し込んだもので済ませた。
栗きんとんだけは、別途買い増し。
二人共、大好物なのだ。
テレビの特番を観ながら、炬燵を囲んでほっこりとしたひと時。
幸せ也。

こうして僕達二人は、二人三脚での共同生活を始める事となった。
これからも手を取り合って、仲良くやれるだろう。
シクラメンも、しぶとく元気だ。
もう何年になるだろう?
不思議なものだが、まだまだ頑張って欲しいものだ。
そういえばシクラメン、育て方を間違えなければ、長生きなのだった。
そもそも精の力のお陰で、枯れる気配もない。
「僕はもうお爺ちゃんだょ。げほげほ。」
なんてやっているけれど、綺麗な花が咲いている。
まだ行ける。
大丈夫。
そんな訳で、皆でもっと幸せになろう、そう誓って、この話の〆とする。
頑張る!

続きを読む

Bloomin’ Flowers V [Trust me : Trust you]

この所、雨が多い。
じめじめとして、鬱陶しい。
今は出先で、傘はない。
持って来れば良かった。
迂闊だ。
雨音は嫌いではない。
しかし。
この急な雨は、俺を困らせようとしている風にしか思えない。
或いはこの雨はひょっとして、あの時の俺の涙なのだろうか。
そう思うと急に照れ臭くなって、俺は中華屋の軒先から飛び出すと、最寄りの地下鉄の駅の地上出入り口まで駆け出していたーー。

今からひと月前の出来事。
父が危篤だった。
倒れてからは、もう半年になる。
あの日、俺は仕事中だった。
入院中だった父。
容体が急変したのだ。
仕事を途中で切り上げて、早退。
病院へと急ぐ。
正直、間に合って欲しかった。
意識がなくなる前に、どうにか辿り着けないものかーー。
難しい事は分かっていた。
でも、うわ言でもいい。
父の言葉が、聞きたかった。
そしてその一縷の望みは、部屋のベランダの薔薇の鉢植えの数々の力を借りて、奇跡的な形で叶う事となる。

父とは昔から、仲が良かった。
ゲイである俺の事を、母以上に心から理解してくれていた。
俺が高校一年だった頃に、こんなやり取りがあった。
「ねぇ、俺男の人が好きなんだけど、やっぱおかしいのかな?病気だったら治療しないと。」
父は笑ってこう言った。
「そういうのはゲイっていうんだ。病気じゃないぞ。俺の知り合いの息子にも居るんだ。別に珍しくもない。怖がる事はないから安心しろ。ただ、その事を明かす相手はよく選べよ。」
この一件で、俺と父との絆はより一層、深まったのだった。

初恋と呼んでもいいものかは分からないが、初めて人に好意を寄せたのは、中二にまで遡る。
笑顔がとても可愛らしい、一つ年下の男の子だった。
告白をしたいのだが、失敗したら悲惨だ。
だから俺は、さり気なくこう聞いた。
「別に答えたくなかったらそれでいいけど、ゲイとかホモって、光君はどう思う?」
「僕は全然気にしないょ。良かったら付き合ってみる?君、名前は?」
や、いきなり直球か。
まどろっこしいやり取りはなしで、という事か。
それなら、それで。
「ありがとう!僕は充って言うんだ。ぜひお付き合いしたいな!これからもよろしく!」
もちろん、俺の方には断る理由など微塵もないのだから、ここは受けるしかない。
手を差し伸べると、温かくて俺よりも小さな掌が出て来た。

早速意気投合して、光君の家に遊びに行く。
着いた先は、いわゆる高級分譲レジデンス。
俺も一応この近所に住んではいるが、両親がかつて中古で購入した築二十五年の、古ぼけた小さな一戸建て。
だから正直ここは、俺には場違いもいい所だ。
オートロックを解除して中に入ると、そんなに大規模なマンションでもないのに、広いロビーとフロントがある。
「フロント、時間限定なのね。分譲の、これが弱みかな。」
とはいえ、話によると全二十戸そこそこの物件らしいのだ。
フロントなどある方がおかしい。
そういえばこのマンション、フロント以外に人の気配がしない。
その場にはちょっと居ただけなのだから、別におかしくもないのだが、それにしても何処を見回しても住人や関係者が一人も居ないというのは、何処となく不気味だ。
光君の住まいは、最上階のペントハウス。
四方向から光が差し込む住戸で、とにかく広い。
このフロアにあるお部屋は、ここだけ。
この時の俺は、あまりに浮世離れしている、光君の住む家を見て、正直舞い上がっていた。

両親は共働きらしい。
それぞれ別々の上場企業の幹部だとか。
どうりで。
それはそうと、家に上がるなり同い年位の男の子が居て、面食らう。
呆然と立ち尽くしていると、向こうから話しかけて来た。
「やぁ!君、名前は?光にはあと四人彼氏がいるから、君で六人目。確かに可愛い顔してるね。乱交とかもあるから、みんなで親睦を深める機会はあると思うょ。」
親睦ねぇ。
俺は真っ平御免だ。
という訳で俺は、早々に見切りを付けると、そそくさと退散する事にする。

「充君待ってよ!何が不満だって言うのさ!」
だから言ってやった。
「何もかもだょ。」ってね。
帰り道、不意に涙が零れたのを覚えている。
これが自分の初恋かと思うと、なんだか情けなかったのだ。

病室に着いた俺は、意識のない父と対面する。
すると、背後から母の声がした。
「間に合って良かった。それにしてもあなた、ゲイなのは良いけど、本当に子供は要らないの?可愛いわよ。身の振り方、少し考えてみてから決めても良いんじゃないかしら。」
母の発言、場違いも甚だしいので鬱陶しくはなったが、まぁ一人息子の長男が子供も作らないというのだ。
罪悪感は当然、ある。
だからここは努めて抑えて、冷静に告げた。
「俺が子作りのために結婚すると、偽装結婚になってしまう。相手の女性にも申し訳ないから、それは出来ない。」
母の返答は、意外にも素っ気ないものだった。
「あらそぅ。それじゃ仕方ないわね。」
それより、気になっていた事を聞かねば。
「何でそんなに気丈なんだよ。」
即答だった。
母は真っ直ぐな目で俺を見た。
「私は信じてるの。もう無理かもしれないと思ったら、それまででしょ。でも、万が一の事があるといけないから、あなたには急いで来て欲しかったの。」
その時だった。
俺を呼ぶ、小さな声がする。
これは時々聞こえる、家のベランダの薔薇達の声だ。
耳を澄ませるとーー。

「ねぇ充、お父さんの事助けてあげる。僕達は力を使い果たしてみんな枯れちゃうけど、悲しまなくて良いょ。また育ててくれれば、きっとまた会える、そう信じてるんだ。今までありがとう!またね、元気でね!」

同時に、父の意識が回復した。
俺は心の中で、薔薇達にありがとうと、そう何度も念じていた。

ふと思い出した、ずっと昔の話。
幼い頃から、特に父は俺に優しかった。
昔、父はよく肩車をしてくれた。
「ほーら、高いだろう!」
「うん!」
思い出は、きらきらと輝く。
父が肩車をしてくれなくなったのは、別に俺の親離れが進んだからとか、そんな理由からではない。
単に重たくなったからだ。
腰にくるのだという。
確かに当時から太ってはいたから、無理もない話ではある。

飛んでいた意識を元に戻すと。
半年間意識の回復がみられなかった父が、目の前で何かを喋ろうとしている。
気丈だった母はここで、泣き崩れた。
「洋子、充、心配かけたな。体が軽い。もう大丈夫そうだ。この分なら、また充の事、肩車出来るな。」
父は、そう言って笑った。
それだけで、たったそれだけの冗談で、俺は涙を止める事が出来なくなった。
父は両手で、母と俺の頭を掻き抱く。
薔薇達の尊い犠牲のお陰で、俺達の家族は救われた。

雨が上がった。
外回りを終えて会社へと戻る途中で。
鴉が、視界に入った。
正直、鴉は苦手だ。
嫌な思い出があるからだ。

二度目の恋。
鴉が邪魔をした。
中三の夏。
告白の時。
入道雲を切り裂くように、鴉が手前を横切る。
それだけならまだしも、その鴉、今度はこっちに向かって来るではないか。
「充君ごめん!僕、鴉は苦手なんだ!」
それから学校でも放課後でも、彼は俺の事を避けるようになった。
それどころかクラスメイトの間では、俺は鴉野郎という事になってしまった。
結局想いは、告げられなかったーー。
まぁ告げていた所で上手く行くとは限らなかったのだから、これはこれで結果オーライだったのかも知れなかったが。

雨だった日の夜。
路面はもう、すっかり乾いていた。
俺は仕事を終えて、帰路に就く。
行きつけの立ち飲み屋で、夕食がてらのつまみと共に一杯。
気取った店は、嫌いだ。
昔は憧れていたものだが。
時間が経てば、人も変わるのである。
と、ここで携帯に着信。
俺は基本的に、一旦登録した連絡先は消さない。
だから中学時代から今までの連絡先が全て、携帯に残っているのだ。
別に特段連絡を待っている訳でもないのだが、もしかしたら吉報が届く事だってあるかも知れないーーそう思うと、消せないのだ。
まぁ、それは置くとして。
俺は携帯の画面を見る。
驚いた。
それは初恋の相手、光君からのものだった。
俺は恐る恐る画面に指を触れて、なぞる。
電話に出ると、あの懐かしい声が聞こえて来て、妙な期待が頭をもたげる。
あれから俺も色々と経験を積んで来た。
今なら、あの時の光君の気持ちも、少しは分かるつもりだ。

そう、実はあるのだ。
光君と同じような事をしている男性に、恋に堕ちた事が。
その男性とは、俺が高一の時に出会った。
一目見て恋に堕ちた。
知り合ったきっかけは、いわゆる出会い系。
出会い系にはその後も、よくお世話になった。

談話室で。
静かな店内にて、紅茶を啜る俺と相手の男性。
相手の男性は、名を晶之と名乗った。
「これから行こうよ、僕ん家へさ!仲間も待ってるょ!」
「仲間って!?」
この時、嫌な予感がしていた。
それは程なくして的中する。
俺は、耳を疑った。
「あぁ、僕、彼氏が七人居るんだょ。充で八人目。よろしくね!」
すかさず手が出て来たので、条件反射で思わず握ってしまう。
退路を断たれた。
正直、あまりそういう面倒臭そうな人間関係の中には、首を突っ込みたくなかったのだが。
ヤマタノオロチではあるまいし。
でもまぁ、ここは仕方ないのでとりあえず、晶之さんの後を付いて行く事にした。

こぢんまりとした風情のマンションの、一室。
中は意外に広い。
居間に通された俺は、七人全員とここで対面した。
反応は綺麗に真っ二つに分かれた。
あからさまに嫌な顔をする子と、フレンドリーな雰囲気を醸し出してくれる子。
これでは、先が思いやられる。

それからは、色んな事があった。
俺を嫌っている子からは、嫌がらせを受けた。
俺にだけ埃だらけのお茶を出したり、座布団の真ん中に画鋲を置いたり、晶之さんの見ていない所で足を踏みつけたり。
でも、好いてくれる子も居た。
懐いてくれる子、助けてくれる子。
そこでは、SEXはしたい子とすればいいという状態になっていたから、抱いたり抱かれたりする事もしょっちゅうだった。
悪い事ばかりではなかったのだ。
しかし、そういう自由過ぎる人間関係に飽きて来たのもあって、一年でそこは卒業した。
晶之さんはいつもの調子で、止めるそぶりも見せずに朗らかだったーー。

光君からの電話。
「良かった、繋がった!」
声が嬉しそうだ。
俺は努めて冷静に、光君に声を掛ける。
「久し振りだね。どうしてた?俺は汐留勤めの、平凡極まるサラリーマンってとこ。」
それに光君、相変わらずの率直さで。
「ねぇ、今度会えないかな?近況も報告したいし。」
「オッケ!週末に池袋のカフェでどう?」
「分かったょ、了解。西口のスタバに十四時ね。」

どうせまた同じ事の繰り返しかも知れない。
でも、少しでもチャンスがあるならーー。
俺は、上手く行く方に賭けてみた。
失敗してもまた次がある。
いつもの事だ。
もうすっかり、慣れっこなのだ。
だから、気にしない。

あれから、また薔薇を育て始めた。
どういう訳か、今度の薔薇も喋るのだ。
こうした事は二度目なので驚きはしなかったものの、またか!という思いはあった。
前の薔薇達の記憶を受け継いでいる訳ではなく、その点では残念だったが、今度の薔薇達もフレンドリーなので、すぐに仲良くなれそうだ。

光君と再会する前の晩。
薔薇達がベランダで囁く。
「明日会う相手、びっくりするような秘密があるけど、怯まずに前向きに考えた方が良さそうだょ。」
びっくりするような秘密ーー気になる。
や、気になって眠れないじゃないか!
ベランダの薔薇達はクスクス笑っている。
笑い事じゃないっつーの、もぅ!

翌日。
池袋駅西口のスタバにて。
久々の対面。
相変わらずの童顔ぶりに、顔が綻ぶ俺。
でも、本題はここからだ。
まずは近況を聞かねば。
敢えて今、俺にわざわざ連絡をして来るのには、何か理由がある筈だからだ。
「ねぇ、最近どうしてる?彼氏の山はどうなった?」
するといきなり、予想外の言葉が飛んで来る。
「僕、HIVに感染しちゃった。だからみんな居なくなった。」
これは、どうしたものか。
前に進むにも後ずさりするにも、勇気が要る。
考える事、一分。
「良かったら、付き合わない?昔出来なかった事を、一緒にやろうょ。」
薔薇達のアドバイスを、ここで思い出したのだ。
すると目の前の丸顔が、涙でびしょびしょに濡れる。
俺は持っていたハンカチを差し出すと、頭をそっと撫でてやった。

聞くと光君、今は川越駅近くのアパートに一人で住んでいるのだという。
両親からはHIV感染発覚を機に見放されてしまったそうで、その後は至って庶民的な生活をしているという。
「夢はあるの?」
ふと、気になった事。
「好きな人と、一緒に住みたい。」
やはり、独りは嫌みたいだ。
ま、それはそうだよね。
という訳で、切り出してみる。
なに、これ位の事は予想の範疇内だ。
「とりあえず、うちに転がり込んでみたら?今、ちょうど2LDKの賃貸マンションに住んでいるから、部屋は空いてるょ。」
その瞬間、目の前の丸顔がパッと明るくなった。
「うん、そうしたい!」
早速俺達は、これから二人の家となる我が家へと、足を運ぶ事にした。
まだ新しい物件だから、きっと気に入ってもらえるだろう。

そもそも独り暮らしなのに、わざわざ家賃の高い2LDKを選んだのには、ちゃんと理由がある。
三年前の春まで、当時付き合っていた彼氏と、同棲していたのだ。
彼は、素敵だった。
俺には、勿体なかった。
そう。
俺には、素敵過ぎたのだ。

気が付いた時には、五股を掛けられていた。
そうなると、もう誰が遊びで誰が本命なのかも、全く分からない。
それにしても、一緒に住んでいたのによくまぁ気付かれる事もなく、そんなにも浮気が出来たものである。
まぁ、残業だとか出張だとか、頻繁にあったそれらは、大抵が嘘八百だったのだが。
俺の恋愛人生は、まさに七転八倒だった。
今度はどうなるか?
上手く行ってくれ、頼むーー。

「今日からここに居るといいょ。明日はちょうど休みだから、必要な荷物を持って来るとして。どうかな?」
「うん、ありがとう!僕、凄く嬉しい!」
感触は上々。
いい滑り出しかな、うん。

その夜。
初めて肌を重ねる。
すべらかな柔肌が、心地いい。
嬌声を聞きながら、ボルテージはMAXーー。

「ねぇ、良かったの?」
「んぁ、何が?」
「ほら、僕HIVでしょ。良かったのかなって。」
それなら取り越し苦労だ。
ちゃんとコンドームは着けていたし、何より覚悟は出来ていたのだ。
だから俺は、返事の代わりに抱き締めた。
優しい優しい、夜だったーー。

二年前。
付き合っていた子が、空の星となった。
俺の恋愛相手としては、珍しく真っ当な子だった。
優しかった。
それが、彼自身を苦しめていた要因でもあった訳だが。
俺は、何も出来なかった。
救えなかった。
そもそも当時は、彼の身に何が起きていたのかも知らなかった。
情けなかった。
本当に。

最後の夜。
俺に組み敷かれていたあの子は、透明な瞳を向けてこう言った。
「今までありがとう。幸せになれるといいね。」
訳も分からずにただ、俺は無我夢中で抱き締めていた。
目の前のあの子が掌から零れ落ちてしまうような気がして、たまらなかった。

あの子は、失踪した両親の借金を背負って、どうにもならなくなっていた。
訳を知っていた所で、俺に何が出来たか。
それは分からない。
でも、何も言わずに居なくなってしまったからーーいつまでも傷が疼いて、どうしようもなくなってしまったんだ。

あれから俺は、少しは成長出来ただろうか。
光君の事は幸せにしてやりたい。
今度こそ、何としてでも。

光君と同棲を始めてから半年。
俺達の関係は続いていた。
変わった事といえば、中古のマンションを購入した事だ。
ローンは俺が組んだ。
代わりに、生活費は光君に出してもらう。
二人で居るには、それが最善の策だと思ったのだ。
もちろん、薔薇達も一緒に、お引っ越し。
実は引っ越し先の物件は、薔薇達がお勧めしてくれたものだ。
だから内心では、安心している。
薔薇達を信じているのだ。
有り難い、得難い存在なのである。

ある日の夜、新居で。
光君が口を開く。
「僕の事、信じてる?」
だから俺は、胸を張って答えた。
「信じてるょ。だってそうでないと、家なんて買えないだろう?」
素で出て来た言葉。
飾り気など全くない。
やがて、黙ったままの光君を視界に入れて、俺は驚いた。
光君、泣いていたのだ。
こんな表情を見るのは、再会した時以来だ。
戸惑いながらも俺は、光君の事を掻き抱いてやる。

俺達には、夢がある。
それは、ほんのささやかな希望でもある。
いつでも、どんな時でも一緒に居たい。
それだけだ。
嵐の夜でも、向かい風の中でも、疑わずに、互いの支えになれたらーー。
そう思う俺達は、昔よりもきっと、強くなっている筈だ。

光君は、貯金をはたいて二丁目にバーを出店した。
自身の経験を、悩める同胞達にも伝えたいらしい。
今の所、収支はとんとん。
まぁ気長にやればいい。

父とは、前よりも増して仲良くなった。
母との関係も良好だ。
俺はついこの間、光君の事を俺の両親に紹介した。
「まぁ二人共ふっくらしちゃって!確かに可愛らしいけど、糖尿病には気を付けるのよ。」
母さんはそう言いながら笑って、饅頭を頬張る。
人に糖尿病の心配をしながら、饅頭ねぇ。
何だかな。
「充のこの体型、誰に似たのかね?」
父が笑って言うので、母がすかさず突っ込んだ。
「あら、あなたよ〜。」
母、大笑いですが、僕、あなたにもとても良く似ています。
残念な事です。
それからは宴もたけなわ、賑やかな食卓となった。

俺達のストーリーは、まだまだこれから盛り上がってゆく。
この広い空の下で、夢を膨らませる事が出来たなら、約束の地はきっと、もうすぐだ。

-完-

続きを読む

Bloomin’ Flowers IV : 徒然小噺

水の中に潜る。
ゆったりとした波の動きに、暫し身を預けてみる。
旅先の海で、シュノーケリング。
ゴーグル越しに覗いた海は、魚たちの楽園だった。
「気を付けな!握った手綱は、決して離さないんだよ。いいかい?」
海の中から聞こえてくる声。
俺はどうしたらいいか分からなくて、ただ黙って頷いた。
それからずっと、何かある度にその時の言葉を思い出すようになっていた。
この時、相方さんは聞いていなかったようで、何も知らなかった。
休暇を取って二人で出掛けた、沖縄での事だったーー。

ずっと、一緒に居よう。
それが、二人で交わした、たった一つの約束だった。
白い薔薇の咲き乱れる庭の真ん中で、俺らは抱き締め合った。
俺らには時々、白い薔薇の囁きが聞こえる。
最初は幻聴だと思ったが、それにしてはいやにはっきりと聞こえる。
しかも、二人共同じ内容を聞いているのだ。
それはもう、驚いた。

最初は不気味だったが、どの薔薇も俺らへの敵意がないと分かると、自然と友達になっていった。
もちろんこの事は、二人と薔薇だけの、秘密だった。
バレると騒ぎになるからだ。

「ところでーー。」
俺らで勝手に長と名付けている薔薇の花が、よく通る声で一言一言を噛み締めるように、ゆっくりと話し始める。
「互いの気持ちを、裏切ってはいけないよ。ずっと仲良くするんだ。そんな姿が、お前さんたちには良く似合う。笑顔で、居るんだよ。」
気にはなった。
でもこの時は、忘れる事にした。
忘れて、しまったんだ。

それから一ヶ月後ーー。
俺は成り行きで、仕事先の先輩に組み敷かれていた。
酒を飲み過ぎたせいで、ここに至るまでの記憶は曖昧だ。
「リリン、リリン、リリン、リリン」
俺の携帯が鳴っている。
相方さんとは共に暮らしているので、心配したのだろう。
だが、今出る訳にはいかない。
放置していると、着信音は鳴り止んだ。

細い道を歩く。
だいぶ酔いが醒めてきた。
すっかり遅くなった。
お詫びにコンビニでアイスでも買って行こう。

家に戻ってインターホンを押すも、反応がない。
ここは鍵を使って開けるしか。
だが、鍵を解錠しても、チェーンのせいでドアが開かない。
困った。

俺は携帯を取り出すと、何度も鳴らしてみる。
が、音信不通だ。
もう家の前であるとはいえ、時刻は既に終電後。
無理もないか。
大体、俺がこんなに遅くなるのは珍しいのである。

待つ事暫し。
そろーっと扉が開く。
中から現れたのは、恨めしそうな顔。
「何だよ、こんな夜更けに。」
「そう言わずに入れてくれよ、頼む!」
「せっかく美味しい麻婆麺作って待ってたのにさ。ご飯はないよ。」
チェーンが外され、ドアが開く。
と共に抱き付いてくる我が相方。
可愛いな。
そんなことを思っているとーー。

「やっぱり!香水臭い!いつも香水なんかつけない癖に!この浮気者!出てけぇーー!!」
またドアは閉じられてしまった。
この家のローンを返済しているのは、俺なのだが。
とはいえ、酒のせいでもあったが浮気したのは、事実、なのだろう。
都合が良いのか悪いのか、その辺りの記憶がどうにも曖昧なのだ。
気が付いたらベッドの上。
その後も記憶は途切れ途切れ。
まぁ断片的には映像が思い浮かぶから、たぶん浮気したのだろう。
だがそもそも、俺には浮気をする動機がない。
俺はずっと相方さん一筋で生きてきた。
高校時代からの付き合いだ。
一度の過ちで全てを失くすのか。
情けないな、俺。

その夜は、繁華街のネットカフェで一夜を過ごした。
朝方。
携帯のバイブで目が醒める。
差し出し人は、相方さんだった。
「出て行く事にした。残った荷物は、全部処分してくれていいから。追いかけたって無駄だよ。僕、結婚する事にしたから。」
顔から血の気が引いてゆく。
相方さん、バイではない。
ゲイなのだ。
だから高校卒業後、二人して逃げるようにして、上京して来たのだ。

ここで庭の薔薇の花の声が、耳元で微かに聞こえた。
「いいかい、これが最後のチャンスだょ。タクシーを捕まえて、駅まで先回りするんだ。相方さん、まだ家だから、間に合うょ。すぐにそこを出て!」
俺は慌てて会計を済ませると、大通りでタクシーを拾い、大急ぎで駅まで向かった。

高一の夏。
クラスメイトに、俺は告白をした。
今の相方さんである。
「変態だと思うなら、それでも構わない。もし良かったら、俺と付き合って!」
相方さんに似合うと思って、白い薔薇の花束を渡した。
そうしたら相方さん、とても嬉しそうに笑って、黙って頷いてくれた。

それからは楽しかった。
ただ、俺らが住んでいたのは地方都市とはいえ結構な田舎であったから、怪しまれないように、それだけは気を遣った。
場所がないのでSEXもキスも出来ず、本当にプラトニックな交際を続けていたのだが、それでも毎日は楽しかった。

同級生は、上手くごまかせた。
元々共通の友人も居たので、三人でつるんでいる分には、誰の疑いの目もかからなかったのだ。
最後の最後で騙し切れずに俺らの関係が発覚してしまったのは、両家の両親だ。
卒業式終了後。
感極まって、周りに両親が居ない事を確認してから、俺らはこっそりとファースト・キスを済ませた。
それを、俺の父が物陰で盗み見ていたのだ。
そこへ、両家の両親が集まる。
無言の圧が凄かったが、彼らは至って冷静だった。
四人で何やら、ひそひそと話をしている。
やがて四人を代表して、俺の父が口を開いた。
「せっかく受かった大学、行きたいだろう?今この場で別れるのならば、通わせてやる。良い見合い話もあるだろう。別れないというのならば、即刻出て行ってもらう。それでも、結婚する気が起きた時は戻って来ていいぞ。よく考えるんだな。」
そこで二人手と手を取り合って、それぞれの実家に急ぎ、最低限の荷物だけを持ち出すと、上り列車へと滑り込むのだった。

「どうする、これから?」
俺が不安の眼差しを相方さんに向けると、目の前の丸顔はあっけらかんとしてこう言った。
「大丈夫だょ。二人だもん。何とかなる。」
その根拠のない自信が何処から出て来るのかは不思議だったが、何となく伝わってくるものは、確かにあった。

それからは、二人して物流関係のアルバイトをして生計を立てながら、地方公務員の試験の勉強をしていた。
安アパートにて、二人暮らし。
男同士なので、物件探しが大変だった。
これはもう、本当に。
まだ東京だったから救われたのだ。
仕事と勉強の両立は、それはそれは苦労の連続だったが、嬉しい事に二人共、試験は受かったのだ。
まぁこれでも二人揃って地元では、成績優秀で通っていた訳である。
そうでもなければわざわざ親が、あんな田舎から金のかかる大学へと進学させようとする道理はない。
少なくとも俺らの実家の方では、皆そう考えていた。

公務員になってみて、予想よりも激務だという事には面食らった。
だが時間が経つにつれて、家のローンを組めるようになったり、クレジットカードを作れるようになったりと、それまで考えられなかったような暮らしが出来るようになっていった。
ボーナスも多い。
なるほど、これは辞められない。
二十代も終わりに差し掛かった頃に、貯金の大部分を頭金に回して買った家は、都内近郊の一戸建て。
格安のリフォーム済み中古物件で、小さいながらも、庭が付いていた。
俺らはその庭を、白い薔薇で埋め尽くそうと話していた。
思えばあの頃が、それまでの人生の中で、一番楽しかった頃だったのかもしれない。

タクシーが、駅に到着する。
近くに花屋があるのを思い出した俺は、白い薔薇の花束を買って、相方さんの到着を待っていた。
今日は祝日。
店、開いていて良かった。

ドスン!

振り向くと、相方さんがこちらを見たまま手荷物を落として、呆然と立ち尽くしていた。
一歩、一歩、距離を詰める。
「今度デパートで結婚指輪を作ろう。もちろん、お金は俺が出す。頼む、戻って来てくれ!」
目の前の顔がくしゃくしゃになって、涙と鼻水でべちょべちょになる。
「可愛い顔が台無しだょ、ほら。」
俺がハンカチを差し出すと、顔中一通り拭いてから、色気も何もなくチーンと鼻をかんで、自分のパンツのポケットにそれを突っ込んだ。
『や、高かったのだが、そのハンカチ。』
とまぁ、思わない事もなかったが、ここは自業自得。
諦めねばならない。

「行こう。」
相方さんの掌が出て来た。
もう二度とないチャンス、繋いだ手は、離さない。
「もうしないでね。」
上目遣いで弱々しくこちらを見るので、俺は「もちろん!」と胸を張った。

帰る途中で、お昼の材料を買う事にした。
「今日から二人で禁酒!酒癖悪いんだから。今回のもどうせそのせいでしょ。破ったらお尻百叩き!絶対やるかんね!」
怖!
俺は別に酒に依存している訳ではないので、断酒は容易い。
ただ、弱いのだ。
すぐに意識を失くす。
俺はもう二度と酒は飲むまいと心に誓いつつ、それとなしに相方さんの横顔を眺めてみるのだった。
「う、何?なんか付いてる?」
「ううん。あんまり可愛いから、つい。」
「恥ずかしいょ、止めて。」
二人して笑った。
これでもう、大丈夫だ。

買い物しながら。
「実家には連絡入れたの?」
「ううん、まだだった。ギリギリセーフ。」
「良かった!麻婆麺作ってよ!炒飯と餃子もね。」
「良いけど、昨日早く帰ってくれば食べられたんだょ。ちょっとは反省してよね。」
「ごめん!」

スーパーで一緒に買い物。
休みの日はいつもだ。
平日は早く帰れそうな方が買い物をする。
二人共料理は作れるので、料理も早く帰った方の担当だ。
今日は休みなので、料理は一緒に作る。
幸せな時間。
豆腐や麺を選んでいるだけでも、楽しい。
二人して、笑顔が絶えない。
手放したくない、この時間を。
決して。

次の週末。
新宿のデパートの宝飾品売り場に来ていた。
二人してすっかり、お上りさん。
勇気を出して、店員さんに声を掛ける俺。
二人の結婚指輪を作りたいというと、怪訝そうな顔一つせず、商品を紹介してくれた。
良く出来た店員さんだ。
それにしても。
「や、高いな。」
思わず漏れた言葉。
横では、そんな俺を相方さんが睨んでいる。
買うとも、買いますとも!
もうこうなればヤケクソである。
どうせもう少し待てば夏のボーナスもある。
何とかなるっ!

サイズの調整があるので、その場では受け取れなかった。
また来るのかょ、ここに。
正直言って、デパートは苦手なのだが。
まぁ、元々が身から出た錆なのであるから、仕方ない。

カフェで休憩。
ぼんやりしていると、昔の事を思い出す。
中学生の頃。
クラスメイトの男の子から、告白をされた。
正直、好みではなかった。
だから、断った。
男の子、泣きながら駆け出して行った。
胸がちくりと痛んだ。
それで、終わる話だった。
が。
その場面を盗み見していた者が居た。
学年きってのいじめっ子と、その子分だ。
二人は、男の子がゲイだと吹聴して回った。
俺は断ったから助かったようなものだ。
可哀想に、男の子は遺書も残さずに自殺してしまった。
学校側はいじめがあった事を全面否定。
うやむやになって、終わってしまった。
ある日、男の子の両親と学校の廊下ですれ違ったのだが。
その時の両親の、鬼のような形相が今でも忘れられないーー。

「おーい!どうしたのー?心ここに在らずな感じ。まさか男の品定めとか!許せなーい!」
「違うからー!中学生の頃のクラスメイトの話。自殺した。」
「あぁ、その話か。悩むのはわかるけど、君は悪くないょ。大丈夫だから、ね。」
「ありがとう……。」
俺は思わず、泣き出してしまった。
涙と鼻水で、顔中べちょべちょだ。
「はい、これ使って良いょ。こないだのお礼!」
下ろしたてのハンカチを渡してくれた。
嬉しくて、更に涙が溢れて来る。
その後俺らは再び、デパートに戻った。
ハンカチを買うのである。
二人共に潔癖症のきらいがあるから、涙と鼻水でべちょべちょになったハンカチを、洗濯機で洗う気がしないのである。
地下食料品売り場で今夜のおかずも買って、帰宅。
一緒に夕食を用意して、笑って、喋って。
楽しい。
やっぱり俺には、君がいい。
心からそう思うのだった。

食事の後は、借りて来たブルーレイの鑑賞。
スプラッター映画だ。
二人共好きなのだ。
怖面白いのが、素敵だ。

夜。
事も済ませて、ベッドの縁に並んで。
相方さんの顔が優れない。
「どったの?」
「んぃやね、昼間泣いてたでしょ?似たような話が僕にもあってさ。記憶に蓋をしたくて、今まで話さなかったんだけど……。」

相方さんは切れ切れに、話を始めた。

「僕ね、中一の頃に、痩せ型の体の大きなクラスメイトから、告白されたんだけど。タイプではなかったので断ったら、たちまちいじめられるようになってしまって。結局転校したんだ。」

ゲイの告白、なかなか難しい。
俺も相方さんへの告白は、決死の覚悟でやったもんな。

俺は相方さんに、こんな言葉を贈った。

「東京は自由だ。俺らには住みいい。自由は時に残酷だけれど、それなしではたぶん、ゲイは生きられない。だから俺は自由が好きだょ。たとえ荒波に揉まれて沈む事があっても、二人でなら平気だ。自由であった事を、それで恨んだりはしない。そうだろう?」

相方さんは大きく頷くと、俺に抱きついて来た。
「今度は香水の臭いしないね。うん、僕はこれがいい。」
そのまま抱き合って眠りに就く。

翌朝。
今日からまた、仕事だ。
「頑張ろうね、お互い。」
「うん。」
所属する部署が違うので、仕事中に顔を合わせる事はない。
まぁ、その方が仕事に集中出来るから、良いのだ。
頑張って働かねば。
まだ家のローンがたんまりと残っている。
相方さんの笑顔の為にも、今日も頑張る!

ふと窓の外を見ると、木の枝にムクドリが二羽、留まっていた。
俺らもあんな風に見られたいものである。
可愛い。
そんな事を思って少し手が止まると、上司がやって来て咳払いをする。
いけね!

同じ庁舎に勤務しているので、上手くいけば一緒に帰れる事もある。
今日は二人揃って定時退勤。
こんな日は、二人でスーパーに行くのが楽しみなのだ。
今ここに在る幸せを、決して手放さないようにーー。
もう過ちは犯さない、そう固く心に誓った。
家の薔薇や海の生き物たち、みんなありがとう。

もうすぐ、相方さんと出逢った記念日だ。
忘れてはいない。
プレゼントはちゃんと考えてある。
俺らの日々は、まだまだ終わらない。

お・し・ま・い

続きを読む

Rebirth -君に贈る詩- [Bloomin’ Flowers III]

声が枯れるまで、叫んだ。
ただその場に立ち尽くしていた。
震えが、止まらなかった。
涙が、止めどなく溢れ出てきた。

僕らは何故、こんな別れ方をしなければならなかったのだろう。
少年はそう、何度も己の胸に問いただした。
答えは、出なかった。

「それでも、前に進むしかない。」
少年は、生きる覚悟を決めた。
それこそが、今は亡き最愛の人への弔いになる唯一の事だと、分かっていたから。

やがてしばしの時が流れ、
少年は最愛の人の墓標を後にする。
帰り道の電車の中で、
車窓を眺めながら少年は過去の思い出を脳裏に蘇らせていった。

Rebirth -君に贈る詩- [Bloomin’ Flowers III]

それは、ある冬の夜の事だった。
予知夢という現象があるという。
そうでなければいいのだが。
この夜、少年・章吾は、大の仲良しの友達の悠太の夢を見ていた。
それは、悪夢だった。
夢の中で悠太は、信号無視の車に轢かれて、亡くなっていた。
悠太が、衝動的に飛び出しているようにも見えた。
章吾が予知夢ではないかと思ったのには、理由がある。
この夢を見たのは、これが二度目だからだ。
これには、流石に参った。
何しろ、友達とは言うものの、少なくとも章吾は、悠太の事が大好きだったのだから。

夢の中の墓標は、何処だったのだろう?
帰り道の車窓の景色は、何を映していたのだろう?
はっきりと覚えてはいるが、何処も見覚えのない景色だったーー。

やがて章吾は、二度目の悪夢に呆然としながらも、悠太と出会った頃の事を思い出すーー。

雲ひとつない快晴だった。
ツンとした、抜けるような青空が綺麗な、学校からのいつもの帰り道。
下り坂を駆けて行くと、章吾が以前から気になっていた同級生の子が、ひとりぼっちで歩いていた。
「いつも、寂しそうだな。」
そう思うと胸が締め付けられる思いがした。
話がしたい、せめて一言だけでも……。
想いが爆発しそうだった。
章吾は決死の覚悟で、その子の背中を叩いた。
「ね、君ひとり?一緒に帰らない?」
何気ない一言。
しかしそれとは裏腹に、声は上ずり、震えていた。
掌に僅かに汗をかく。
章吾は永遠とも思えるほんの数秒を、胸が張り裂けそうな想いで待ち続けた。
すると、どうだろう。
その子は満面の笑みを浮かべて、力強く大きく頷いたのだった。
こうして、章吾と悠太の関係はスタートした。

初めは、ぎこちなかった。
緊張の中、言葉を紡いでゆくのが互いに難しかった。
それでも章吾は、こんな自分に笑顔をくれる、それだけで嬉しい、そう思って、すっかり舞い上がっていた。
すると、突然、少しくぐもった小さな声で。
「ぼくんち、来る?」
聞き逃しそうだった。
けれども、章吾にとっては、願ってもない誘い。
断る訳にはいかない。
「いいの!?行く、行く!」
こんな風に嬉しい時、ついついはしゃいでしまうのが章吾の癖なのだが、そんな様子さえも笑顔で見ていてくれる悠太に、章吾はすっかり心を奪われていた。
『この目の前の弾けるような笑顔を、この先もずっと傍で見ていたいーー』
そう思う章吾は、恋に落ちていた。
いわゆる一目惚れ、初恋というやつだ。

悠太は、童顔にムチムチとした体つきの、優しい雰囲気の少年。
章吾は本当に、いっぺんでやられた。
上手く仲良くなれる自信は、正直言ってなかった。
だが、ここは行ってみるしかないのである。

「お邪魔しまーす。」
引き戸が開けられるのにつられて玄関をくぐるが、人の気配がしない。
悠太の家は一戸建て、古い民家だ。
そう、確かに古いのだが、手入れが隅々まで行き届いていて、全体に風情がある。
粋なのだ。
章吾は生まれた時からのマンション住まい。
正直、こんな一戸建ては羨ましい、そんな風に章吾は思っていた。

「家の人はいないの?」
一応、聞いてみる章吾。
「親は共働きだから、夜にならないと帰ってこないんだ。僕一人っ子だし誰も居ないから、遠慮しなくていいよ。」
これは願ってもないチャンスだ。
この機を逃す手はない、章吾はそう思った。
「僕の名前は章吾。好きなスポーツは野球。少年野球のチームでキャッチャーやってるんだ。よろしくね。」
まずは自己紹介から。
章吾は太ってはいたが、スポーツ万能なのだ。
すると……。
「へぇ!野球出来るなんて凄いな。僕なんて柔道とか相撲とか、よく誘われるけど、スポーツはからっきしダメ。章吾君はクラスでもいつも友達と仲良さそうにしてるから、友達の居ない僕からしてみたら、なんか羨ましいっていうか、憧れちゃうな。」
章吾、悠太に感心されてしまった。
今度キャッチボールにでも誘ってみようか、章吾はこの時そんな事を考えていた。
それにしても、まだ名前も聞いていない。
そう思っていたら……。
「僕の名前は悠太。よろしくね。」
手を差し出された。
温かくてスベスベで、柔らかくて気持ちいい。
「手、スベスベだねー。」
「そんな事ないよー。」
たわいもない会話も、悠太となら楽しかった。
章吾はこの時、浮ついていた。

「二階へ行こうょ。僕の部屋があるんだ。色々と見せたい物もあるし。」
「OK。何があるのか、楽しみだなぁ。」
章吾、行ってみて仰天した。
悠太の部屋は二つあるのだ。
一つ目の部屋は八畳間。
入るなり、部屋いっぱいの鉄道模型が目に飛び込んできた。
「ひゃー!こりゃ凄い!カッコいいねー。」
章吾がはしゃぐ。
その様子を見た悠太は、顔を綻ばせてとても嬉しそうにしていた。
「Nゲージ。ちゃんと動くよ。」
悠太がスイッチを入れると、電車が本当に動き出す。
「へぇ、こりゃ凄いや。悠太君家ってお金持ちなんだね。」
章吾なりの素直な感想。
章吾にとっては、こんなに大きな鉄道模型を間近で見るのは初めての体験だ。
本棚には鉄道関連の本がぎっしり。
小さな台の上には、一眼レフに白い大きなレンズ。
とても中学生の持ち物とは思えない。
きっと悠太は両親から大事にされているんだろう、章吾はそう思っていた。
これは実際にその通りで、溺愛とまではいかないにせよ、悠太は両親の愛を一身に受けて育っていた。

「隣が寝室兼勉強部屋なんだ。今からお茶とお菓子を持ってくるから、その辺の本でも読みながら待ってて。」
そう言って悠太が下に降りて行ったので、章吾は暇つぶしに鉄道雑誌でも読んでみる事にする。
「それにしても難しい漢字が多いなぁ。悠太君、頭良さそうだもんな。年中落第点の僕の手には負えないや。」
章吾が少ししょんぼりしていると、トレーを持った悠太が声を掛けた。
「隣の部屋でお茶にしようよ。ここじゃ狭いから。」
実際には、Nゲージに場所を取られて座る場所がないだけで、決して狭くはなかったのだが。
トレーの上を見ると、そこにはどら焼きと水羊羹。
どっちも章吾の大好物。
隣の六畳間。
二人の間にあったのはたわいもない会話ばかりで、特に何が起きたという訳でもないのだが、どら焼きと水羊羹も手伝ってか、章吾はこの日一日中上機嫌だった。
それは、ある冬の日の出来事だったーー。

一年後ーー。
悠太は、ある男からお金を受け取っていた。
「五万でいいね。」
「うん。」
中年の男は、前払いで悠太にお金を渡すと、いつものようにアパートへと連れ込んだ。
アパートは、彼の好みである中学生男子を連れ込む為だけに借りていた物件なので、自宅は別にある。
男には妻と子供が一人ずつ居るが、当然二人はこのアパートの存在を知らない。

悠太は、男の事を正直、気持ち悪いと思っていた。
でも彼は悠太にとっては、いい金づるなのだ。
少なくとも自分が中学生の間は、手放すわけにはいかない。
本当は止めたいという気持ちも、ないではなかった。
それでも、止める訳にはいかなかった。
悠太は上級生に目を付けられて、金をむしられていたのだ。
渡す金がなくなったら、暴行を受けてしまうーー。
だからこそ、悠太はこんな事を止められないでいるのだ。
章吾に相談しようかーー。
何度もそう思った。
けれども、章吾を巻き込む訳にはいかない。
ましてや、両親にはーー。
そんな思いが、誰かに相談するのを躊躇わせた。

行為の間中、悠太は苦痛に顔を歪めていた。
痛い上に気持ち悪い。
吐き気を催す事もしばしばだった。
こんな自分を誰かが救ってくれたらーー。
そう思って、悠太はその馬鹿馬鹿しさに自分で呆れるのだった。

行為を終えると、男は素っ気なかった。
いつもの事だ。
帰り道、上級生が待ち伏せていた。
「おぅ!変態のヤリマン。金は用意出来てんだろ?さっさと渡せよ。」
さっき受け取ったばかりのお金を全額、上級生に渡す悠太。
「よしよし、また来週もよろしくー。」
そう、これで悠太は月に二十万円も稼いでいたのだ。
デブ専にとっては極上の容姿の、男子中学生。
お金になるのだ。
これでどうにか悠太は、暴行を受けないで済んでいたのだ。
上級生にとって悠太は商品だ。
金を渡してくれている間は、暴行をする道理はないのだ。
痣でも出来たら、高く買ってもらえなくなる。
それは、自分の取り分が減る事を意味するからだ。
それはまさに、外道の行いであった。

その一週間後、章吾は。
ベランダのノースポールが何やら騒がしいので、話を聞く事にした。
このノースポールが喋るのは、家族みんなが知っている。
もう慣れたので、誰も驚かない。
「ねぇ、何?」
章吾が尋ねると、ノースポールは慌てた口調でまくし立てる。
「悠太くん、今晩辺り死んじゃうかも!」
「走ってきた車に飛び込んで、轢かれちゃうかも!」
「自殺だってさ!」
「悠太くん、売春しているらしいよ!」
「そのお金、全部上級生に渡してるとか。」
「もう疲れたんだって。助けてあげたら?」
章吾は、愕然とした。
親友だと思っていた。
なのに、何も気付いてやれなかった。
何も出来なかったーー。
今もそうだ。上級生相手に勝てるだろうか。

あの時の悪夢が蘇るーー。

声が枯れるまで、叫んだ。
ただその場に立ち尽くしていた。
震えが、止まらなかった。
涙が、止めどなく溢れ出てきた。

僕らは何故、こんな別れ方をしなければならなかったのだろう。
章吾はそう、何度も己の胸に問いただした。
答えは、出なかった。

「それでも、前に進むしかない。」
章吾は、生きる覚悟を決めた。
それこそが、今は亡き最愛の人への弔いになる唯一の事だと、分かっていたからーー。

ーーもとより章吾には、後追い自殺などするつもりはなかった。
それでも、何としてでも悠太の自殺は防ぎたい。
何か出来る事はないか。
本当に、何もないのかーー。

「そうだ!カメラだ!」
悠太を尾行して、お金を受け渡している所を、カメラで撮影するのだ。
再びノースポールに尋ねる章吾。
「ねぇ、悠太が売春する曜日と時間、それに場所って毎回決まってるの?」
「うん、毎週土曜日の午後三時から、木村クリニックの前のアパートの201号室で。毎回同じだよ!次はちょうどこれから!今から行けば十分、間に合うよ!」
「分かった!ありがとね!父さんに一眼レフと望遠レンズ、借りて来る!」

「ねぇ父さん。近所で景色を撮りたいから、カメラと望遠レンズ、貸してくれないかな?」
「お、お前がカメラに興味があるとは、知らなかったな。やっぱり俺の息子だな。貸すのは良いけど、壊すなよ。」
章吾の父・大吾は笑顔でそういうと、ガラス張りの棚から光学式手ぶれ補正付きの高価な一眼レフと望遠レンズを取り出して、大事そうに手渡してくれた。
ここは感謝感謝、そう思う章吾だった。

午後四時。
現場で。
物陰に隠れて様子を伺う章吾。
上級生がやって来た。
見覚えがある。
『腕力はほどほど、一匹狼だから多人数を相手にするよりはやりやすいだろう。』
そんな最悪の事態を想定しながら、章吾は悠太が出て来るのを待つ。

来た!
玄関先で男が見送っている。
章吾はすかさず写真を撮った。
お次は現金の受け渡し場面。
これもばっちり!

章吾は学校の先生の事は全く信用していなかったので、まずは帰宅して父・大吾に事情を説明。
お金の受け渡しの写真があったから、すぐに事情は理解してもらえた。
写真をプリントアウトすると、まずは大吾と一緒に、買春をしていた男のアパートへと急ぐ。
男は、運良くまだ居た。
大吾、ここで鎌をかける。
「うちの子の同級生の悠太くんが、お宅と売春したと、白状しました。」
男は目を丸くした。
続いて、アパートの玄関先を撮った写真を見せる。
「ここには、悠太くんとお宅が一緒に写っています。言い逃れは出来ませんよ!」
男はしょげ返っていた。
「もうしません。だから、警察にだけは言わないでください。」
ここで大吾が男に尋ねる。
「お金の使い道について、悠太くん、何か言っていませんでしたか?」
「ーーーーあ!そういえば一度だけ、上級生に巻き上げられていると言っていましたね。」
大吾はここで、語気を強める。
「その上級生の家に、今から行きます!付いて来てくれますね?」
「はい……。」

ここで章吾ははたと、重大な事に気付く。
章吾は、その上級生の名前は知っていても、住所までは知らなかったのだ。
その事を正直に打ち明けると、大吾はニンマリと笑った。
「俺に任せとけ。」
大吾の後を付いて行くと、ある一戸建ての前に辿り着いた。
表札の苗字は確かに、上級生のものだ。
何故知っているのだろう?
後で聞いてみよう。
この時の章吾は、そう思っていた。

大吾がインターホンを押す。
程なくして、上級生の母親と思しき人が玄関扉から顔を出した。
「あら、佐伯さん!いつも主人がお世話になっております。どうぞ上がってください。」
章吾と買春の犯人は黙って大吾の後を付いて行く。
この時ほど父・大吾の事が頼もしく思えた事は、少なくとも章吾には今までにはなかった。

リビングに通される一行。
そこには、上級生の父親と思しき人がソファに腰掛けていた。
「あなた、佐伯さんよ。」
「これはどうも。いつもお世話になっております。今日はどういったご用件でしょう?」
「それがね。まずはこの写真を見て頂くとして。これを、どう説明なさいます?」
お金の受け渡し場面の写真。
これを見た上級生の父親らしき人の顔から、見る間に血の気が引いてゆく。
だが、それでもお構いなしに大吾は続ける。
「隣のこちらの方が、写真にも写っているうちの子の友達と売春行為をしていましてね。一回五万円、毎週やっていたそうです。そのお金を全部、お宅の息子さんが巻き上げていた、という訳でして。」
「はい、売春していました。間違いありません。」
この大吾と悠太の売春相手の言葉を聞いて、上級生の父親らしき人はしばらくの間、絶句していた。
「お宅の対応によっては警察に持ってゆく事も出来ますし、お宅の会社との全ての取引を中止するよう社内で掛け合ってもいいんですよ。代わりの取引先なんて、幾らでもありますから。」
そう、この人物は大吾の勤める会社の取引先企業の社員だったのだ。
一行の目の前の顔は真っ青だった。
“猛犬”を野放しにしていた罰だとも言えるだろうか。
ざまあみろ、章吾はそう思っていた。

そこへ、上級生が帰宅。
ナイスタイミング。
上級生の父親、不肖の息子に飛びかかった。
「お前という奴は!この野郎!最近妙に金回りが良さそうだと思ったら、人様から強奪していたとは!人間の風上にも置けん奴だ!とにかく謝れ!これから被害者に謝罪に行く。同行しないなら、義絶する!」
不肖の息子は、黙って父親に殴られていた。
不良にも勝てないものもある、という事だ。

一行は早速、悠太の家に向かう。
途中、章吾にだけ、ノースポールの囁きが聞こえた。
ノースポール、力が弱まっているのだろうか。
「章吾くん、急いで!早くしないと、間に合わない!悠太くんが出掛けちゃう!このままだと、死んじゃうよ!」
章吾は居ても立っても居られず、駆け出した。
残りの一同もそれに続く。
「居た!」
悠太は、公園前の横断歩道を、信号が赤なのにもかかわらず渡ろうとしていた。
「待ってー!死なないで!もう大丈夫だから、悠太!愛してる、だから行かないでー!」
章吾が叫んだ。
全身に力を込めて。
悠太は、車道に一歩踏み出していた。

ドン!
鈍い音と共に、悠太はタイヤの下敷きになる。
ーーそれから半日後。
悠太は、一命を取り留めた。
章吾があの時叫んでいなければ、亡くなっていただろう。
力を使い果たしたのか、章吾の家のベランダのノースポールは、枯れていた。
章吾はそれを見て、涙を流した。

何日かして、病室で。
章吾は、最近覚えた林檎の皮剥きを、チマチマチマチマやっている。
そんな様子を、悠太はニコニコしながら眺めていた。

この時、悠太は思っていた。
自分は、章吾たちのお陰で、生まれ変わったのだとーー。

二人は、付き合い出した。
まだ中学生、プラトニックな恋愛を抜け出せてはいなかった。
悠太の心の傷を思うと、抱き合うのはまだ早いと、章吾にはそうも思えた。
ただ、両家の親も認めてくれていたから、居心地の悪さはなかった。
ウブな二人、キスもまだだったが、愛の言葉だけは交わすようになっていた。
「愛してるょ、悠太。」
「恥ずかしいょ、章吾。でも、ぼくも。」

二人はこれからも、長い長い道のりを、共に手を取り合って歩んで行く。
何があっても共にあろうーー。
そんな覚悟が、二人には芽生えていた。
この二人には幸せが良く似合う。
だからノースポールは、命懸けで二人を助けたのだろう。
約束の地は、もうすぐだ。

続きを読む

Bloomin’ Flowers II : 朝顔の囁き

[Part 1 : 語り・かねじー]

まぁ何というかね。
出会い系ですよ。
自分の生き甲斐というのはね。
年齢?
今年で19になります。
遊んでばかりいて、虚しくないのかって?
虚しくなんかないっ!
虚しくなんかないっ!
虚しくなんかないっ!
恋愛ってそもそも、重たいし。
こう見えても可愛いって良く言われるので、相手には困っていないのです。
まぁ、出会い系から恋愛に発展する人も居るんだろうけど。
自分の場合は、面倒臭くって、もう。
という訳でぼく、仲間内からは“かねじー”と呼ばれています。
よろしくっす!(何がだよ。)

さて、今日も今日とて、出会い系。
いい相手を見つけたら、SNSのID交換するんだ。
お、早速いい感じのが。
相手、ちょっと奥手みたい。
こういうのは、ちゃちゃっと会ってみないとね。
まどろっこしいやり取りはなし!

で、カフェですょ、カフェ。
まぁここは行きつけなんで、ホームグラウンド。
こちらに有利。
相手の男は、っと。
顎の無精髭がいい感じ。
ゆるーい感じのデブかな。
ぼくはむちむちしているって良く言われるので、ちょっと方向性が違う。
でも、これもまた良し。

それよりも困るのは、会ってみて分かったのだけど、相手の男、想像以上に無口なんだ。
まぁ本当は嫌いではないんだけどね、そういうのも。
寡黙な男、ってやつ?
でも、ぼく的にはそういうのは、やっぱりちょっと苦手かなー。
いや、何度も言うけど、嫌いじゃないんだょ。
ただ、何しろ経験値が少ないから(どの口が言うか!)、どう対処したらいいのか、分からないのですよねー。
というか、ぼくネコなんで、リードするのは苦手なのです。
年下なんて初めてだし。
けどま、ここまできたらチャレンジあるのみ!

「あ、あのー。」
ぼくが夏向けのアイスドリンクのベンティサイズを啜っていると。
視線がこちらに向けられている。
「これから、どうします?」
振ってきた。
丸投げかょ、おぃ。
まぁでも、ここは仕方ない。
「とりあえずウチに来なよ。」
いきなりの直球、早過ぎたか?
などという心配は無用だったみたいで。
「はい、是非!喜んで!」
それはもう嬉しそうに言うので、安心と共に少し気が抜けた感じがした。

とりあえず、行きつけのカフェをそそくさと出て、徒歩で自分の部屋のあるマンションへと向かう。
空のてっぺんからじりじりと照り付ける陽射しが、鬱陶しい。
「かねじーさんの部屋って、ここから近いんですか?」
「う、どうだろう?ここから歩いて十五分位だょ。」
まぁそぞろ歩くといった感じに近い雰囲気で、でも一応は部屋には近付いているという感じなんだけども。
それにしても、会話がない。
困った。
仕方ないのでとりあえず、最近のアニメの話題を振ってみた。
本当は、オタク気質が多少なりとも知られるのは、恥ずかしいから嫌なのだけど。
とはいえ、どうせ部屋を見られる事だし。
関係ないか。
と、ここで。
意外にもこの話に乗ってくる相手。
まぁこの場はこれで繋げたからいいけど、後で火傷しないといいなぁ。

彼の愛称はハリモグ。
理由は聞かなかった。
まぁ何となく分かったから。
ハリモグラ、ね。
でも見た目はもっと大人しい、可愛らしい感じの子なんだけどな。
それはさておき。部屋に到着である。
「来て早々何なんですけど、お風呂頂いていいですか?汗かいちゃって。」
「いいよー。そこの棚のタオル、洗ってあるから自由に使って。」
流石は良く肥えているだけの事はある。
この時期、汗はマスト。
もちろん、自分だって人の事は言えないが。

待つ事四十分。
や、意外と長いな。
ま、昨日観損ねたアニメの録画があったから、暇を持て余していたという程ではないのだけど。
「長風呂、すいません〜。夏でもしっかり浸からないと駄目な方なんで。」
「あ、いぃょいぃょ。気にしないで。冷蔵庫のペットボトル、空いてないの好きに飲んでていいから。ぼくも風呂入ってくるね。」

で、出てみると。
何と!
ぼくが今晩一人で食べようとしていたプリンが、哀れハリモグの胃の中へ……。
何も言えずに立ち尽くすぼく。
ハリモグは「ご馳走さまでした!美味しかったです!」と、あっけらかんと言ってのける。
「いぃょいぃょ、気にしなくて。」
とは言ってはみるものの、内心では泣いているのだった。

ベッドの上で、壁に寄りかかって、二人並んで。
距離が近い。
やがて、どちらからともなくキスーー。

四十分後。
事を終えた、ぼくたち二人。
ぼくはハリモグにシャワーを勧める。
「浴び終えたら、今日泊まってきなよー!」
「いぃんですか?喜んで!」

ハリモグは一こ下。
二人共ネコだったので、ここは年上のぼくが頑張った。
ぼくがタチをするなんて、珍しい。
雨でも降らないといいけど。
ハリモグ、寡黙な青年だと思っていたのだが、部屋に着いてからは良く喋る。
たぶん、緊張がほぐれたのだろう。
ハリモグが出て来たのを見計らって、ぼくが交代でシャワーを浴びる。

部屋に戻ると。
ハリモグ、ぼくの昔の写真が収められたアルバムを、勝手に見ていた。
というよりも、没入している感じ。
そんなにいいのか?
よく分からない。
が、恥ずかしいので、背後から没収。

「やー、何すんのー!見てたのにぃ!」
何すんのって、それはこっちのセリフだ。
「ハリモグ、寛ぐのは構わないけど、居ない間にあちこち引っ掻き回すのはやめてね。」
頭が沸騰しそうなのを感じながらも、なるべく穏やかに、しかしはっきりと自分の意思を伝えてみる。
「そうですね。ごめんなさい。」
ハリモグ、ここはあっさりと折れてくれた。
これは有り難い。
いい子だ。
「でも、可愛かったですょ、かねじーさん!」
頰が熱い。
こういうとこ、自分まだまだ修行が足りない。
まだまだウブなのだ。

翌朝。
ハリモグが帰るので見送る。
「かねじーさん、またお相手よろしくお願いします。では!」
「あいよー。またねー。」
戻ると、部屋の中がザワザワしていた。
音はベランダの方から聞こえる。
カーテンを開け、サッシを開け放つと、ベランダに置いてある鉢植えの朝顔が何やら喋っていた。
朝顔が喋るのである。
普通に考えれば、一大事である。
が、ぼくは以前にも同じような経験をしているから、こんな事では驚かないのだ。
で、耳を澄ますとーー。

「ハリモグ、今頃泣いてるょ。」
「昔の思い出が辛いらしいね。」
「かねじー、ハリモグと付き合っちゃえばいいのに。」
「あの馬鹿かねじーは面倒臭がりだから、厄介事には首を突っ込まないと思うょ。」
「人でなしかねじー。」
「そうそう、ちょっと可愛いからって、何をしてもしなくても許されるって訳じゃないのにね。」
「お似合いだと思うんだけどな。」
「そう思う!ぼくも!ぼくも!」

ハリモグが泣いているーー。
それを聞いて、胸がざわざわした。
でも、ぼくに何が出来るってんだ!
そう思ってイラついたから、ベランダに向かってぼくは叫んだ。
「うるさーい!」
一瞬にして辺りは静まり返った。
ぼくって、結構残酷なのな。

[Part 2 : 語り・ハリモグ]

かねじーさん家からの帰り道。
体が重い。また罪悪感を感じている。
こんな自分が嫌だ。
あの日から、全てが狂ったままだ。

電車に揺られる。
いつもの事なのに、今日は何だかそれだけでイライラする。
早く帰ろう。
最寄り駅を降りると、途中コンビニで弁当二つとサラダ、それにコーラを買って家へと急いだ。

ぼくは一人暮らし。
そこはかねじーさんと一緒。
大学に通いながら、仕送りで生活をしている。
静まり返った部屋で独り弁当を食べていると、何だか泣けてきた。
次第に泣き声を抑えられなくなり、最後には号泣。
いつものパターンだ。
こんなぼくには、彼氏など出来やしない。
いや、そもそも作る資格がないのだ。

あの日ーー。
ぼくはハッテン場で、初体験を済ませた。
途中までは意識もしっかりとしていた。
コンドームも、ちゃんと着けてもらうつもりだった。
でも、カプセルのようなものをお尻に入れられてから、ぼくはおかしくなった。
相手は、生で挿れようとしている。
危険だ。
なのにーー。
身体が、言う事を聞かない。
生で犯されるぼく。
無我夢中だった。
気持ち良かった。
その時は、それで良かったのかもしれない。
だがーー。
後日、不安になって自治体の無料の性病検査を受けると、HIVの感染が明らかとなった。
結果を聞いたその日の夜。
ぼくは眠れなくて、独りで部屋で泣き喚いていた。
心にも身体にも、絶望感しか残っていなかった。

それからもぼくは、出会い系やハッテン場で相手を見つけてはSEXを繰り返していた。
もちろん、ゴムは着けてもらっていた。
まぁもっとも、相手がゴムを着けなかった所で、困るのは自分ではないと、高を括っている節はあったのだが。

こんな自分だから、彼氏など作る資格もないと思ってきた。
第一、説明するのも面倒だ。
だから、ぼくには彼氏など居た事もない。
顔は少なく見積もっても十人並みではあると思うから、これはおかしな事態と言えなくもなかった。

かねじーさんと別れた日の夜。
ぼくは気を紛らわす為に、またもSEXの相手を探していた。
堂々巡りである。
結局その晩は見つからず、眠れぬまま朝を迎えた。

翌日。
土曜日の朝。
ぼくはようやく眠くなり、そのまま眠りに就く。

夢を見た。
悲しい夢だった。
昔の事を、思い出してしまった。

還らない温もり。
父さんの大きな背中。
ぼくは父を、中学生の時に亡くしていた。
父は、病気だった。
父を蝕んでいた病の名は、エイズ。
父もまたぼくと同じように、ゲイだった。
父の死後間もなく、母が失踪。
たぶん、色々とショックだったのだろう。
その後は親戚の家で育てられた。
親戚の家の人たちは皆優しかったが、ぼくは父さんの温もりが恋しかった。
失くした温もりを求めて、男から男へと彷徨う日々。
でも、何度抱いても抱かれても、心が満たされる事はなかったーー。

起きると、窓の外はすっかり暗くなっていた。
シーツは、脂汗でべっとり。
とりあえず、誰かと寝たい。
そんな気分だった。
人肌の温もりを一時でも感じて、気を紛らわせたいーー。
ぼくはいそいそと携帯を取り出すと、画面を操作し始めた。

結局ぼくは、適当な相手を見繕って、その日の内に会う事にした。
夜。
知らない駅前。
待ち合わせた男と対面する。
タイプだ。
少なくとも、悪くはない。
二言、三言会話をする。
だが、別にそれが目的ではない。
だから自然と会話がなくなる。
とりあえず、抱いてくれればそれでいいーー。
いつものように、この時もぼくはそんな風に思っていた。

シーツを握る。
手に力がこもる。
足が突っ張る。
声が勝手に出てくるーー。

相手は、手練れだった。
夢中になる事、小一時間。
宴は、終わった。

二人してうつ伏せで、ベッドの上に横たわる。
相手が、尋ねてきた。
「君、遊んでるよね?」
別にそんな事を聞かれる筋合いはない。
腹が立ったぼくは、それとなく立ち上がると、服を身に纏う。
「帰るの?」
素っ気ない声。
ぼくは黙って頷いた。
「駅まで送るよ。」
助かった。
この辺り、道が入り組んでいて、道順を覚えていなかったのだ。

「じゃ、またその内に。」
「はい。ありがとうございました。」
相手と別れる。
たぶんもう、会う事はないだろう。

その時だった。
携帯が鳴った。
見ると、かねじーさんからのメッセージだった。
そこに書かれていたのはーー。

[Part 3 : 語り・かねじー]

ハリモグと別れた日の夜。
またも朝顔がうるさい。
花は萎れている癖に、口だけはいっちょまえだ。
耳をそば立たせてみるとーー。

「ハリモグ、HIVなんだってさ!」
「うちの主人と同じだね!」
「仲間だ、仲間!」
「仲良くすればいいのにねー。」
「ほんとだょー。」

驚いた。
まさか、と思った。
ちなみに、ぼくがHIVに感染した経緯は至って単純。
コンドームの先っぽを、切られていたのだ。
その時にハッテン場でSEXをした相手は、少なくとも誰かには、確信犯的に感染させるつもりだった筈だ。
で、たまたまカモられたのがぼくだったーーそういう事。

で。
ハリモグに再度連絡を取るかどうかーー。
ぼくは丸一日悩みまくった。
悩んで悩んで、遂に出した答えが、連絡を取る、というものだった。
生半可な覚悟ではいけない。
それは分かっていた。
それでもぼくは、あんなに可愛い子が苦しんでいるのを、放っておく事は出来なかったーー。
ぼくに何が出来るだろう、そうも思った。
でも、ただ側に居るだけでも救われる事があるーーそんな気がしたから。
だから、それ位の事ならきっと出来ると、そう思ったからーー。

ぼくはのっそりと起き上がると、携帯を手に取ってメッセージを送る。
文面は単純だった。

「やぁ、ハリモグ。何か悩みはないかい?ぼくはあるよ。実はHIVなんだ。ハリモグには隠さない事にした。何か困ってる事があるなら、何でも相談に乗るよ。暑いから、冷たい飲み物を用意して待ってるょ。良かったら、今からおいで。」

これだけだ。
あとは萎れた朝顔の未知の力に期待するだけだ。

それから小一時間。
朝顔がざわめき出した。

「ハリモグが来るよ!」
「ほんとだ。もうすぐ来るね。」
「どうなるかな?」
「期待しちゃうね!」

そして、ハリモグはやって来た。
息を切らして。
熱帯夜の最中、走って来たのだ。
案の定、汗びっしょり。
「お風呂入りなょ。ゆっくり浸かるといいょ。」
ハリモグは、涙交じりの笑顔で、頷いたーー。

[Part 4 : 語り・ハリモグ]

かねじーさんからのメッセージ。
そこには、自らがHIVである事を明かす一文があった。
全身に電気が走ったような、そんな感覚を覚えた。
走った。
今なら、まだ間に合う。
居ても立っても居られなかった。
もしも運命の人なんてのが本当に居るのなら、かねじーさんをおいて他には居ない、そう思えた。

かねじーさんの家に着いて。
彼はこんなぼくの事を、笑顔で迎え入れてくれた。
そして、お風呂に入るように促した後で、こう言った。
「来てくれて、ありがとう。」
その瞬間に、強張っていた身体から、力が抜けた。
その場に崩れ落ちて、わんわん泣いていた。
かねじーさんはそんなぼくの側で、そっと背中をさすってくれていた。

「嬉しい?」
不意にそう聞かれて、ぼくはただ頷いた。
するとかねじーさんも、笑いながら。
「ぼくも嬉しい。」
そう言って、ぼくの事を抱き締めてくれた。
その温もりが、冷え切っていたぼくの心に、火を灯してくれた。
ぼくたちは、ずっと笑顔だったーー。

それから、色んな事を話した。
かねじーさん、高校までは意外な事に、いじめられっ子だったらしい。
大学に入ってから、はっちゃけたみたい。
ぼくは、亡くなった父さんの事を話した。
やがて、話すのに疲れて、ぼくがうとうとしかけた時。
かねじーさんは、耳元でそっと囁いた。
「付き合わない?ぼくと。」
だからぼくは返事の代わりに、隣のかねじーさんの手を、ぎゅっと、ぎゅっと握った。

窓の外の空が白み始める。
朝顔が花を咲かせ、小鳥がさえずる。
新しい朝を迎えて、ぼくはただひたすら、幸せだった。
こんな日がずっと続けばいいと、心からそう思った。
そんなぼくの思いを察してか、かねじーさんは、「だいじょーぶ!」、そう言って頭を撫でてくれた。
夏もいよいよ本番。
これからはかねじーさんと、思いっ切り楽しみ尽くしてやるんだ!
そう思えたこの日が、ぼくたちの記念日になった。
これもみんな、朝顔たちが助けてくれたからーーそれを知ったのは、もう少し後の事だったけど。
悲しい過去とは、もうさよならだ。

お・し・ま・い

続きを読む

最新記事

検索フォーム

QRコード

QR