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Bloomin’ Flowers IV : 徒然小噺

水の中に潜る。
ゆったりとした波の動きに、暫し身を預けてみる。
旅先の海で、シュノーケリング。
ゴーグル越しに覗いた海は、魚たちの楽園だった。
「気を付けな!握った手綱は、決して離さないんだよ。いいかい?」
海の中から聞こえてくる声。
俺はどうしたらいいか分からなくて、ただ黙って頷いた。
それからずっと、何かある度にその時の言葉を思い出すようになっていた。
この時、相方さんは聞いていなかったようで、何も知らなかった。
休暇を取って二人で出掛けた、沖縄での事だったーー。

ずっと、一緒に居よう。
それが、二人で交わした、たった一つの約束だった。
白い薔薇の咲き乱れる庭の真ん中で、俺らは抱き締め合った。
俺らには時々、白い薔薇の囁きが聞こえる。
最初は幻聴だと思ったが、それにしてはいやにはっきりと聞こえる。
しかも、二人共同じ内容を聞いているのだ。
それはもう、驚いた。

最初は不気味だったが、どの薔薇も俺らへの敵意がないと分かると、自然と友達になっていった。
もちろんこの事は、二人と薔薇だけの、秘密だった。
バレると騒ぎになるからだ。

「ところでーー。」
俺らで勝手に長と名付けている薔薇の花が、よく通る声で一言一言を噛み締めるように、ゆっくりと話し始める。
「互いの気持ちを、裏切ってはいけないよ。ずっと仲良くするんだ。そんな姿が、お前さんたちには良く似合う。笑顔で、居るんだよ。」
気にはなった。
でもこの時は、忘れる事にした。
忘れて、しまったんだ。

それから一ヶ月後ーー。
俺は成り行きで、仕事先の先輩に組み敷かれていた。
酒を飲み過ぎたせいで、ここに至るまでの記憶は曖昧だ。
「リリン、リリン、リリン、リリン」
俺の携帯が鳴っている。
相方さんとは共に暮らしているので、心配したのだろう。
だが、今出る訳にはいかない。
放置していると、着信音は鳴り止んだ。

細い道を歩く。
だいぶ酔いが醒めてきた。
すっかり遅くなった。
お詫びにコンビニでアイスでも買って行こう。

家に戻ってインターホンを押すも、反応がない。
ここは鍵を使って開けるしか。
だが、鍵を解錠しても、チェーンのせいでドアが開かない。
困った。

俺は携帯を取り出すと、何度も鳴らしてみる。
が、音信不通だ。
もう家の前であるとはいえ、時刻は既に終電後。
無理もないか。
大体、俺がこんなに遅くなるのは珍しいのである。

待つ事暫し。
そろーっと扉が開く。
中から現れたのは、恨めしそうな顔。
「何だよ、こんな夜更けに。」
「そう言わずに入れてくれよ、頼む!」
「せっかく美味しい麻婆麺作って待ってたのにさ。ご飯はないよ。」
チェーンが外され、ドアが開く。
と共に抱き付いてくる我が相方。
可愛いな。
そんなことを思っているとーー。

「やっぱり!香水臭い!いつも香水なんかつけない癖に!この浮気者!出てけぇーー!!」
またドアは閉じられてしまった。
この家のローンを返済しているのは、俺なのだが。
とはいえ、酒のせいでもあったが浮気したのは、事実、なのだろう。
都合が良いのか悪いのか、その辺りの記憶がどうにも曖昧なのだ。
気が付いたらベッドの上。
その後も記憶は途切れ途切れ。
まぁ断片的には映像が思い浮かぶから、たぶん浮気したのだろう。
だがそもそも、俺には浮気をする動機がない。
俺はずっと相方さん一筋で生きてきた。
高校時代からの付き合いだ。
一度の過ちで全てを失くすのか。
情けないな、俺。

その夜は、繁華街のネットカフェで一夜を過ごした。
朝方。
携帯のバイブで目が醒める。
差し出し人は、相方さんだった。
「出て行く事にした。残った荷物は、全部処分してくれていいから。追いかけたって無駄だよ。僕、結婚する事にしたから。」
顔から血の気が引いてゆく。
相方さん、バイではない。
ゲイなのだ。
だから高校卒業後、二人して逃げるようにして、上京して来たのだ。

ここで庭の薔薇の花の声が、耳元で微かに聞こえた。
「いいかい、これが最後のチャンスだょ。タクシーを捕まえて、駅まで先回りするんだ。相方さん、まだ家だから、間に合うょ。すぐにそこを出て!」
俺は慌てて会計を済ませると、大通りでタクシーを拾い、大急ぎで駅まで向かった。

高一の夏。
クラスメイトに、俺は告白をした。
今の相方さんである。
「変態だと思うなら、それでも構わない。もし良かったら、俺と付き合って!」
相方さんに似合うと思って、白い薔薇の花束を渡した。
そうしたら相方さん、とても嬉しそうに笑って、黙って頷いてくれた。

それからは楽しかった。
ただ、俺らが住んでいたのは地方都市とはいえ結構な田舎であったから、怪しまれないように、それだけは気を遣った。
場所がないのでSEXもキスも出来ず、本当にプラトニックな交際を続けていたのだが、それでも毎日は楽しかった。

同級生は、上手くごまかせた。
元々共通の友人も居たので、三人でつるんでいる分には、誰の疑いの目もかからなかったのだ。
最後の最後で騙し切れずに俺らの関係が発覚してしまったのは、両家の両親だ。
卒業式終了後。
感極まって、周りに両親が居ない事を確認してから、俺らはこっそりとファースト・キスを済ませた。
それを、俺の父が物陰で盗み見ていたのだ。
そこへ、両家の両親が集まる。
無言の圧が凄かったが、彼らは至って冷静だった。
四人で何やら、ひそひそと話をしている。
やがて四人を代表して、俺の父が口を開いた。
「せっかく受かった大学、行きたいだろう?今この場で別れるのならば、通わせてやる。良い見合い話もあるだろう。別れないというのならば、即刻出て行ってもらう。それでも、結婚する気が起きた時は戻って来ていいぞ。よく考えるんだな。」
そこで二人手と手を取り合って、それぞれの実家に急ぎ、最低限の荷物だけを持ち出すと、上り列車へと滑り込むのだった。

「どうする、これから?」
俺が不安の眼差しを相方さんに向けると、目の前の丸顔はあっけらかんとしてこう言った。
「大丈夫だょ。二人だもん。何とかなる。」
その根拠のない自信が何処から出て来るのかは不思議だったが、何となく伝わってくるものは、確かにあった。

それからは、二人して物流関係のアルバイトをして生計を立てながら、地方公務員の試験の勉強をしていた。
安アパートにて、二人暮らし。
男同士なので、物件探しが大変だった。
これはもう、本当に。
まだ東京だったから救われたのだ。
仕事と勉強の両立は、それはそれは苦労の連続だったが、嬉しい事に二人共、試験は受かったのだ。
まぁこれでも二人揃って地元では、成績優秀で通っていた訳である。
そうでもなければわざわざ親が、あんな田舎から金のかかる大学へと進学させようとする道理はない。
少なくとも俺らの実家の方では、皆そう考えていた。

公務員になってみて、予想よりも激務だという事には面食らった。
だが時間が経つにつれて、家のローンを組めるようになったり、クレジットカードを作れるようになったりと、それまで考えられなかったような暮らしが出来るようになっていった。
ボーナスも多い。
なるほど、これは辞められない。
二十代も終わりに差し掛かった頃に、貯金の大部分を頭金に回して買った家は、都内近郊の一戸建て。
格安のリフォーム済み中古物件で、小さいながらも、庭が付いていた。
俺らはその庭を、白い薔薇で埋め尽くそうと話していた。
思えばあの頃が、それまでの人生の中で、一番楽しかった頃だったのかもしれない。

タクシーが、駅に到着する。
近くに花屋があるのを思い出した俺は、白い薔薇の花束を買って、相方さんの到着を待っていた。
今日は祝日。
店、開いていて良かった。

ドスン!

振り向くと、相方さんがこちらを見たまま手荷物を落として、呆然と立ち尽くしていた。
一歩、一歩、距離を詰める。
「今度デパートで結婚指輪を作ろう。もちろん、お金は俺が出す。頼む、戻って来てくれ!」
目の前の顔がくしゃくしゃになって、涙と鼻水でべちょべちょになる。
「可愛い顔が台無しだょ、ほら。」
俺がハンカチを差し出すと、顔中一通り拭いてから、色気も何もなくチーンと鼻をかんで、自分のパンツのポケットにそれを突っ込んだ。
『や、高かったのだが、そのハンカチ。』
とまぁ、思わない事もなかったが、ここは自業自得。
諦めねばならない。

「行こう。」
相方さんの掌が出て来た。
もう二度とないチャンス、繋いだ手は、離さない。
「もうしないでね。」
上目遣いで弱々しくこちらを見るので、俺は「もちろん!」と胸を張った。

帰る途中で、お昼の材料を買う事にした。
「今日から二人で禁酒!酒癖悪いんだから。今回のもどうせそのせいでしょ。破ったらお尻百叩き!絶対やるかんね!」
怖!
俺は別に酒に依存している訳ではないので、断酒は容易い。
ただ、弱いのだ。
すぐに意識を失くす。
俺はもう二度と酒は飲むまいと心に誓いつつ、それとなしに相方さんの横顔を眺めてみるのだった。
「う、何?なんか付いてる?」
「ううん。あんまり可愛いから、つい。」
「恥ずかしいょ、止めて。」
二人して笑った。
これでもう、大丈夫だ。

買い物しながら。
「実家には連絡入れたの?」
「ううん、まだだった。ギリギリセーフ。」
「良かった!麻婆麺作ってよ!炒飯と餃子もね。」
「良いけど、昨日早く帰ってくれば食べられたんだょ。ちょっとは反省してよね。」
「ごめん!」

スーパーで一緒に買い物。
休みの日はいつもだ。
平日は早く帰れそうな方が買い物をする。
二人共料理は作れるので、料理も早く帰った方の担当だ。
今日は休みなので、料理は一緒に作る。
幸せな時間。
豆腐や麺を選んでいるだけでも、楽しい。
二人して、笑顔が絶えない。
手放したくない、この時間を。
決して。

次の週末。
新宿のデパートの宝飾品売り場に来ていた。
二人してすっかり、お上りさん。
勇気を出して、店員さんに声を掛ける俺。
二人の結婚指輪を作りたいというと、怪訝そうな顔一つせず、商品を紹介してくれた。
良く出来た店員さんだ。
それにしても。
「や、高いな。」
思わず漏れた言葉。
横では、そんな俺を相方さんが睨んでいる。
買うとも、買いますとも!
もうこうなればヤケクソである。
どうせもう少し待てば夏のボーナスもある。
何とかなるっ!

サイズの調整があるので、その場では受け取れなかった。
また来るのかょ、ここに。
正直言って、デパートは苦手なのだが。
まぁ、元々が身から出た錆なのであるから、仕方ない。

カフェで休憩。
ぼんやりしていると、昔の事を思い出す。
中学生の頃。
クラスメイトの男の子から、告白をされた。
正直、好みではなかった。
だから、断った。
男の子、泣きながら駆け出して行った。
胸がちくりと痛んだ。
それで、終わる話だった。
が。
その場面を盗み見していた者が居た。
学年きってのいじめっ子と、その子分だ。
二人は、男の子がゲイだと吹聴して回った。
俺は断ったから助かったようなものだ。
可哀想に、男の子は遺書も残さずに自殺してしまった。
学校側はいじめがあった事を全面否定。
うやむやになって、終わってしまった。
ある日、男の子の両親と学校の廊下ですれ違ったのだが。
その時の両親の、鬼のような形相が今でも忘れられないーー。

「おーい!どうしたのー?心ここに在らずな感じ。まさか男の品定めとか!許せなーい!」
「違うからー!中学生の頃のクラスメイトの話。自殺した。」
「あぁ、その話か。悩むのはわかるけど、君は悪くないょ。大丈夫だから、ね。」
「ありがとう……。」
俺は思わず、泣き出してしまった。
涙と鼻水で、顔中べちょべちょだ。
「はい、これ使って良いょ。こないだのお礼!」
下ろしたてのハンカチを渡してくれた。
嬉しくて、更に涙が溢れて来る。
その後俺らは再び、デパートに戻った。
ハンカチを買うのである。
二人共に潔癖症のきらいがあるから、涙と鼻水でべちょべちょになったハンカチを、洗濯機で洗う気がしないのである。
地下食料品売り場で今夜のおかずも買って、帰宅。
一緒に夕食を用意して、笑って、喋って。
楽しい。
やっぱり俺には、君がいい。
心からそう思うのだった。

食事の後は、借りて来たブルーレイの鑑賞。
スプラッター映画だ。
二人共好きなのだ。
怖面白いのが、素敵だ。

夜。
事も済ませて、ベッドの縁に並んで。
相方さんの顔が優れない。
「どったの?」
「んぃやね、昼間泣いてたでしょ?似たような話が僕にもあってさ。記憶に蓋をしたくて、今まで話さなかったんだけど……。」

相方さんは切れ切れに、話を始めた。

「僕ね、中一の頃に、痩せ型の体の大きなクラスメイトから、告白されたんだけど。タイプではなかったので断ったら、たちまちいじめられるようになってしまって。結局転校したんだ。」

ゲイの告白、なかなか難しい。
俺も相方さんへの告白は、決死の覚悟でやったもんな。

俺は相方さんに、こんな言葉を贈った。

「東京は自由だ。俺らには住みいい。自由は時に残酷だけれど、それなしではたぶん、ゲイは生きられない。だから俺は自由が好きだょ。たとえ荒波に揉まれて沈む事があっても、二人でなら平気だ。自由であった事を、それで恨んだりはしない。そうだろう?」

相方さんは大きく頷くと、俺に抱きついて来た。
「今度は香水の臭いしないね。うん、僕はこれがいい。」
そのまま抱き合って眠りに就く。

翌朝。
今日からまた、仕事だ。
「頑張ろうね、お互い。」
「うん。」
所属する部署が違うので、仕事中に顔を合わせる事はない。
まぁ、その方が仕事に集中出来るから、良いのだ。
頑張って働かねば。
まだ家のローンがたんまりと残っている。
相方さんの笑顔の為にも、今日も頑張る!

ふと窓の外を見ると、木の枝にムクドリが二羽、留まっていた。
俺らもあんな風に見られたいものである。
可愛い。
そんな事を思って少し手が止まると、上司がやって来て咳払いをする。
いけね!

同じ庁舎に勤務しているので、上手くいけば一緒に帰れる事もある。
今日は二人揃って定時退勤。
こんな日は、二人でスーパーに行くのが楽しみなのだ。
今ここに在る幸せを、決して手放さないようにーー。
もう過ちは犯さない、そう固く心に誓った。
家の薔薇や海の生き物たち、みんなありがとう。

もうすぐ、相方さんと出逢った記念日だ。
忘れてはいない。
プレゼントはちゃんと考えてある。
俺らの日々は、まだまだ終わらない。

お・し・ま・い

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Rebirth -君に贈る詩- [Bloomin’ Flowers III]

声が枯れるまで、叫んだ。
ただその場に立ち尽くしていた。
震えが、止まらなかった。
涙が、止めどなく溢れ出てきた。

僕らは何故、こんな別れ方をしなければならなかったのだろう。
少年はそう、何度も己の胸に問いただした。
答えは、出なかった。

「それでも、前に進むしかない。」
少年は、生きる覚悟を決めた。
それこそが、今は亡き最愛の人への弔いになる唯一の事だと、分かっていたから。

やがてしばしの時が流れ、
少年は最愛の人の墓標を後にする。
帰り道の電車の中で、
車窓を眺めながら少年は過去の思い出を脳裏に蘇らせていった。

Rebirth -君に贈る詩- [Bloomin’ Flowers III]

それは、ある冬の夜の事だった。
予知夢という現象があるという。
そうでなければいいのだが。
この夜、少年・章吾は、大の仲良しの友達の悠太の夢を見ていた。
それは、悪夢だった。
夢の中で悠太は、信号無視の車に轢かれて、亡くなっていた。
悠太が、衝動的に飛び出しているようにも見えた。
章吾が予知夢ではないかと思ったのには、理由がある。
この夢を見たのは、これが二度目だからだ。
これには、流石に参った。
何しろ、友達とは言うものの、少なくとも章吾は、悠太の事が大好きだったのだから。

夢の中の墓標は、何処だったのだろう?
帰り道の車窓の景色は、何を映していたのだろう?
はっきりと覚えてはいるが、何処も見覚えのない景色だったーー。

やがて章吾は、二度目の悪夢に呆然としながらも、悠太と出会った頃の事を思い出すーー。

雲ひとつない快晴だった。
ツンとした、抜けるような青空が綺麗な、学校からのいつもの帰り道。
下り坂を駆けて行くと、章吾が以前から気になっていた同級生の子が、ひとりぼっちで歩いていた。
「いつも、寂しそうだな。」
そう思うと胸が締め付けられる思いがした。
話がしたい、せめて一言だけでも……。
想いが爆発しそうだった。
章吾は決死の覚悟で、その子の背中を叩いた。
「ね、君ひとり?一緒に帰らない?」
何気ない一言。
しかしそれとは裏腹に、声は上ずり、震えていた。
掌に僅かに汗をかく。
章吾は永遠とも思えるほんの数秒を、胸が張り裂けそうな想いで待ち続けた。
すると、どうだろう。
その子は満面の笑みを浮かべて、力強く大きく頷いたのだった。
こうして、章吾と悠太の関係はスタートした。

初めは、ぎこちなかった。
緊張の中、言葉を紡いでゆくのが互いに難しかった。
それでも章吾は、こんな自分に笑顔をくれる、それだけで嬉しい、そう思って、すっかり舞い上がっていた。
すると、突然、少しくぐもった小さな声で。
「ぼくんち、来る?」
聞き逃しそうだった。
けれども、章吾にとっては、願ってもない誘い。
断る訳にはいかない。
「いいの!?行く、行く!」
こんな風に嬉しい時、ついついはしゃいでしまうのが章吾の癖なのだが、そんな様子さえも笑顔で見ていてくれる悠太に、章吾はすっかり心を奪われていた。
『この目の前の弾けるような笑顔を、この先もずっと傍で見ていたいーー』
そう思う章吾は、恋に落ちていた。
いわゆる一目惚れ、初恋というやつだ。

悠太は、童顔にムチムチとした体つきの、優しい雰囲気の少年。
章吾は本当に、いっぺんでやられた。
上手く仲良くなれる自信は、正直言ってなかった。
だが、ここは行ってみるしかないのである。

「お邪魔しまーす。」
引き戸が開けられるのにつられて玄関をくぐるが、人の気配がしない。
悠太の家は一戸建て、古い民家だ。
そう、確かに古いのだが、手入れが隅々まで行き届いていて、全体に風情がある。
粋なのだ。
章吾は生まれた時からのマンション住まい。
正直、こんな一戸建ては羨ましい、そんな風に章吾は思っていた。

「家の人はいないの?」
一応、聞いてみる章吾。
「親は共働きだから、夜にならないと帰ってこないんだ。僕一人っ子だし誰も居ないから、遠慮しなくていいよ。」
これは願ってもないチャンスだ。
この機を逃す手はない、章吾はそう思った。
「僕の名前は章吾。好きなスポーツは野球。少年野球のチームでキャッチャーやってるんだ。よろしくね。」
まずは自己紹介から。
章吾は太ってはいたが、スポーツ万能なのだ。
すると……。
「へぇ!野球出来るなんて凄いな。僕なんて柔道とか相撲とか、よく誘われるけど、スポーツはからっきしダメ。章吾君はクラスでもいつも友達と仲良さそうにしてるから、友達の居ない僕からしてみたら、なんか羨ましいっていうか、憧れちゃうな。」
章吾、悠太に感心されてしまった。
今度キャッチボールにでも誘ってみようか、章吾はこの時そんな事を考えていた。
それにしても、まだ名前も聞いていない。
そう思っていたら……。
「僕の名前は悠太。よろしくね。」
手を差し出された。
温かくてスベスベで、柔らかくて気持ちいい。
「手、スベスベだねー。」
「そんな事ないよー。」
たわいもない会話も、悠太となら楽しかった。
章吾はこの時、浮ついていた。

「二階へ行こうょ。僕の部屋があるんだ。色々と見せたい物もあるし。」
「OK。何があるのか、楽しみだなぁ。」
章吾、行ってみて仰天した。
悠太の部屋は二つあるのだ。
一つ目の部屋は八畳間。
入るなり、部屋いっぱいの鉄道模型が目に飛び込んできた。
「ひゃー!こりゃ凄い!カッコいいねー。」
章吾がはしゃぐ。
その様子を見た悠太は、顔を綻ばせてとても嬉しそうにしていた。
「Nゲージ。ちゃんと動くよ。」
悠太がスイッチを入れると、電車が本当に動き出す。
「へぇ、こりゃ凄いや。悠太君家ってお金持ちなんだね。」
章吾なりの素直な感想。
章吾にとっては、こんなに大きな鉄道模型を間近で見るのは初めての体験だ。
本棚には鉄道関連の本がぎっしり。
小さな台の上には、一眼レフに白い大きなレンズ。
とても中学生の持ち物とは思えない。
きっと悠太は両親から大事にされているんだろう、章吾はそう思っていた。
これは実際にその通りで、溺愛とまではいかないにせよ、悠太は両親の愛を一身に受けて育っていた。

「隣が寝室兼勉強部屋なんだ。今からお茶とお菓子を持ってくるから、その辺の本でも読みながら待ってて。」
そう言って悠太が下に降りて行ったので、章吾は暇つぶしに鉄道雑誌でも読んでみる事にする。
「それにしても難しい漢字が多いなぁ。悠太君、頭良さそうだもんな。年中落第点の僕の手には負えないや。」
章吾が少ししょんぼりしていると、トレーを持った悠太が声を掛けた。
「隣の部屋でお茶にしようよ。ここじゃ狭いから。」
実際には、Nゲージに場所を取られて座る場所がないだけで、決して狭くはなかったのだが。
トレーの上を見ると、そこにはどら焼きと水羊羹。
どっちも章吾の大好物。
隣の六畳間。
二人の間にあったのはたわいもない会話ばかりで、特に何が起きたという訳でもないのだが、どら焼きと水羊羹も手伝ってか、章吾はこの日一日中上機嫌だった。
それは、ある冬の日の出来事だったーー。

一年後ーー。
悠太は、ある男からお金を受け取っていた。
「五万でいいね。」
「うん。」
中年の男は、前払いで悠太にお金を渡すと、いつものようにアパートへと連れ込んだ。
アパートは、彼の好みである中学生男子を連れ込む為だけに借りていた物件なので、自宅は別にある。
男には妻と子供が一人ずつ居るが、当然二人はこのアパートの存在を知らない。

悠太は、男の事を正直、気持ち悪いと思っていた。
でも彼は悠太にとっては、いい金づるなのだ。
少なくとも自分が中学生の間は、手放すわけにはいかない。
本当は止めたいという気持ちも、ないではなかった。
それでも、止める訳にはいかなかった。
悠太は上級生に目を付けられて、金をむしられていたのだ。
渡す金がなくなったら、暴行を受けてしまうーー。
だからこそ、悠太はこんな事を止められないでいるのだ。
章吾に相談しようかーー。
何度もそう思った。
けれども、章吾を巻き込む訳にはいかない。
ましてや、両親にはーー。
そんな思いが、誰かに相談するのを躊躇わせた。

行為の間中、悠太は苦痛に顔を歪めていた。
痛い上に気持ち悪い。
吐き気を催す事もしばしばだった。
こんな自分を誰かが救ってくれたらーー。
そう思って、悠太はその馬鹿馬鹿しさに自分で呆れるのだった。

行為を終えると、男は素っ気なかった。
いつもの事だ。
帰り道、上級生が待ち伏せていた。
「おぅ!変態のヤリマン。金は用意出来てんだろ?さっさと渡せよ。」
さっき受け取ったばかりのお金を全額、上級生に渡す悠太。
「よしよし、また来週もよろしくー。」
そう、これで悠太は月に二十万円も稼いでいたのだ。
デブ専にとっては極上の容姿の、男子中学生。
お金になるのだ。
これでどうにか悠太は、暴行を受けないで済んでいたのだ。
上級生にとって悠太は商品だ。
金を渡してくれている間は、暴行をする道理はないのだ。
痣でも出来たら、高く買ってもらえなくなる。
それは、自分の取り分が減る事を意味するからだ。
それはまさに、外道の行いであった。

その一週間後、章吾は。
ベランダのノースポールが何やら騒がしいので、話を聞く事にした。
このノースポールが喋るのは、家族みんなが知っている。
もう慣れたので、誰も驚かない。
「ねぇ、何?」
章吾が尋ねると、ノースポールは慌てた口調でまくし立てる。
「悠太くん、今晩辺り死んじゃうかも!」
「走ってきた車に飛び込んで、轢かれちゃうかも!」
「自殺だってさ!」
「悠太くん、売春しているらしいよ!」
「そのお金、全部上級生に渡してるとか。」
「もう疲れたんだって。助けてあげたら?」
章吾は、愕然とした。
親友だと思っていた。
なのに、何も気付いてやれなかった。
何も出来なかったーー。
今もそうだ。上級生相手に勝てるだろうか。

あの時の悪夢が蘇るーー。

声が枯れるまで、叫んだ。
ただその場に立ち尽くしていた。
震えが、止まらなかった。
涙が、止めどなく溢れ出てきた。

僕らは何故、こんな別れ方をしなければならなかったのだろう。
章吾はそう、何度も己の胸に問いただした。
答えは、出なかった。

「それでも、前に進むしかない。」
章吾は、生きる覚悟を決めた。
それこそが、今は亡き最愛の人への弔いになる唯一の事だと、分かっていたからーー。

ーーもとより章吾には、後追い自殺などするつもりはなかった。
それでも、何としてでも悠太の自殺は防ぎたい。
何か出来る事はないか。
本当に、何もないのかーー。

「そうだ!カメラだ!」
悠太を尾行して、お金を受け渡している所を、カメラで撮影するのだ。
再びノースポールに尋ねる章吾。
「ねぇ、悠太が売春する曜日と時間、それに場所って毎回決まってるの?」
「うん、毎週土曜日の午後三時から、木村クリニックの前のアパートの201号室で。毎回同じだよ!次はちょうどこれから!今から行けば十分、間に合うよ!」
「分かった!ありがとね!父さんに一眼レフと望遠レンズ、借りて来る!」

「ねぇ父さん。近所で景色を撮りたいから、カメラと望遠レンズ、貸してくれないかな?」
「お、お前がカメラに興味があるとは、知らなかったな。やっぱり俺の息子だな。貸すのは良いけど、壊すなよ。」
章吾の父・大吾は笑顔でそういうと、ガラス張りの棚から光学式手ぶれ補正付きの高価な一眼レフと望遠レンズを取り出して、大事そうに手渡してくれた。
ここは感謝感謝、そう思う章吾だった。

午後四時。
現場で。
物陰に隠れて様子を伺う章吾。
上級生がやって来た。
見覚えがある。
『腕力はほどほど、一匹狼だから多人数を相手にするよりはやりやすいだろう。』
そんな最悪の事態を想定しながら、章吾は悠太が出て来るのを待つ。

来た!
玄関先で男が見送っている。
章吾はすかさず写真を撮った。
お次は現金の受け渡し場面。
これもばっちり!

章吾は学校の先生の事は全く信用していなかったので、まずは帰宅して父・大吾に事情を説明。
お金の受け渡しの写真があったから、すぐに事情は理解してもらえた。
写真をプリントアウトすると、まずは大吾と一緒に、買春をしていた男のアパートへと急ぐ。
男は、運良くまだ居た。
大吾、ここで鎌をかける。
「うちの子の同級生の悠太くんが、お宅と売春したと、白状しました。」
男は目を丸くした。
続いて、アパートの玄関先を撮った写真を見せる。
「ここには、悠太くんとお宅が一緒に写っています。言い逃れは出来ませんよ!」
男はしょげ返っていた。
「もうしません。だから、警察にだけは言わないでください。」
ここで大吾が男に尋ねる。
「お金の使い道について、悠太くん、何か言っていませんでしたか?」
「ーーーーあ!そういえば一度だけ、上級生に巻き上げられていると言っていましたね。」
大吾はここで、語気を強める。
「その上級生の家に、今から行きます!付いて来てくれますね?」
「はい……。」

ここで章吾ははたと、重大な事に気付く。
章吾は、その上級生の名前は知っていても、住所までは知らなかったのだ。
その事を正直に打ち明けると、大吾はニンマリと笑った。
「俺に任せとけ。」
大吾の後を付いて行くと、ある一戸建ての前に辿り着いた。
表札の苗字は確かに、上級生のものだ。
何故知っているのだろう?
後で聞いてみよう。
この時の章吾は、そう思っていた。

大吾がインターホンを押す。
程なくして、上級生の母親と思しき人が玄関扉から顔を出した。
「あら、佐伯さん!いつも主人がお世話になっております。どうぞ上がってください。」
章吾と買春の犯人は黙って大吾の後を付いて行く。
この時ほど父・大吾の事が頼もしく思えた事は、少なくとも章吾には今までにはなかった。

リビングに通される一行。
そこには、上級生の父親と思しき人がソファに腰掛けていた。
「あなた、佐伯さんよ。」
「これはどうも。いつもお世話になっております。今日はどういったご用件でしょう?」
「それがね。まずはこの写真を見て頂くとして。これを、どう説明なさいます?」
お金の受け渡し場面の写真。
これを見た上級生の父親らしき人の顔から、見る間に血の気が引いてゆく。
だが、それでもお構いなしに大吾は続ける。
「隣のこちらの方が、写真にも写っているうちの子の友達と売春行為をしていましてね。一回五万円、毎週やっていたそうです。そのお金を全部、お宅の息子さんが巻き上げていた、という訳でして。」
「はい、売春していました。間違いありません。」
この大吾と悠太の売春相手の言葉を聞いて、上級生の父親らしき人はしばらくの間、絶句していた。
「お宅の対応によっては警察に持ってゆく事も出来ますし、お宅の会社との全ての取引を中止するよう社内で掛け合ってもいいんですよ。代わりの取引先なんて、幾らでもありますから。」
そう、この人物は大吾の勤める会社の取引先企業の社員だったのだ。
一行の目の前の顔は真っ青だった。
“猛犬”を野放しにしていた罰だとも言えるだろうか。
ざまあみろ、章吾はそう思っていた。

そこへ、上級生が帰宅。
ナイスタイミング。
上級生の父親、不肖の息子に飛びかかった。
「お前という奴は!この野郎!最近妙に金回りが良さそうだと思ったら、人様から強奪していたとは!人間の風上にも置けん奴だ!とにかく謝れ!これから被害者に謝罪に行く。同行しないなら、義絶する!」
不肖の息子は、黙って父親に殴られていた。
不良にも勝てないものもある、という事だ。

一行は早速、悠太の家に向かう。
途中、章吾にだけ、ノースポールの囁きが聞こえた。
ノースポール、力が弱まっているのだろうか。
「章吾くん、急いで!早くしないと、間に合わない!悠太くんが出掛けちゃう!このままだと、死んじゃうよ!」
章吾は居ても立っても居られず、駆け出した。
残りの一同もそれに続く。
「居た!」
悠太は、公園前の横断歩道を、信号が赤なのにもかかわらず渡ろうとしていた。
「待ってー!死なないで!もう大丈夫だから、悠太!愛してる、だから行かないでー!」
章吾が叫んだ。
全身に力を込めて。
悠太は、車道に一歩踏み出していた。

ドン!
鈍い音と共に、悠太はタイヤの下敷きになる。
ーーそれから半日後。
悠太は、一命を取り留めた。
章吾があの時叫んでいなければ、亡くなっていただろう。
力を使い果たしたのか、章吾の家のベランダのノースポールは、枯れていた。
章吾はそれを見て、涙を流した。

何日かして、病室で。
章吾は、最近覚えた林檎の皮剥きを、チマチマチマチマやっている。
そんな様子を、悠太はニコニコしながら眺めていた。

この時、悠太は思っていた。
自分は、章吾たちのお陰で、生まれ変わったのだとーー。

二人は、付き合い出した。
まだ中学生、プラトニックな恋愛を抜け出せてはいなかった。
悠太の心の傷を思うと、抱き合うのはまだ早いと、章吾にはそうも思えた。
ただ、両家の親も認めてくれていたから、居心地の悪さはなかった。
ウブな二人、キスもまだだったが、愛の言葉だけは交わすようになっていた。
「愛してるょ、悠太。」
「恥ずかしいょ、章吾。でも、ぼくも。」

二人はこれからも、長い長い道のりを、共に手を取り合って歩んで行く。
何があっても共にあろうーー。
そんな覚悟が、二人には芽生えていた。
この二人には幸せが良く似合う。
だからノースポールは、命懸けで二人を助けたのだろう。
約束の地は、もうすぐだ。

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Bloomin’ Flowers II : 朝顔の囁き

[Part 1 : 語り・かねじー]

まぁ何というかね。
出会い系ですよ。
自分の生き甲斐というのはね。
年齢?
今年で19になります。
遊んでばかりいて、虚しくないのかって?
虚しくなんかないっ!
虚しくなんかないっ!
虚しくなんかないっ!
恋愛ってそもそも、重たいし。
こう見えても可愛いって良く言われるので、相手には困っていないのです。
まぁ、出会い系から恋愛に発展する人も居るんだろうけど。
自分の場合は、面倒臭くって、もう。
という訳でぼく、仲間内からは“かねじー”と呼ばれています。
よろしくっす!(何がだよ。)

さて、今日も今日とて、出会い系。
いい相手を見つけたら、SNSのID交換するんだ。
お、早速いい感じのが。
相手、ちょっと奥手みたい。
こういうのは、ちゃちゃっと会ってみないとね。
まどろっこしいやり取りはなし!

で、カフェですょ、カフェ。
まぁここは行きつけなんで、ホームグラウンド。
こちらに有利。
相手の男は、っと。
顎の無精髭がいい感じ。
ゆるーい感じのデブかな。
ぼくはむちむちしているって良く言われるので、ちょっと方向性が違う。
でも、これもまた良し。

それよりも困るのは、会ってみて分かったのだけど、相手の男、想像以上に無口なんだ。
まぁ本当は嫌いではないんだけどね、そういうのも。
寡黙な男、ってやつ?
でも、ぼく的にはそういうのは、やっぱりちょっと苦手かなー。
いや、何度も言うけど、嫌いじゃないんだょ。
ただ、何しろ経験値が少ないから(どの口が言うか!)、どう対処したらいいのか、分からないのですよねー。
というか、ぼくネコなんで、リードするのは苦手なのです。
年下なんて初めてだし。
けどま、ここまできたらチャレンジあるのみ!

「あ、あのー。」
ぼくが夏向けのアイスドリンクのベンティサイズを啜っていると。
視線がこちらに向けられている。
「これから、どうします?」
振ってきた。
丸投げかょ、おぃ。
まぁでも、ここは仕方ない。
「とりあえずウチに来なよ。」
いきなりの直球、早過ぎたか?
などという心配は無用だったみたいで。
「はい、是非!喜んで!」
それはもう嬉しそうに言うので、安心と共に少し気が抜けた感じがした。

とりあえず、行きつけのカフェをそそくさと出て、徒歩で自分の部屋のあるマンションへと向かう。
空のてっぺんからじりじりと照り付ける陽射しが、鬱陶しい。
「かねじーさんの部屋って、ここから近いんですか?」
「う、どうだろう?ここから歩いて十五分位だょ。」
まぁそぞろ歩くといった感じに近い雰囲気で、でも一応は部屋には近付いているという感じなんだけども。
それにしても、会話がない。
困った。
仕方ないのでとりあえず、最近のアニメの話題を振ってみた。
本当は、オタク気質が多少なりとも知られるのは、恥ずかしいから嫌なのだけど。
とはいえ、どうせ部屋を見られる事だし。
関係ないか。
と、ここで。
意外にもこの話に乗ってくる相手。
まぁこの場はこれで繋げたからいいけど、後で火傷しないといいなぁ。

彼の愛称はハリモグ。
理由は聞かなかった。
まぁ何となく分かったから。
ハリモグラ、ね。
でも見た目はもっと大人しい、可愛らしい感じの子なんだけどな。
それはさておき。部屋に到着である。
「来て早々何なんですけど、お風呂頂いていいですか?汗かいちゃって。」
「いいよー。そこの棚のタオル、洗ってあるから自由に使って。」
流石は良く肥えているだけの事はある。
この時期、汗はマスト。
もちろん、自分だって人の事は言えないが。

待つ事四十分。
や、意外と長いな。
ま、昨日観損ねたアニメの録画があったから、暇を持て余していたという程ではないのだけど。
「長風呂、すいません〜。夏でもしっかり浸からないと駄目な方なんで。」
「あ、いぃょいぃょ。気にしないで。冷蔵庫のペットボトル、空いてないの好きに飲んでていいから。ぼくも風呂入ってくるね。」

で、出てみると。
何と!
ぼくが今晩一人で食べようとしていたプリンが、哀れハリモグの胃の中へ……。
何も言えずに立ち尽くすぼく。
ハリモグは「ご馳走さまでした!美味しかったです!」と、あっけらかんと言ってのける。
「いぃょいぃょ、気にしなくて。」
とは言ってはみるものの、内心では泣いているのだった。

ベッドの上で、壁に寄りかかって、二人並んで。
距離が近い。
やがて、どちらからともなくキスーー。

四十分後。
事を終えた、ぼくたち二人。
ぼくはハリモグにシャワーを勧める。
「浴び終えたら、今日泊まってきなよー!」
「いぃんですか?喜んで!」

ハリモグは一こ下。
二人共ネコだったので、ここは年上のぼくが頑張った。
ぼくがタチをするなんて、珍しい。
雨でも降らないといいけど。
ハリモグ、寡黙な青年だと思っていたのだが、部屋に着いてからは良く喋る。
たぶん、緊張がほぐれたのだろう。
ハリモグが出て来たのを見計らって、ぼくが交代でシャワーを浴びる。

部屋に戻ると。
ハリモグ、ぼくの昔の写真が収められたアルバムを、勝手に見ていた。
というよりも、没入している感じ。
そんなにいいのか?
よく分からない。
が、恥ずかしいので、背後から没収。

「やー、何すんのー!見てたのにぃ!」
何すんのって、それはこっちのセリフだ。
「ハリモグ、寛ぐのは構わないけど、居ない間にあちこち引っ掻き回すのはやめてね。」
頭が沸騰しそうなのを感じながらも、なるべく穏やかに、しかしはっきりと自分の意思を伝えてみる。
「そうですね。ごめんなさい。」
ハリモグ、ここはあっさりと折れてくれた。
これは有り難い。
いい子だ。
「でも、可愛かったですょ、かねじーさん!」
頰が熱い。
こういうとこ、自分まだまだ修行が足りない。
まだまだウブなのだ。

翌朝。
ハリモグが帰るので見送る。
「かねじーさん、またお相手よろしくお願いします。では!」
「あいよー。またねー。」
戻ると、部屋の中がザワザワしていた。
音はベランダの方から聞こえる。
カーテンを開け、サッシを開け放つと、ベランダに置いてある鉢植えの朝顔が何やら喋っていた。
朝顔が喋るのである。
普通に考えれば、一大事である。
が、ぼくは以前にも同じような経験をしているから、こんな事では驚かないのだ。
で、耳を澄ますとーー。

「ハリモグ、今頃泣いてるょ。」
「昔の思い出が辛いらしいね。」
「かねじー、ハリモグと付き合っちゃえばいいのに。」
「あの馬鹿かねじーは面倒臭がりだから、厄介事には首を突っ込まないと思うょ。」
「人でなしかねじー。」
「そうそう、ちょっと可愛いからって、何をしてもしなくても許されるって訳じゃないのにね。」
「お似合いだと思うんだけどな。」
「そう思う!ぼくも!ぼくも!」

ハリモグが泣いているーー。
それを聞いて、胸がざわざわした。
でも、ぼくに何が出来るってんだ!
そう思ってイラついたから、ベランダに向かってぼくは叫んだ。
「うるさーい!」
一瞬にして辺りは静まり返った。
ぼくって、結構残酷なのな。

[Part 2 : 語り・ハリモグ]

かねじーさん家からの帰り道。
体が重い。また罪悪感を感じている。
こんな自分が嫌だ。
あの日から、全てが狂ったままだ。

電車に揺られる。
いつもの事なのに、今日は何だかそれだけでイライラする。
早く帰ろう。
最寄り駅を降りると、途中コンビニで弁当二つとサラダ、それにコーラを買って家へと急いだ。

ぼくは一人暮らし。
そこはかねじーさんと一緒。
大学に通いながら、仕送りで生活をしている。
静まり返った部屋で独り弁当を食べていると、何だか泣けてきた。
次第に泣き声を抑えられなくなり、最後には号泣。
いつものパターンだ。
こんなぼくには、彼氏など出来やしない。
いや、そもそも作る資格がないのだ。

あの日ーー。
ぼくはハッテン場で、初体験を済ませた。
途中までは意識もしっかりとしていた。
コンドームも、ちゃんと着けてもらうつもりだった。
でも、カプセルのようなものをお尻に入れられてから、ぼくはおかしくなった。
相手は、生で挿れようとしている。
危険だ。
なのにーー。
身体が、言う事を聞かない。
生で犯されるぼく。
無我夢中だった。
気持ち良かった。
その時は、それで良かったのかもしれない。
だがーー。
後日、不安になって自治体の無料の性病検査を受けると、HIVの感染が明らかとなった。
結果を聞いたその日の夜。
ぼくは眠れなくて、独りで部屋で泣き喚いていた。
心にも身体にも、絶望感しか残っていなかった。

それからもぼくは、出会い系やハッテン場で相手を見つけてはSEXを繰り返していた。
もちろん、ゴムは着けてもらっていた。
まぁもっとも、相手がゴムを着けなかった所で、困るのは自分ではないと、高を括っている節はあったのだが。

こんな自分だから、彼氏など作る資格もないと思ってきた。
第一、説明するのも面倒だ。
だから、ぼくには彼氏など居た事もない。
顔は少なく見積もっても十人並みではあると思うから、これはおかしな事態と言えなくもなかった。

かねじーさんと別れた日の夜。
ぼくは気を紛らわす為に、またもSEXの相手を探していた。
堂々巡りである。
結局その晩は見つからず、眠れぬまま朝を迎えた。

翌日。
土曜日の朝。
ぼくはようやく眠くなり、そのまま眠りに就く。

夢を見た。
悲しい夢だった。
昔の事を、思い出してしまった。

還らない温もり。
父さんの大きな背中。
ぼくは父を、中学生の時に亡くしていた。
父は、病気だった。
父を蝕んでいた病の名は、エイズ。
父もまたぼくと同じように、ゲイだった。
父の死後間もなく、母が失踪。
たぶん、色々とショックだったのだろう。
その後は親戚の家で育てられた。
親戚の家の人たちは皆優しかったが、ぼくは父さんの温もりが恋しかった。
失くした温もりを求めて、男から男へと彷徨う日々。
でも、何度抱いても抱かれても、心が満たされる事はなかったーー。

起きると、窓の外はすっかり暗くなっていた。
シーツは、脂汗でべっとり。
とりあえず、誰かと寝たい。
そんな気分だった。
人肌の温もりを一時でも感じて、気を紛らわせたいーー。
ぼくはいそいそと携帯を取り出すと、画面を操作し始めた。

結局ぼくは、適当な相手を見繕って、その日の内に会う事にした。
夜。
知らない駅前。
待ち合わせた男と対面する。
タイプだ。
少なくとも、悪くはない。
二言、三言会話をする。
だが、別にそれが目的ではない。
だから自然と会話がなくなる。
とりあえず、抱いてくれればそれでいいーー。
いつものように、この時もぼくはそんな風に思っていた。

シーツを握る。
手に力がこもる。
足が突っ張る。
声が勝手に出てくるーー。

相手は、手練れだった。
夢中になる事、小一時間。
宴は、終わった。

二人してうつ伏せで、ベッドの上に横たわる。
相手が、尋ねてきた。
「君、遊んでるよね?」
別にそんな事を聞かれる筋合いはない。
腹が立ったぼくは、それとなく立ち上がると、服を身に纏う。
「帰るの?」
素っ気ない声。
ぼくは黙って頷いた。
「駅まで送るよ。」
助かった。
この辺り、道が入り組んでいて、道順を覚えていなかったのだ。

「じゃ、またその内に。」
「はい。ありがとうございました。」
相手と別れる。
たぶんもう、会う事はないだろう。

その時だった。
携帯が鳴った。
見ると、かねじーさんからのメッセージだった。
そこに書かれていたのはーー。

[Part 3 : 語り・かねじー]

ハリモグと別れた日の夜。
またも朝顔がうるさい。
花は萎れている癖に、口だけはいっちょまえだ。
耳をそば立たせてみるとーー。

「ハリモグ、HIVなんだってさ!」
「うちの主人と同じだね!」
「仲間だ、仲間!」
「仲良くすればいいのにねー。」
「ほんとだょー。」

驚いた。
まさか、と思った。
ちなみに、ぼくがHIVに感染した経緯は至って単純。
コンドームの先っぽを、切られていたのだ。
その時にハッテン場でSEXをした相手は、少なくとも誰かには、確信犯的に感染させるつもりだった筈だ。
で、たまたまカモられたのがぼくだったーーそういう事。

で。
ハリモグに再度連絡を取るかどうかーー。
ぼくは丸一日悩みまくった。
悩んで悩んで、遂に出した答えが、連絡を取る、というものだった。
生半可な覚悟ではいけない。
それは分かっていた。
それでもぼくは、あんなに可愛い子が苦しんでいるのを、放っておく事は出来なかったーー。
ぼくに何が出来るだろう、そうも思った。
でも、ただ側に居るだけでも救われる事があるーーそんな気がしたから。
だから、それ位の事ならきっと出来ると、そう思ったからーー。

ぼくはのっそりと起き上がると、携帯を手に取ってメッセージを送る。
文面は単純だった。

「やぁ、ハリモグ。何か悩みはないかい?ぼくはあるよ。実はHIVなんだ。ハリモグには隠さない事にした。何か困ってる事があるなら、何でも相談に乗るよ。暑いから、冷たい飲み物を用意して待ってるょ。良かったら、今からおいで。」

これだけだ。
あとは萎れた朝顔の未知の力に期待するだけだ。

それから小一時間。
朝顔がざわめき出した。

「ハリモグが来るよ!」
「ほんとだ。もうすぐ来るね。」
「どうなるかな?」
「期待しちゃうね!」

そして、ハリモグはやって来た。
息を切らして。
熱帯夜の最中、走って来たのだ。
案の定、汗びっしょり。
「お風呂入りなょ。ゆっくり浸かるといいょ。」
ハリモグは、涙交じりの笑顔で、頷いたーー。

[Part 4 : 語り・ハリモグ]

かねじーさんからのメッセージ。
そこには、自らがHIVである事を明かす一文があった。
全身に電気が走ったような、そんな感覚を覚えた。
走った。
今なら、まだ間に合う。
居ても立っても居られなかった。
もしも運命の人なんてのが本当に居るのなら、かねじーさんをおいて他には居ない、そう思えた。

かねじーさんの家に着いて。
彼はこんなぼくの事を、笑顔で迎え入れてくれた。
そして、お風呂に入るように促した後で、こう言った。
「来てくれて、ありがとう。」
その瞬間に、強張っていた身体から、力が抜けた。
その場に崩れ落ちて、わんわん泣いていた。
かねじーさんはそんなぼくの側で、そっと背中をさすってくれていた。

「嬉しい?」
不意にそう聞かれて、ぼくはただ頷いた。
するとかねじーさんも、笑いながら。
「ぼくも嬉しい。」
そう言って、ぼくの事を抱き締めてくれた。
その温もりが、冷え切っていたぼくの心に、火を灯してくれた。
ぼくたちは、ずっと笑顔だったーー。

それから、色んな事を話した。
かねじーさん、高校までは意外な事に、いじめられっ子だったらしい。
大学に入ってから、はっちゃけたみたい。
ぼくは、亡くなった父さんの事を話した。
やがて、話すのに疲れて、ぼくがうとうとしかけた時。
かねじーさんは、耳元でそっと囁いた。
「付き合わない?ぼくと。」
だからぼくは返事の代わりに、隣のかねじーさんの手を、ぎゅっと、ぎゅっと握った。

窓の外の空が白み始める。
朝顔が花を咲かせ、小鳥がさえずる。
新しい朝を迎えて、ぼくはただひたすら、幸せだった。
こんな日がずっと続けばいいと、心からそう思った。
そんなぼくの思いを察してか、かねじーさんは、「だいじょーぶ!」、そう言って頭を撫でてくれた。
夏もいよいよ本番。
これからはかねじーさんと、思いっ切り楽しみ尽くしてやるんだ!
そう思えたこの日が、ぼくたちの記念日になった。
これもみんな、朝顔たちが助けてくれたからーーそれを知ったのは、もう少し後の事だったけど。
悲しい過去とは、もうさよならだ。

お・し・ま・い

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Bloomin’ Flowers : ひまわり畑の悪戯

啓ちゃん、今年もまたひまわりが咲いたよ。
啓ちゃんの大好きだったひまわりが、お日様に向かって一生懸命に咲いているよ。
まるで傍に居てくれていた頃の啓ちゃんみたいにさ。
ぼくもしばらくしたら、きっと啓ちゃんの元に行くから。
だからさ。
待っててーー。

目が覚めると、脂汗でシーツがぐっしょりと濡れていた。
また同じ夢だ。
隣には、スヤスヤと眠る啓ちゃんの寝姿。
縁起でもない夢だ。
一刻も早く忘れたい。
ぼくは洗面台へと向かうと、蛇口から迸る生温い水で顔を洗う。
ふと振り向くと、そんなぼくを啓ちゃんはニンマリと笑いながら見つめていた。
「寝言、聞いてたよ。目は瞑ってたけど。ぼくはそんなに簡単には死なないからね!」
そう言って啓ちゃんはぼくにいきなり抱き付いて来る。
くしゃくしゃに頭を撫でられて、ぼくは幸せだ。

冷蔵庫からボトルドウォーターを二本取り出して、一本を斜め前方に向かって放り投げる。
ボトルは綺麗な放物線を描いて、啓ちゃんの胸元に収まった。
夜明け前。
ベランダを開けると、夏の終わりの熱帯夜に特有の、生温い風が頰を撫でてゆく。
「ね、啓ちゃん。これからドライブしよっか。」
大きく頷く、見慣れた顔。
今日は二人共、仕事が休みだ。
同じ職場で働いている。
啓ちゃんは職場ではぼくの上司だ。
建前というものがあるから、職場では厳しい。
だが、仕事を終えると途端に甘くなるし、フォローもしてくれる。
一緒に住んでいると、こういう時に助かる。
という訳で、言うまでもなくぼくらは、職場恋愛だ。
何しろゲイなのだ。
これは奇跡的と言って良い。
さて、天気も晴れの予報。
ドライブには絶好の日和だ。

アパートの駐車場で。
啓ちゃんが車のロックを解除すると、ぼくはすかさず助手席に乗り込む。
着座位置があからさまに低い。
もう慣れたが。
ボトルドウォーターを一口、口に含んで一息。
何とはなしに横を見ると。
「よっこらせ、と。」
まだ二十代も半ばなのに四十代のおじさんのような声を上げて、啓ちゃんが乗り込んで来る。
「ねぇ、その掛け声は止めて(笑)」
そう言ってはみるのだが。
何度言っても変わらない。
いつもこんな調子なのだ。
「まぁこの気持ち、今に分かるさ。」
ニッと笑って、エンジンスタート。
車がすうっと動き出す。
ちなみにぼくは、啓ちゃんよりも三つ年下だ。
駐車場を出て、車は大通りへと向かう。
空は次第に、うっすらと白み始めていた。

当てもなく、といった風情で車を走らせる啓ちゃん。
「どこ行く?」
答えを期待するでもなく、何となく聞いてみると。
「ひまわり畑!」
悪戯な笑顔で、啓ちゃんは鼻腔を広げる。
「あ!寝言全部聞いてたんだ!わざわざ行くなんて、啓ちゃん意地悪だぁ!」
ぼくはぷっくりと頰を膨らませた。
でも当然、知っている。
啓ちゃん、ひまわりが大好きなのだ。
九月になったばかりのこの時期でも、まだ咲いている所はあるらしい。

車は西へひた走る。
料金所のETCレーンを通過して、首都高に乗る。
啓ちゃんの車はスポーツカー。
車が趣味なのだ。
この日の早朝の下りの首都高は、空いていた。
スイスイと進んでゆくのに気を良くして、啓ちゃんはアクセルペダルを踏み込む。
「ちょっと飛ばし過ぎじゃない?」
「大丈夫、大丈夫。」
やがて車は中央自動車道へ。
目指すは山中湖。
ひまわり畑のある広い公園があるのだ。
富士山も見える、絶好のスポットだ。
車は追い越し車線に入り、ぐんぐんと加速する。
たぶん、120km/hは出ていたのではないか。
ちょっとクールダウンが必要かな、そう思った。
「ね、休憩しようよ。お腹空いたし、トイレにも行きたい。」
そう言うと、啓ちゃんは気のない返事を返して来る。
「あ、あぁ。」
すると、すかさず。
ぐるる〜ぅ。
お腹の音が鳴る。
啓ちゃんの大きなお腹が、音を立てたのだ。
「早く休憩しようね。」
そう言って啓ちゃん、照れ隠しにペロンと舌を出す。
なんだ、啓ちゃんもお腹が空いていたのだ。
運転に集中し過ぎて、気が付かなかったらしい。
ぼくもお腹は空いている。
気分転換にもなるし、ちょうどいい。

サービスエリアの駐車場。
車のドアを開けて、表に出る。
まだ朝だというのに、むせ返るような暑さだ。
トイレを済ませ、ホットドッグとアメリカンドッグとソフトクリームを頬張るぼくら。
「足りないね。」
「ね。」
すかさずチャーシューメンと四人分の餃子二十四個を追加。
これで腹六分目だ。
「さ、行こ行こ。」
食事を終えると、そそくさと退散。
だが、このままのペースで着いても開園までにはまだ結構時間がある。
「啓ちゃん、高速降りたらゆっくりドライブでもしようよ。まだちょっと早いからさ。」
「そだね、オッケー。」
こうして再び車は、滑り出した。

高速道路を降りるとぼくたちは、当てのないドライブを始めた。
途中コンビニで食料を調達する。
サンドイッチ、菓子パン、おにぎり、スナック菓子、ドリンク、チョコレート。
チョコレートが含まれているのは、最近二人してハマっているからだ。
チョコレートにはセロトニンの分泌を促す作用があるらしい。
要は、鬱々とした気分の解消に役立つのではないかという事。
まぁ実の所、あまり期待はしていないが。
医薬品じゃあるまいし。
結局の所、美味しいから買うのである。
セロトニン云々というのは、後付けの言い訳みたいなものだ。
それ位は自覚している。
でもまぁ、たとえプラセボみたいなものでも気休めにはなるだろう。
走りながらだと啓ちゃんが食べられないので、とりあえずサンドイッチとおにぎりをコンビニの駐車場で二人して頬張る。
「まぁまぁかな。」
「うん。そだね。」
ほっこりとしたひと時。
こういうのも、時には良い。

開園時刻が迫ってきたので、ぼくたちは公園へと向かう。
休日だからか、駐車場にはそこそこ車が停まっている。
とはいっても、東京近郊の某大型テーマパークとは比較にもならないが。
入口でチケットを購入し、中へと入る。
歩いてゆくと、一面のひまわり畑が目に飛び込んできた。
見渡す限りのひまわり。
啓ちゃん、ハイテンションになる。
「ね、ね!凄いでしょ!来て良かったよね、ね!」
大きく頷きながらぼくも、しばしひまわりに見惚れていた。
そぞろ歩くぼくたち。
すると。
辺りに急に濃い霧が立ち込める。
や、おかしいな。
変だぞ。
そう思っていると、間もなくして霧は晴れたのだが。
気が付くと、啓ちゃんがいない。
脳裏にあのシーンが浮かぶーー。

啓ちゃん、今年もまたひまわりが咲いたよ。
啓ちゃんの大好きだったひまわりが、お日様に向かって一生懸命に咲いているよ。
まるで傍に居てくれていた頃の啓ちゃんみたいにさ。
ぼくもしばらくしたら、きっと啓ちゃんの元に行くから。
だからさ。
待っててーー。

ぼくは泣きながら園内を探し続ける。
だが一向に見つかる気配はなく、ぼくは警察へと通報した。
公園の職員や警察の人たちも巻き込んで、啓ちゃんの捜索は閉園時刻まで続いた。
「今日は諦めましょう。寒い季節でもないし、きっと大丈夫!ここでは、たまにこういう事があるんです。気を落とさないで!」
警察の人が励ましてくれたが、気が動転して心臓がバクバクとしている。
結局その夜は少し離れた旅館に泊まる事になった。
宿が空いていて良かったのだが、そんな事にも気が回らない。
夕食もろくに喉を通らず、物心がついてから初めて、食べ物を残してしまった。
ラーメンのスープだって残した事はないのに。
深夜。
なかなか寝付けないでいると、話し声が聞こえてくる。
辺りには誰も居ない。
いよいよ自分、おかしくなったか。
だが、良く耳を澄ますと、聞き捨てならない会話が繰り広げられていた。

「悪戯、大成功だね。」
「今回もうまくやったね。」
「啓とか言ってたね。男同士のカップルらしいよ。珍しいね。」
「いつ元に戻そうか。」
「連れが自殺でもするといけないから、明日の朝には戻そう。」
「えー、つまんない。」
「せめて着ている服、ひん剥いてやろうよ。」
「全裸にするの?」
「捕まっちゃうよねぇ。それじゃ可愛そうだから、下着のパンツだけ残してやろう。」
「それにしても良く寝てるな。起きる気配がない。」
「当たり前でしょ!ぼくの魔法は、日本有数なんだから!」
「はいはい。んじゃあ、そういう事で。後はよろしく。」

幻聴にしてはリアルだった。
しかもぼくにはそんな症状の持病はない。
一気に浮き足立った。
明日も見つからなかったらどうしよう、そんな不安が頭を過ぎる事もなくはなかったが、この時は期待が勝った。
翌朝。
昨日の分まで取り返すように、モリモリと朝食を食べる。
公園へ向かうと、捜索は再開された。
「おーい、啓ちゃん、どこー!」
その時だった。
「ここだよ、今向かうね。」
聞き慣れた声。
いつにも増して、愛しかった。
ボクサーブリーフ一枚を身に纏っただけの啓ちゃんに、泣きながら僕は抱き付いた。
「どうしたの!?心配したんだょー!」
「突然気を失って、気が付いたらひまわり畑の中に居たんだょ。でも何で服がないのかな?おかしいね。」
こっちは一時は絶望しかけていたというのに、呑気なものである。

その後啓ちゃんは、ぼくが泊まっていた宿で服を借りて、警察の人の簡単な聞き取りを受ける。
事件性はないのですぐに開放してくれたが、なるべく早く病院で検査を受ける事を勧められた。
で、である。
旅館と言えば和装、浴衣なのである。
という訳で、借りたのはもちろん浴衣。
浴衣姿の啓ちゃん、なかなか良いのだ。
そういえば地元の近くで今度、花火大会がある。
二人揃って浴衣で行くのもいいな。
そんな事を考えていると。
「ね、今度の花火大会、二人でお揃いの浴衣で行くの、良くない?」
啓ちゃん、ぼくと同じ事を考えていた。
ぼくはもちろん、大きく頷く。
二人して、笑った。
それで、良かった。

帰宅後。
二人揃って病院で脳の検査を受けたが、異常なし。
それはそうだろう。
ま、予想通りの結果だ。

で。
花火大会当日。
ぼくと啓ちゃんは、お揃いの紺の浴衣で場所取り。
ちなみに宿から借りた浴衣は、クリーニングして宅配便で返却した。
それはそうと。
まだ昼過ぎだというのに、酒盛りである。
今日は車ではないから、啓ちゃんも気兼ねなく酒が飲めるのだ。
まぁ、二人共酒豪なので、今から夜までずっと、ちびちび飲もうというのである。
買って来たのは、ビールとチューハイに、ハイボール。
つまみも山ほど。
飲めば飲むほど、陽気になるぼくたち。
花火が上がる頃には、テンションもMAX!
それとなく肩を組んで、歌なんて歌ってみる。
空には煌びやかな光のページェント。
共に生きて来て良かった、心からそう思えるひと時だった。

帰宅後。
そのままなだれ込むように抱き合う。
寝室に行くのも面倒だ。
このまま廊下で。
お互い酒臭いが、そこは気にしない。
夜はまだ長い。
ぼくたちの幸せは、まだまだ終わらない。

それから。
季節は流れ、一年後。
夜、夢を見た。
「また、おいで。早くおいで。」
「今度は、歓迎するからさ。」
あの時のひまわりが呼び掛けているように、ぼくには思えた。
もちろん、勘違いなのかもしれない。
そもそも、去年のひまわりならもうとっくに、枯れている筈だ。
それでもーー。
行かねば、そう思った。
夜明け前。
隣でスヤスヤと眠る啓ちゃんを揺り起こす。
今日は休日、しかも天気はあの日と同じように晴れ。
実にタイミングが良い。
だから呼んでいたのかもしれない。
「ね、啓ちゃん!起きて!」
「ん、何?」
「去年行ったあのひまわり畑、また行ってみようょ!」
「またパンツ一丁になるの?嫌だょ(笑)」
啓ちゃんがケタケタと笑うのでぼくもつられて笑いながら、「今度はきっと大丈夫だから」、そう言って促した。
「ま、今度は手でも繋いで歩けばいいか。じゃ、支度しよっか。」
「うん!」
ぼくは冷蔵庫を開けると、スパークリングウォーターの瓶を二本取り出し、一本を啓ちゃん目掛けて放り投げた。
「危ないから(笑)」と言いつつも、啓ちゃんナイスキャッチ。
慣れたものである。

山中湖に向かう車中で。
「この車一応スポーツカーだけど、セミATでクラッチペダルがないから、ヒール・アンド・トゥが出来ないんだよね。やってみたいんだけどな。」
一度に三つのペダルを操作するとか、ぼくには考えられない。
それこそ、酔狂な話だ。
「それより今夜、ぼくのペダルを操作してょ。」
冗談めかして誘ってみる。
「何の話だょ(笑)ま、良いけどさ。ぼくもしたいし。」
やったね!

高速を降りて。
例によって、時間潰しのドライブ。
或いは今度は二人揃ってひまわり畑の中に誘われるかと思って、途中コンビニで飲み物と食べ物をがっつり買い込む。
車に乗って、ふと窓の外に目を遣ると。
空が、綺麗だった。
雲が朝焼けに照らされて、印象派の絵画のように見えた。
時折、鳥たちが視界を横切る。
車は気持ちの良いエンジン音を奏でながら、ハイスピードで九月前半早朝の、車通りのない一般道を走る。
まぁ、こんな時のやんちゃな啓ちゃんも好きなのだが。
でも、こんな事ではいつまで経ってもゴールド免許は貰えないだろうな、そう思ってもいた。

開園時刻。
待ちに待った。
ぼくたちは手を繋いで、ズンズンと進む。
時折、通りすがりの人たちの視線がこちらを捉えるが、そこは気にしない。
しばらく歩くと、急に霧が立ち込めて来た。
握る手の力を、強める。
意識が遠のいてゆくのが分かった。
何処へ向かうのだろう?
ひまわり畑かなーー。

気が付くとぼくたちは、ひまわり畑のど真ん中の、小さな小さな空き地に寝転がっていた。
服は着ている。
良かった。
「ねぇ、啓ちゃん、起きて!」
「んぁ……。ひまわり畑だ。」
立ち上がると、一面のひまわり畑がぼくたちに囁いてくる。
「去年はごめんね。」
「今日はそのお詫び。ここは秘密の場所。閉園まで居るといいよ。」
啓ちゃんは目を丸くしていた。
ひまわりの声を聞くのは、これが初めてらしい。
「驚く事ないょ!ぼくは去年も聞いたょ。」
啓ちゃんはそっか、とだけ声を発すると、一面に広がるひまわり畑を、ただじっと見つめながら立ち尽くしていた。
その後ろ姿があまりにも可愛くて、啓ちゃんと付き合っていて本当に良かった、心からそう思った。
富士山が見下ろすひまわり畑の真ん中で、ぼくたちは今、本当に幸せだった。
また来よう、そう約束して、ぼくたちはずっと笑顔だった。
暑い暑い夏の終わりの出来事だった。

-完-

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