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三毛猫と白猫 [ミミちゃんズ・ふぁいなる] Ver. 1.0.1

空の碧さと海の碧さが交差する。
ここは俺の生まれ育った場所、沖縄。
俺の肌は浅黒いが、別に焼けているからではない。
元々、地黒なのだ。
昔から食いしん坊で鳴らしていただけあって、体はでかい。
今は通っている東京の大学の、夏休み。
「母ちゃん、飯まだー?」
「はいはーい!ちょっと待っててね。」
実は俺、初恋はまだだ。
遅いのだ。
母は言う。
「あんたなんかに、嫁さんの来手なんてあるのかしらねー?」
「ないかもねー。」
俺は適当に返すのだが。
これに父が怒った。
「それじゃ何か?俺達の老後の面倒、お前一人で見るっていうのか?まさか親を見捨てるわけじゃないだろうな?あ?」
凄い剣幕だ。
これでは、喧嘩を売られているのと同じだ。
勘弁して欲しい。
ここで母さんの助け船。
「こんな島で貴重な休みに店の手伝いをしてくれてるだけでもありがたいのよ。あんまり無理な事は言わないであげて。嫁さんの方にも、選ぶ権利はあるのよ。」
最後で腐す辺りが、いかにも母らしい。
「まぁ、それもそうだ。もっともだ。こんな暑苦しいデブ野郎を旦那にしたいだなんて酔狂な女の子は、そうそうおらんだろうからな。無理だとは思うが、お前、少し痩せてみてはどうか?」
また無理難題を。
そもそも骨格から変えないと、スレンダーになどなれっこないのである。
だいたい父も似たようなものなのだから、分かりそうなものなのに。
ここでまたもや母の助け船。
「さ、支度出来たわよ、ご飯!冷めない内にどんどん食べてね。嫁さんよりも、命の方が大事だわ。無理なダイエットは体に悪いわよ!」
こんな風に、この頃は母に助けられてばかりだ。
少しは親孝行もしたいものである。

今日も朝から、店の手伝い。
店とは、父が経営するレストランの事である。
ここ沖縄では、老舗だ。
実は俺は、調理師免許を取ろうと思っている。
父からみっちりとイロハを教わっているので、独学でも行けるだろう。
大学を卒業したら父の店で本格的に働いて、準備が整ったら受験するつもりだ。
大学で学んだ知見や広がった視野を、いずれは店の経営にも活かしてゆきたい。
「いらっしゃいませ。」
早速の来客。
スーツ姿の男性が一人。
お水とおしぼりを置くと、その男性、にっこりと笑ってくれた。
その瞬間、軽い目眩がした。
「君、大丈夫?」
お客さんに心配される始末。
そそくさと奥に戻って、父の手伝いに戻る。
「少し休むか?」
珍しく父がそう聞いてくるので、俺は首を横に振った。

それから毎日同じ時間に、そのお客さんは来店するようになった。

ある日。
父はトイレに向かう。
厨房には誰も居ない。
俺はコップとおしぼりを置いて下がろうとする、のだが。
「良かったら連絡して。友達になろう。」
いつものお客さん、名刺をくれた。
俺は黙って受け取って会釈をすると、名刺をポケットに入れて厨房に戻った。

恋をした。
あのお客さん、俺には天使のように見えていた。
それは、嘘偽りのない真実。
まぁ天使とはいっても、当然の事ながら年上ではあった訳であるが。
二十歳を過ぎて訪れた、これが初恋だった。

半年後。
俺はベッドの上で、あの時のお客さんに組み敷かれていた。
彼はテクニシャンだったので、当初は遊び人ではないかと警戒していたが、実際の所はそうでもなかった。
彼の告白で、俺達は共同生活を始める事になった。

島を離れる時、俺達の関係に気付いていた父は、見送りにも来てくれなかった。
仕方ない。
だが母は、涙ながらに手を振ってくれていたーー。

彼はしばらくの間出張で沖縄に来ており、住まいは東京にあったのだ。
大学には引き続き通っていた。
残りの学費を工面してもらえたのもひとえに、母のごり押しが効いたからである。
そうでなければ中退していた。
奨学金など、考えられなかったからだ。
取り立てがとにかく、怖かった。
だから本当に、骨身に沁みてありがたい。
それまで住んでいた寮は、引き払った。

彼は賃貸マンションの一階の部屋に住んでおり、窓辺にはいつも三毛猫が居た。
ある日気が向いて猫を室内に入れてみると、これが喋るのである。
正直、驚きでひっくり返りそうになった。
「こんにちは、私はミミ。この頃少し調子が悪いから、飼ってくださると助かるわ。お礼はいつかきっと、するから。」
そう言われたら、飼う他ない。
正直、お礼は期待していなかった。
喋る猫がいるーーそれだけでも、十分に面白いからだ。

喋る猫、その話を聞ける人間は元々、限られていたらしい。
だが近頃になって急速に増えているのだとか。
ある時より、ミミのような猫の一部から特殊なミストが放出されるようになり、それを吸い込んだ人間達が三毛猫や白猫達の話を聞けるようになっていった、そんな話なのだそうで。
そして、そういった人間達が今度は自らミストを撒き散らして、結果として喋る猫の話を聞く事が出来る人間は、指数関数的に増えていったらしいのだ。
これ全部、ミミからの受け売り。
最早喋る猫の話を聞く事が出来ない人間の方が、世界的に見ても珍しいらしい。
ちなみに、何故ミストが放出されるようになったかは、喋る猫の間でもまだ明らかにはなっていないのだそうだ。

で。
すぐに気付いた事だがミミ、喋るだけあってトイレも粗相しないし、引っ掻く事もないから、実に飼い易い。
これには、島のお店の以前のお客さんでもあった相方の泰孝さんも、感心しきりだった。
餌はとびきり上等の缶詰が、大のお気に入りらしい。
贅沢な奴め。
それはそうと、調子が悪いというのは気掛かりだ。
泰孝さんとも相談して、ミミを二人で動物病院に連れて行く事にした。
結果、内臓疾患という事で、すぐに手術となった。

無事に手術を終えたミミであるが、しばらくの間は静養が必要との事。
野良猫だった旨を告げると獣医の先生、これからはずっと飼ってあげてくださいと言う。
帰ってから「うちの子になるかい」とミミに尋ねると、嬉しそうに「ありがとう」と言ってくれた。
きっとこれまで、病でしんどかったのだと思う。
そのまま放置されていたら、一ヶ月もすれば亡くなっていただろうと言うのだ、獣医の先生。
助かって良かった。
こんなに珍しい猫、死なせていい訳がない。

部屋の窓辺に、小さなチェストを置いた。
ミミの日向ぼっこにちょうどいいだろう、という事で。
泰孝さんの提案だ。
実は泰孝さん、動物はちょっと苦手だったらしいのだが、ミミは賢いから大丈夫、との事。
ミミ、つくづく運のいい猫である。

それからはそのチェストの上が、ミミのお気に入りの居場所となった。
休みの日、ミミや泰孝さんに囲まれて一日を過ごしていると、時間の流れがゆったりとしているように感じる。

引越しをする事になった。
俺の大学卒業がきっかけだった。
泰孝さん、沖縄に魅せられていたのだ。
沖縄支社への転勤を申し出て、認められたのだった。
住まいは、俺の実家だ。
古いが、とりあえず広いのでなんとかなるだろう。
おかんむりの父を説き伏せてくれた母には、感謝してもし切れない。
もちろん、ミミも一緒に引っ越しだ。
きっと店のいいマスコットになるだろう。

出発の前夜。
ミミはたくさんの猫達に囲まれて、嬉しそうだった。
「モモ、ルル、ララ、後はよろしく頼むわね!」
「任せて!ミミ、幸せになって!」
猫同士でじゃれ合う姿はまるで、子供のようだった。

泰孝さんにとっては、住み慣れた家の前。
空は、抜けるように碧い。
出発の当日。
空港へと向かうタクシーに乗り込む二人。
その様子をたくさんの猫達が見届ける。
はたから見れば異様な光景だ。
それでも。
ミミの友達からすれば、そんな事は関係なかった。
たくさんの鳴き声に送り出されて、ケージの中のミミは、確かに幸せだっただろう。

那覇空港に到着すると、俺達はタクシーで実家へと向かった。
車から降りてびっくり。
父と母が、門の前で待っていたのだ。
今日は店の定休日だから、大丈夫だったのだろうが。
それにしても、父が居るのが意外だった。
父と母は、笑っていた。
「男同士でも、二人も居れば安心かもな。老後の面倒は、よろしく頼むぞ!」
父がそう言うので、俺と泰孝さんは揃って、親指を立てた。

夜は地元の人も呼んで、宴会。
何と、俺と泰孝さんの仲は、町中の人間に知られていた。
好奇の目に晒されるが、これも仕方のない事。
強く、強く生きるしかない、そう思った。
良い事ばかりは続かない。
当たり前だ。
時には辛抱も必要だ。

縁側で、泰孝さんと二人並んで。
「これから、難しい事もたくさんあるかもしれないけど、末永くよろしくな!」
そう言われて、抱き付いてみた。
みんなから、からかわれる。
それでも、良かった。
俺と泰孝さんとの関係、父が公にしたらしいのだが、伝え方が上手かったようで、村八分的な最悪の事態は免れた。
だから、良かった。
ゲイという存在がいかなるものであるか、理解していないような向きもあるにはあったが、まぁいい。
ハブられないだけ、まだマシなのである。
とりあえずこんな感じなので、何とかなるだろう。
この町が田舎過ぎないのが、幸いした。

俺は父に、見た目が似ている。
だから泰孝さん、こう言った。
「親父さんの顔を見て、似てるなって。それで安心したんだ。この分なら一生でも側に居られるだろうから。」
俺は涙が止まらなかった。
この人の手は離してはいけない、深くそう思った瞬間だった。

沖縄に着いてから、ミミは野良の白猫と仲良くしているようだ。
相手は、雄。
カップルの誕生かな?
興味津々。

休日。
俺と泰孝さんとミミと白猫、揃って縁側で日向ぼっこ。
長閑な時間。

黒い影が近付く。
次の瞬間!
酩酊状態の男が庭に侵入、酒瓶を持ってミミに襲いかかった。
間一髪、難を逃れたミミ。
それでもなお、男は怯まない。
ピリピリとした緊張感。
ミミがここで叫んだ。
「あなた、これ以上やったら承知しないわよ!交番の前まで吹っ飛ばしてやるんだから!」
男、驚きで一気に酔いが覚めた様子。
ふらつく足取りで、自宅へと戻っていった。

その半月後。
噂を嗅ぎつけたマスメディアのせいもあって、俺の実家や父のレストランは、観光名所となってしまった。
喋る猫。
最早、社会現象である。
店はそのお陰で繁盛しているのだが、当のミミ達はどう思っているのか。
心配だった。
しかし、そんな思いも他所に、ミミは思いの外落ち着いていた。
むしろ、堂々としている。
やがて沖縄には、ミミ見たさに観光客が国内外の各所から訪れるようになり、その経済効果は計り知れなかった。

それから、一年が経った。
ミミはようやく、全快した。
ミミのパートナーは、ニーニと言うらしい。
ミミの力のお陰で喋れるようになったばかりだ。
この二匹のお陰で、実家が新しくなった。
キャッシュで建て直したのである。
父が。

ミミとニーニとの間には、子供が生まれていた。
子猫達がまた可愛い。
この子猫達もミミの力で喋れるようにするんだそうな。
この魔法、最近習得したのだとか。
勉強熱心である。
実にありがたい。

それからしばらくすると父の店の前には、喋る猫・ミミとニーニと子猫達の、小さな銅像が立った。
役所からの要望で、是非にという事でそうなったのだ。
最初は気ままに、家と店とを行ったり来たりな猫達だったが、この頃はずっとお店の前に陣取っている。
皆猫を可愛がってくれるので、嬉しいやら助かるやら。

危機は忍び寄っていた。
ミミやニーニ、それに子猫達がちやほやされているのを気に食わないギャング猫達が居たのだ。
ギャング猫達は相談して、夜襲をかける事にした。
全快したミミの事だ。
これは察知していた。
ここでミミ、最近入手したという小瓶を取り出す。
『大丈夫なのか?』
心配しながら見ていると、瓶の中の液体をそこら中に振り撒いた。
するとギャング達、へなへなと崩れ落ちた。
「チャンスよ、光彦さん、泰孝さん!ギャング猫達を車に載せて、出来る限り遠くまで連れて行って逃がしてあげて!しばらくは薬の効き目が続くから、なるべく遠くがいいわ。よろしくね!」
結果的には、この危機はこれで去ったのだった。
ミミにかかれば、呆気ないものである。

それからもミミはレストランのマスコットとして人気だった。
危険もあるので、本当は静かな所でのんびりして欲しかったのだが、お客さんの要望ともあれば、そうはいかない。
猫達には常に誰か店の従業員が付くようになった。
大袈裟だが、やむを得ない。

店を増築する事になった。
夏場の炎天下など、長時間お客さんに待ってもらうのが、いたたまれなくなったからだ。
その為の資金も、猫達のお陰で捻出出来た。
素晴らしい。

だが、悲劇は突然訪れる。
何と猫達、喋れなくなってしまったのだ。
酷使し過ぎたせいで、黒秘岩の力がなくなってしまったようだ。
ニーニや子猫達に力を分け与えたのがいけなかったらしい。
黒秘岩の秘密は、沖縄への移住前夜の宴で、モモから聞いていた。
そういえばモモ、心配していたっけ。
頻繁ではないものの、定期的に黒秘岩の影響を受けていないと、力が徐々になくなっていくらしいので、頑張り屋のミミが無理をし過ぎないか、そんな事を考えて、心を痛めていたのだ。

お客さんみんなの期待には応えたい。
でもこのままだとそれは不可能だ。
だからお店の休業日を月に一日増やして、その度に黒秘岩のある場所まで出掛ける事にした。
遠いのだが、仕方ない。
別に北海道に行く訳ではない。
何とかなる。
しばらくの間黒秘岩の側で猫達に寄り添っていると、こちらまで元気になって来るような気がするから、不思議だ。

沖縄に戻ると、猫達はすっかり調子を取り戻していた。
心配していたお客さんも、一安心だ。
それにしてもミミ、今時珍しくウインクなどするのだ。
そんな事をする存在など、死滅したのかと思っていた。
なのでからかってみると、「あら失礼ね!」と言って、ぷんすかぷんすかご機嫌斜め。
仕方ないので極上の缶詰を今日だけ特別に、三缶もあげてみた。
不公平になるといけないので同じ数だけ各猫にあげるのだ。
まぁ、仕方ない。
身から出た錆とはこの事だ。

で、ウインク、お店では好評なのである。
ちょっと驚き。
得意げなミミも、また可愛い。

冬。
二人して綾織りの比翼仕立ての薄手のハーフコートを羽織って、海辺をお散歩。
こんなに薄着で街を歩けるのが凄い、と泰孝さんは言う。
ある意味、カルチャーショックだったのだそうな。
考えてみれば、下はTシャツ一枚なのだ。
これは確かに、素敵だ!
さすがは我が故郷、沖繩。
もちろん、猫達も一緒。
子猫達、大きくなった。
早いものである。

子猫の名前はピピ、ムーム、ハロルドだ。
ハロルドだけ雰囲気の違う名前なのは、ご一興。
特に意味はない。

ちなみに猫達、お店の中だと衛生面での問題が発生する可能性があるので、外のベンチに座っている。
定位置なのだ。
撫でるだけで去ってゆく外国人観光客などにも、ウインクをして、愛想がいい。

親戚の子がやって来た。
しばらく預かるらしい。
面倒は母が見る。
父と俺はお店でてんてこ舞い、泰孝さんも仕事で忙しい。
親戚の奥さん、本当は育てたいのは山々だったのだが、旦那さんが働かない上に暴力を振るうという事で、泣く泣く手放したのだ。
旦那さんとは離婚する方向で考えているそうで。
それはそうだろう。
俺だってもしも同じ立場に立たされたなら、きっと同じ対応を取るに違いないのだ。

みんな、大変なんだな。
自分は恵まれている、この頃とみにそう思うのだ。

季節は巡って。
また冬がやって来た。
まぁそうは言っても、沖縄だから、そこまで寒い訳ではない。
さすがは日本で唯一の亜熱帯である。

親戚の子、名前は雄太と言うらしい。
俺や泰孝さんと同じで、童顔デブだ。
肌の色は、三者三様なのだけれどね。
顔立ちもそれぞれ違う。
泰孝さん、雄太とは適度に距離を置いているようなので、ひとまず安心。
というよりもまだ雄太は、子供なのだった。
何を考えていたのだろう、自分。
嫉妬でおかしくなったか。

喋る猫がクローズアップされた結果、モモやルル、ララなどに害が及ぶようになっていた。
正直、ミミはこのままでもいいと思っていた節がある。
いい加減喋れないふりをするのも辛い訳だし、第一、広まり過ぎた噂の記憶を無理に消そうとすれば、自分がこの後死ぬまで喋れなくなってしまう恐れがあったという訳なのだ。

しかし、そうも言ってはいられない事態が続発する。
喋る猫を拉致しようとする不届き者が後を絶たなかったのだ。
これでミミは決意したようだ。
ミミ、ニーニ、ピピ、ムーム、ハロルドは持てる全ての力を使って、世界中の人々から喋る猫の記憶を消す事にした。
「光彦さん、泰孝さん、今まで本当にありがとう!これからは喋れないただの猫になるけれど、これからもよろしくお願いするわね。」
言われなくても、もちろんだ。
俺も泰孝さんも、涙が止まらない。

翌日。
実家や店は、綺麗になった状態のまま。
これはもしかしたらミミからの、最後のプレゼントなのかも知れない。
銅像は綺麗さっぱり消えていた。
設置してあった場所からも、人々の記憶からも。
実に対照的だ。
まぁ銅像なんて正直、要らないのだ。

猫達は店先のベンチでいつも日向ぼっこ。
喋れなくなっても、マスコットぶりは健在だ。
お店に来たお客さんは大抵話しかけたり撫でたりしてゆく。

みんな喋れなくなっても、知能は高いのだろう。
まだやんちゃな子供の雄太がやって来ても、平然といなす。
大したものだ。

季節は過ぎゆき、雄太は母親の元へと帰って行った。
あんまり遊んでやれなかった事には、後悔している。

取材のクルーや喋る猫目的の観光客が居なくなって、店にはのんびりとした空気が戻った。
俺は調理師免許を取得した。
元々手先は器用だし、自分で言うのもなんだが頭も悪くはない。
親の金で島からわざわざ東京の大学に通う為に、上京した位なのだ。
当然だ。

ミミ達がかつて喋れた事を知っているのは、泰孝さんと俺、それに父と母だけ。
我が家のみんな、ミミ達の事が可愛くて仕方ないのだ。

ミミは無数の人達を助けて来たらしい。
ようやく定年、そんな所だろう。
人々の記憶からは消えても、ミミが振り撒いた幸せの数々は消えない。
現にうちの実家も店も、新しいままだ。

みんなを幸せにして来たミミ、今度は彼女達が幸せになる番だ。
のんびりとした島の中で、俺達もまた、幸せだった。

お・し・ま・い

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三毛猫と白猫 [其ノ捌]

虫の音が鳴り響く。
もうすっかり秋だ。
青年は、公園の池の前のベンチに腰掛けたまま、動けないでいた。

恋をしていた。
相手は、男だった。
青年は、戸惑った。
遅い、遅い初恋。

或いは今から思えば、これが初恋ではないかというような出会いは、それ以前にもあったかも知れない。
ただ、まさかそんな筈がないだろう、相手が男だなんて、というような思い込みのせいで、自分がゲイである事に気付くのは、それから随分と経ってからの事だった。

ゲイである事を先に父に打ち明ける事は、考えられなかった。
気性が荒く、何が起きるか分からない。
だから母に打ち明けた。
一喝された。
「あなた、長男でしょ!結婚して、子供作りなさい!」
普段は穏やかな母でさえも、この調子だ。
父に打ち明けなくて、良かった。
青年は心からそう思った。

青年は、畜生なのだろうか?
男を好きなだけで?
まさか。
そうは思うも青年、長男なのだ。
責任というものがある。
どうするか。

青年は回らない頭で、今後の己の人生について、考えるのだった。
向かい風が冷たい。
ベンチからようやく腰を上げた青年は、気が乗らない足取りで、自宅へと帰るのだった。

青年は、名を由之と言った。
少し内気な所があって友人は一人だけだが、後は至って普通である。

いつかの夏、由之は虫を捕まえた事があった。
カブトムシだ。
それはもう、大きかった。
自分で買った小さな虫籠に入れて喜び勇んで家に持ち帰る由之。
だが、父が怒った。
後で知った事だが、父は虫が大嫌いなのだ。
「捨てて来い!そうするまで、家には入れん!」
由之は泣きながら、さっき歩いて来た道を、反対に進むのだった。
泣きべそをかいている由之を見て哀れに思ったのか、顔見知りの子が駆け寄って来る。
増太郎だ。
偶然すれ違ったのだが、こんな顔を見せるのは恥ずかしい、そう思って逃げようとした。
すると増太郎、こう言った。
「せっかく心配してるのに。逃げるなんて畜生のする事だょ。」
顔面蒼白とはこの事だ。
でも、仕方ない。
覚悟を決めて、全てを洗いざらい話した。
「アハハ!怖いお父さんだね。」
笑われてしまった。
増太郎のお父さんはさぞかし良いお父さんなのだろうと思うと正直、羨ましいのだった。
「良かったらそのカブトムシ、僕が飼うょ。遊びに来たら、見せてあげる!」
「うん、分かった!ありがとう。」
それ以来、増太郎とはずっと仲が良かった。
しかし今頃になって恋に堕ちるとは、まさか。
あれから何年経つだろうか。
告白しても、玉砕するに決まっている。
そう思うと、ますます気が滅入るのだった。

由之は、思い立って散歩に出掛けた。
こんな時の気分転換には、ちょうどいい。
銀杏並木の綺麗な道を、そぞろ歩く。
天高く浮かぶ雲間から差し込む光が、銀杏の葉を金色に染めて、それは綺麗だった。

と、片隅に白い猫が横たわっていた。
ぐったりして、何だか元気がなさそうだ。
そのままにしておく訳にもいくまい、そう思った由之は、一旦家に連れて帰る事にする。
動物病院に連れて行くにも、お金が必要だからだ。
帰れば貯金があるが、あいにく今は手持ちがないのだ。

帰ってみると玄関先で、ちょうど出掛ける所だった母と出くわした由之。
「あら、飼うの?別にいいけど、協力はしないわよ。」
母からはOKが出た。
この分だと父も大丈夫だろう。
こういった件に関する主導権は、母が握っているので。
協力が得られないというのも、むしろその方がバイトに精が出るというもの。
それもまた良し。

この時、由之は、大学一年生。
恋の相手の増太郎とは、同じ学年、同じ学部。

「なぁ、猫を飼い始めたんだょ。」
「へぇ、お前がか。そういうタイプには見えなかったがな。可愛いのか?」
「うん、見に来るか?喋るぞ。」
「マジか!?噂には聞いていたが、本当に居るとはなぁ、喋る猫。」

遡る事一週間前。
由之が猫を拾った日。
動物病院で即手術、痛い出費だったが仕方ない。
少しの間の入院。
怪我をしていたのだが、命に別条がなくて良かった。
由之は安堵した。
で、後日。
白猫を連れて家に戻り、部屋に着いた所で、その猫がである。
喋り出したのだ。
由之、腰が抜けそうになった。
喋る猫など、都市伝説の中だけの存在だとばかり思っていたからだ。
まさか本当に居るとは。
「こんにちは、私はララ。助けてくれてありがとう。しばらくの間厄介になると思うけれど、いいかしら?」
もちろん由之としてはそのつもりで連れて来た訳で、異存はない。
ララさえ良ければ、ずっと居てくれても構わないと思っている。
「ありがとう!そうさせて頂くわ!お礼はいつか必ずするから、待ってて。」
お礼など、特に必要はなかった。
ララが元気で側に居てさえくれればそれでいい、由之はそう思っていた。
「あら、そうはいかないわ。友達の三毛猫に頼めば、小さな願い事を三つ、叶えてくれるわ。調子が戻ったらテレパシーで連絡を取ってみるから、待っててね。まだ遠方の相手とテレパシー出来る程には、回復していないの。ごめんなさい。」
そういえばこのやり取りも、ララが由之の心を読む事で成り立っていた。
こんな事が両親に知れたら金儲けの道具とするに違いない、由之はそう心配した。
「分かったわ。ご両親の前では喋らないから、安心して。」
ひとまず安心。

そして再び一週間後、いよいよ増太郎が由之の家に遊びに来たのだ。
「ちわーっす。」
「さ、上がって上がって。」
玄関を抜けて階段を上り、由之が自室のドアを大きく開けると、ララが床の上にちんまりと座っていた。
「あら、由之さんのお友達ね。こんにちは、私はララ。仲良くしてね。」
ララ、ウインクを忘れない。
考えてみれば今時、珍しい事だ。
増太郎はララを抱き上げた。
可愛くて仕方ないといった風情だ。
「なぁ、この猫俺にくれよ。」
「嫌だよん。」
「やっぱ駄目かー。でも可愛いな、雌なのな。」
夕方、雲行きが怪しい。
急いで帰ろうとする増太郎に、ララが声を掛ける。
「また会いましょうね!」
増太郎は、黙って頷いた。
飛び切りの、笑顔だった。

ララが由之の元で骨をうずめようとしているのには、訳がある。
黒秘岩の影響で同じ猫と喋れるようになった黒猫のゴンに、ストーキングされているのだ。
人間の飼い主が居ると心強い、ララはそう思ったのだ。
そもそもララは、もう恋をするつもりなどなかった。
昔、ララはトラ猫のシンタと恋に堕ちた。
シンタはトラ猫としては珍しく、猫同士ならば喋れたのだ。
だがシンタは重篤な感染症に罹ってしまい、ララの懸命な看病も虚しく、あっという間に空の星となってしまった。
ララはそれ以来、シンタとの短い思い出を胸に秘め、他のどんな猫にも恋をする事なく生きて来たのだ。
それはララのポリシーであるから、誰にも変えられない。
そんな事など知る由もないゴン、自分がララを守るのだと息巻いている。
ララがゴンから急いで逃げようとして、車にはねられたのだという事も知らずに。

雨の夜。
ざあざあと、音がする。
ゴンは由之の家の軒先で、雨宿り。
そこへやって来たのは、三毛猫に恨みを持つ、不良猫の最後の一匹。
他の不良猫達は、獰猛なせいで皆、保健所送りとなってしまった。
そのきっかけを作ったのが三毛猫だったので、恨んでいるのだ。
白猫は三毛猫と仲が良い。
利用出来ると踏んでいた。
不良猫はゴンに近付く。
「何だ。俺に何か用か。」
ゴンが振り向くと、不良猫は飛び掛かった。
ーー五分後。
ゴンは見るも無残な姿に変わり果てていた。
不良猫は、二階の窓の向こうのララに声を掛ける。
不良猫は知能が発達しており、やはり同じ猫となら会話が出来るのだ。
「よぉ、ララ。俺はお前の味方だ。その証拠に、ゴンを殺してやった。困っていたんだろう?その代わりと言っちゃ何だが、頼みたい事があるんだ。下まで降りて来てくれ。」
この不良猫は単細胞な所があったから、これでララを人質に取れると踏んでいた。
だが、ララは無視を決め込んだ。
不良猫の考える事など、お見通しだったのである。
終いには、あんまりうるさく鳴くものだから、由之の母が箒を持って飛び出して来てしまった。
その剣幕に怯んだ不良猫、たちまち退散である。
しかし、驚いたのは由之の母だ。
惨たらしい猫の死骸が、路上に転がっているのだ。
念の為に、警察に通報する由之の母。
これで不良猫は、ララに近付く事が出来なくなった。

ある夜。
由之は、悪夢にうなされていた。
母が亡くなる夢だった。
「どうしたの、由之さん。辛そうだったわ。大丈夫?」
ララを起こしてしまったようだ。
ララ、心配して由之に声を掛ける。
「大丈夫。顔、洗って来る。」
階段を下りて、一階の洗面へ。
途中、躓きそうになる。
どうもおかしい。
冷たい水で顔を洗う。
少し、しゃきっとした。
その日は、気にしないで眠る事にした。

海岸を散策する、ララと由之。
空が高い。
清々しい秋晴れだ。
ララはゴン亡き後、初めての外出だ。
あれから半月が経った。
もう大丈夫だろうと思って、由之が連れ出した。
揃って暫し、ぼんやり。
と、そこへ、携帯の着信。
聞くと、一大事だった。
由之の母が路上で猫に飛び掛かられて転倒、後頭部強打で重体だというのだ。
犯人は、あの不良猫に違いなかった。
ララは体調がすっかり回復していたから、テレパシーで三毛猫達に知らせた。
あの不良猫を、このまま野放しにしておく訳にはいかない。
何としてでも、捕らえなければ。
しかしララは、自分の力では不良猫を捕らえる事は出来ないとも、悟っていた。
だから三毛猫が無事に捕らえてくれる事を、祈るしかなかった。

ララのSOSを受けて、ミミとモモが動き出した。
千里眼の能力を使って、不良猫の潜伏先を特定する。
やがて駆け出す、ミミとモモ。
途中で同じ三毛猫仲間のルルも合流、不良猫を追い詰める。
「ルル、あなたも来てくれて、増える事百人力よ!」
「気にしないで!三方から追い詰めれば、やっつけられるわ!」

増太郎は思っていた。
この頃、由之の事が気になるのだ。
ゲイだという自覚は、あった。
それどころか、付き合った事のある男の子も、過去には居た。
「恋かな……。」
何故今頃、とは思わないでもなかったが、自分の気持ちには正直な増太郎、今度告白してみよう、そう思うのだった。

ルルは内心では、悲嘆に暮れていた。
ゴンの事を密かに、愛していたのだ。
それだけに、不良猫の事は憎かった。
この手で引き裂いてやる、そう覚悟を決めていた。

霧の中。
一羽の鷹が飛び立った。
ルルの命により動いている。
この鷹、ルルとは契りを交わした仲だ。
今回は、万が一にも不良猫を取り逃がす事のないように、いわば保険としての出陣だ。
ルルは本気だ。
そうなれば、鷹としてもみすみす逃す訳にはいかない。
誓いに賭けても。
こうして不良猫は、一気に追い詰められてゆくのだった。

急転直下。
事態は一気に、動いた。
鷹が路上を走る不良猫を、いち早く発見したのだ。
一瞬の出来事だった。
不良猫は絶命した。
しかし、ルルは腹の虫が治まらない。
鷹に合図を送ると、頭上から不良猫の亡骸が落下した。
一心不乱にそれを貪る、ルル。
「ルルちゃん、止めて!」
「そんな事しないで、お願い!」
ミミとモモが悲鳴を上げる。
だが、吹き出した憎しみのせいで、ルルは身体が勝手に動いてしまう。
結局跡形がなくなるまで、ルルは不良猫の亡骸を貪り続けたのだった。

さて、増太郎は一人っ子だ。
そして、ゲイなのである。
内心ではその事を残念に思っていた両親だったが、増太郎の気持ちを慮って、悪くは言わないようにしていたのだ。
子供を二人作れば良かったのに、という声も聞こえてきそうだが、増太郎は高齢でやっと授かった子供、それ以上は無理だったのである。

増太郎にも、苦しい恋はあった。
中学生の頃、部活の後輩に恋をした。
初恋だった。
告白など考えられなかったが、秘めたままにしておくのも、大層しんどかった。
結果、誰にも言えないまま苦しみ悶える事になるのである。
仕方ない。
今となっては、詮ない話である。

かんかん照りの朝。
増太郎が由之への恋を自覚してから、既に十ヶ月が経とうとしていた。
増太郎は由之への告白を済ませており、今日はデートの日である。

告白の日。
空は澄み渡っていた。
増太郎はというと、いつにも増して気合いが入っていた。
正面に由之を迎えて。
増太郎は、叫んだ。
「俺、お前の事が大好きだ。嫌われたって構わない。でも、もし良かったら俺と付き合って欲しい。必ず幸せにする。だから、な?」
由之は一つ大きく頷いて、増太郎に堪らずに抱き付くのだった。

それから程なくして、ララは由之の家を出て行く事にした。
正直、ゴンの事は嫌いだったが、その最期はあまりに衝撃だった。
だからだろう。
ララは独りになりたかったのである。
自責の念に駆られる事、そして悔やまれる事が多過ぎた。
自分が最初から居なければ、ゴンも死なずに済んだ、それは確かなのだから、そう思うのも仕方なかった。
それに、もう危険なゴンが居ない以上、これ以上由之に迷惑を掛ける訳にもいかなかったのである。

で、入れ替わりでやって来たのが、ルルだった。
ゴン亡き後、放浪生活がしんどくなったのが理由で、由之の元を訪ねた。
ララが居なくなったばかりで寂しかった事もあり、由之は歓待した。
是非とも自分の下で暮らして欲しいと願っていたから、ルルの申し出は渡りに船だったーー。

ーーで、再びとあるかんかん照りの朝。
夏のデートの日。
由之は増太郎と二人で、仲睦まじく幸せだった。
傍らにはルルも一緒。
「お前、前飼ってたの白猫だったよな?あの子はどうした?」
「旅に出たょ、独りで。入れ替わりにやって来たのが、このルルなんだ。」
「へぇ、今度は三毛なんだな。」
「可愛いだろ?あげないよん。」
「ちぇっ。つまんねーの。」
ルルをキャリーケースに入れて、電車に乗る僕達。
大きな公園に遊びに行くのだ。

公園に着くと早速、キャリーケースからルルを出してやる。
と、そこへ通り掛かる一匹の野良猫。
ゴンそっくりの黒猫だ。
ルル、いっぺんに恋に堕ちた。
「私、あの雄の黒猫に声を掛けたいの。近寄って頂けるかしら?」
ルルがそういうので、なるべく警戒されないように少しずつ近付く。
話し掛けても言葉が通じなければ、万事休すだ。
だが、心配は杞憂だった。
何とその黒猫、ゴンの弟だったのだ。
弟とあって、当然猫同士でなら、喋れるのである。
ルルは思い切って声を掛ける。
さりげない告白。
「ねぇ、私と付き合ってみない?」
答えはOK。
傷心のルル、この時を境に徐々に復活してゆく事となる。
黒猫の名前はジン。
「ジンもうちにおいでょ!もし良かったら仲良くしようね!」
そんな由之の言葉に甘えるジン、こうしてルルとジンと由之との共同生活がスタートする事になった。

それから幾つかの季節が過ぎゆき、由之も増太郎も就職の時を迎えていた。
由之は郵便局の職員、増太郎は小学校の教員。
仕事柄もあって、ゲイである事は二人共職場では明かしにくいのだが、絆は強いものがある。
ルルは時々願い事を叶える旅に出るのだが、ジンの事があるので、必ず度々戻って来る。
世間体の事もあるので由之と増太郎は一緒には住めなかったが、ごく近所に二人共に住んでいるのだ。
互いの部屋を行き来する毎日。
ルルとジンは普段、由之が預かっている。
仲睦まじい二匹を見ていると、頰が自然と緩む。

ルルの心の傷は、こうして無事に癒えた。
これから先もきっと、皆で仲良くやっていけるだろう。
そう信じられるから、皆それぞれに幸せだった。
未来は明るい、きっとそうに違いない。
皆にとってそれが真実だから、きっとそうだから、共に居られて本当に良かった、それが皆の偽らざる心境だった。
ミミやモモとも仲が良い皆。
どんな困難だって、皆でかかれば乗り越えてゆけるーー。

動き出した二人の運命は、こうして猫達が加速してゆくのだった。

-完-

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三毛猫と白猫 [其ノ漆]

夜、林の中で独り。
少しばかりの恐怖を感じつつ、道なき道を進む。
ハイキングで道に迷った。
いわゆる、遭難である。
何かあった時の為にと古めかしい懐中電灯は用意してあった。
点けると蛾が集まって来て鬱陶しい事この上ないのだが、ここは仕方ない。
我慢だ。
思えば、甘く見過ぎていた。
地図さえも持って来ていなかったし、軽装備にもほどがあったのだ。
頼みの綱の携帯も、バッテリー切れ。
懐中電灯を持って来ただけでもまだましだった位だ。
夕方になる前に実家に帰るつもりでいたので、薄着である。
肌寒いのが堪える。

クラスメイトの間で、どういう訳だかアウトドアアクティビティが流行っていた。
友達らしい友達といえば一人位で都合が合わず、他には特に誘う相手も居なかったが、独りであっても一度位は体験してみたかったのである。
今回、軽装備だったのには、油断していた事の他にも、理由がある。
まだ高校三年生。
あれこれ買う程のお金がなかったのだ。
かくして、無謀なチャレンジは行われたのである。

クリームシチューを食べながら、物思いに耽る、とある青年。
「どうしたの?食事中よ。冷めると美味しくないから、早く食べちゃいなさいね。」
母親のそうした声のお陰で、意識は目の前の食卓へと向かった。
青年の名は駿一郎。
もともと妄想癖がある事に加え、長らく抱いている初恋の相手への想いもあり、こうした事はしばしばだった。

食事を終え、自室に戻った駿一郎。
想い人が遭難している事など知る筈もなく、ダラダラとテレビを観て過ごす。
今日は祖母の法事だった。
せっかくの想い人からの誘いを断らざるを得ず、残念だったと思う駿一郎。
だがまぁ、仕方ないのだ。
それは駿一郎も分かってはいた。
遭難している想い人は、名を悠介といった。
駿一郎は悠介と学校で会うのを、楽しみにしていた。
元々友人ではあるので会話はもちろんするのだが、見ているだけでも幸せだった。

三毛猫は焦っていた。
白猫を引き連れて林の中へと入って行く。
お世話になった悠介が遭難している事を知り、助けに来たのだ。
三毛猫は持ち前の能力を使って頭の中で悠介の映像をロールバックしていくのだが、暗い林の中での事、場所の特定には至らなかった。
仕方ないので、白猫と二手に分かれて、捜索を開始する。
それは一見不毛な作業のようにも思えたが、案外あっさりと発見する事が出来た。
何の事はない。
悠介は林の出入口付近をうろうろとしていたのである。

三ヶ月前の晩。
暴走バイクに轢かれて、三毛猫は瀕死の重傷を負った。
それを助けたのが、悠介達一家だったのだ。
人通りの少ない道路の片隅で血を流して横たわる三毛猫を見て、悠介は直ちに家に連絡。
母親の運転する車で動物病院へと急行したのだった。
そんな事もあり、悠介達一家の者は皆、三毛猫が喋れる事を知っている。
三毛猫、最初は驚かれたが、すぐに受け入れてもらえたのだった。

暗い夜道。
三毛猫が悠介達一家と出会うよりも、少しだけ前の事。
三毛猫は道路の端を白猫と歩いていた。
二匹共、お腹が空いていた。
そこへ駿一郎がやって来た。
三毛猫が話し掛ける。
「ねぇ、駿一郎さん。私達お腹が空いているの。力が弱まっているから、少しの間でいいので餌をくださらない?お礼はするわ。元気になったらあなたの小さな願い事、三つだけ叶えてあげる。」

駿一郎の想い人である悠介、それは彼にとっては長年に亘る初恋の相手だった。
悠介とは幼馴染みだったが、その頃から今までの間ずっと、想いは告げられずにいた。
一生、胸の内にしまっておくつもりだった。
両親には恋の相手については一切告げておらず、そもそもそれが他人とは違う事を、駿一郎は認識していたからだ。
ましてや駿一郎の両親は少し保守的な所がある。
面倒な話になる事を警戒してもいた。
そんな中でのこの話。
猫が喋るとは驚きだったが、何となく風の噂には聞いていた。
まさに渡りに船だったーー。

駿一郎の実家はマンションであり、規約によりペットが飼えない。
仕方ないので、小さな公園の茂みに居てもらう事にした。
少しの間ではあったが、毎日欠かさず餌をあげた。
毛並みが良くなかったので、なけなしのへそくりをはたいてグルーミングしてもらったりもした。
そして、いよいよ三毛猫旅立ちの日。
三毛猫が三つの願い事を聞いて来たので、駿一郎はこう答えた。
「悠介と末永くお付き合い出来る事、両親がゲイについて理解してくれる事、将来仕事に困らない事、この三つ。よろしくお願いします。」
願いを聞き届けると、三毛猫は走り去って行った。
その三毛猫の名前は、ミミ。
「ありがとう、駿一郎さーん!」

それから程なくして。
駿一郎の願いを叶える間もなく、ミミは動物病院の手術台に横たわっていた。
本来ならば助からなくてもおかしくない傷だったのだが、喋る猫は自己治癒能力が高い。
それもあって、何とか一命は取り留めた。
「猫ちゃん、よく頑張りました。助かったのは奇跡です。どうかゆっくり、静養させてやってください。」とは、医師の言葉である。

それ以来、ミミはしばらくの間、悠介達一家の一員となった。
「ミミ、さぁおいで。餌だょ。」
「ありがとう、悠介さん!このお礼は必ずするわ!」
微笑ましい、猫と人間のひと時。
だがこの時、ミミの世話をしていた悠介達一家には、ひたひたと暗い影が忍び寄って来ていたーー。

東京近郊の茂みの中。
そこは不良猫達の溜まり場となっていた。
不良猫達は人間とは会話が出来ないが、同じ猫となら可能である。
三毛猫でも白猫でもない不良猫達だが、地球に落下した隕石の中に含まれていた黒秘岩の影響を微弱に受けて、知能が発達していたのだ。
「ミミの奴、人間に助けられて命拾いしたとか。悪運の強い奴だ。」
遡る事、一年前。
人間の子供を虐めていた不良猫達に出くわしたミミは、一喝する。
虚をつかれた不良猫達は、怯んでしまった。
そこへ子供の両親がやって来て、その場はそれで丸く収まったのだが。
その件でミミは不良猫達から、逆恨みをされるようになってしまった。
「とにかく今はチャンスには違いない。力が弱まっているからな。ミミの奴、何としてでもとっちめないと。匿っている家族も、ただでは済まさん!野郎共、行くぞ!」
ボスの一声で、数十匹の獰猛な猫達が雄叫びを上げた。
「うぉーっっ!!」

いち早くこの事態を察知したのは、力が弱まっているミミではなく、同じ三毛猫仲間のモモだった。
何とか食い止めねば、そう思ってテレパシーで仲間を集めるモモ。
だが、数が足りない。
このままでは悠介達やミミを守れない。
モモはある策を胸に、悠介達の元へと駆け付けた。

その頃、不良猫達の群れは、大挙して悠介達一家の元へと押し寄せようとしていた。
モモに残された時間は、少なかったーー。

モモは叫んだ。
「悠介さん、開けて!」
幸い、この日は日曜日だった。
程なくして悠介が玄関扉を開ける。
すかさずモモは事情を説明する。
モモは悠介達一家三人の共通の願い事を、一つだけ叶えるのだった。
それは、不良猫達が人や他の動植物に危害を加える前に、人間の手によって追い払われるように、との事だった。
間一髪だった。
地元住民多数からの通報を受けて、警察までもが乗り出して猫を捕獲したのだ。
悠介達一家三人の願いによって、不良猫達の力が大幅に弱まっていた事も、功を奏した。

捕獲された不良猫達は、凶暴だった為に保健所へと連れて行かれた。
引き取り手があったかどうかは、定かではないーー。

モモは悠介の計らいで、久し振りにミミと対面するのだった。
「モモ、ありがとう!助かったわ。力が弱まっていたから、この事態に気付いたのもついさっきなの。お礼は今度必ずするわね!」
「あらミミちゃん、お礼なんていいのょ。それより身体、早く良くなるといいわね。応援してるわ!」

その後、一人でハイキングに行って遭難した悠介は、ミミと白猫ララによって発見され、無事に帰宅した。
戻ってから母にこってり絞られたのは、言うまでもない。
それは朝晩の冷え込みが厳しくなって来た、秋の事だった。

季節は流れ、春。
悠介と駿一郎は揃って、高校卒業の日を迎えていた。
二人共に卒業後は就職する事になっている。

悠介達一家の願い事はモモが既に叶えていたが、改めてミミが叶えてやる事にした。
特別なのである。
悠介は、この先最低限のお金に困らないように、健康で居られるように、素敵な恋が出来るように、との願いをしたのだった。
悠介はこれまで意識はしていなかったが、上手い事に駿一郎の事は結構タイプだったのである。
駿一郎の願いの事もあるので、ミミは悠介と駿一郎とを結び付けたのだった。
告白は悠介から行われた。
駿一郎は、泣いていた。
感無量だったのだ。
泣きながら黙って頷く駿一郎を、抱き寄せる悠介。
二人は、幸せだった。

実はこの時までミミは、悠介達一家の元で暮らしていた。
再び願い事を叶える旅へと、出る事にしたミミ。
悠介達一家とは一旦お別れ、の筈だった。
だが、平和な日常を切り裂く悪事が、不良猫達の残党によって企まれようとしていたーー。
数が多過ぎてモモの力が届かなかった猫達が、数匹程居たのだ。
不良猫達の残党の最初のターゲットは、悠介の母だった。
それを察知したミミ、モモに応援を頼んで企みを阻止すべく動き出す。

「兄貴達が居なくなったのはあの三毛共のせいだ。復讐せねばならん!皆の者、異存はないな!」
「うぉーっ!」
三毛猫と不良猫との、最後になるかも知れない戦いの火蓋がまさにこの時、切って落とされようとしていた。

ミミとモモ、買い物に出ようとして玄関先に居た悠介の母にまとわりつく。
「あらあらミミちゃん、モモちゃん、どうしたの?一緒にお買い物、行く?」
「うん!」
こうして二匹はとりあえず、悠介の母の護衛に就く事に成功する。

悠介は駿一郎を連れて、不動産屋巡りを始めていた。
もうすぐ就職。
二人共地元の企業に就職するのだが、二人で暮らしたいので物件を探していたのだ。
聞けども聞けども、見つからない。
でも二人は、諦めなかった。
探し始めてから三日目、十二部屋目の問い合わせでようやく、男同士で住める物件を探し当てる事が出来た。
ここは地方、難しいのである。

悠介の初恋は、小学校時代にまで遡る。
駿一郎と知り合う、少し前の事。
クラスメイトの男の子が、相手だった。
丸顔で、ふくふくとした体つきが愛くるしかった。
告白しようと思った、何度も。
でも、そもそも恋愛に目覚めているのかさえも分からない相手に告白など、結局の所は出来る筈もないのだった。
諦めた時は、わんわん泣いた。
お陰でその時に、自分がゲイである事も両親に知られてしまった。
そんな悠介に、両親は優しかった。
お陰で悠介は、ひっそりと立ち直る事が出来た。
悠介は知らないままだったが、初恋の相手は異性愛者だったーー。

いよいよ悠介と駿一郎との共同生活が始まる。
二人は、期待に胸を膨らませていた。
そんな折、急報が入る。
スーパーの店内で猫に飛び掛かられた悠介の母が、倒れたというのである。
スーパーに着くまではミミとモモのお陰で安全だった悠介の母だったが、普通に考えてミミとモモは店内にまでは入れない。
それどころか、入口付近に居るだけでも店員に追い払われてしまう。
そこが盲点だった。
一目散に店内に駆け込む不良猫の残党を食い止める事が、二匹には出来なかったのだ。

三日後。
病室のベッドサイドで語り明かす、悠介と駿一郎。
幸いな事に悠介の母は、怪我はしたものの大事には至らなかったのだ。
不幸中の幸いである。
不良猫の残党は、保健所行きとなった。
母は寝ている。
「転校して来た時は、よく分からない奴だと思ったょ。でもすぐに仲良くなったんだよね。」
「そうそう。」
駿一郎は小四の時に悠介の通う学校にやって来た、転校生だった。
いじめられっ子だった悠介は、転校して来たばかりの駿一郎に助けられる事となる。
駿一郎、普段は優しい顔付きなのだが、怒ると般若のようになるのだ。
喧嘩にも自信がある。
それはもう、威圧感満点である。
それ以来、二人の友情は確固たるものとなった。
しかし、友情を壊したくないが為に悠介は、駿一郎を恋愛の対象としては遠ざけていた。
その為に、長きに亘って駿一郎の片想いが続いた。
「夏、一緒にプールに行った時、溺れそうになったのを助けられたんだよね。」
「よく二人で泳ぎの練習に行ったね。」
悠介はかなづちだった。
スポーツ万能だった駿一郎とは、好対照だった。
それでも、辛抱強い駿一郎の教えによって、その後どうにか泳げるようになるのである。
ある日、小五の頃。
水泳の授業で、飛び込みの練習があった。
まだ授業での飛び込みが禁止される前、昔の事である。
生まれて初めての事。
悠介、足が竦む。
「頑張れー、悠介!」
駿一郎の声援。
覚悟が、決まった。
「よーし、行くぞ。」
誰にも聞こえないように、小声で。
「パーン!」
皆、それぞれの個性を持った弧を描いて、水面に飛び込んでゆく。
悠介もまた、勇気を内に秘めた弧を描いて、飛び込んでいった。
結果、25m完泳。
この日を境に、悠介は水泳の腕がめきめきと上達するのだった。
高校に入学した頃には、プールで足を付かずに2kmを泳げるまでになっていた。
泳げなければ落ちこぼれ。
必死だったのだ。
勉強では、駿一郎は悠介に助けられる事が多かった。
元々万事に器用な駿一郎だから、悠介の助力もあって、成績は緩やかに上昇していった。
成績の低めだった駿一郎だが、中三の頃には頭の良い悠介と並ぶ程になっていた。
お陰で、同じ高校に進学する事が出来た二人。
受験勉強は、悠介の部屋でいつも一緒にやっていた。
悠介の母が作ってくれるラーメンが、駿一郎の楽しみでもあった。

今日は悠介の母は疲れているようだ。
起こさないようにそっと、病室を後にする二人なのだった。

悠介の両親も駿一郎の両親も、我が子には大学を出て欲しかった。
だがどちらの家も決して、裕福ではない。
それを知っていたから、悠介も駿一郎も就職の道を選んだ。
奨学金制度を利用するのは、気乗りがしなかったのだ。
万が一の際の取り立てが、怖かった。
就職という道を選んだのは、学年の中では、非常に稀有な存在だった。
就職活動は上手く行った。
悠介は頭の回転の良さが評価されて、中堅企業の事務職の仕事を得た。
駿一郎はタフなところが社長に気に入られて、中堅の物流関係の企業に就く事が出来た。
二人共、ミミやモモとは離れ離れになっていた。
猫達は再び、旅の暮らしに戻ったらしい。

昔の話。
家族で、祖母の家に行った。
悠介が中一の頃。
駿一郎も誘って、一緒だった。
夜。
蛍が、舞っていた。
縁側に座って、庭の池の蛍を見入る。
隣には好きな人、駿一郎にとっては至福の時間だった。
夏の忘れられない、掛け替えのない思い出となった。
この事がきっかけで、駿一郎はますます悠介を好きになっていったのだった。

その頃から実は、駿一郎の両親は我が子が同性愛者である事に、薄々感づいていた。
カッとなりやすい父親は、一瞬将来の勘当も考えたのだが、それでも我が子、見捨てられなかったのだ。
ミミの力ももちろん、働いていた。

そこから時は流れて、二人は二十代半ばに突入しようとしていた。
薔薇の花束と“結婚指輪”を持って、悠介は駿一郎の元へと駆け付ける。
着慣れないジャケットを着て、見た目はすっかりお上りさんだ。
でも、駿一郎にとっては、その気持ちが何よりも嬉しかった。
道の真ん中でハグをする。
流石にキスは恥ずかしくて出来なかったが。
二人、“同性婚”をするのだ。
結婚式は行わないが、ちょっとしたパーティーは悠介の実家で開く事にした。
当日、両親や気の置けない仲間に囲まれて、二人は喜びの中にあった。
ミミとモモも駆け付けてくれた。
喋る猫を初めて見る人も居て、大いに盛り上がった。

あれからまた引っ越した。
新居での新生活。
やっと見つけた、二人にとっての理想の部屋。
ついに分譲マンションを買ったのだ。

もちろん、末永く住むつもりだ。
幸い収納はそこそこある。
ゲイである事を認めてくれた両親の為にも、この場所で末永く共に暮らそう、そう思っていた。
特に駿一郎の両親にとってそれは、断腸の思いだったのだから。
それが、二人で決めた唯一の事。
二人の絆は固いのだ。

まずは自分達二人が幸せになる事、それは何よりも大切な事だ。
余裕がないと、他者への気配りなど出来ようもないからだ。苦労して手に入れた共同生活、誰にも渡してなるものか。
そう誓って、二人は今朝も仕事に出掛けるのだった。
これから、たくさんの楽しい思い出が出来たらいいな、そう思えたから、今日も満員の通勤電車に乗り込むのが、苦にならない。
お互いに、出逢えて、良かった。
本当に、良かった。
そう心から思っていた。
帰ったら、今日はご馳走だ。

-完-

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三毛猫と白猫 [其ノ陸]

夜。
今日は仕事が休みだった。
一日中泥のように眠っていて、気が付くと午後8時を回っていた。
「腹減ったな……。」
俺は丸く膨れた己の腹をさする。
そして、立ち上がってハンガーにかかっていたウインドブレーカーを羽織る。
原付の鍵と携帯、それに財布をポケットに入れて、コンビニまで出掛けるのだ。
路上で。
夜の割には、寒さが幾分か和らいできた。
春の足音が聞こえる。
たまたまかもしれないが。
まぁそんな風に油断していると、いつだってロクな事が起こらないもの。
案の定、昨日の季節外れの雪と今日の午後までの寒さで出来たアイスバーンでスリップ。
道路の端に固まっていた雪に突っ込んでしまった。
奇跡的に原付は無事だったのだが。
俺の脚が無事ではなかった。
『折れてるな、これは。』
苦痛に顔を歪めながらも、どうにか携帯を取り出して、救急車と警察を呼ぶ。
と、そこへ。
三毛猫がやって来て、俺の隣で丸まる。
「私はミミ。三毛の野良猫。喋れるの。あなたの小さな願い事、三つだけ叶えてあげる。その代わりに元気になったら、私の事を少し家に置いて欲しいの。」
口を開けたままで、思わず固まった。
ポカーン、という表現がここまで似合うシチュエーションも、そうはないだろう。
とはいえ喋れる位だから、話は本当なのだろう。
これはチャンスだ。
といっても、まず心配しなければならないのは仕事だ。
「仕事がクビにならないように、早く怪我が治って復帰出来る事。彼氏が出来る事。親に無事にカミングアウト出来て、受け入れてもらえる事。以上かな。お願い出来る?」
そこまで俺が言い終えるとミミは立ち上がって、今時珍しくウインクをした。
「大丈夫!あなたの願い、ちゃんと叶えるわ。待ってて頂戴ね。また来るわ。じゃ!」
のったりと去ってゆくミミ。
入れ替わりで救急車がやって来て、俺は病院に運ばれた。
その後、手術を終えた俺は、警察の事情聴取も終え、被害が出なかった事を確認して。
ようやく、ホッと一息。
でも、何だかんだで復帰には時間が掛かりそうだ。
ミミにお願いしてあるとはいえ、やはり心配だ。
と、そこへ。
社長が見舞いにやって来た。
俺が勤める会社は、自動車の整備工場。
キツイけど、やり甲斐はある。
勤め始めて五年。
ようやく社内にも居場所が出来た所だ。
ここで辞めたくはない。
そんな事を思っていると。
「そんな辛気臭い顔をするな。大丈夫だ。君みたいな優秀な部下は、簡単にはクビにしないよ。さっきも君がクビになるかもしれないと思った社員達が、私に直談判して来た。本当のことを言うと、怪我が長引くようならもしや、とは思っていた。でも、他の社員にも慕われているようだしな。ゆっくり治して、しっかり復帰したまえ。これは社長命令だ。」
社長が最後にニンマリと笑うのを見て、俺は心から安堵した。
怪我の治りは早かった。
医者は若いからだろうと言っていたが、多分それだけではないのだろう。

入院中のある日。
疎遠にしていた両親が見舞いに来た。
バツの悪そうな父。
父とは以前、喧嘩になった事がある。
ピンと来たのだろう。
もしも万が一お前がホモなら、私はお前を義絶する、そう言って詰め寄ったのだ。
仕方ないので、そんなわけないだろうが、そう言ってその場は収まったのだが。
それからもこの話は燻り続けた。
父は度々見合い話を持って来るのだが、まだ早いと俺が断る度に、機嫌を悪くする。
だから、正直俺は困っていたのだ。
そんな訳なので、今日もなにかあるのだろう、そう思っていた。
が、今日は違った。
最初に口を開いたのは、母だった。
「弟が、結婚したの。店も弟に継いでもらう。あなたには、もう無理に結婚を迫る事はしない。ゲイなんでしょ、あなた。自由に生きなさい、弟の分まで。」
弟の分まで。
この言葉のずっしりとした重み、効いた。
もしかしたら弟だってゲイだったかもしれない。
それに弟はまだ、若い。
俺の分まで苦労を背負い込もうと言うのだ。
うちの実家は老舗の商店だが、弟は事あるごとに継ぎたくないと言っていたのだ。
それなのに、である。
何だか泣けて来た。
俺の我儘のせいで、弟が犠牲になる。
これではもう、弟に顔向けが出来ないではないか。
続いて俺に近付いて来たのは、父。
「お前に、期待していた。でも、行き過ぎた。すまなかった。弟の結婚式には、出なくていいからな。弟が嫌がるのでな。でも、私達はこれからもずっと、親子だ。それは変わらない。義絶などしない。自由に、生きていいんだぞ。その二本の足で、しっかりと立つんだ。お前になら出来る。怪我、早く良くなるといいな。邪魔したな。」
ガッチリとハグされた。
思わぬ事に、嗚咽が止まらない。
それからしばらくの時が経って、両親は病室を後にした。

二十日後。
俺は退院した。
出社すると、みんなが出迎えてくれた。
だが、違和感がある。
よく見ると、知らない顔が一つ。
そこで社長が。
「彼はつい先日中途採用で入った、山中 嗣君だ。実家の都合で急に退社する事になった崇君の後釜だ。君が教えるんだ。しっかり頼むぞ。」
はい、そう大声で返事をしながら、胸がドキンとした。
嗣君、俺のタイプど真ん中なのだ。
艶やかでノーブルなグレーのショートヘア、むちむちとした肉感、透き通るような綺麗な肌、実際の歳よりもだいぶ若く見える幼い顔。
どれもみんな、俺の好みだった。
「よろしく!」
俺が嗣君に片手を差し出すと、嗣君はそれを握りながら、はにかんだ笑みで応えてくれた。

それからは毎日が楽しかった。
嗣君は要領が良かった。
ただ、時々ちょっとしたポカをやらかすので、その都度丁寧に教えてやる必要があった。
それでも。
怒る気になど到底なれなかった。
可愛い後輩。
教え甲斐があるというものだ。
ある日の仕事終わり。
俺は嗣君を居酒屋に誘ってみた。
返事はOK。
鶏の唐揚げやつくね、焼き鳥などを頬張りながら、ハイボールのジョッキ片手に仕事の話題に花が咲く。
と、不意に嗣君、モジモジしだした。
トイレかな、と思い促すも、違うという。
あぁ、ミミのこれが力なんだな、そう思って、さりげなく聞いてみた。
「俺の事、好きかい?」
嗣君、震えながらも必死で頷くので、俺はニコニコしながら頭を撫でてやった。
嗣君、泣いていた。
俺は、「出会った時から好きだったよ」、そう返した。
そして、どちらからともなくテーブル越しのキス。
こうして俺達は、公私共に充実した幸せを得る事が出来た。

その後、酔いも回って来た頃。
翌日は仕事が休みだったので、俺の部屋に嗣君を誘ってみる。
ミミもいるのだ。
紹介したい。
「行ってみたい!早く行こうよ!」
嗣君が急かすので、結局酒盛りもそこそこに帰宅する事にした。
時刻は夜、ミミもお腹を空かせているだろうし、ちょうど良かった。
途中、タクシーを捕まえて家路を急ぐ。
「ただいま〜。嗣君、さ、上がって。」
「あら、遅かったのね。でも、二人共上手く行っているみたいで良かったわ。」
「猫が、喋った!!」
「私の名前はミミ。三毛の野良で、喋れるの。嗣さん、あなたの小さな願い事、三つだけ叶えてあげる。何が良いかしら?」
言葉に詰まった嗣君。
「さ、ほら。」
俺が促すと、嗣君、訥々と話し始めた。
「先輩と末長く幸せに居られますように、っていう事と、病気がちの母親が少しでも元気になれますようにって事、それに父親と仲直り出来ますようにって事、その三つ。お願い出来ますか?」
「了解よ。私今怪我をしていて、すぐには無理かも知れないけれど、ぼちぼちやってみるわ。」
そうなのだ。
ミミ、出会った時、右後ろ脚を痛めていたのだ。
だから素早く走れなかったのだろう。
俺は怪我が治るとミミを動物病院に連れて行き、せっせとお世話もした。
もちろん、俺を幸せにしてくれた事へのお礼なのだ。
これっぽっちも負担ではなかった。
むしろもっと早くに病院に連れて行ってやりたかったと、後悔した位なのだ。
「まぁゆっくりやっておくれ。」
俺がにこやかにミミに話し掛けると、ミミはお馴染みのウインクでそれに応えた。

翌朝。
部屋のダブルベッドの上で嗣君と二人で寝ていると、誰かの来訪を知らせるチャイムが鳴る。
モニター付きドアホンで顔を見ると弟だったので、嫌な予感がしながらも、とりあえずオートロックは解除、ドアも開ける事にした。
驚いた。
「よぉ、何か用か?」
そう言い終わる前に弟の拳は俺の顔にクリーンヒットしていたのだ。
何が何だか分からずにしゃがみ込んでいると、弟、衝撃の告白をする。
「僕も兄ちゃんと同じで、ゲイだったんだ。一発殴らないと気が済まなかった。突然ごめん。もうすっきりしたからいいや。幸せになってね。僕は兄ちゃんの分まで頑張るから!この事、みんなには内緒だよ!じゃ!」
弟はそう言ってその場を去ろうとするので、俺は引き止めてガッチリとハグをした。
俺はろくでなしだ、この時、心からそう思った。
やがて弟を見送り後ろを振り返ると、嗣君とミミが心配そうにこちらの様子を伺っていた。
なので。
「さぁー、みんな朝食の時間だよー!」
などと、白々しいテンションでその場を取り繕ってみるのだが。
そんな思いとは裏腹に、ミミは叫んだ。
「これはもう、ぼちぼちなんて言っていられないわ!嗣さん、お父さんの所へ案内して!みんなで行くのよ!」

俺の所有する車で高速も使って二時間。
俺達一行は、嗣君の実家近くの駐車場へと到着した。
更に歩く事十分。
もう嗣君の実家の門は目の前である。
「さぁ、早く!」
ミミに急かされて嗣君は、渋々といった表情でインターホンを押した。
すると……。
困った顔をした嗣君のお母さんがお父さんを呼びに行った。
嗣君のお父さん、あろう事か竹刀を持ち出して、飛びかからんとする勢いだ。
「ホモには我が家の敷居は跨がせん!どうしてもというのなら、この俺を倒してから行け!」
その時だった。
ミミが念を送り始める。
後で聞いた話だが、ミミと嗣君のお父さんとの距離が近かった分、念が効果的に効いたらしい。
やがて嗣君のお父さんは、その場でへなへなと崩れ落ちた。
「すまん、言い過ぎた……。まぁ入れ。」
それだけ言うとのっそりと立ち上がって、ヨタヨタと家の中へと戻っていった。
付いて行く俺達。
茶の間へと通された俺達は、昔懐かしいちゃぶ台を囲んで正座をした。
「はい、どうぞ。」
嗣君のお母さんがお茶と羊羹を持ってきてくれた。
ありつく俺達。
目の前には如何にも頑固そうな、嗣君のお父さん。
正直、間が持たない。
苦悶していると、お父さんの方から口を開いてくれた。
「うちは代々農家だ。嗣には嫁をもらって跡取りになって欲しかった。それで丸く収まると、信じていた。だが、私は嗣の幸せの事は何も考えて来なかったのかもしれん。これからは自由にするといい。幸い私には娘もいる。婿養子をもらえば、跡取りの問題は心配ない。人様にご迷惑を掛けずに、幸せになるんだ。約束出来るな。」
嗣君の目の前にお父さんのゴツゴツとした風格のある掌が差し出される。
それを握って、嗣君、幸せそうだ。
お父さんのお陰で、一転した空気。
それもこれも、ミミの力あっての事だ。
感謝しなければ。
結局俺達はその後、お母さんも交えて四人で談笑し、帰宅の途についた。
途中、俺は嗣君にある提案をした。
それは俺の部屋で二人で暮らそう、というものだった。
返事はOK。
これで家賃が浮くから、嗣君の生活も楽になる。
何より、大好きな嗣君をずっと間近で見ていられるのだ。
そう思うと、テンションも上がる。
俺の住む部屋は分譲マンションだから気兼ねがないし、部屋も二つあるから困らない。
実はこんな時のために、わざわざ部屋が二つある物件を選んでおいたのだ。
良かった。

その日は疲れたので各々互いの家に帰宅。
俺はチマチマと部屋の整理をしていた。
元々物は少ないが、それでも片さないといけない物はある。
三時間程整理をして、ようやく二部屋とも片付いた。
たくさんのゴミは、マンション内のゴミ置場へ。
これで受け入れ準備は万端。
一週間後、俺の知り合いの赤帽さんに頼んで、嗣君の荷物を運び入れた。
「やったね、嗣君!これからもよろしくね。」
「こちらこそよろしくね、先輩!」
ガッチリとハグをする俺達。
それからしばらくして。
嗣君のお母さん、調子が良くなったそうだ。
嗣君の実家に二人で押し掛けて、お祝いだ。
「おめでとう!良かったね、お母さん。」
「あら、ありがとう、二人共。」
「めでたいめでたい、ガッハッハ!」
各々みんな酒を片手に、話に花が咲く。
寂しい事もあった。
ミミが全快したので、暫しのお別れなのだ。
「今までありがとう。まだまだ色んな人の願い事を叶えてあげないといけないから、あなた達とはここで一旦お別れね。でも、また遊びに来るわ。二人とも、元気でね。」
俺達は次々と、ミミを抱き締めた。
「じゃあねー!」
「元気でねー!」
いつまでも見送る俺達。
また会える、そう信じていたから、涙はお預けだ。
その後は公私共に順調。
とはいえこれから先、楽しい事ばかりではないだろう。
でも、何があっても二人でなら、きっと乗り越えてゆけるーー。
そう思ったから、俺はこの時、心から幸せだった。
それは嗣君もきっと同じに違いない。
「先輩、好きです。」
「俺もだよ、嗣君。」
俺達の幸せな日常は、まだ始まったばかりだ。

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三毛猫と白猫 [其ノ伍]

凍えていた。
手が、震えていた。
君の手が、恋しかった。
だから、そっと握った。
温かな感触。
貪るように味わう。
次の瞬間。
君の瞳から、涙が一雫、落ちた。
僕達はもう、戻れない。
振り返っても、仕方ない。
ただ、前に進まなければ。
それだけが、己に残された出来得る事の全てだった。
まるで、男女の駆け落ちのような。
まさに、苦闘の日々の始まりであったーー。

ーー東京・新宿。
奥秩父の実家から、着の身着のままで出て来た。
所持金は僅か。
財布はどうにか持ち出したが、タンス預金を取り出す余裕もなかった。
背後より飛んで来る文庫本から身を守りながら、大慌てで家を飛び出した。
目下、絶体絶命。
ーー俺の心情を察したのだろう。
ここで恋人・信太が口を開いた。
「僕の財布もあるし、それぞれの銀行の預金もあるから。多分、大丈夫。」
そうだ。
良かった。
これで少しは食い繫げる。
「ありがとう。」
他に言葉が浮かばなかった。
東口の前で、どちらからともなくハグをする。
奇異の目線も、気にならない。
嗚咽を漏らす。
涙が、止まらないのだ。

そのまま、暫しの時が流れ。
「行こう。」
信太は俺の胸の中から離れると、手を取って歩き出した。

俺と信太は、幼馴染だ。
同い年で、幼稚園の頃から、一緒。
小学生の頃には、恋仲になっていた。
告白したのは、俺。
「俺、お前の事が好きだ。傍に居てくれ。離さないから。」
それだけだった。
信太は、ただ頷くのみ。
単純な、けれども俺達二人にとっては十分な遣り取りだった。
それからの俺達は、以前にも増して助け合うようになった。
特に勉強は、ノートの貸し借りをするなどして共に支え合った。
実の所は、勉強を口実にして、二人で過ごす時間を作っていたのだが。
それでも、成績が下がると会わせて貰えなくなるので、勉強は頑張った。
二人共、中学に上がる頃には、常に上位の成績をキープするようになっていた。
高校は、地元から離れた進学校に二人で通おうーー。
そう約束し合っていた。
だが。
二人の逢瀬は、互いの両親に筒抜けとなっていた。
中学の卒業式の日ーー。
俺は父から、こう言われた。
「お前たちの事は、前から知っていた。勉強に精を出していたから、一時的に見逃していた。だが、今日でそれも終わり。卒業だ。これからは男とではなく、女との道を歩くのだ。いいな。」
悔しかった。
ただ、悔しかった。
涙が、止まらなかった。
それから三年間、信太とは逢えなかった。
両親は担任に口添えしており、同じ高校なのに逢う事は叶わなかった。
長かった。
遥かな、道のりだった。
毎日、泣いていた。
歯を食い縛って、堪えた。
暗い日々が過ぎ、遂に高校の卒業式。
式を終えると、信太が、俺に近付く。
「さ、行こう。駆け落ちみたいだけど。」
その時信太は、笑っていたーー。
それからは、あっという間だった。
先に信太の家に行って、荷物を取ろうとしたが、兄弟に邪魔されて失敗。
次に俺の家に行くと、今度は祖父母が立ちはだかった。
俺の部屋で。
財布を取り、棚のタンス預金に手を伸ばそうとすると。
祖父母は手近にあった文庫本を次から次へと投げ付けてきた。
もうここへは戻れないーーそう。
退路を断たれた、まさにその瞬間だった。

それから、何となくの流れで、新宿に流れ着いた。
惰性で。
ただ、名前を知っていたから。
それだけの理由だった。

「これから、どうしよう。」
「そうだね。今夜はネカフェのペアシートで過ごそうか。」
「賛成。」
目的地がある訳ではない。
ただ、ネットカフェを探して歩く、それだけの事。
でも、それだけの、たったそれだけの事が、今の俺には、この上なく幸せな事にも思えた。
言うなれば三年ぶりの、二人での共同作業である。
嬉しくない訳がないのだ。
完全個室のネットカフェのシートで。
手を繋いで眠る。
それだけで、現実からの逃避が出来た。
一時的な事だが、それでも、この時には十分だった。
と、ポケットの中でバイブが響く。
慌てて出ると、父からの電話だった。
急いでスピーカーフォンにする。
「圭よ、最後通告だ。今すぐに戻れ。許してやる。見合い話もある。極上の相手だ。戻らなければ、義絶する。」
電話口には、交代で信太の母が出た。
母は信太に、切々と問い掛ける。
「信太、戻って。ホモの病気、一緒に治そ。お母さん諦めない。あなたは絶対に結婚する。だから大丈夫。戻って来て。私には義絶なんて出来ない。だって信太は私の物だから。」
実の所は、気持ちは分からないでもなかった。
でも、「私の物」という表現には流石に俺は激昂した。
「信太はあんたの所有物じゃない!信太は自分の意志でここまで来た。誘拐した訳ではないんだ。渡さない。絶対に。」
ここで信太が沸騰した。
「今日までお母さんでいてくれたあなたには、心から感謝しています。もう構わないでください。僕の前にあなたが現れたら、僕自殺します。許してください。耐えられないんです。」
電話口の向こう側からは、啜り泣く声が延々と聞こえた。
こうして、俺達にとっての不愉快な遣り取りは終わった。
たとえ一時的な事であってもこれは嬉しい、そう思った。

翌朝。
ネットカフェを後にする。
アテはなかったが、仕事は探さなくてはならない。
しかしそれにしても、住所は必要だ。
だからといって、物件を探すのに仕事が要らない訳ではない。
堂々巡りだった。
寮付きの仕事でも見つかれば良いのだが。
そんな事を考えながら二人で街を歩く。
すると、歌舞伎町に差し掛かったあたりで、一匹の猫が足元に寄って来た。
「おはよう。私はミミ。三毛の野良猫。よろしくね!」
噂には聞いていた、喋る野良猫、登場。
信太は怯えているようだったので、大丈夫である事を俺から説明する。
「あら、説明して頂けて助かるわ。二人の小さな願い事、三つだけ叶えてあげる。願い事は、二人同じでも良いのよ。」
ここで信太が口を開いた。
「二人で末永く、誰にも邪魔されずに仲良く一緒に居られる事。仕事が長く続きますように、という事。これから先ずっと、住まいと食べる物に困らない事。二人の願い事はそれだけ!」
信太は、真剣だった。
俺は、ここからが苦闘の始まりだと思いつつも、藁をも掴む思いだった。
「あなた達の手助けはするし、願いが成就する為のきっかけは作ってあげる。後はあなた達次第よ!頑張って!」
それだけ言うと、ミミは去っていった。
後ろ姿が眩しかったのは、陽射しのせいだけではなかった。

新宿西口から西新宿へと歩く。
中央公園で一休み。
スマートフォンを取り出して、求人を漁る。
もちろん、寮付きが良い。
自動車の期間工の求人が多いが、正社員を目指せるらしい。
ミミの力を借りれば、出来るかも。
ここで、去った筈のミミの声が聞こえた。
『大変な仕事よ。でもあなた達なら正社員になれるわ。作業のコツは私が教えるから、大丈夫。二人共、体力があるからピッタリよ!』
これにはお礼を言わずにはいられない。
「ミミ、有難う!」
声が揃った。
前向きになる、自分。

幸い、住所はまだ二人共に実家にあった。
住所不定でなくて、助かった。
とはいえ、所持金の事もある。
急がねば。
二人して早速面接の予定を立てた。
ミミも言っていたが、俺達は高校時代、運動系の部活に所属していたから。
体力には自信があるのだ。
一応、高卒でもある。
期間工を終えた後の万一の仕事探しの際にも。
中卒よりは仕事を見つけるのも楽だろう。
三年間の辛抱が、いつか役に立つかもしれないーー。
そう思えて、俺は嬉しかった。

それから。
俺達は面接の日程を組んだ。
残り少ない預金ではあるのだが。
それでも、背に腹は変えられないので、スーツも買った。
履歴書も用意して。
準備万端だ。

予想通り。
苦闘はここから、始まった。
面接は、受かったのだ。
勤務先の工場は郊外にあるので、俺たちは東京を離れる事になった。
同じ工場での勤務。
嬉しい筈だった。
だが。
いざやってみると、仕事がキツイのだ。
これには面食らった。
怒られる事は、ほぼなかった。
ミミが俺達二人にやり方を逐一教えてくれていたからだ。
手が止まる度に、ミミの心の声が聞こえる。
頼もしい。
しかし、慣れない。
部活で使う筋肉とは、使う筋肉の場所が違うらしい。
それでも。
いつか二人で暮らそうと、決めていたから。
だから、諦めなかった。

歯を食い縛る日々。
それでも、楽しみはあった。
良く互いの部屋に遊びに行った。
部屋では、テレビゲーム三昧。
アニメも良く観た。

夏には、毎週末のように日帰りで海に行った。
水にプカプカ浮いて、何となく波に乗る。
楽しい思い出。

秋には、紅葉狩り。
紅色の葉っぱの絨毯が、綺麗だった。
あてもなくそぞろ歩くだけでも、嬉しかった。
この頃からようやく、ミミのアドバイスなしでもノーミスで仕事が出来るようになった。
上司からは認められていた。
これは有難い。
戻る場所がないだけに、後がないのだ。
仕事中は常に、緊張感が支配していた。
ストレスは溜まってはいたが、二人の未来が掛かっているのだ。
ここで逃げ出す訳にはいかない。
ここが踏ん張りどころーーそれは分かっていた。
分かっていたのだ。

冬。
俺が好きなので、週末、信太を良くスキーへと連れて行った。
幼馴染なのに、これまで一緒にスキーをした事がなかった。
信太は正直、スキーは下手だった。
暫くはボーゲンだろう。
それにしても、信太がリフトに乗り降りする姿を見ていると、怖くなってくる。
いつか落ちるのではないかと、気が気でないのだ。
ゲレンデの雪はパウダースノーで、雪の結晶の形を綺麗に保っている。
まるで信太の瞳の輝きのようで、俺は思わず涙する。
ここまで、長かった。
『もう大丈夫よ。二人共良く頑張ったわ。あなた方は今度の夏の試験で、正社員に正式に登用されるわ。これからも頑張ってね!』
ミミの言葉で、思い返す。

そうだ。
君が、好きだーー。

ーー凍えていた。
手が、震えていた。
君の手が、恋しかった。
だから、そっと握った。
真っ白なゲレンデの上で。
グローブを外して。
温かな感触。
貪るように味わう。
次の瞬間。
君の顔から、笑顔が零れた。
僕達はもう、戻らない。
振り返っても、意味がない。
ただ、前に進まなければ。
それだけが、己に残された出来得る事の全てだった。
まるで、男女の駆け落ちのような。
しかし、ようやく掴んだ、幸せへの第一歩でもあったーー。

春。
お花見をした。
二人で、仲良く。
料理の得意な信太が、お弁当を作ってくれた。
美味しい。
頰が落ちそうだ。
見上げると、桜の花びらが舞っている。
苦労の末に掴んだ幸せ。
手放したくないーーそう思って、泣いた。

帰り道。
飲酒運転の車に、信太がぶつかった。
信太に非はない。
だが、俺は気が動転していた。
すると信太、ぶつかった直後だというのに、笑っていた。
「圭、大丈夫だからさ。落ち着いて。」
相変わらず、情けない俺。
それでも、こんな俺でも必要としてくれるーー。
そんな信太を手放す事は、決して出来ない。
まずは心配だったので、救急車へ通報。
加害者の車は、突然やって来た白猫が、ボンネットの上に乗って足止めしてくれていた。
病院で検査。
軽傷だった。
良かった。
本当に、良かった。

夏。
俺達二人は、本当に正社員になってしまった。
本来ならば驚くべき事だが、ミミがいたから、信じられた。
『二人共、助け合って頑張るのよ!また遊びに来るわ。それじゃ!』
ミミの声が聞こえた。

俺達は、こうして二人手を取って、共に歩んで行く。
やっと掴んだ喜び。
手放す訳にはいかない。
空は、どこまでも抜けるように青くて、見ていて不安になる。
まるでちっぽけな俺達を見下ろしているかのようで。
それでも、俺達には絆があるから、大丈夫。
そう信じられたから、俺は信太の手を離さない。
幸せのページが、また一枚めくられたかのような午後。
今日は休みだ。
この空の下で、これからの未来に思いを馳せながら、前へと進んで行く。
その覚悟を、決めた。
俺達にはきっと、明るい未来が待っているーー。
だから俺達は今、心から幸せだ、そう胸を張って言えるのだと思う。
二人でなら生きて行ける、そう心から思えた夏の日の午後の事だった。

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