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三毛猫と白猫 [其ノ陸]

夜。
今日は仕事が休みだった。
一日中泥のように眠っていて、気が付くと午後8時を回っていた。
「腹減ったな……。」
俺は丸く膨れた己の腹をさする。
そして、立ち上がってハンガーにかかっていたウインドブレーカーを羽織る。
原付の鍵と携帯、それに財布をポケットに入れて、コンビニまで出掛けるのだ。
路上で。
夜の割には、寒さが幾分か和らいできた。
春の足音が聞こえる。
たまたまかもしれないが。
まぁそんな風に油断していると、いつだってロクな事が起こらないもの。
案の定、昨日の季節外れの雪と今日の午後までの寒さで出来たアイスバーンでスリップ。
道路の端に固まっていた雪に突っ込んでしまった。
奇跡的に原付は無事だったのだが。
俺の脚が無事ではなかった。
『折れてるな、これは。』
苦痛に顔を歪めながらも、どうにか携帯を取り出して、救急車と警察を呼ぶ。
と、そこへ。
三毛猫がやって来て、俺の隣で丸まる。
「私はミミ。三毛の野良猫。喋れるの。あなたの小さな願い事、三つだけ叶えてあげる。その代わりに元気になったら、私の事を少し家に置いて欲しいの。」
口を開けたままで、思わず固まった。
ポカーン、という表現がここまで似合うシチュエーションも、そうはないだろう。
とはいえ喋れる位だから、話は本当なのだろう。
これはチャンスだ。
といっても、まず心配しなければならないのは仕事だ。
「仕事がクビにならないように、早く怪我が治って復帰出来る事。彼氏が出来る事。親に無事にカミングアウト出来て、受け入れてもらえる事。以上かな。お願い出来る?」
そこまで俺が言い終えるとミミは立ち上がって、今時珍しくウインクをした。
「大丈夫!あなたの願い、ちゃんと叶えるわ。待ってて頂戴ね。また来るわ。じゃ!」
のったりと去ってゆくミミ。
入れ替わりで救急車がやって来て、俺は病院に運ばれた。
その後、手術を終えた俺は、警察の事情聴取も終え、被害が出なかった事を確認して。
ようやく、ホッと一息。
でも、何だかんだで復帰には時間が掛かりそうだ。
ミミにお願いしてあるとはいえ、やはり心配だ。
と、そこへ。
社長が見舞いにやって来た。
俺が勤める会社は、自動車の整備工場。
キツイけど、やり甲斐はある。
勤め始めて五年。
ようやく社内にも居場所が出来た所だ。
ここで辞めたくはない。
そんな事を思っていると。
「そんな辛気臭い顔をするな。大丈夫だ。君みたいな優秀な部下は、簡単にはクビにしないよ。さっきも君がクビになるかもしれないと思った社員達が、私に直談判して来た。本当のことを言うと、怪我が長引くようならもしや、とは思っていた。でも、他の社員にも慕われているようだしな。ゆっくり治して、しっかり復帰したまえ。これは社長命令だ。」
社長が最後にニンマリと笑うのを見て、俺は心から安堵した。
怪我の治りは早かった。
医者は若いからだろうと言っていたが、多分それだけではないのだろう。

入院中のある日。
疎遠にしていた両親が見舞いに来た。
バツの悪そうな父。
父とは以前、喧嘩になった事がある。
ピンと来たのだろう。
もしも万が一お前がホモなら、私はお前を義絶する、そう言って詰め寄ったのだ。
仕方ないので、そんなわけないだろうが、そう言ってその場は収まったのだが。
それからもこの話は燻り続けた。
父は度々見合い話を持って来るのだが、まだ早いと俺が断る度に、機嫌を悪くする。
だから、正直俺は困っていたのだ。
そんな訳なので、今日もなにかあるのだろう、そう思っていた。
が、今日は違った。
最初に口を開いたのは、母だった。
「弟が、結婚したの。店も弟に継いでもらう。あなたには、もう無理に結婚を迫る事はしない。ゲイなんでしょ、あなた。自由に生きなさい、弟の分まで。」
弟の分まで。
この言葉のずっしりとした重み、効いた。
もしかしたら弟だってゲイだったかもしれない。
それに弟はまだ、若い。
俺の分まで苦労を背負い込もうと言うのだ。
うちの実家は老舗の商店だが、弟は事あるごとに継ぎたくないと言っていたのだ。
それなのに、である。
何だか泣けて来た。
俺の我儘のせいで、弟が犠牲になる。
これではもう、弟に顔向けが出来ないではないか。
続いて俺に近付いて来たのは、父。
「お前に、期待していた。でも、行き過ぎた。すまなかった。弟の結婚式には、出なくていいからな。弟が嫌がるのでな。でも、私達はこれからもずっと、親子だ。それは変わらない。義絶などしない。自由に、生きていいんだぞ。その二本の足で、しっかりと立つんだ。お前になら出来る。怪我、早く良くなるといいな。邪魔したな。」
ガッチリとハグされた。
思わぬ事に、嗚咽が止まらない。
それからしばらくの時が経って、両親は病室を後にした。

二十日後。
俺は退院した。
出社すると、みんなが出迎えてくれた。
だが、違和感がある。
よく見ると、知らない顔が一つ。
そこで社長が。
「彼はつい先日中途採用で入った、山中 嗣君だ。実家の都合で急に退社する事になった崇君の後釜だ。君が教えるんだ。しっかり頼むぞ。」
はい、そう大声で返事をしながら、胸がドキンとした。
嗣君、俺のタイプど真ん中なのだ。
艶やかでノーブルなグレーのショートヘア、むちむちとした肉感、透き通るような綺麗な肌、実際の歳よりもだいぶ若く見える幼い顔。
どれもみんな、俺の好みだった。
「よろしく!」
俺が嗣君に片手を差し出すと、嗣君はそれを握りながら、はにかんだ笑みで応えてくれた。

それからは毎日が楽しかった。
嗣君は要領が良かった。
ただ、時々ちょっとしたポカをやらかすので、その都度丁寧に教えてやる必要があった。
それでも。
怒る気になど到底なれなかった。
可愛い後輩。
教え甲斐があるというものだ。
ある日の仕事終わり。
俺は嗣君を居酒屋に誘ってみた。
返事はOK。
鶏の唐揚げやつくね、焼き鳥などを頬張りながら、ハイボールのジョッキ片手に仕事の話題に花が咲く。
と、不意に嗣君、モジモジしだした。
トイレかな、と思い促すも、違うという。
あぁ、ミミのこれが力なんだな、そう思って、さりげなく聞いてみた。
「俺の事、好きかい?」
嗣君、震えながらも必死で頷くので、俺はニコニコしながら頭を撫でてやった。
嗣君、泣いていた。
俺は、「出会った時から好きだったよ」、そう返した。
そして、どちらからともなくテーブル越しのキス。
こうして俺達は、公私共に充実した幸せを得る事が出来た。

その後、酔いも回って来た頃。
翌日は仕事が休みだったので、俺の部屋に嗣君を誘ってみる。
ミミもいるのだ。
紹介したい。
「行ってみたい!早く行こうよ!」
嗣君が急かすので、結局酒盛りもそこそこに帰宅する事にした。
時刻は夜、ミミもお腹を空かせているだろうし、ちょうど良かった。
途中、タクシーを捕まえて家路を急ぐ。
「ただいま〜。嗣君、さ、上がって。」
「あら、遅かったのね。でも、二人共上手く行っているみたいで良かったわ。」
「猫が、喋った!!」
「私の名前はミミ。三毛の野良で、喋れるの。嗣さん、あなたの小さな願い事、三つだけ叶えてあげる。何が良いかしら?」
言葉に詰まった嗣君。
「さ、ほら。」
俺が促すと、嗣君、訥々と話し始めた。
「先輩と末長く幸せに居られますように、っていう事と、病気がちの母親が少しでも元気になれますようにって事、それに父親と仲直り出来ますようにって事、その三つ。お願い出来ますか?」
「了解よ。私今怪我をしていて、すぐには無理かも知れないけれど、ぼちぼちやってみるわ。」
そうなのだ。
ミミ、出会った時、右後ろ脚を痛めていたのだ。
だから素早く走れなかったのだろう。
俺は怪我が治るとミミを動物病院に連れて行き、せっせとお世話もした。
もちろん、俺を幸せにしてくれた事へのお礼なのだ。
これっぽっちも負担ではなかった。
むしろもっと早くに病院に連れて行ってやりたかったと、後悔した位なのだ。
「まぁゆっくりやっておくれ。」
俺がにこやかにミミに話し掛けると、ミミはお馴染みのウインクでそれに応えた。

翌朝。
部屋のダブルベッドの上で嗣君と二人で寝ていると、誰かの来訪を知らせるチャイムが鳴る。
モニター付きドアホンで顔を見ると弟だったので、嫌な予感がしながらも、とりあえずオートロックは解除、ドアも開ける事にした。
驚いた。
「よぉ、何か用か?」
そう言い終わる前に弟の拳は俺の顔にクリーンヒットしていたのだ。
何が何だか分からずにしゃがみ込んでいると、弟、衝撃の告白をする。
「僕も兄ちゃんと同じで、ゲイだったんだ。一発殴らないと気が済まなかった。突然ごめん。もうすっきりしたからいいや。幸せになってね。僕は兄ちゃんの分まで頑張るから!この事、みんなには内緒だよ!じゃ!」
弟はそう言ってその場を去ろうとするので、俺は引き止めてガッチリとハグをした。
俺はろくでなしだ、この時、心からそう思った。
やがて弟を見送り後ろを振り返ると、嗣君とミミが心配そうにこちらの様子を伺っていた。
なので。
「さぁー、みんな朝食の時間だよー!」
などと、白々しいテンションでその場を取り繕ってみるのだが。
そんな思いとは裏腹に、ミミは叫んだ。
「これはもう、ぼちぼちなんて言っていられないわ!嗣さん、お父さんの所へ案内して!みんなで行くのよ!」

俺の所有する車で高速も使って二時間。
俺達一行は、嗣君の実家近くの駐車場へと到着した。
更に歩く事十分。
もう嗣君の実家の門は目の前である。
「さぁ、早く!」
ミミに急かされて嗣君は、渋々といった表情でインターホンを押した。
すると……。
困った顔をした嗣君のお母さんがお父さんを呼びに行った。
嗣君のお父さん、あろう事か竹刀を持ち出して、飛びかからんとする勢いだ。
「ホモには我が家の敷居は跨がせん!どうしてもというのなら、この俺を倒してから行け!」
その時だった。
ミミが念を送り始める。
後で聞いた話だが、ミミと嗣君のお父さんとの距離が近かった分、念が効果的に効いたらしい。
やがて嗣君のお父さんは、その場でへなへなと崩れ落ちた。
「すまん、言い過ぎた……。まぁ入れ。」
それだけ言うとのっそりと立ち上がって、ヨタヨタと家の中へと戻っていった。
付いて行く俺達。
茶の間へと通された俺達は、昔懐かしいちゃぶ台を囲んで正座をした。
「はい、どうぞ。」
嗣君のお母さんがお茶と羊羹を持ってきてくれた。
ありつく俺達。
目の前には如何にも頑固そうな、嗣君のお父さん。
正直、間が持たない。
苦悶していると、お父さんの方から口を開いてくれた。
「うちは代々農家だ。嗣には嫁をもらって跡取りになって欲しかった。それで丸く収まると、信じていた。だが、私は嗣の幸せの事は何も考えて来なかったのかもしれん。これからは自由にするといい。幸い私には娘もいる。婿養子をもらえば、跡取りの問題は心配ない。人様にご迷惑を掛けずに、幸せになるんだ。約束出来るな。」
嗣君の目の前にお父さんのゴツゴツとした風格のある掌が差し出される。
それを握って、嗣君、幸せそうだ。
お父さんのお陰で、一転した空気。
それもこれも、ミミの力あっての事だ。
感謝しなければ。
結局俺達はその後、お母さんも交えて四人で談笑し、帰宅の途についた。
途中、俺は嗣君にある提案をした。
それは俺の部屋で二人で暮らそう、というものだった。
返事はOK。
これで家賃が浮くから、嗣君の生活も楽になる。
何より、大好きな嗣君をずっと間近で見ていられるのだ。
そう思うと、テンションも上がる。
俺の住む部屋は分譲マンションだから気兼ねがないし、部屋も二つあるから困らない。
実はこんな時のために、わざわざ部屋が二つある物件を選んでおいたのだ。
良かった。

その日は疲れたので各々互いの家に帰宅。
俺はチマチマと部屋の整理をしていた。
元々物は少ないが、それでも片さないといけない物はある。
三時間程整理をして、ようやく二部屋とも片付いた。
たくさんのゴミは、マンション内のゴミ置場へ。
これで受け入れ準備は万端。
一週間後、俺の知り合いの赤帽さんに頼んで、嗣君の荷物を運び入れた。
「やったね、嗣君!これからもよろしくね。」
「こちらこそよろしくね、先輩!」
ガッチリとハグをする俺達。
それからしばらくして。
嗣君のお母さん、調子が良くなったそうだ。
嗣君の実家に二人で押し掛けて、お祝いだ。
「おめでとう!良かったね、お母さん。」
「あら、ありがとう、二人共。」
「めでたいめでたい、ガッハッハ!」
各々みんな酒を片手に、話に花が咲く。
寂しい事もあった。
ミミが全快したので、暫しのお別れなのだ。
「今までありがとう。まだまだ色んな人の願い事を叶えてあげないといけないから、あなた達とはここで一旦お別れね。でも、また遊びに来るわ。二人とも、元気でね。」
俺達は次々と、ミミを抱き締めた。
「じゃあねー!」
「元気でねー!」
いつまでも見送る俺達。
また会える、そう信じていたから、涙はお預けだ。
その後は公私共に順調。
とはいえこれから先、楽しい事ばかりではないだろう。
でも、何があっても二人でなら、きっと乗り越えてゆけるーー。
そう思ったから、俺はこの時、心から幸せだった。
それは嗣君もきっと同じに違いない。
「先輩、好きです。」
「俺もだよ、嗣君。」
俺達の幸せな日常は、まだ始まったばかりだ。

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三毛猫と白猫 [其ノ伍]

凍えていた。
手が、震えていた。
君の手が、恋しかった。
だから、そっと握った。
温かな感触。
貪るように味わう。
次の瞬間。
君の瞳から、涙が一雫、落ちた。
僕達はもう、戻れない。
振り返っても、仕方ない。
ただ、前に進まなければ。
それだけが、己に残された出来得る事の全てだった。
まるで、男女の駆け落ちのような。
まさに、苦闘の日々の始まりであったーー。

ーー東京・新宿。
奥秩父の実家から、着の身着のままで出て来た。
所持金は僅か。
財布はどうにか持ち出したが、タンス預金を取り出す余裕もなかった。
背後より飛んで来る文庫本から身を守りながら、大慌てで家を飛び出した。
目下、絶体絶命。
ーー俺の心情を察したのだろう。
ここで恋人・信太が口を開いた。
「僕の財布もあるし、それぞれの銀行の預金もあるから。多分、大丈夫。」
そうだ。
良かった。
これで少しは食い繫げる。
「ありがとう。」
他に言葉が浮かばなかった。
東口の前で、どちらからともなくハグをする。
奇異の目線も、気にならない。
嗚咽を漏らす。
涙が、止まらないのだ。

そのまま、暫しの時が流れ。
「行こう。」
信太は俺の胸の中から離れると、手を取って歩き出した。

俺と信太は、幼馴染だ。
同い年で、幼稚園の頃から、一緒。
小学生の頃には、恋仲になっていた。
告白したのは、俺。
「俺、お前の事が好きだ。傍に居てくれ。離さないから。」
それだけだった。
信太は、ただ頷くのみ。
単純な、けれども俺達二人にとっては十分な遣り取りだった。
それからの俺達は、以前にも増して助け合うようになった。
特に勉強は、ノートの貸し借りをするなどして共に支え合った。
実の所は、勉強を口実にして、二人で過ごす時間を作っていたのだが。
それでも、成績が下がると会わせて貰えなくなるので、勉強は頑張った。
二人共、中学に上がる頃には、常に上位の成績をキープするようになっていた。
高校は、地元から離れた進学校に二人で通おうーー。
そう約束し合っていた。
だが。
二人の逢瀬は、互いの両親に筒抜けとなっていた。
中学の卒業式の日ーー。
俺は父から、こう言われた。
「お前たちの事は、前から知っていた。勉強に精を出していたから、一時的に見逃していた。だが、今日でそれも終わり。卒業だ。これからは男とではなく、女との道を歩くのだ。いいな。」
悔しかった。
ただ、悔しかった。
涙が、止まらなかった。
それから三年間、信太とは逢えなかった。
両親は担任に口添えしており、同じ高校なのに逢う事は叶わなかった。
長かった。
遥かな、道のりだった。
毎日、泣いていた。
歯を食い縛って、堪えた。
暗い日々が過ぎ、遂に高校の卒業式。
式を終えると、信太が、俺に近付く。
「さ、行こう。駆け落ちみたいだけど。」
その時信太は、笑っていたーー。
それからは、あっという間だった。
先に信太の家に行って、荷物を取ろうとしたが、兄弟に邪魔されて失敗。
次に俺の家に行くと、今度は祖父母が立ちはだかった。
俺の部屋で。
財布を取り、棚のタンス預金に手を伸ばそうとすると。
祖父母は手近にあった文庫本を次から次へと投げ付けてきた。
もうここへは戻れないーーそう。
退路を断たれた、まさにその瞬間だった。

それから、何となくの流れで、新宿に流れ着いた。
惰性で。
ただ、名前を知っていたから。
それだけの理由だった。

「これから、どうしよう。」
「そうだね。今夜はネカフェのペアシートで過ごそうか。」
「賛成。」
目的地がある訳ではない。
ただ、ネットカフェを探して歩く、それだけの事。
でも、それだけの、たったそれだけの事が、今の俺には、この上なく幸せな事にも思えた。
言うなれば三年ぶりの、二人での共同作業である。
嬉しくない訳がないのだ。
完全個室のネットカフェのシートで。
手を繋いで眠る。
それだけで、現実からの逃避が出来た。
一時的な事だが、それでも、この時には十分だった。
と、ポケットの中でバイブが響く。
慌てて出ると、父からの電話だった。
急いでスピーカーフォンにする。
「圭よ、最後通告だ。今すぐに戻れ。許してやる。見合い話もある。極上の相手だ。戻らなければ、義絶する。」
電話口には、交代で信太の母が出た。
母は信太に、切々と問い掛ける。
「信太、戻って。ホモの病気、一緒に治そ。お母さん諦めない。あなたは絶対に結婚する。だから大丈夫。戻って来て。私には義絶なんて出来ない。だって信太は私の物だから。」
実の所は、気持ちは分からないでもなかった。
でも、「私の物」という表現には流石に俺は激昂した。
「信太はあんたの所有物じゃない!信太は自分の意志でここまで来た。誘拐した訳ではないんだ。渡さない。絶対に。」
ここで信太が沸騰した。
「今日までお母さんでいてくれたあなたには、心から感謝しています。もう構わないでください。僕の前にあなたが現れたら、僕自殺します。許してください。耐えられないんです。」
電話口の向こう側からは、啜り泣く声が延々と聞こえた。
こうして、俺達にとっての不愉快な遣り取りは終わった。
たとえ一時的な事であってもこれは嬉しい、そう思った。

翌朝。
ネットカフェを後にする。
アテはなかったが、仕事は探さなくてはならない。
しかしそれにしても、住所は必要だ。
だからといって、物件を探すのに仕事が要らない訳ではない。
堂々巡りだった。
寮付きの仕事でも見つかれば良いのだが。
そんな事を考えながら二人で街を歩く。
すると、歌舞伎町に差し掛かったあたりで、一匹の猫が足元に寄って来た。
「おはよう。私はミミ。三毛の野良猫。よろしくね!」
噂には聞いていた、喋る野良猫、登場。
信太は怯えているようだったので、大丈夫である事を俺から説明する。
「あら、説明して頂けて助かるわ。二人の小さな願い事、三つだけ叶えてあげる。願い事は、二人同じでも良いのよ。」
ここで信太が口を開いた。
「二人で末永く、誰にも邪魔されずに仲良く一緒に居られる事。仕事が長く続きますように、という事。これから先ずっと、住まいと食べる物に困らない事。二人の願い事はそれだけ!」
信太は、真剣だった。
俺は、ここからが苦闘の始まりだと思いつつも、藁をも掴む思いだった。
「あなた達の手助けはするし、願いが成就する為のきっかけは作ってあげる。後はあなた達次第よ!頑張って!」
それだけ言うと、ミミは去っていった。
後ろ姿が眩しかったのは、陽射しのせいだけではなかった。

新宿西口から西新宿へと歩く。
中央公園で一休み。
スマートフォンを取り出して、求人を漁る。
もちろん、寮付きが良い。
自動車の期間工の求人が多いが、正社員を目指せるらしい。
ミミの力を借りれば、出来るかも。
ここで、去った筈のミミの声が聞こえた。
『大変な仕事よ。でもあなた達なら正社員になれるわ。作業のコツは私が教えるから、大丈夫。二人共、体力があるからピッタリよ!』
これにはお礼を言わずにはいられない。
「ミミ、有難う!」
声が揃った。
前向きになる、自分。

幸い、住所はまだ二人共に実家にあった。
住所不定でなくて、助かった。
とはいえ、所持金の事もある。
急がねば。
二人して早速面接の予定を立てた。
ミミも言っていたが、俺達は高校時代、運動系の部活に所属していたから。
体力には自信があるのだ。
一応、高卒でもある。
期間工を終えた後の万一の仕事探しの際にも。
中卒よりは仕事を見つけるのも楽だろう。
三年間の辛抱が、いつか役に立つかもしれないーー。
そう思えて、俺は嬉しかった。

それから。
俺達は面接の日程を組んだ。
残り少ない預金ではあるのだが。
それでも、背に腹は変えられないので、スーツも買った。
履歴書も用意して。
準備万端だ。

予想通り。
苦闘はここから、始まった。
面接は、受かったのだ。
勤務先の工場は郊外にあるので、俺たちは東京を離れる事になった。
同じ工場での勤務。
嬉しい筈だった。
だが。
いざやってみると、仕事がキツイのだ。
これには面食らった。
怒られる事は、ほぼなかった。
ミミが俺達二人にやり方を逐一教えてくれていたからだ。
手が止まる度に、ミミの心の声が聞こえる。
頼もしい。
しかし、慣れない。
部活で使う筋肉とは、使う筋肉の場所が違うらしい。
それでも。
いつか二人で暮らそうと、決めていたから。
だから、諦めなかった。

歯を食い縛る日々。
それでも、楽しみはあった。
良く互いの部屋に遊びに行った。
部屋では、テレビゲーム三昧。
アニメも良く観た。

夏には、毎週末のように日帰りで海に行った。
水にプカプカ浮いて、何となく波に乗る。
楽しい思い出。

秋には、紅葉狩り。
紅色の葉っぱの絨毯が、綺麗だった。
あてもなくそぞろ歩くだけでも、嬉しかった。
この頃からようやく、ミミのアドバイスなしでもノーミスで仕事が出来るようになった。
上司からは認められていた。
これは有難い。
戻る場所がないだけに、後がないのだ。
仕事中は常に、緊張感が支配していた。
ストレスは溜まってはいたが、二人の未来が掛かっているのだ。
ここで逃げ出す訳にはいかない。
ここが踏ん張りどころーーそれは分かっていた。
分かっていたのだ。

冬。
俺が好きなので、週末、信太を良くスキーへと連れて行った。
幼馴染なのに、これまで一緒にスキーをした事がなかった。
信太は正直、スキーは下手だった。
暫くはボーゲンだろう。
それにしても、信太がリフトに乗り降りする姿を見ていると、怖くなってくる。
いつか落ちるのではないかと、気が気でないのだ。
ゲレンデの雪はパウダースノーで、雪の結晶の形を綺麗に保っている。
まるで信太の瞳の輝きのようで、俺は思わず涙する。
ここまで、長かった。
『もう大丈夫よ。二人共良く頑張ったわ。あなた方は今度の夏の試験で、正社員に正式に登用されるわ。これからも頑張ってね!』
ミミの言葉で、思い返す。

そうだ。
君が、好きだーー。

ーー凍えていた。
手が、震えていた。
君の手が、恋しかった。
だから、そっと握った。
真っ白なゲレンデの上で。
グローブを外して。
温かな感触。
貪るように味わう。
次の瞬間。
君の顔から、笑顔が零れた。
僕達はもう、戻らない。
振り返っても、意味がない。
ただ、前に進まなければ。
それだけが、己に残された出来得る事の全てだった。
まるで、男女の駆け落ちのような。
しかし、ようやく掴んだ、幸せへの第一歩でもあったーー。

春。
お花見をした。
二人で、仲良く。
料理の得意な信太が、お弁当を作ってくれた。
美味しい。
頰が落ちそうだ。
見上げると、桜の花びらが舞っている。
苦労の末に掴んだ幸せ。
手放したくないーーそう思って、泣いた。

帰り道。
飲酒運転の車に、信太がぶつかった。
信太に非はない。
だが、俺は気が動転していた。
すると信太、ぶつかった直後だというのに、笑っていた。
「圭、大丈夫だからさ。落ち着いて。」
相変わらず、情けない俺。
それでも、こんな俺でも必要としてくれるーー。
そんな信太を手放す事は、決して出来ない。
まずは心配だったので、救急車へ通報。
加害者の車は、突然やって来た白猫が、ボンネットの上に乗って足止めしてくれていた。
病院で検査。
軽傷だった。
良かった。
本当に、良かった。

夏。
俺達二人は、本当に正社員になってしまった。
本来ならば驚くべき事だが、ミミがいたから、信じられた。
『二人共、助け合って頑張るのよ!また遊びに来るわ。それじゃ!』
ミミの声が聞こえた。

俺達は、こうして二人手を取って、共に歩んで行く。
やっと掴んだ喜び。
手放す訳にはいかない。
空は、どこまでも抜けるように青くて、見ていて不安になる。
まるでちっぽけな俺達を見下ろしているかのようで。
それでも、俺達には絆があるから、大丈夫。
そう信じられたから、俺は信太の手を離さない。
幸せのページが、また一枚めくられたかのような午後。
今日は休みだ。
この空の下で、これからの未来に思いを馳せながら、前へと進んで行く。
その覚悟を、決めた。
俺達にはきっと、明るい未来が待っているーー。
だから俺達は今、心から幸せだ、そう胸を張って言えるのだと思う。
二人でなら生きて行ける、そう心から思えた夏の日の午後の事だった。

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三毛猫と白猫 [其ノ伍・番外編]

「さ、行こう。駆け落ちみたいだけど。」
その時、君の目が輝いた。
僕が取り戻したのは、君のハートだった。
使ったのは、精一杯の笑顔。
失くした時間は、三年間。
もう一度、やり直せるか。
勝負だ!

[Part 1 : 語り・信太]

高校の卒業式。
卒業証書を受け取った僕は、隙を突いて圭の元へと駆け寄る。
このまま、駆け落ち同然で上京するつもりだった。
親や先生の目を潜り抜けて、一目散に二人の実家へーー。
それは、荷物を取りに行く為だった。
が、留守番の者の抵抗に遭い、持ち出せたのは二人の財布だけ。
圭の祖父母なんて、見境なしに文庫本を投げ付けてきた。
どうかしている。
でも、それでも良い、そう思った。
二人でなら何とかなる、そう信じていたからだ。
連れ戻されないためにも、駅まで必死に自転車を漕いだ。
何故だか、気分は高揚していた。
三年間、変わらず待っていてくれた事への、心からの感謝。
涙で視界が歪む。
でもそんな悠長な事も言っていられない。
車で連れ戻しに来るかも知れなかったからだ。
僕達は、途中小道や路地も使いながら、駅まで急いだ。
昨晩読んだ時刻表によると、もうすぐ上り列車が到着する。
どうにか、間に合った。
改札を抜けて電車に飛び乗る。
これで圭と、また一緒に居られる。
せっかく受かった大学はこれで棒に振るだろうが。
それで、良かった。
ポーカーフェイスを保とうとしたが、無駄だった。
とめどなく溢れ出る笑顔。
それを見た圭もまた、喜色満面だった。

電車を乗り継いで、東京へ。
次第に圭の表情が固くなってゆく。
気持ちは分かる。
何せ、失敗するわけには行かない。
後がないのだ。
東京に着く頃には、あれだけ話していた僕達は、無言になっていた。
そして、新宿駅東口前ーー。
僕達は、三年ぶりに抱き締め合った。
言葉は、要らなかった。
ただ無言で、嗚咽を漏らしていた。
やがて僕が泣き止んでも、圭は泣くのを止めない。
可愛いな、そんな事を思いながら、圭の手を引き、東口を後にするのだった。

そして、とりあえずの寝床を探しに、街をふらつく。
程なくして、一軒のネットカフェが視界に入った。
今夜は、ここで良いだろう。
とは言っても、まだ夕方前。
だが、やむを得ない。
時間は早いが、疲れていたのだ。
精神的にやられている。
肉体以上に。
会員証を作り、コースを選んで、ブースのカードキーを受け取る。
料金はちょっと高いが、仕方ない。
エレベーターで移動し、ブースの中に入る。
デブ二人にはちょっと狭いが、今の僕達には、この位の距離感が丁度良い。
横になると、自然と睡魔が襲う。
手を繋いで。
夢見心地で、意識が消えるーー。

ーーブー。ブー。
携帯の着信を示すバイブ音が響く。
圭の携帯だ。
圭は慌てて目を覚ますと、着信をしてスピーカーフォンに切り替える。
電話口の相手は、言いたい事を言っていた。
僕は母親の所有物だったらしい。
人の人生を何だと思っているのか。
腹立たしさだけが、最後まで残った。

[Part 2 : 語り・語り部]

場所は奥多摩。
三毛猫と白猫が多く棲む洞穴。
「ねぇミミ。あなたがお世話になった人のね。お友達とその恋人さんが今、ピンチらしいよ。」
「そうそう。圭さんと信太さん、だったはず。確か。」
「助けてあげたら。偽装結婚の危機らしいよ。」
白猫三匹が次々とミミに話し掛ける。
「そうね。圭さんのお友達には、私随分とお世話になったの。恩返ししなくちゃ。あの子達が行きそうな場所を教えて頂戴。すぐに向かうわ。」
ここでミミと同じく特殊な能力を持つ三毛の野良のモモが言う。
「いざとなったら私を呼んで!飛んで行くわ。」
「静養中なのに……。有難う、モモ!でも大丈夫。意地でも助けるわ、あの二人。遠くから見ているだけで、ジンとくるのよ。」
「気を付けてねー!ミミー!」
「モモ、ララ、留守をお願いね。みんなの面倒、大変だろうけどよろしくね!」

ミミは辺りを警戒しながら洞穴を出ると、一目散に駆け出した。
まずは大通りへと向かう。
「偽装結婚だなんて、良くないわ。何とかしなくちゃ。」
焦るミミ。
大通りに出ると、ミミは大型トラックやバスの運転手達に呼び掛けた。
ミミはこれまでに何百人もの大型トラックやバスの運転手達の願いを叶えてきた。
早速反応がある。
とある大型トラックの運転手が、ミミの願いを聞いてくれたのだ。
白猫によると、圭と信太は、新宿の歌舞伎町沿いの大通りを明日辺りに通るらしい。
大型トラックの運転手は、丁度東京方面に向かうらしく、ついでに新宿近辺まで運んでくれるという。
車内で。
「お久し振りね、康孝さん。奥さんと息子さんは、元気?」
「おぅ。お陰様でな。元気過ぎて困る位だ。」
康孝は声を上げて笑った。
康孝の息子は、今年で一歳。
本来ならば、生まれて来る筈のない子供だった。
康孝の妻は路上の小石に躓いて転倒、息子を流産する筈だった。
その危機を救ったのがミミだったのだ。
リストラに遭った康孝の次の仕事を決めたのも、ミミだった。
そのようにして築かれたミミと康孝の絆は、容易には壊れない。
ミミは何百人もの運転手達と、そうした固い絆を築いてきたのだ。
その数は、これからもどんどん増えて行く事だろう。
ミミはまだ若い。
時間はたっぷりあるのだ。

[Part 3 : 語り・語り部]

その昔。
日本列島に隕石が落下した。
その隕石には特殊な性質が備わっていて、黒秘岩と呼ばれるものだった。
隕石は六ヶ所に落ちた。
道東、宮城、奥多摩、奈良、徳島、鹿児島だ。
三毛猫と白猫は、その毛の色から黒秘岩の力の影響を受けやすかった。
喋る猫に三毛猫と白猫が多いのは、その為だ。
喋る猫は、未来も予知出来るし、テレパシーも使える。
また、黒秘岩は一部の三毛猫に、人の願い事を叶える力を与えた。
その力を持った三毛猫は、全国に常時三十匹程居て、その半分程が全国を転々としている。
残りの半分は、静養しながら、特殊な能力を持たない三毛猫や白猫達の面倒を見るのだ。
特殊な能力の持ち主として選ばれるのは、健康で若く心の綺麗なメスの三毛猫。
黒秘岩は別に生きている訳ではない。
しかし、選ばれる三毛猫は大体、そう相場が決まっている。
旅を終えた三毛猫は、次の旅に備えて休養をする。
ミミが今回故郷の奥多摩に居たのも、その為だ。
特殊な能力を持った三毛猫のサポート役となるのは、残りの三毛猫と、白猫達。
彼らの活躍も、三毛猫の旅には欠かせない。

旅から戻って待機する三毛猫と白猫は、大体が生まれた洞穴の中に居る。
もちろん、喋ろうがどうしようが、霞を食べて生きて行ける訳ではない。
なので、旅から帰った三毛猫の内、特殊な能力を持って居るものが、餌を恵んで貰い、皆に分ける。
願い事を叶えてあげた人間達に、お願いをするのだ。
それで足りない分は、森の恵みを拝借する。
そこでも、三毛猫の特殊な能力は存分に発揮される。
「モモちゃん、そこにトカゲが居るわ。お腹を空かせたララちゃんに分けてあげて!」
「承知したわ!」
「モモちゃん、そこに小鳥!」
「待ってて!」
特殊な能力で森の小動物を続々と捕獲するのだ。

黒秘岩の力の影響を受けるのは、基本的にはメス猫である。
従って、繁殖は外部の猫との間で行われる。
黒秘岩の力は遺伝しない。
ただ、傍で暮らしていれば自然と影響を受ける。

そして皆、人間と仲良しだ。
人間には悪い面も沢山あるが、良い面もある事を、三毛猫や白猫達は知っている。
今日も、圭と信太の恋路を、奥多摩の三毛猫と白猫達が揃って応援していた。
その力は、確かに二人には届いていた筈だ。

[Part 4 : 語り・信太]

上京二日目。
二人で歌舞伎町を歩いていたら、喋る猫のミミと出会った。
それから、事態が大きく動き出す。
何といっても大きかったのは、ミミの力で仕事が決まった事だ。
期間工だったが、所持金が残り少なかっただけに、有難い。
それからも、仕事では数え切れない程、助けられた。
何しろ、作業の手順やコツを、逐一教えてくれたのだ。
これは本当に有り難かった。

圭とは、以前にも増して仲良くなった。
三年間の空白を、埋めて余りある幸せーー。
圭への消し難い愛情と共に、それを感じてならないのだった。

想い出は、沢山出来た。
圭はスキーもスノボも上手い。
で、スキーの方が取っ付き易いだろうという事で、度々誘われるのだが。
これがちっとも上達しない。
いつまでもボーゲン。
恥ずかしい。
「また随分とへっぴり腰だな、ボンレスハム。」
「うるさいょ。」
だけど、風を切って滑っていると、寒いけれども心地良い。
リフトの乗り降りに慣れないのは、ご愛嬌。
「危ない!落ちるぞチャーシュー!」
「あーあー!」
実の所、圭にチャーシューだとかボンレスハムだとか言われるのは、とても嬉しい。
昔に戻れた気がするから。
だって圭はデブ専だし。

春になると、花見をした。
ちょっとお酒も混じって、良い感じ。
普段飲むのは発泡酒だけど、花見にはビールをおごる。
料理は僕の担当。
チャーシューとかボンレスハムとか言われているのは、伊達じゃない。
重箱に色とりどりのお惣菜を詰めるのは、楽しい時間。
圭の顔がお酒で紅く染まるのを見ていると、僕の胸はポッと温かくなる。
「ねぇ、圭。今夜、抱いてよ。」
「おぉボンレスハム!今するか、ここで。」
「酔ってるでしょ!馬鹿!」

夏には、良く海に行った。
二人とも泳ぎは得意なので、波に乗ったり、泳いだり。
時折休憩してかき氷を食べるのだけど、移動中、砂浜が熱くて敵わない。
照り付ける陽射しの下で、二人並んで。
寝そべっているだけで、嬉しかった。
こんがりチャーシュー二本の、出来上がり。

秋。
紅葉の季節。
ハイキングや紅葉狩りに出掛けた。
アウトドアウェアを着込んで、時には湿原にまで足を伸ばした。
「この板張りの通路、僕達ボンレスハムが歩いているのに良く壊れないね。」
「まぁ、丈夫に出来てるんだろうな。ジャンプしてみようか?」
「やめれ(笑)」

四季折々の、想い出。
一つ残らず、心に刻み付けたい。
確かに、そう思った。

やがて僕達は正社員になった。
仕事は忙しくなったが、遣り甲斐はある。
正に汗水垂らして、実直に働き通した。

仕事が忙しくても、欠かさなかった事がある。
それは二人の想い出作りだ。
次の冬には、遂にボーゲンを卒業した。
二十回目の奇跡。
感無量だ。
「凄いじゃんか!チャーシューの割には。」
「ねー。ホテルに戻ったら、パーティーしようょ!」
「食材は要らないな。自分たちの腹の肉を喰らえば良いんだし。」
「何言ってんの。馬鹿じゃないのー!」
大笑いだ。

春。
月日の経つのは早いもの。
限られた時間、大切に遣わなければ。
という訳で、休みを使って、生まれて初めてテーマパークに行った。
かねて、行ってみたいと思っていたのだ。
二人共。
しかし、何というか、完全にお上りさん。
人が多過ぎて辟易。
昨日まではあんなに楽しみにしていたのに。
正に全人口、みたいな。
渋谷より酷い混雑は、二人共初めてだったのだ。
落ち込むのも無理もない。
軽食を食べるのに三十分待ち。
アトラクションは二時間半待ち。
「おぃボンレスハム、これは幾ら何でも待ち過ぎだろう。」
見ると圭の頰はトラフグのようにぷっくりしていた。
前にも書いたが、チャーシューだとかボンレスハムだとか呼ばれるのは、結構好きだ。
中学時代に戻れた気がして、嬉しいのだ。
しかし、この行列。
どうにもならない。
分かっていながらもなだめる僕。
「辛抱だよ!来たからには元を取らないと!頑張ろう!」
辛うじて圭の瞳に笑顔が戻った。
で。
結局。
もう来ない、これが二人の出した結論だった。
でも、アトラクションは楽しかった。
目に焼き付けよう。
二度と来ないだけに、しっかりと。
まぁ二人揃って人混みは苦手だから、仕方ないのだ。
今日来たのも、一度位は、という程度の事だったので。

夏。
週末になると良く民宿に泊まりに行った。
一泊二日で。
海水浴にスイカ割り。
楽しいのだが、スイカ割り、上手く行った試しがない。
「下手だなぁ、ボンレスハム。」
「自分だってチャーシューの癖に!人の事言えないし。」
「でもこういうの、好きなんだろ、マニアックだな。」
「もしかして圭は、こういう身体は嫌いな訳?」
思わず、涙ぐんでしまった。
恥ずかしい。
と、不意に。
頰にフレンチキス。
耳元で囁く、愛の言葉。
その場で蕩けそうになった。
ずるいよなぁ。
でも、そんな圭が大好きだ。

秋。
この話のラスト。
圭の両親は相変わらず自分の息子を義絶していた。
だが、僕の母親は変わってくれた。
セミナーに行ったり、専門家にアドバイスを受けたり、文献を読み漁ったり。
そうした中で、僕の父親までもが、考えを変えてくれた。

僕の両親の勧めで、僕達二人は養子縁組をする事になった。
多分、最初で最後のチャンスだ。
大切に、大切にして行きたい。

そうそう。
寮を出て二人暮らしも始めた。
まだ真新しい2DKのアパートで。
今までにない程の、賑やかな日常。
「雨だ、チャーシュー!洗濯物を取り込め。俺は部屋の掃除で手が離せない。」
「あいあいさー。」
「次は夕食作り、頼むな。俺は風呂掃除をするから。」
「りょーかいっ!ボンレスハム!」
小さな頃から夢見て来た日常が、そこにはあった。
ただひたすらに、嬉しい日々だった。

僕達はこれから先も、手を取り合って生きて行く。
空を見上げると、どこまでも高い秋空の下で、ちっぽけな自分が不安になる。
でも隣には、圭が居てくれるからーー。
だから、怖くない、きっと。
少なくともそう思いたくて、圭にいきなり抱き付いた。
笑顔だった。
嬉しかった。
僕達は、幸せだった。
僕達の温かな日常は、まだ始まったばかりだ。

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三毛猫と白猫 [其ノ肆・番外編]

ぼくの名前は五一。
今は、中学三年生。
入学式の帰り道で出会った恭吾くんとは、今でも大の仲良しだ。
もちろん、付き合っている。
学校では相変わらず、空気のような透明な存在だ。
ただ、無視されてはいない。
こちらから尋ねれば事務的な回答は返してくれる。
眉一つ動かさずに。
向こうからのアクションは一切ないが、独りではないので平気だ。
恭吾くんも、聡くんも居る。
これもナナちゃんのお陰だ。
感謝している。

今年はいよいよ受験の年。
お母さんからも「大学はいいから、高校位は出ておけると良いわね。」と言われている。
成績が良くないので定時制高校でもいいか、とも思ったが。
やっぱり恭吾くんと一緒がいい。
だから今年は、勉強を頑張る事にした。
最近は調子が良いので、国語と社会は今のままで大丈夫。
理科と英語も、少しながら上向きだ。
一番の問題はやはり数学。
猛勉強しないと。
お小遣いで参考書を買って、勉強するのだ。
恭吾くんも一緒にやりたいというので、二人で本屋にGo!
今は日曜日のお昼前。
うってつけの時間だ。
勉強する時間はたっぷりある。

二人で玄関まで降りると、お母さんが花を生けていた。
「あら、出掛けるの?もうすぐお昼ご飯よ。」
「近所の本屋に数学の参考書を買いに行くだけだよ。すぐ戻る。」
何処か気の抜けた恭吾くんの返事。
対照的にお母さんは何故だか嬉しそう。
それだけ普段勉強していない、と思われているらしい。
まぁ図星だけどね。
「待ってて!今お金持ってくるわ!」
思いがけない展開。
お母さん、声が弾んでいた。
お小遣いは遣わなくて済むらしい。
戻るまでの間、恭吾くんに質問をぶつけてみる。
「ねぇ恭吾くん、ナナちゃんとはどんな感じで出会ったの?」
「ぼく、何年か前に近所の路上でナナを見つけてさ。毛並みも良くなかったし、冬だったから寒さで震えてた。元気になるまで、っていう母さんとの約束で、家でナナの世話をしてたんだ。そしたらすっかり友達になっちゃって。聞くと一時的に力を失くしていて、静養が必要だって。元気になるまで、結構頑張って面倒を見たんだょ。そのお陰で、元気になった時に、願い事を三つ叶えてくれたんだ。知ってるとは思うけど。五一くんと結ばれますように。五一くんと末永く共に居られますように。学校や家での生活が何事もなく上手く行きますように。この三つ。どうも母さん、本当は心筋梗塞で亡くなる運命だったみたいで。それを変えるのに相当力を使ったらしいょ。だから他の二つの願いを叶えるのは、だいぶ後回しになったんだ。ナナにも静養が必要だからね。」
そんな会話をしている内に、お母さんがお金を持って戻って来た。
「はい、一人三千円ずつね。余った分は臨時のお小遣い。いってらっしゃ〜い!」
お母さん、ご機嫌だ。
「いってきまーす!」
手を繋いで、家の外へ。
桜並木が綺麗だ。
しばし、無言でそぞろ歩く。
と、そこへ。
「痛っ!」
恭吾くんの額に小石が当たる。
見回すと、幼稚園児位の子供が、してやったりの表情を浮かべていた。
小さな子供相手では、怒る訳にもいかない。
そそくさとその場を立ち去る。
ーーのだが。
「逃げんな。コラ!」
大声と共に小石が次々と飛んで来る。
これはとんでもない。
逃げるしか。
「痛っ!痛っ!」

気が付くと、本屋の前に居た。
ちょうど良かった。
何せあの勢いだ。
反対方向へと逃げていたかも知れない。
危うく遠回りをする所だった。
まぁ少しは良い事もないとね。
店内にて、しばし物色。
いつもの恭吾くんならすぐに雑誌コーナーへと行く所だけれど。
今日は別。
受験の運命が掛かっているのだ。
「取り敢えず、簡単なのから始めてみようか。物足りなくなったら、今日の残りで買えば良いし。」
恭吾くんの意見。
決まり。
ぼくも賛成。
揃って帰宅。
あの子供に遭わなくて良かった。
「ただいまー。」
「ただいまです。」
帰宅の挨拶、忘れずに。
「あら二人共お帰りなさい。荷物を置いたら先にお昼ご飯になさいな。」
「はーい!」
ここはユニゾンで。

待ちに待ったお昼ご飯。
ダイニングで待つぼくたち二人。
今日のお昼はチャーシューメンに炒飯、餃子に回鍋肉。
デザートは丸福堂の羊羹だ。
「さぁ、みんな揃ったら頂くわよ。パパ、早くいらして!」
「やぁ、すまんすまん。居眠りしていた。」
居眠り、良くある光景。
普段仕事で忙しいだけに居眠り位は、と言いそうになる。
が。
目の前にあるのはラーメンなのである。
やはり伸びる前に食べたい。
「頂きまーす!」
微妙にズレる声。
ユニゾンならず。
四人は難しい。
実感。
ところで。
お母さんのラーメンは、チャーシューが美味しい。
伊達に手間暇掛けていない。
元々お母さんは料理上手だ。
美味しくない訳がないのだ。
さて、みんな完食。
デザートを除いて。
「ご馳走さまでしたー!」
今度は揃った。
奇跡のユニゾン。
凄い。
で、銀座丸福堂謹製高級羊羹、登場。
うやうやしく桐箱に入っているのである。
値段は秘密だそうで。
幾らするのだろうか?
「ごいっちゃん、羊羹美味しそぅだねー!」
「うん!でもあれ、すごく高そうじゃない?」
「らしいねー。ねぇ母さん、いい加減教えてよ。この羊羹幾らさ。」
「高かったのょー。お値段の事を考えると美味しくなくなるから、気にせずに食べましょう。」
肩透かしにあった恭吾くん。
でも本当に、値段なんてどうでも良い。
この羊羹、美味しいのだ。
「美味この上ないから、値段の事なんてどうでも良くなっちゃった。」
恭吾くんも同意見らしいので、頷くぼく。
「さ、歯を磨いたら早速二人でお勉強するといいわよ。鉄は熱いうちに打て、って言うし。」
ウインクをするお母さん。
ぼくと恭吾くんは噎せてしまった。

「ね、ごいっちゃん。ぜーったい、おんなじ高校へ行こうね!」
「うん!頑張るから、約束するから!だから、大丈夫!」
この日から約十ヶ月間に亘って、週末を丸々数学の勉強に費やす事にした。
平日の夜は英語と理科の勉強がメインだ。
効果は徐々に上がっていた。
テストの度に点数が上がっていったのだ。
一人ではこうはいかなかっただろう。
恭吾くんと助け合いながらだから、辛くないのだと思う。
これも一種の共同作業だからさ。
楽しまなくっちゃ、ね!
という訳で、聡くんとは放課後や休日には疎遠になった。
けれども、学校では相変わらずの仲の良さだ。
聡くんはぼくや恭吾くんが通う学校に進学したいらしい。
でもそうなると、実力よりもだいぶ低い偏差値の高校に進学する事になる。
聡くんは、ぼくたちよりも頭が良いのだ。
でも、高校と言えば新天地だ。
三人居れば心強い。
それは確かだ。
春風に乗って、ぼくたちの心は未来へと向かう。
それが為の、より高く舞う為の、勉強なのだ。
こんな春もたまにはいいーー。
来春、恭吾くんや聡くんと同じ高校に通う為にも、頑張ろう、そう思った。
未来は明るい。
確かに、そう信じられたからーー。

その後、夏休み前。
三者面談で。
ぼくは言われた。
恭吾くんと同じ高校に進むのは、少し難しいと。
分かってはいた。
けれども、認めたくはなかった。
だから担任の唐沢先生に、詰め寄った。
「どうしても行きたいんです!行くんです!」
隣でお母さんが目を丸くしている。
「この子がここまでハッキリと自己主張をするなんて、ない事です。私はこの子の意志を尊重してあげたい。」
援護射撃だ。
流石はお母さん。
唐沢先生は苦々しい表情。
「試験までにはまだ日があります。五一くんの頑張りに期待するという事で。滑り止めは公立のこの辺りでよろしいですね。」
これにて三者面談終了。
これで決定。
夏なのに遊べない。
恭吾くんとお出掛けしたかった。
気分はお葬式。
それからというもの、意地になって勉強した。
脇目も振らずに。
恭吾くんが先に寝てしまっても、それでも続けるぼく。
そして、夏休み。
本当に一日中、勉強していた。
恭吾くんが勉強に疲れて漫画を読み始めても、お構いなしだ。
怠惰なぼくの一体何処から、こんな集中力が出て来るのだろうか。
不思議な位だった。
恭吾くんと一緒に居たいーー。
その想いが、ぼくを突き動かしていた。

チーン。
腹時計が、三時を指した。
勉強の合間の、おやつの時間。
ぼくと恭吾くんにとっては、大切な時間だ。
「今日のおやつは、素麺とアイスよー!」
この家に来てから、こういった事が多い。
どうもざる蕎麦や素麺はこの家の人たちにとっては、おやつであるらしい。
「素麺、楽しみだねー!」
「うん!」
この家は、食いしん坊のぼくのお腹には、とっても優しい。
「お庭で流し素麺というのも考えたんだけれど、暑いじゃない?中で食べた方が良いと思って。」
お母さんの意見に、ぼくも賛成だ。
わざわざ外で食べる意味がない。
さて。
テーブルに鎮座するのは、大量の素麺。
お父さんは仕事なので、これを三人で食べるのだ。
優に一キロは超えている。
しかし素麺である。
つるつるつるつる、あっという間に入って行くのだ。
ものの十分でなくなった。
腹六分目。
良い感じ。
お次はアイス。
これは普通だ。
ただのカップアイス。
でも美味しい。
横には可愛らしい恭吾くんの笑顔。
幸せだなぁ。

秋。新学期。
実力テスト。
結果は上々。
夏休みのお陰だ。
担任の唐沢先生からも、太鼓判。
もう一踏ん張りだ。
油断は禁物。
この頃、恭吾くんの機嫌が頗る良い。
「ごいっちゃん、頑張ってるねー!これでおんなじ高校に行けそうだね!やったね!」
ハイタッチだ。
ちなみに恭吾くんとぼくが希望する進学先は、私立の男子校。
制服がないらしい。
偏差値が低めの高校としては、珍しいかも知れない。
常々制服を窮屈だと思っていたぼくたちには、うってつけの高校だ。

十月のある日。
ぼくたちはお母さんと三人で、希望する進学先の学校見学に参加した。
まずは眠たい話を聞いて。
いよいよ校舎案内。
まずびっくりしたのは、図書棟が大きい事だ。
これはもう、街の図書館だ。
体育館も大きい。
グラウンドも広々。
マンモス校なので、教室も一杯。
見ているだけで、お腹も一杯。
でも。
ますますやる気が湧いて来た。
「ごいっちゃん、頑張ってね!」
お母さんのウインク。
何度見ても面白い。
美人さんなんだけど。
何でだろう?
しかし、それはともかく。
安くない学費を出してくれる事になったのだ。
それも二つ返事で。
感謝して、頑張らねば。

冬。
年末年始は、追い込みも佳境だ。
普段の年なら、お父さんの親戚の家に泊まりに行くのだけれど。
今年は受験なので、パス。
みんなで、家で年越し。
大晦日も勉強。
実の所、ぼくと恭吾くんは二人共、安全圏に入っていたのだが。
油断は禁物なのだ。
それでも、紅白歌合戦は観るのが流儀。
年越し蕎麦を食べながらだ。
「恭吾、五一。同じ高校、行けると良いな。」
「うん!もちろん!」
「頑張ります!」
お父さんの励ましが、温かい。

年を越して、新学期。
追い込みとばかりに、勉強に励むぼくたち。
二人だから。
寂しくはない。
色々と、発見があり、コツも覚えた。
これは進学先でも役に立つ事だろう。
しかし、追い込み過ぎたのかも知れない。
受験の前々日になって、熱を出したのだ。
ぼくと恭吾くんはマスクをしている。
恭吾くんに移らないようにする為だ。
「ごいっちゃん、頑張れ!」
恭吾くん、泣いていた。
貰い泣きする、ぼく。
そこへお母さんがやって来た。
「お薬ももらったし、明日の夜には下がるわよ。大丈夫。玉子粥、持って来たわよ。起きられる?」
「はい、ありがとうございます!」
「恭吾、あなたは今晩、一階で寝なさい。」
「嫌だ!ぼくたちは運命共同体なんだ!」
「それもそうね。なるようになるわよ。ごいっちゃんにお粥食べさせてあげてね。」
「はーい!」

お粥、量はかなり多かったのだが、完食。
こんな時にも食いしん坊の血が騒ぐのだ。
「大丈夫!ごいっちゃんなら、絶対に受かるよ!頑張ってたもん。」
恭吾くんの言葉が、温かい。

夜。
手を繋いで眠る僕たち。
久々だ。
早く治ると良いな。
それだけを考えていたーー。

翌朝。
熱が下がっていた。
願いが通じたのだろうか。
素直に、嬉しかった。
と、そこへ。
窓際にナナの姿が。
慌てて窓を開ける恭吾くん。
「五一さんの熱は私が下げておいたわ。恭吾さんには散々お世話になったから、これはそのお礼。」
「ナナ、すまない!」
「ナナちゃん、有難う!」
「明日の試験は心配しないで。私には見えるの。実力を出し切る事よ。頑張って!じゃ、また来るわね。」
温かな励まし。
ナナちゃんのお陰で、すっかり緊張も解けた。
ジタバタしてもしょうがない。
今夜はゆっくり休もう。
とはいえ、まだ朝だ。
朝食を食べたら、また勉強だ。
「母さんおはよ!ごいっちゃん、熱下がったよ!良かったょ〜。」
「これで明日の試験もバッチリね。良かったわ!今朝は珍しく豚汁を作ってみたの。後はカツ丼と、シャケの塩焼きに、湯豆腐。一杯食べて、元気出してね!」
豚汁の器は、ラーメン丼。
これがこの家の流儀。
もうすっかり慣れた。
「頂きまーす!」
病み上がりだが、美味いものは美味い。
ましてや、昨日は一日お粥だったのだ。
格別である。
「ご馳走さまでした!」
この日は試験前日。
なので、学校は休んだ。
二人共、風邪を引いてもいけないし。
これから、昼食とおやつを挟んで夕方までは、第一志望の試験科目の総ざらいだ。
第一志望は私立校なので、今日さらうのは英語・国語・数学の三科目。
結局今日もいつもの休みと同じ。
夕方まで、ずっと二人で勉強だ。
ちなみに、お昼は鍋焼きうどんとビーフカレー。
おやつは麻婆麺だった。
夕食は鰻。
精が付くようにとの、お母さんの真心。
もちろん、食べ終えたらすぐに寝るのだ。

翌朝。
運命の日。
天気には恵まれた。
試験会場までは、お母さんが車で送ってくれる。
「上手く行くと良いね!」
「大丈夫だょ、ごいっちゃんなら!」
そして。
到着。
「それじゃ。また後で迎えに来るから!頑張るのよ、二人共!」
お母さんの声援が有難い。
「行こう、ごいっちゃん。」
「うん。」
緊張する。
そんな時は、深呼吸だ。
すると恭吾くん、親指を立てた。
だからぼくも。
この絆は、壊せない。
だからーー頑張る!

試験は、思いの外簡単だった。
そう思えたのは、これまでの努力の成果なのだろう。
そして、合格発表の日。
お母さんと恭吾くんとぼくの三人で。
掲示板を見て番号を探すのだ。
「恭吾、ごいっちゃん!二人の分、あったわよ!」
「え、何処何処!?」
「あ、ほんとだ!」
「ごいっちゃん、ハイタッチ!」
「いぇーい!」
喜びのあまり、ハイタッチをするぼくたち二人。
その様子をお母さんは、とても嬉しそうに眺めていた。
聡くんはどうしたって?
もちろん受かったのだ。
同じ高校に。
これでこれからも、三人一緒につるめる。

時は流れ、中学の卒業式。
思えば色々あった。
カナヅチだったぼくが泳げるようになったのは、恭吾くんの特訓のお陰だ。
休みの日に聡くんの誘いで、三人で新宿二丁目を冷やかした事もあった。
遠かったなぁ。
英語の先生に初めて褒められた時は、それはもう嬉しかった。
走馬燈のように、様々な記憶が蘇る。
卒業証書を受け取って、感無量。
いよいよ涙が止まらない。
この人たちに出会っていなければ、ぼくはここには居なかったーー。

壇上で証書片手に泣き崩れるぼく。
すかさず恭吾くんが飛んで来た。
「さ、ごいっちゃん。掴まって。」
差し伸べられた手を握る。
恭吾くんと付き合っていて良かった、心からそう思った。

これからもぼくたちは、助け合いながら生きて行く。
繋いだ手は決して離さない。
その覚悟は出来ているからーー。
今のぼくたちには幸せが似合うんだと、本当にそう思う。
これからも、ずっと、一緒ーー。
そんな思いを胸に、ぼくたちは未来へと羽ばたいて行く。
よく晴れた、春の日の事だった。

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三毛猫と白猫 [其ノ肆]

これは、野良猫ナナと少年たちとが紡ぐ優しい物語である。
孤独の底にあった五一。
彼を救ったのは、野良猫ナナと恭吾一家の真心だったーー。
ここに描かれるのは、恭吾と五一のごく短い、心温まる青春譚である。

[序章]

五一が生まれた日。
それは晴れ渡る空が気持ちの良い、五月一日であった。
五一とは、この日付から取られた名である。
長男であった。
両親には、それはそれは可愛がられた。
それがガラリと変わるのは、五歳の時の事。
偶然行われた血液検査で、実子ではないと判明したのだ。
両親の受けた衝撃は、巨大だった。
母は精神的ダメージで、自律神経がおかしくなった。
父も癇癪を起こすようになった。
実子を取り違えられた両家は、話し合いの場を持つのだが。
意見はすれ違い、ヒートアップ。
双方取り乱すばかりであった。
結局は、より押しの強かった相手方の主張が容れられる事に。
実子交換はしないという結論だ。
もちろん、子供たちの事を考えての結論であった。
だが、五一の両親は納得が行かない。
他人の子供を育てる気など、サラサラないのだ。
そこへ、五一にとっては更なる悲劇が!
何と、両親の間に実子が誕生したのである。
両親は実子ばかりを可愛がった。
実子は男の子であったから、両親にとっては新たな長男だ。
両親は、五一を殺すつもりはなかった。
だが、死んでくれてもいいーーそれ位には思っていた。
そんな中で、どちらからともなく自然と虐待をするようになっていった。
五一は逃げられなかった。
相手は、大人二人掛かりである。
敵わないのだ。
次第に弱ってゆく五一。
自殺をするのも、時間の問題に思われたーー。

そんなある日。
暴行を加える両親から逃げ出して、街をふらつく五一。
道の片隅で丸くなる野良の三毛猫を見つけた。
しゃがんでみる。
するとーー。
「こんにちは、はじめまして!三毛の野良のナナです。こう見えても一応はレディ。よろしくね!」
三毛猫が、喋った。
五一は腰を抜かした。
幻聴に違いない、自分もいよいよ終わりか、そう思った。
だが、よくよく聞いてみると、そうでもないらしい。

「私は人々の願いを叶えながら全国を回っているの。私、中学であなたと同級となる恭吾さんのお友達なの。恭吾さん、あなたと仲良くなりたくて仕方ないみたい。だから私、ここに来たの。三つだけ、願い事を叶えてあげるわね。億万長者になりたいだとか、そういうのは駄目。考えて。」
しばし黙考する五一。
喋る猫の言う事である。
信用したのだ。

恭吾の名前を、五一は知っていた。
この辺りでは有名なのだ。
腕っ節が強くて、身体が大きい。
一瞬だけ、その顔を見た記憶もある。
通りすがりでたまたま見掛けたのだ。
友達の子から恭吾と呼ばれていたから間違いなかった。
とても大きな身体と、優しそうな顔が印象に残っていた。
ポッと、五一の胸に灯が燈るーー。
初恋の、予感。

やがて口を開く五一。
「一つ目は、すぐに今の家を出られますように、って事。二つ目は、学校でうまくやっていけますようにって事。三つ目は、恭吾くんと仲良しになれますように、って事。お願い出来る?」

五一の初恋は、元々はもう少し遅れて訪れる筈であった。
本来ならば、まだ五一は恭吾には出会えない筈だったからである。
そして、結ばれないーー。
五一は、恭吾の想いも知らずに、自殺を遂げる運命であったからだ。
元々相思相愛だった二人。
ナナの力で、強く結び付こうとしているのであった。

で。
五一の言を聞くや否や。
「承知いたしましたわ。それ位なら、訳ない事よ。」
駆け出すナナ。
ぼんやりとその後ろ姿を見つめながらーー。
五一は、何故だか胸がキュンとするのを感じていた。
ようやく訪れた、これが幸せへの第一歩であった。

[一日目]

半月後。
今日は中学校の入学式。
帰り道、五一は独りで考え事をしていた。
入学式にも行かないつもりだった五一。
恭吾と出逢えるかも知れない、そんな想いが背中を押した。
でも緊張で、何が何やら分からず終いで終わってしまった。
恭吾にも、逢えなかった。
『あの猫の力も効かなかったみたいだな。これから、どうしよう……。』
苦悶する五一。
明日からの学校はどうしようか。
家に居たら居たで暴行を受けるだけ。
でも、学校で苛められるのも辛い。
やはり昼間は外で当てもなく過ごすしかーー。
そう考えてどんよりとする五一であった。

気が付くと、知らない道を歩いていた。
ここは何処なのか。
朝来た道とは違う。
戸惑う五一。
ナナの力が作用していた。

と、そこへーー。
一回り大きな身体の、同い年の少年が現れた。
恭吾だ。
力が強くて、五年程前から柔道をやっている。
町内では一目置かれる存在だ。
恭吾が、五一に声を掛ける。
「五一くん、初めまして!ぼく、恭吾です!」
五一は驚いた。
「恭吾くん、何でぼくの名前を知ってるの?」
「ずっと仲良くなりたかったんだ。」
恭吾は胸を張る。
自分が五一を守るーーそんな気概に溢れていた。
目の前の、五一の艶やかな漆黒の髪。
そっと触れると、恭吾は優しく撫で回す。
五一は、嬉しかった。
憧れだった恭吾の、知らなかった温もり。
それが今、まさにある。
五一は、酔い痴れていた。
不意に感情が昂って、涙が頬を伝う。
恭吾は、ずっとその様子を見ていた。
すると、五一をそっと胸に抱き寄せる。
「ずっと、ずっと待っていたんだよ。やっと逢えたね。良かった。ぼく、守るから。何処にも行かないから。だから、よろしくね!」
五一の目の前には、恭吾の飛び切りの笑顔があった。
「こちらこそ……。よろしく、ね。」
溜め息混じりで五一も応じる。
二人は笑顔でじゃれあっていた。

五年程前。
恭吾は、恋に堕ちていた。
相手は五一。
五一は気が弱くて力もなく、上級生のサンドバッグとなっていた。
程なくして不登校に。
それから二度と、小学校には現れなかった。
そんな五一を、恭吾は守れなかった。
悔しかった。
だから、柔道にのめり込んだ。
強くなって、いつか五一を守れるようにーー。
体格に恵まれていた恭吾。
持ち前の負けん気の強さもあって、メキメキと上達していった。
恭吾は、強くなった。
長い長い、道のりだった。
やっと、めぐり逢えたーー。

ふと恭吾の視界にナナの姿が飛び込む。
五一は気付いていない。
これも全部ナナのお陰、ナナが居なければーー。
『大丈夫よ。五一さん、元々恭吾さんの事が好きだったの。私は出逢うきっかけを作っただけ。自信を持って!』
恭吾は、改めて抱き締めた。
もう離さない、そんな風情だ。
五一もまた、離れ難いと思っていた。
ここに二人は、結ばれたのであった。

「ねぇ恭吾くん。名前はなんて呼んだらいい?ぼくの名前は、好きに呼んでくれたらいいよ。」
五一の声は微かに、湿り気を帯びていた。
対照的に、恭吾の声は弾んでいた。
「ぼくの名前は恭吾。そのまま恭吾って呼んでくれたらいいよ。五一くんの事はごいっちゃんって呼ぶね。これからずっと、仲良くしようねぇー。」
喜色満面の恭吾を前にして、不意にナナの顔が思い浮かぶ五一。
そんな五一にも、ナナは優しかった。
『大丈夫。これが本当の恋よ。いつか愛に変わるまで、大切にね!』
胸に響くナナの言葉。
二人の長い長い交際が、ここから始まるーー。

「ごいっちゃん。ぼくんちに行こうよ!良かったら今からでも、さ。」
恭吾は、五一の手を引いて連れて行こうとする。
「うん。ぼく、行く!」
五一も、安心しているのか流れに逆らわない。
もう二人の間には、ナナの力は要らない。
むしろナナは違った問題で、のちに苦戦する事となる。

それから何分かして、恭吾の家の前で。
緊張の色を隠せない五一の手を、恭吾が力強く引いた。
「大丈夫だよ、おいで!」
その笑顔で幾らか気が紛れた五一。
恭吾の後を不安定な足取りで付いてゆく。
恭吾が玄関扉を開けると、すぐに恭吾の母・芳子が出迎えた。
「お帰りなさい!後ろに居るのは、お友達ね。さ、上がって!」
芳子は、緊張で固まる五一を、笑顔で迎え入れた。
「ごいっちゃんって言うんだよ。これから毎日来るから、よろしく!」
五一の手を引いてドカドカと上がり込む恭吾。
芳子はこの日、いつにも増して上機嫌であった。
それはナナのお陰ではあった。
が、ナナの力がなくても五一は受け入れられていた筈だ。
芳子にとっての五一は、とても可愛らしい存在だったからである。
ただ、ナナの力がなければ五一はここに来る事はなかったーー。
それもまた、事実であった。
「ごいっちゃん。お飲み物は何がいいかしら?」
スタイルの良い芳子は、少し屈んで五一の顔を覗き込む。
芳子は背が高いので、屈まないと背の低い五一の表情を見る事は出来なかった。
「じゃあ紅茶で。甘いやつならなんでも。」
五一は緊張で少し震えていたが、芳子は気にも留めない。
「承知したわよ!恭吾はどうする?」
「ぼくもごいっちゃんと一緒で!」
笑顔で互いの顔を覗き込む二人。
「後でケーキとお紅茶持って行くから、お部屋で待ってて頂戴な。」
「はーい。ごいっちゃん、行くよ!」
恭吾は五一の手を引くと、階段を上がって自室へと向かうのであった。

恭吾の部屋に入る二人。
広さは、八畳程であろうか。
視界の真ん中には、大きめのベッドが鎮座する。
胸の鼓動が五月蝿い、そう感じていた五一。
恭吾は先にベッドに身を投げると、隣をポンポンと叩いて五一を促す。
「早くおいでよ!」
隣り合って、ベッドの縁に腰掛ける二人。
五一はくるりと部屋を見回す。
「何にもないよー!」
恭吾は五一の様子が可愛くて、思わずくすりと笑う。
「何にもないなんて事ないよ。ぼくの部屋にない物がいっぱい!それにぼく、他の子の部屋に入った事がないから、新鮮なんだ。」
五一は本棚の雑誌や漫画から、恭吾の好みを知ろうとしていた。

暫し無言の二人。
次第に、空気に緊張が帯びる。
するとーー。
恭吾が、五一の肩をそっと抱き寄せた。
嫌がらないのを確認。
そして、恭吾は口を開くーー。

ーーその時であった。
「入るわよ〜。お紅茶とケーキ、持って来たわよ〜。」
ご機嫌の芳子が鼻歌交じりで入って来たのだ。
ノックもせずに。
これには恭吾も腹を立てる。
「ノック位しろって!」
が。
芳子はまるで気にしていない様子。
「ごめんなさいね〜。二人共、仲良くね!」
ウインクをして、出て行った。
芳子は、二人の想いに感付いていた。
女の勘は鋭いのだ。
まぁ肩を抱いていた時点でもう、明らかなのだが。
もちろん、ノックし忘れた事に悪気はない。
要するに天然なのだ。
頭の中に、ノックという概念がないとも言える。
困るのは残された二人。
「実の母親にウインクされて、嬉しい訳ないじゃんか!」
「まぁまぁ。明るくて楽しいお母さんじゃない。ちょっと変わってるけど。」
場が白けたのか、二人は再び無言になる。
黙々とケーキを食べる二人。
一からムードの作り直しである。

それから何分かが経過してーー。
再び五一の肩を抱く恭吾。
五一はその瞬間、飛び切りの笑顔を見せた。
これで恭吾の箍が外れた。
恭吾は五一の唇を強引に奪うと、その身体を押し倒す。
だが次の瞬間、恭吾に理性が戻った。
五一は、恭吾の下で泣いていたのだ。
肩を震わせて。
恭吾は、まさに痛恨といった風情だ。
「ごいっちゃん、ごめん……。」
恭吾もまた、涙を零す。

その時だった。
五一は何と、恭吾の首に抱き付いて、キスをしたのだ。
これには恭吾も仰天した。
とはいえ、降って湧いたチャンス。
逃す訳にはいかない。
恭吾は力一杯、五一を抱き締める。
ここで五一、ギブアップ。
「恭吾くん、ちょっと痛ぃ。落ち着いて、ね。」
猪の恭吾、五一の言葉でようやく落ち着くのである。
「ぼくは何処にも行かないよ。安心していいょ。」
はにかんだ笑顔を見せる五一。
その表情が可愛くて、恭吾は今度は優しくそっと、キスをした。
笑顔になる二人。
ニコニコしながらじゃれ合う。
だが。
次の瞬間。
五一の首元に小さな痣を二つ見つけて、恭吾の顔が引きつった。
「ごいっちゃん。何も言わずに上だけ脱いで!お願い。大丈夫だから、さ。」
五一を労わりながらも、その瞳は曇っていた。
一方の五一だが。
どうせ何時かは脱ぐのである。
だから、覚悟を決めた。
無言で、上半身に纏う服の全てを脱ぎ去った。
「ごいっちゃん、これ……!?」
絶句する恭吾。
無理もない。
五一の上半身は、痣だらけであったのだ。
元々の素肌が綺麗なだけに、恭吾としては余計に辛い。
そして、自分には何が出来るかーー。
ーーその事を考えた時に、絶望するしかなかった。
相手は恐らく大人だ。
中学生では太刀打ち出来ない。
では、同じ大人ならーー。
恭吾は閃いた。
「ごいっちゃん、来て!」
恭吾に手を引かれて、上半身裸の五一は部屋を飛び出す。
階段を駆け下りると、芳子の居る居間へと直行した。

「母さん、これ、見て!」
恭吾はこの時、涙ぐんでいた。
この時の恭吾はまさに、一本の蜘蛛の糸を掴むような心境であった。
「ごいっちゃん、これ、どうしたの!?」
恭吾と似たようなリアクションを取る芳子。
早速、五一から事情を聞く。
「よし、分かったわ。後は母さんに任せなさい!」
芳子はそれだけ言うと、電話に向かってズンズンと進む。
当時は、連絡網というものが存在していた。
それを見て、五一の親に電話を掛けるのである。
開口一番。
「ちょっとあなた!五一くんの事、虐待してるでしょ!五一くんは家で面倒を見ます。さもなくば……。」
その時、電話口の向こう側から声が聞こえた。
それはただ一言、分かりました、というものであった。
こうして、恭吾と五一の共同生活はスタートするのである。
「ごいっちゃん、あなたは今日からこの家の家族になるの。一緒に住むのよ。」
そう言われて、ナナの顔を再び思い出す五一。
『幸せはすぐそこよ。頑張って!』
そんなナナの声が聞こえて、五一は心からの感謝をするのであった。
一方の恭吾といえば、ガッツポーズだ。
そんな恭吾を見て、くすりと笑う五一。
この時二人は、喜びを噛み締めていた。

「さぁ、恭吾、ごいっちゃん。出掛けるわよ。当座必要な荷物を、ごいっちゃんの家に取りに行くの。私の運転する車でね。」
「いぃけど、母さん運転荒いんだから、気を付けてよ。」
恭吾はクギを刺す。
芳子は運転も性格も、剛毅な所があった。
煽られても怯まない。
渋滞を作ってでも、制限速度は厳守。
実際の所は荒い訳ではなかったのだが。
煽る運転手に腹を立てる芳子の姿が、荒っぽく見えたのだ。
「あら、大丈夫よ。」
芳子は、そんな些細な事など気にも留めない。
こうして三人は、五一の案内でその自宅へと向かう。
着いたのは、古ぼけたマンション。
その二階が目的地である。
エレベーターはない。
階段で上がるのだ。
廊下の突き当たり。
インターホンを押す。
現れたのは中年の女。
目が死んでいる。
生活に疲れているのであろう。
少なくとも裕福そうには凡そ見えない出で立ち。
そう。
これが五一の育ての母・麻里子だ。
「何の用?」
如何にも鬱陶しそうに、それだけを尋ねる麻里子。
これに腹を立てた芳子、怒鳴る!
「あなた、子供を虐待しておいてその態度!どういう事!もう家のごいっちゃんには指一本触れさせないから。もしもあなたのせいで何かあった時には、覚悟おし!」
この剣幕にも怯まずに、むしろ気怠そうに麻里子は答える。
「この家、お金ないの。見て分からない?他人の子を育てる余裕なんてないのよ。どうせ荷物でしょ。さっさと運んで、帰って。」
この時、芳子は忍耐を強いられていた。
それに気付いた恭吾、母・芳子に一言。
「帰ったら、四人でパーティーしようぜ!」
「オッケーよ!すき焼きにしましょう!」
「よっしゃ!」
またもやガッツポーズの恭吾。
五一も笑顔だ。
白けたのだろう。
麻里子は奥の居間へと姿を消した。
五一の住んでいた家は、それなりに広かった。
3LDKである。
五一が五歳の頃に、越して来た。
麻里子とその夫は、五一とは共に寝たくなかった。
寝る時にまでその顔を見せられるのは苦痛だと、そう思っていたのだ。
だから、引っ越した。
他に引き取り手も居ない五一と共に住むには、それは必要な事であった。
もちろん、待望だった実子の事もある。
二人も子供が居たせいで、無理をして住んでいたのだ。
五一が居なくなれば、より狭くて安い物件に引っ越せる。
食費も光熱費も浮く。
この話は、まさに渡りに船であった。

中に入る。
空気が淀んでいる。
「早く荷物を積み込んで、さっさと帰りましょ!ごいっちゃん、部屋はどの扉?」
「右端です。」
扉を開ける。
そこには、何もなかった。
着古された普段着の数々は、押入れの中。
数少ない荷物も、押入れの中に収まっていた。
部屋に唯一あったのは、煎餅布団だけ。
テーブルも机もない。
本当に何もないのだ。
「本当に必要な物だけ、運びましょ。ごいっちゃん、何かある?教科書とノート、筆記用具以外で。お洋服や机やベッドは、全て家で新しく買うから大丈夫よ。」
そこで、芳子は五一の顔をじっと見つめた。
答えは、明白だった。
「ないと思います。」
するとここで、押入れの中を物色していた恭吾が、何かを見つける。
「あ!恭吾くん、それは駄目ぇ!」
恭吾が持っていたのは、五一のアルバムであった。
「あら、いいじゃない。持って帰って、後でみんなで見ましょう!」
そうは言うものの、肝心の五一が乗り気でない。
それはそうだ。
このアルバムには、五歳から後の写真は一枚もないのだ。
苦闘の日々を思い起こさせる、まさに鬼門であった。
五一は、唇を噛み締める。
その様子に気付いた芳子。
「これは、燃やしてもらいましょう。」
恭吾からアルバムを取り上げると、放り出す。
「さ、行くわよ!」
結局、教科書の類のみを持って五一のこれまでの家を去る三人。
その後ろ姿を見ながら麻里子は一言、「これでいいのよ」、そう呟いた。
麻里子もまた願っていた。
そう、ナナに。
実子がスクスクと育ちますように、五一が出て行きますように、安いアパートへ引っ越せますように。
願ったのは、それだけの事であった。
決して強欲だった訳ではない。
ただ、他人と寝食を共にするのが、苦痛極まりなかった。
それだけだ。
一方で芳子のような存在も居るのだから、面白い。
人生色々、人も色々、である。

帰り際に、洋品店に寄る三人。
このお店は安くはないが、サイズ展開が豊富なので、芳子は重宝していた。
考えてみれば息子の恭吾も夫も、ついでに五一も。
みんな丸っこいのだ。
だからこのお店の存在は、芳子にとっては有り難かった。
「普段着とパジャマと下着が、それぞれ何着かずつ必要ね。後は靴下。さ、好きなのを選んで頂戴。」
そう言われても困ると思い、下を向く五一であったが。
すかさず恭吾が、助け船を出す。
「ぼくが選んであげるよ!任せて!」
広い店内の沢山の衣服の中から、何点かをピックアップする恭吾。
「家の恭吾、あれで意外とセンス良いのよ。」
確かに。
一同、納得のチョイスだ。
大きな袋を手分けして抱えて、洋品店を出る三人。
「後はスーパーと、お肉屋さんね。」
「よしっ!」
またもやガッツポーズの恭吾。
その隣で五一は、それはもうニコニコ笑顔なのであった。

で。
帰宅。
ちょうど夕暮れ時であった。
「恭吾の隣の部屋が空いているから、ごいっちゃんはそこを使って。二人共、ちゃんと荷物片付けるのよ!」
これに待ったをかけたのが恭吾だ。
「嫌だ!ぼくはごいっちゃんとおんなじ部屋が良い!」
刺すような目付きで芳子を睨む。
「あら、困ったわね。それじゃあ狭いわよ。ごいっちゃんはどうする?」
芳子の問いに、きっぱりと。
「ぼくも恭吾くんとおんなじが良いです!」
そこで芳子、妙案を思い付く。
「二階の二つの部屋の間の邪魔な壁を、取り払っちゃいましょう!パパの知り合いに頼めば簡単だわ!」
この勢いに取り残されたのは他でもない、恭吾と五一。
「そんな事出来んのかょ……。」
「あの、ぼく、今のままで大丈夫なんで……。」
それでも芳子は退かない。
「大丈夫よ!任せなさいって!お片付けちゃんとしておくのよー。」
これでこの話は終わった。
ーーのだが。
「恭吾くんのお母さんって、凄い人なんだね。」
「いや、おかしいんだと思う、多分。」
恭吾と五一は、呆れ気味なのであった。

「取り敢えず今日買った洋服は、隣の部屋に置くね。クローゼットの中でいいよね?」
「ついでにごいっちゃん、制服のままだからさ。着替えておいで。」
「りょーかいっ!」

それぞれの部屋で黙々と作業をする二人。
五一の方が早く終えたので、まずは着替えを探す。
サテン地のドット柄のシャツに黒の綾織りのボトムス。
これで良いだろう。
早速着替えて恭吾の待つ部屋へと向かう。
「恭吾くん、どぅかな?」
少し照れ臭い五一であったが。
「ごいっちゃん、可愛いー!見違えたよ!」
そんな喜色満面の恭吾の顔を見て、満更でもないのであった。

その後。
片付けをひと段落させた二人は、一階へと下りる。
食堂では、芳子がすき焼きの準備を整えていた。
「あら、ちょうど良かったわ。パパももうすぐ帰ってくると思うの。待ってて頂戴な。」
芳子はカセットコンロに鍋を乗せると、火を点けて牛脂をひく。
皿の上には、四人分二キロの牛肉。
「ちょっと多かったかしら。まぁ、みんなで食べ切るでしょう!」
「それにしても多いね。」
五一はポカンとしながらテーブルの上の霜降り肉を眺める。
「いつもはあんなに用意しないんだよ。ごいっちゃんが居るから、奮発したんだね。」
恭吾の言葉で、芳子に感謝する五一であった。
そこへ。
「おー、みんなただいま!君が五一くんだね。ここでは前のようにはならないから、安心するんだよ。よろしく!」
恭吾の父・靖夫が帰宅。
早速五一を迎え入れるのであった。
五一は笑顔だ。

で。
夕食である。
待ちに待った。
「頂きまーす!」
一同の声が、食堂に響く。
と同時に、五一を除く三人の箸が一斉に鍋に伸びた。
五一は遠慮していた。
見兼ねた恭吾、五一の器に大量の肉を入れる。
「はーい!ごいっちゃんも食べなきゃ駄目だよー!」
更に芳子が駄目を押す。
「野菜もね。」
そういえばこの家、器が随分と大きい。
食いしん坊揃いの家には、相応しい器だ。
「は、はい!ありがとうございますっ!」
恐縮し切りの五一ではあったが、こうなると食いしん坊の血が騒ぐ。
それからの四人は、無心に食べ続けるばかり。
結局、二キロもあった霜降り肉はあっという間に姿を消した。
「ご馳走さまでしたー!」
四人の挨拶。
ユニゾンならず。
「二人とも歯を磨いちゃいなさいな。明日の支度もちゃんとするのよー。」
「はーい!行こう、ごいっちゃん!」
五一の手を引いて食堂を後にする恭吾。
早速歯を磨いて、部屋で明日の支度だ。

「ごいっちゃん、明日の一限目は国語。担任の森澤の授業だよ!でもさ、森澤 雫なんて綺麗な名前だけど、どんなんかね。」
「意外と厳つかったりしてね。」
二人は笑うのだが、後にこの話通りの展開となるのだ。
ちなみに、恭吾がナナに願ったのは、次の三つ。
五一と結ばれるように。
五一と末永く共に居られるように。
学校や家での生活が何事もなく上手く行くように。
ここで窓の外にナナが登場。
急いで窓を開ける恭吾。
「こんばんは。調子はどうかしら?」
ピョン、と飛び跳ねて室内に入るナナ。
「調子良いよ!」
「絶好調だね!」
笑顔の二人。
だがナナは、ここで冷や水を浴びせるような事を言う。
「それがね。あなたたちのお付き合いの事だけれど。生徒の皆さんが頑なで、私の力では考えを変えられなかったの。」
「それ、どういう事!?」
瞬時に、二人の目が曇る。
「要するに、苛めが発生するのが避けられない、って事ね。特に同級生の連中は敏感だから、十中八九何らかのアクションを起こすわ。」
「どぅしょう……。」
困った二人は、顔を見合わせる。
すると。
「大丈夫。あなたたちの担任の森澤先生。彼はあなたたちの味方よ。校長先生を始めとする他の先生方にも、意識を変えてもらったわ。安心して!」
「ナナ、ありがとう!」
お礼を言う二人。
声が揃った。
ここはユニゾンである。
「恭吾さん、くれぐれも熱くなり過ぎないようにね!また来るわ。じゃ!」
「またね〜!」
手を振る二人。
窓を閉めると、寝る支度だ。
少し早いが、明日の為だ。
「おやすみなさーい!」
太った二人が並ぶには少し狭いベッドで、仲良く眠る二人。
手を繋いでいた。
どちらからともなく。
そして朝を迎えるーー。

[二日目]

「ごいっちゃん、おはよーう!朝だょ、起きて!」
恭吾の声で、のっそりと起き上がる五一。
「恭吾くん、おはよ……。」
眠い目を擦って、フラフラと立ち上がる。
五一は朝が弱いのだ。
でも今朝からは、恭吾と一緒。
恭吾は朝が強いから、これからは遅刻の心配もない。
早速身支度を整えて、一階の食堂へ。
恭吾の家の朝食の定番は、ポトフとフレンチトーストだ。
朝から贅沢なのである。
「あらおはよう!恭吾、ごいっちゃん!パパはもう出掛けたわ。あなたたちも早くお朝食食べちゃいなさいね。」
「はーい。頂きまーす!」
「ねぇ恭吾くん。朝から豪華だね。いつもこんな?」
「うん、そうだょ。母さん、メープルシロップー!」
「はーい!」
恭吾は、甘いフレンチトーストの上からたっぷりのメープルシロップをかけた。
美味しい時間。
「はい!ごいっちゃんも。美味しぃよ。」
勧められるがままに、遠慮がちにかける五一。
すると。
「えいっ!」
恭吾が瓶を思いっ切り傾けた。
勢い良く注がれるメープルシロップ。
「あーぁ。」
五一は困惑する。
しかしこれが、食べてみると意外と美味しいのであった。
「美味しいね、恭吾くん。」
めでたし、めでたし。

その後。
登校中の路上で。
恭吾と五一は、手でも繋いでしまいそうな距離感で。
周囲の事など、目にも入らなくて。
自分たちの世界に入り込んでいて。
友達が呼ぶ声も聞こえなくて。
……殴られた。
「いてっ!何すんだてめぇ!」
「呼んでいるのに、応えないお前が悪い。ところでお前たち、付き合ってるのか?」
これは堪らない。
唾液でむせる恭吾。
「ぶふぉっ!ごほっ!ごほっ……。」
「図星のようだな。気を付けろ。誰が見ているか分からんからな。バレると厄介だぞ。」
「恭吾くん、大丈夫?ところで、この人誰?」
一人、話しに付いて行けない五一。
恭吾にヘルプを求める。
「あぁ、ごめんね、ごいっちゃん。こいつは幼稚園の頃からの友達。聡って言うんだ。いい奴だよ。」
「ふぅん。ぼく、五一です。よろしくお願いします。」
五一、聡の方に向き直って、ペコリ。
「こちらこそよろしく!ところで五一、付き合っている者同士は手を繋いで歩くのが基本だぞ。」
先程とは真逆の事を言う聡。
五一は、混乱する。
終いには本当に手を繋ごうとするので。
「おい五一。今のは冗談だ。」
溜め息混じりで止めに入る聡であった。
これには、恭吾が怒る。
「なぁ聡。忠告は有難いが、ぼくたち“新婚”なんだ。邪魔しないでくれるか。」
恭吾の猪は、聡の真っ当な忠告を跳ね除けてしまう。
尤も、これは変えられない運命のような事であったから、仕方ないのだが。
結局、その後も仲睦まじく共に歩く恭吾と五一。
その姿を横目に見ながら聡は、ある意味では決死の覚悟を決めるのであった。

その後。
お昼休み。
ここまで、長かった。
特に四限目の数学は、恭吾と五一にとっては理解不能な呪文の連続であった。
苦難を乗り越え、待ちに待った給食の時間。
この学校では給食は、机を動かして好きな者と食べる事が出来る。
当然と言えば当然であるが、恭吾と五一は聡を加えた三人で固まった。
「なぁ五一。部活はどうするんだ?」
聡に聞かれて頭の中が真っ白になる五一。
実際の所、まだ何も考えていなかった。
この学校では、全生徒が何らかの部活に入らねばならない。
捻り出した答えが「恭吾くんとおんなじでいいや」であった。
これは聡にとっては想定通りの答え。
で、恭吾にも聞くのだ。
「お前はどうする?」
恭吾は固まった。
五一同様、何も考えていなかったからだ。
恭吾は柔道を続けて来た。
中学に入っても当然、続けるつもりであった。
だが、五一も入るとなると、話は別だ。
柔道部は上下関係や練習が厳しく、正直五一には勧められない。
どうするか。
咄嗟の答えであった。
「美術部……かな。」
ストライク!
誘導尋問、成功!
「美術部は活動実態がないらしいからな。お前も五一と過ごせる時間が増えて、良いじゃないか。俺もそうするか。」
聡は、最初からこういう結末になるのを想定して、声を掛けたのであった。
で。
ここで聡は話題を変える。
「しっかし暑苦しいなぁ、二人共。どうにかならんのか?」
聡はモデルのようなスレンダーな体型で、丸っこい二人とは好対照だ。
これにぷんすか腹を立てたのが恭吾だ。
「これでいぃの!お前みたいなちんちくりん、ぼくたちは興味ない!」
「痩せる気はないんだな?」
「うん!」
恭吾と五一、二人揃って頷いた。
少しのズレもなく、同時に。
聡は考えた。
ゲイのデブカップル。
突っ込みどころ満載だ。
ここはもう、二人と心中するしか。
そう。
聡は恭吾と、親友であった。
だからこそ、裏切れない。
聡はヘテロセクシャルであった。
だが、この時既に、ゲイであるとの誹りを受け入れようと、腹を括っていた。
厳しい戦いになる事が予想された。
もちろん、それも覚悟の上であった。
周りではヒソヒソ話が盛んに行われていた。
誰の話であろうか。
答えは明白であった。
雲行きの怪しい、春にしては薄ら寒い午後の出来事であった。

下校。
この日は、何事もなく一日を終えた。
嵐の前の静けさであった。
校門の前で。
「それじゃ聡、今日はここで。ぼくたちこれからデェートなんだ。悪いな。」
「そっか。気を付けろよ。んじゃ!」
「聡くん、またねー!」
帰り道。
空が重たい。
雨が降りそうだ。
少し早足になる二人。
程なくして、降り出した。
「急ごう、ごいっちゃん!」
恭吾は、五一の手を取って駆け出した。
空模様は、明日の二人の心模様を映し出していた。
そんな事も知らずに、二人は家路を急いでいた。

帰宅。
玄関扉を開ける。
「ただいまー。」
「ただいま帰りました。」
すると。
花とフラワーベースで両手が塞がった芳子が、二人を出迎える。
「あら、お帰りなさい、二人共。丸福堂の大福があるのよ。食べない?」
「今、要らない。後でいい。」
どこか冷たい恭吾の反応。
「あら、そう。後で取りにいらっしゃいな。」
「今日はノックしてよ!」
「分かってるわよ〜。」
鼻歌交じりの芳子。
恭吾は不安になる。
この後、五一を抱くつもりでいたからだ。
まだ中一だ。
正直、早いかも知れない。
そんな事は百も承知であった。
それでも、我慢が出来ない。
若さ故の事だ。
二人は階段を上る。
鼓動が五月蝿かった。
部屋に入る。
隣り合って、ベッドに腰掛ける二人。
その意識は、既に曇っていたーー。

十五分後。
二人は既に、果てていた。
「また、しようね。」
「うん!」
その時であった。
「入るわよ〜。あら、失礼。」
またノックを忘れたのだが、別に後悔はない。
裸の二人を見て、平然と扉を閉める芳子。
そうだ。
そんな事は分かっているのだ。
大人なのだ。
「お友達が来てるわよ〜。早く下りてあげなさいね〜。」
咎めるでも怒るでもなく、終始上機嫌な芳子。
これは別に、ナナの力によるものではない。
芳子には、ナナの声は聞こえないのだ。
よって、ナナとは出会えない。
対照的なのは、裸で部屋に取り残された二人だ。
「あの人、絶対頭おかしい!」
「ははは……。」
恭吾は次に聡を責める。
「あんにゃろめ、一体何の用だって言うんだ。こんな時に!」
「まぁまぁ。早く下りてあげよぅよ。」
二人は慌てて服を着ると、揃って一階へと下りた。
扉を開ける。
開口一番、聡が。
「抱き合っている所、すまん。悪いが、家に苦手な親戚が来ていてな。上げてくれ。それと五一、ボタン掛け違えてるぞ。直せ。」
恥ずかしさで固まる五一。
これに怒ったのが恭吾だ。
「お前の都合なんか知らん!帰れ!」
だがここで帰る訳には行かないのだ。
頭を下げる聡。
「すまん。頼む。」
「勝手にしろ!」
こうなってしまえばしめたもの。
珍しくウキウキ顔の聡。
それだけ苦手な親戚が、来ていたのだ。
「そうだ、二人共。シャワー浴びて来い。俺は部屋で待ってる。」
「分かった。部屋、荒らすなよ!」
荒らすなと言われれば荒らしたくなるのが、人間というもの。
聡は、大いに荒らすのであった。
散らかすだけ散らかして、見つけたのは一冊のノート。
「おゎ、何だこりゃ。おぉスゲェ。全部五一のスケッチだ。これはストーカーだな。間違いない。」
そこに間の悪い事に、シャワーを浴びた二人が戻って来た。
「人の部屋引っ掻き回しやがって!このやろ、このやろ!」
大騒ぎだ。
「二人共、止めてー!」
五一の叫び声が、虚しく響く。
だが。
「みんな静かにおし!お夕食抜きにするわよ!」
芳子の一喝。
これは効いた。
押し黙る三人。
やがて。
小声で。
「お前、晩飯まで食べてくつもりか?」
「そうだ。そのまさかだ。お前の母さんには、許可は取ってある。すまんな。」
「鬱陶しいな。やっぱり帰れ。」
「まぁ、そう怒るな。」
ここで五一が機転を利かせる。
「ねぇ二人共、丸福堂の大福があるっていう。あれ、取りに行こうよ!」
「そうだね。お前の分はないぞ、聡。」
「お前の母さんは、そんな事はしないな。」
「言いたい事言いやがって。覚えてろこんにゃろ。」
痛い所を突かれて、言い返せない恭吾。
聡は、芳子の性格を良く理解していた。
「さ、行こう。」
五一に手を取られて、立ち上がる恭吾。
「俺はここで待ってる。楽しみにしてるぞ。」
「ちぇっ。」
舌打ちする恭吾なのであった。

一階で。
案の定、恭吾は念を押された。
「いい。みんなで仲良く、分けて食べるのよ!分かった?」
「あいよ。」
受け取るのは、銀座丸福堂謹製高級大福を、六個。
お値段、一個三百円。
「頂きまーす!」
ここは一旦矛を収めて、みんなで仲良く。
「美味しい!」
「これは美味いね。間違いない。」
「押し掛けた挙句にご馳走になって、すまんな。」
「まぁいい。大福が美味かったから、許す。」
ここで話は変わって。
「なぁ、テレビゲームやらせろ。」
「嫌だ!」
「なぁ、頼む。」
「仕方ないなぁ。」
で。
格闘ゲームに興じる恭吾と聡。
五一は全く出来ないというので、観戦。
結果。恭吾の十戦全敗。
「もう寝る!」
拗ねる恭吾。
布団にくるまった恭吾を、五一が揺り起こす。
「テレビゲームで百回負けたって、僕は気にしないよ。大丈夫だから、ね。」
五一の言葉で渋々、のっそりと起き上がる恭吾。
明らかに機嫌が悪い。
「ゲームに負けた位で、何をそんなに大袈裟な。」
聡の意見は尤もだ。
だが、正論を突き付けられて、恭吾の機嫌は更に悪くなる。
「ごいっちゃんの前なのにさ。一回位負けてくれたっていいだろ。」
言葉に、怒気が混じる。
それを察したのか、ここは平謝りの聡。
つい夢中になってしまったのだ。
「すまないな。」
こうして、決裂の危機は回避された。

既に時刻は夕方。
もうすぐ、待ちに待った夕食だ。
「下に行こうよ。」
恭吾の声で皆一斉に立ち上がる。
三人共、お腹が空いていたのだ。
食いしん坊ばかりが雁首並べているのだ。
当然だ。
一階に下りて。
食堂に向かうと、ちょうど寄せ鍋の準備が出来ていた。
「あら三人共、ちょうど良かったわ。パパももうすぐ帰るから、座って待ってて。聡くんが来るのなら、焼肉の方が良かったかしらね。」
「いえ、寄せ鍋は大好物なんで。」
それは焼肉の方が良いに決まっているのだが。
ここは気を遣うのである。
何せご馳走になる立場なのだ。
突然押し掛けて。
当然なのである。
と、そこへ。
「おー、恭吾の友達か。ゆっくりして行くといいよ。二人を、よろしくな!」
父・靖夫は温かい人だ。
大らかに聡を受け入れる。
それもそうだ。
五一の時もそうだった。
ゲイの五一でさえも受け入れるのである。
器が大きいのだ。
まぁ、そこそこ裕福なので余裕がある、というのもあるだろうが。
で、夕食の時間。
待ちに待った。
もう五一も遠慮はしない。
「ごいっちゃん、よく食べるようになったねー。」
感心する恭吾に、五一は答えた。
「今位の量がちょうどいいかも。前の家では我慢してたからさ。」
「ごいっちゃんも結構食いしん坊よね。嬉しいわ〜。私、みんなにモリモリ食べてもらうのが生き甲斐なの。どんどん食べて頂戴な。」
「はーい!」
一同揃っての返事。
奇跡のユニゾン。
滅多にない光景。
それはともかく。
実は芳子も、スレンダーではあるが良く食べる。
で。
五人の食いしん坊が集まった結果。
あっという間に完食。
ここで芳子が一言。
「デザートは丸福堂の羊羹よ。」
まだ食べるのか。
そんな感じでもあるが、一同大喜びなのである。
「でかした、芳子!」
靖夫までもが喜色満面。

さて。
苦手な親戚もそろそろ帰ったであろうという事で、聡が帰宅する。
「世話になった。じゃ、また明日な。」
「聡くん、また明日ねー!」
「聡、明日学校で、な。」
「聡くん、気を付けて帰るんだぞ。」
「あら帰るのね。良かったら羊羹一本、持って帰りなさいな。お土産よ。」
芳子は気を利かせて、高価な羊羹を一本、惜しげもなく持って来る。
「いやぁ、すまんです。」
恐縮し切りの聡なのであった。

聡を見送った後、玄関で。
「明日帰って来たら、ごいっちゃんの机とベッドを見に行きましょう!」
「やったね!ごいっちゃん!」
「お母さん、嬉しいです!」
“お母さん”という言葉が嬉しくて、不意に涙を零す芳子。
「母さん、どしたの?」
恭吾の問い。
これに芳子は、涙を振り払って。
「明日は、奮発するわよ!楽しみにしてて、ごいっちゃん!」
これに答えるのは、喜色満面の五一。
「はい!よろしくお願いします!」
こうして、この日一日は何事もなく幸せに、幕を閉じたのであった。

[三日目]

登校中。
聡と出会う。
「おはよう。今日も愛し合ってる感満載だな。」
「うるさいぞ、聡。おはよう。」
「聡くん、おはよ。」
のんびり歩いて、教室へ。
皆、三人の方を向いてヒソヒソ話をしている。
で。
教室に着くなり、扉を開ける恭吾。
「な!?何だよこれ!」
視界に入ったのは、黒板中に書かれた落書き。
中でも目を引いたのは、巨大な相合傘だ。
下には、恭吾と五一の名前が、仲良く並んで書かれている。
その周りを、無数の低俗な落書きが取り囲んでいた。
ここで後ろにいた聡が耳打ち。
「あの落書き、消させるなよ。俺は職員室に行く。
お前たちは黒板の前で待ってろ。」
黒板の前に立つ二人。
これはもう、晒し者である。
「男同士、愛し合ってるんだぜ!」
「うげぇー!キモ!」
「デブ同士汗まみれで愛し合うんだぜ。」
「サイテー!」
「デブ同士って事は、ナルシストか?」
「早く死んで欲しい。」
「さんせーい!」
最後は、クラス中の声が揃った。
これには、恭吾も堪らない。
「うがあぁー!」
頭を抱えながら身悶える恭吾。
『我慢よ、恭吾さん。』
突然聞こえたナナの声。
五一に抱き寄せられた事もあって、何とか踏ん張る恭吾。
と、そこへ。
「そこまでだ!お前ら!」
担任の森澤、ここで登場。
一瞬で、場の空気が変わる。
本当の所、HR前までには落書きは消す筈であった。
森澤の目に入れない為である。
目算が狂う、いじめっ子たち。
後ろに居たので、聡の存在に気が付かなかったのだ。
「お前たち、俺は情けない。男同士で愛し合うのは、別に悪い事ではないぞ。」
森澤が口を開く。
「異なる価値観を持っていても、利害が対立していても。それでも。共生出来るからこそ、世の中は素晴らしいんだ。」
俄かに騒がしくなる教室。
ここからは質問の嵐だ。
「先生!子供が生まれないからホモは駄目なんだって、テレビで言ってました!」
「テレビのホモカップルを見て、家の母親が気持ち悪いって言ってました!」
「ホモは病気だって聞きました、先生!」
森澤は答える。
「ゲイやレズビアンは別に、病気ではない。子供が生まれないのは事実だが、作らない異性のカップルも珍しくはない。自分と違う生き方をする者を、気持ち悪いと言って切り捨てるのは、悪い事だぞ。」
教室中が静まり返る。
「この件では、近日中に全校集会を開く事にする。今度何かあったら、問答無用で保護者と教育委員会に通報するから、そのつもりで。以上!」
これは効いた。
少なくとも、分かりやすい苛めはなくなった。
だが、これを機に苛めの陰湿さが、より増す事となる。

授業の合間の休憩。
聡は恭吾と五一を誘って、トイレへと向かう。
一人になってしまうと危ないから、出来るだけまとまって行動した方が良い。
そうした考えからの誘いだった。
が。
これが裏目に出る。
今回の苛めの主導者は、女子だ。
三人の筆箱の中から消しゴムを取り去り、女子トイレに流したのだ。
戻って来る三人も、これには気付かない。
やがて授業が始まると、消しゴムがないのにようやく気が付く。
しかし、時既に遅し。
消しゴムはもう戻っては来ないのだ。
三人は、間違えた箇所に三本線を引いて修正していた。
静かな教室。
皆心の中では笑っていたが、眉一つ動かさない。

次の小休憩で。
三人はトイレの時の対策を練っていた。
密かに。
「なぁ、俺か恭吾のどちらかがトイレに行く時には、必ず五一を連れて行く。で、残った一人が教室を見張る。二人が戻った所で、バトンタッチ。残った一人がトイレに行く。これでどうだ。」
結局、この聡の案が採用された。
これで心配は一つ消えたが、お昼休みに新たなトラップが待っていた。

お昼。給食の時間。
この日は、給仕係からシチューを貰う事になっていた。
列に並ぶ三人。
五一の段になって。
突如咳込むシチューの給仕係。
口も抑えずにだ。
不自然な咳。
演技が下手なのだ。
たくさんの唾液が、五一の給食に飛んだ。
この時は森澤が居たので、どうにか交換して貰えた。
「五一、大丈夫か?」
森澤が五一の様子を確かめる。
「駄目かも知れません。」
五一は小さな声で、しかしはっきりと主張した。
少しだけ、逞しくなった五一である。
恭吾が傍に居るから、強くなれたーー。
この時、森澤はある決意を固めた。
森澤は少し前から、五一の事を気に掛けていた。
不登校の生徒が来るらしいーー。
そう聞いて、学年主任の自分が何とかしなければ、そう思った。
それは別にナナの力のお陰ではない。
むしろナナの力は、森澤が五一のクラスの担任になった事に発揮されていた。
森澤は三人に胸を張った。
「俺に任せろ!悪いようにはしないぞ!」
その言葉で、少しだけ安堵する三人。
裏ではナナが、教育委員会の面々の考え方を変えるべく、奮戦していた。
そう。
森澤は黒板の落書きの件を、教育委員会に諮ろうとしていたのだーー。

昼食を終えて、トイレに向かう恭吾と五一。
聡は予定通り、留守番だ。
二人は女子三人組の後ろを歩いていたのだが……。
女子三人組の一人が振り返って五一を一瞥。
するとその女子、わざとらしくハンカチを落とした。
怪訝そうな顔をしながらも、無視は出来ないので拾おうとする五一。
かかった。
「止めてー!触らないでー!」
女子の大袈裟な叫び声が響く。
すかさず駆け付ける森澤。
「五一が触ったんです……。」
嘘泣きしながら吹聴する女子。
森澤は五一に尋ねる。
「何を触った!」
怒気を含んだ声だ。
圧に押されて、言葉が出ない。
「ぼ、ぼくは……。」
後ろでほくそ笑む女子三人組。
その時だった。
何も言えない五一に代わって、恭吾が代弁する。
「こいつらがわざとハンカチを落としたから、五一くんはそれを拾おうとしました。それだけです。」
五一は、歯を食い縛って、泣いていた。
「お前はすっこんでろ!」
このやり取りにイライラした三人組の一人が、声を荒げる。
これで事態を把握した森澤。
三人組を職員室へと連れて行った。
「恭吾くん、ありがとうー!」
泣き崩れる五一。
緊張の糸が切れたのだ。
「ごいっちゃん、もう大丈夫だょ!心配しないで。さぁ、立って!」
差し伸べられた手を掴んで離さない五一。
向かい風を物ともせずに、絆を深めた二人であった。

放課後。
森澤は早速、動いていた。
先程の三人組の保護者たちが早速、呼び出しを食らう。
その事により、動きを察知していたクラスの連中。
表立った苛めの一切を止める事にする。
その代わりに二人は、透明な存在になろうとしていた。
これは聡も同じだ。
恭吾たち三人は、クラスの中で空気のような存在へと変化していった。
「なぁ、帰ろうぜ!」
聡の声。
「おぅ!ごいっちゃんも行こう!」
「うん!」
こうして三人は、どうにか無事に学校での一日を終えた。

「気を付けろよ!それじゃ!」
「じゃあねー!」
「またねー。」
恭吾と五一は、聡と別れると、仲良く寄り添って歩く。
ふと気が付くと、手を繋いで歩くゲイカップルが目に入る。
だから、敢えて。
恭吾は五一の手を、握った。
次の瞬間に、恭吾と五一の目が、ゲイカップルの目と合うので。
にこやかに微笑むゲイカップル。
視線をずらすと、傍にはその様子を忌々しそうに見やる老夫婦の姿があった。
世の中、広いのである。

帰宅。
「母さん、ただいまー!」
「ただいま戻りましたー。」
すかさず芳子の声。
「お帰りなさーい!家具屋さんに行くわよー!二人共、早く着替えちゃいなさいね!」
「はーい!」
「いよいよだょ、ごいっちゃん!」
「うん!ぼく、嬉しい!」
逸る心を抑えて、私服に着替える二人。
制服?
そこはもちろん、学ランなのだ。
ちなみに、家具屋さんは少し遠いので、今日は車で出かけるのである。
「出発!」
住宅街から、商店街を経て、大通りに出る。
片側三車線だ。
左側の車線を、制限速度いっぱいで走る芳子の車。
煽られるのである。
これに腹を立てる芳子。
ある意味では、当然の成り行きだ。
窓を開けて怒鳴る。
大迫力の声で。
「制限速度を守れーー!!」
これには、後続車のドライバーもタジタジなのであった。
やがて家具屋に到着。
広いのである。
「歩きやすい靴で、良かったわ。」
芳子の呟き。
「さ、まずは机を探そ!ごいっちゃん、母さん、こっち!」
目に留まったのは、黒い学習机。
そういえば、恭吾の机も黒いのだ。
「ぼく、これが良いです。」
「あら、恭吾のと同じお色ね。素敵!これにしましょう!」
お値段も控え目。
椅子も適当に見繕って。
次はベッド。
こちらは手強い。
何せ、成長期のデブが使うのだ。
丈夫でなければ。
パイプベッドという訳には行かない。
それを痛い程に理解している芳子、ベッド選びでは主導権を握る。
芳子が提案したベッドは、恭吾と同じダブルサイズで、お値段何と十万円。
これには、誰も異論はない。
「まぁ、母さんが良いなら……。」
「お母さん、良いんですか!?」
「良いのよ、ごいっちゃん!」
ここで芳子のウインクが登場。
一同、笑いに包まれる。
支払いはカードで。
スマートなのだ。
帰り道。
「今夜は焼肉にしましょう!」
「やったね!」
恭吾、恒例のガッツポーズ!
横で見ている五一がまた、幸せそうなのだ。
新婚生活、満喫中である。
曇天だった空も何時の間にか晴れ渡り、夕日が眩しい。
帰りに大量の肉類を調達して、準備は万端だ。
「おー!今夜は焼肉かー!美味そうだなー!」
帰宅した靖夫も、喜色満面である。
「頂きまーす!」
四人揃って。
今日はユニゾン。
奇跡の。
恭吾の家では、焼肉の日には白いご飯を食べない。
ほぼ肉のみなのである。
よって、肉は大量だ。
食べても食べても、出て来る出て来る。
途中、談笑しながら。
焼けるのを待つのだ。
特にホルモンは、良く焼かないといけない。
という事なので。
「あら恭吾、五年も片想いしてたのね。我が息子ながら、根性あるわ〜。」
恭吾から馴れ初めを聞いて、笑う芳子。
「ビール、もう一本!」
「はいな!」
靖夫もご機嫌だ。
酒が進む。
結局この日の宴は、一時間半で幕を閉じた。

[四日目]

朝。
明日は休み。
いよいよ週末だ。
例によってポトフとフレンチトーストを食べると、二人は勢い良く家を飛び出す。
途中、聡と出くわして。
三人での登校。
冷ややかな目で見られている。
だが、気にしないのが今の三人。
学校に着くと。
朝から全校集会だという。
「あれかな?」
「ね!」
「多分、そうだろう。」
行ってみると。
三人の予想通り、苛め問題についての集会であった。
教育委員会のご歴々も顔を揃えて、物々しい。
最初に登壇したのは、校長だ。
「昨今、苛めによる自殺が社会問題化している。我が校でも先日、苛めが発覚した。我が校は、苛めた者を見逃したりはしない。関係した各人、まずは猛省せよ!」
短い挨拶。
だが、圧が凄まじい。
続いて教育委員会のご歴々による長い挨拶。
終わらない、終わらない。
結局、一時限目はこれで潰れてしまった。
教室に戻る。
途中、洗面台の前で。
前を行く男子が、今度は偶然に、ハンカチを落とした。
ハンカチは、五一の足元に。
拾う五一。
「有難う。」
冷たい、事務的な挨拶。
それでも五一は、嬉しかった。
「良かったねー!ごいっちゃん!」
「良かったな、五一。」
「うん、良かったぁ!」
喜びを分かち合う。
で、着席。
「ね、恭吾くん。机とベッド、何時届くかな?」
「五日位は掛かるらしいよ。届いたら、並んで一緒に宿題出来るね!」
「そうだね!それと今日、部屋の壁の工事が一日中あるらしいじゃない?夕方まで、どうやって時間潰そうか。」
「それなら家に来い。映画でも観ながらだべろうぜ。」
「オッケー!」
「聡くん、有難う!」

下校時刻。
これからは、一日が順調に終わる事だろう。
問題なのは、勉強のみ。
それも三人で助け合えば、どうにかなるに違いない。
今日も平和であった。
さて。
恭吾と五一は、聡の家に向かう。
五一にとっては、初めての場所だ。
その家は、恭吾の家の近所にあった。
小さな、けれども綺麗な一戸建てである。
「母さん、ただいまー。」
「お邪魔しまーす。」
扉を開けると、聡の母親が姿を現した。
気さくな人柄が、顔に滲み出ていた。
「あら聡、お帰りなさーい!お友達も一緒ね。さ、みんな上がって!後でお茶とお菓子、持って行くわね〜。」

で。
居間で。
チョコレートやクッキーなどを食べながら。
どんな映画を観ようかを、話し合う。
「家の親父は映画マニアでな。少し前の有名どころなら、大抵はあるぞ。」
という事で。
聡お勧めの映画を二本続けて鑑賞。
ーー鑑賞後。
「おい、どうだった?」
「エグいな。両方共。ごいっちゃん、大丈夫?」
「ぼく、このパターンは駄目かも……。」
「そっか。それは残念だ。それはそうと、これから夕食だ。食べてけ。お前たちの母さんには、連絡済だ。」
「ご馳走になるね。悪いな。」
「有難う!」
「まぁ大した物は出ないがな。お前たちの家ほど裕福ではないのでな。」
で、出て来たのはカレーライスとサラダに、ロールキャベツ。
一応これでも、奮発している。
「あ、美味しぃね!」
最初に声を上げたのは五一だ。
「家に負けてないね。うんまい!」
恭吾も、久々のこの家の手料理を満喫している。
もちろん、皆お代わりをするのだ。
舌鼓を打つ。
楽しい時間。

やがて、帰宅の時。
「じゃあ、またね〜!」
「五一、勉強頑張れよ!」
「有難う、聡くん。またねー!」
帰り道。
手を繋いでみる。
前の時よりも、自然に出来るようになった。
すっかり暗くなった道を、共に歩きながら。
五一は、ほんの何日か前までの日々を、遠い昔の事のように振り返っていた。
遥かなる四日間の旅路が、幕を閉じるーー。

家に戻ると、既に二階の部屋の工事は終わっていた。
二つの部屋の間の邪魔な壁が、全て取り払われたのだ。
自由に行き来出来るようになった二つの部屋。
その中で恭吾は、家具の配置をどうするかを考え始める。
「んーと。今までのベッドの置き場所はそのままにしておこうか。で、机を隣りの部屋の窓際に移そう。ごいっちゃんの机とベッドが届いたら、ぼくのやつの横に並べるんだよ!」
恭吾は、実に楽しそうだった。
軽はずみとも思えた、母親の思い付き。
それが結果的には、二人を幸せにするのだった。

と、そこへ。
ナナがやって来る。
窓を開ける恭吾。
「こんばんは。うまくやっているかしら?森澤さんが担任になったのは、知っているとは思うけれど、私の力のお陰よ。そのお陰でようやく苛めの問題に片が付いたわ。お役に立てて、嬉しいわ。」
「ナナ、ありがとう!」
恭吾と五一の、心からのお礼である。
「あら、いいの。これは私の生き甲斐だから。徐々に取り巻く環境は良くなって行くから心配しないで。あとちょっとよ。頑張って!」
二人の思いは、ナナにはちゃんと伝わっていた。
「それじゃ、私この後用事があるから、失礼するわ。また来るわね。それまで頑張るのよ。」
その後、ナナは窓から去って行った。
見送る二人。
何処か名残惜しい気がした。
でもまた会えるーー。
その思いが、二人の心に響いた。

一階に下りて、芳子に頭を下げる二人。
「あら、良いのよ〜!幸せになるのよ!」
温かな絆。
壊したくないもの。
今この瞬間、その存在を感じて、二人は幸せだった。
それを支えているのは他でもない、芳子なのだった。

こうして、恭吾と五一、それに聡を交えた青春の日々が、ここに始まった。
恭吾と五一は支え合いながら、長い長い年月を共に生きてゆく。
それはもう、仲睦まじく。
そこに聡も加わって、三人はいつまでも仲良くあるだろう。
何しろ、ウマが合うのだ。
一生モノの絆が、芽生えていた。

[五日目]

翌日。
電話で聡を誘う。
芳子が、昨日のお礼をしたいと言うのだ。
「お邪魔しまーす。」
「あら聡くん。昨日はありがとうね。お母さんにもよろしく伝えておいて。恭吾とごいっちゃんが待ってるから、二階に上がって!」
聡は、言われるがままに二階に上がると、恭吾と五一の部屋の扉を開ける。
もちろんノックは忘れない。
「入るぞー……。おゎ!?」
仰け反る聡。
気持ちは分からなくもない。
二部屋分、合わせて十六畳の大空間。
「お前ら、これは贅沢にも程があるぞ。」
「えへへー。」
恭吾と五一は、顔を見合わせて笑う。
そうだ。
空はどこまでも、抜けるように青い。
恭吾と五一、それに聡を味方しているかのように。
見上げた三人には、明るい未来が待っていた。
「おい聡、今日晩飯食ってけ。」
珍しい事に、恭吾からの誘い。
「おぅ、ありがとな。にしても珍しい。雨でも降らなければいいが。」
「たまにはね。昨日のお礼だょ!」
「今日の夕食、何かな。」
三人の前には、こうして幸せへと続く広く長い一本道が続いていた。
明るい未来への第一歩は、まだ刻まれ始めたばかりだ。

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