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恋を紡ぐ人 [オースの詩] -Essentials for Living 7-

地面を踏み締める。
銀杏並木の枯れ葉が崩れて、パリパリと音を立てる。
晩秋の爽やかな晴れ間。
オースとの散歩も、一段と楽しい。
「泗水、今日は空気が清々しくて気持ちがいいね!」
「そうだね。今日は公園まで行ってみようか。」
道すがら、口論をしている二人に出くわす。
マンションのエントランス前で、男性二人が言い合っている。
姿をそっと消して、オースと共に様子を伺う事にしたのだが。
どうも、浮気をした、していないといった事で揉めているようだ。
よくある話ではある。
だが、仕事柄放置する訳にもいかない。
しかし珍しい事にオース、乗り気ではないのだ。
「泗水、行こう。」
そう言ってその場から去ろうとするオース。
こんな事は滅多にないだけに、あの二人、何かある。
でもこのまま去るのも仕事の放棄だ。
やはり、それは出来ない。
そう思った。
だが、この時のオースの声には、もっと真剣に耳を傾けるべきだったのかもしれない。
オースはちゃんと覗いていたのだ。
目の前の二人の頭の中を。
迂闊だった。
この後オースはとても可哀想な事になる。
そうとも知らずに、そうっと近付いてみると。
何とそれは、僕達と同業者同士のカップルの言い合いだったのである。
これは厄介だ。
姿を消していたのだが、案の定気付かれる。
後の祭りだ。
「心配してくれてるんだろ。だったらそのブタよこせ!」
口論をしていた片割れがそう言って、オースを連れて去ってしまった。
もう片方も、僕には目もくれずに去って行ってしまう。
「待ってよ!オースを返して!」
僕がそう言うと、「嫌だね」と、そんな声が遠くから聞こえた。
幸い相手の脳内を覗く事で、これから先進むルートはトレース出来ている。
瞬間移動で泥棒の真正面に出た。
「オースを返せ!そっちがその気なら、紫蘭姐さんに仲裁を頼んでもらう。覚悟しろ!」
そう、目の前に居たのは紫蘭姐さんの弟子なのだ。
向こうがこちらの事を知らなくても、こちらは知っている。
まぁ、先程近くで顔を確認して、初めてその事に気付いた訳なのだが。
とはいえだからこそ、もっと気を配るべきだったのだ。
グランドマスターの称号を得たのだから僕が仲裁をしても良かったのだが、紫蘭姐さんの弟子を無断で裁くのには憚りがあった。
「ちぇっ。仕方ねぇ。返してやるよ。ほら。」
そのまま返してくれるのかと思いきや、泥棒なんと、持っていたナイフでオースの背中を切り裂いた。
幸い傷は深くはなさそうだったが、これは許せない。
激しく痛がるオース、その場で呻きながらのたうち回る。
これはあまりにも可哀想だ。
僕は即座に紫蘭姐さんを呼んだ。
紫蘭姐さんの対応は苛烈だった。
泥棒も、ここまでの対応は予想していなかったに違いない。
紫蘭姐さん、泥棒を消滅させたのだ。
そう、師匠にだけ許された、特権のような技を使って。
そもそもこうした技は滅多に使われる事はないが、オースを傷付けたのが泥棒にとっては敗因だった。
オースの傷は僕が魔法で治してやった。
大きな怪我でなくて、本当に良かった。
あまりに深傷だと、魔法ではまず治せないからだ。
オースと僕、そろって号泣していた。
珍しい事にオース、泣き止まない。
僕の判断ミスも大きかった為に、心がズキズキと痛む。
咽び泣くオースの背中を僕は、辛抱強く摩り続けていた。
「うちのがすまなかったね。お茶でもするかい?」
紫蘭姐さんのお誘いで、僕達はその家にお邪魔する事になった。

オリエンタルな内装がお洒落な応接間。
仔細に眺めると築年数は経っているようだったが、リノベーションが上手くいっているせいか、ぱっと見ただけでは時間の経過を感じない。
それにしても紫蘭姐さんの家ともなると、応接間が必要なのだ。
来客が多いのだろう。
うちとは大違いだ。
「オースを傷付けた奴は、浮気されていたのさ。寂しかった所へ可愛いオースがやって来たもんだから、格好の獲物になっちまった。浮気していた方も消滅させたから、これで安心だ。あの二人は昔からうちの中でも際立って素行が悪かったので、手を焼いていたのさ。正直今回の事件も、意外でも何でもなかった。すまなかったな。さ、お手製のココア、お飲み。」
温かくて甘いココアが、喉にも心にも優しい。
普段は近寄りがたいオーラを出している紫蘭姐さんだが、こういった時には優しいのだ。

昔、こんな事があった。
オースが大人になったばかりの頃。
例によって失恋のショックで、僕は立ち直れなくなっていた。
そのせいでオースにさっぱり構ってやれず、トイレの掃除さえも出来なかったのだが、怒ったオース、鼻パンチを繰り出して来たのだ。
大きい上に力も強い。
しかも、魔法だって使えるオース渾身の鼻パンチだ。
僕は吹っ飛んだ。
子ブタ時代に一応、鼻パンチはしないように躾けてはおいたのだが、我慢の限界だったのだろう。
オースは叫んだ。
「男なんていつか見つかる!泗水は僕とその男、どっちが大事なのさ!」
オース、号泣していた。
先の背中を切られた後の様子を思い出す。
雷に打たれた気がして、僕は呆然としながらただオースを、抱き締めていた。
ミニブタは人懐っこいが寂しがり屋なのだ。
それを分かってやれなかった自分が、愚かだった。
僕は泣き止むまで、オースの側を離れなかった。
それ以来、恋愛の事は心の奥底に封印して、僕はオースのお世話と仕事に没頭した。
以降、浩司さんと出逢うまでの何年もの間、恋愛とは無縁だったのだ。
痛みを乗り越えて、今のオースとの絆があるのだ。

「ねぇ泗水、僕がオスだからオースだっていうのは分かるけど、メスだったらどうしてたのさ。」
「メース。」
すかさず繰り出される鼻パンチ。
まぁここは本気ではないのである。
鼻押しに近いかな。
ジョークにはジョークなのである。
じゃれあっているような、そんな感じ。
「メースか。面白いね。ところでうちの弟子に志願したデブ専のゲイの子が居てね、見込みはあるんだがうちのカバーするジャンルではないんだよ。そっちで引き取ってもらう事にしたから、泗水、お前が教育係になれ。追ってそちらの師匠からも話はあるだろうが。」
僕は弟子を取らないが、それは能力もないのにやって来る若者達ばかりだからで、師匠や紫蘭姐さんからの指示ともなれば、もちろん話は別だ。

という訳で、後日。
やって来たのは新弟子の紀章。
丸いのである。
以上、みたいな。
そんな第一印象。
「よろしくお願いします、先輩!」
礼儀正しい。
うむ、いい子だ。
基礎的な訓練は既に物心ついた時から積んでいたようなので、早速透明化して一緒に街を徘徊する。
事態は突如、動いた。
女の子が泣きながら走り去ってゆく。
何かと思って女の子の頭の中を覗いてみると、深刻な事情があるのが確かに分かった。
女の子の交際相手が同性の男の子と物陰でキスをしていたのだ。
これは泣くだろう、という事。
それ以上に危ないのはもちろん、キスをしていた男の子二人なのだが。
ここで紀章、女の子の頭の中の、今しがたのキスに関する記憶をすかさず抹消する。
さすがは見込みがあるだけの事はある。
ナイス判断だ。
ひとまず時間は稼げた。
そんな訳なので、まずはキスをしていた男の子達と話をする事にした。
ここで実体化をする僕とオースと紀章。
目の前には男の子達。
ぽかんと口を開けている姿が間抜けで面白いが、事態はそれどころではない。
ひとまずの危機は回避されたものの、問題の火種はまだ燻っているのだ。
男の子同士による浮気とも取られかねないこの事態、放っておくのもまずい訳で。
僕は早速、女の子の交際相手に事情を聞く。
「ねぇ、さっき通りすがった女の子とそこの男の子、君はどっちが好きなの?」
ここで出て来たのは、なんとも煮え切らない返答。
「どっちも好きっていうか、一人になんて決められないっていうか、そんな感じです。」
横では、相手の男の子が失望を隠せないでいる。
当たり前だ。
僕は男の子二人から互いに関する記憶と情報を全て抹消する事にした。
これで二人は付き合う前の状態に戻った。
その上で僕は女の子とその交際相手とを、しっかりとした太くて長い赤い糸で結び直す。
基本的にはゲイの子達の恋愛を応援している僕達であるが、彼はバイセクシュアルだ。
何も困難な道を無理して歩く必要もあるまい。
問題は残されたゲイの男の子だ。
これはちょっと可哀想だ。
ここで紀章、男の子の好みのタイプを探る。
紀章、これは即戦力だな。
僕は男の子と喋りながら時間を潰す。
ふと通りすがりに、まるっとした好青年を見かけた。
ここは紀章に任せよう。
紀章、頑張っている。
二人はどうやら、無事に結ばれたようだ。
良かった。
紀章とはこれからも少しの間は行動を共にする事になろうが、もう一人前といってもいいだろう。
僕と同じように、師匠の元ですぐに独り立ちをするに違いない。

さて。
紀章、一人暮らしをしている。
始めたばかりだというのだが。
お誘いを受けたので行ってみる事にした。
で、である。
まぁ汚い。
お茶をするはずがお片付けになってしまった。
こんな時だからこそ、体力のあるオースが側に居てくれる事は本当に助かる。
「オース、ありがとね。今夜はステーキにしようか。とびっきりの美味しいお肉、買ってこようね。」
「やったね!さすがは泗水、分かってるぅー!」
と、そこへ。
「そのミニブタのオースくん、可愛いですね!僕にくれませんか?先輩!」
なんとまぁ、厚かましい!
図々しいにも程があるというもの。
先輩と言われようがどうしようが、オースを手放す気はさらさらないので、ここは丁重にお断りしておく。
オースも同じ気持ちで居てくれたようで、こちらとしてもとても嬉しかった。
一方の紀章は、これ見よがしにがっかりしている。
まぁでも、僕とオース共通の友達にならなれるさ。

で、この日は紀章の手料理を頂く、筈だったのだが……。
じっと紀章の手元を見ていたオース。
危惧を覚えたらしく、飛び入りで料理に参加する。
殊更に不満そうな紀章。
だが、結果からするとこれで良かったのだ。
出てきた料理は、一応食べられるものばかり。
普段のオースの冴えがないのは、紀章があまりにも下手だったからだ。
軌道修正も大変なのである。
まぁ出てきたメニューは確かに幾つかあったのだが、その中でもメインのステーキなんて、そもそも肉を焼くだけなのだが。
これは一体、どうした事か。
どれもこれも、オースのお陰で何とかなりました、といった風情の料理ばかり。
それも、メインのステーキまでそんな調子。
「ねぇ紀章。今度うちにおいでよ!もっと美味しい手料理を食べさせてあげる。」
「別にいいょ!」
紀章、せっかくのオースの申し出にもあからさまに機嫌が悪い。
ここでオース、鼻をすりすりと擦り付けて甘えるのだが、その相手は僕。
こちらとしては嬉しくてたまらないのだが、紀章には堪えたようで。
「先輩、俺気分悪いんで、帰ってもらってもいいですか?」
や、これは悪い事をしてしまったかな。
まぁ、結構我の強い性格の子なのだろう。
僕達は揃って、気にしない事にした。

翌日、紀章と公園で落ち合う、僕とオース。
オース、もう僕の助手としては立派に一人前、いや、それ以上だ。
オースなしでは、仕事が回らなくなっている。

正直、紀章の教育係はもう要らないのではないかと思っている。
瞬間移動を人に一から教えられるほどのスキルは僕にはまだないし、そもそもそれが出来る程の素質は紀章にはない。
では一般の魔法はというと、これは大体一通り覚えているのだ。
まだ拙いが、実戦で使えないという訳でもない。
常識があるからヘマはしないだろうし、まずはスタート地点としてはこれで十分なのである。
本人にもその自覚はあったようで。
「昨日師匠とも話したんですけど、僕、一人で活動したいです。」
だから僕はこう答えた。
「大丈夫!紀章になら出来る!失敗も糧にして頑張れ!いざという時にはうちの師匠も付いているし、紫蘭姐さん、僕、オース、みんながいつでも応援してる。それは忘れるなょ。」
「はいっ!」
立派な一人前魔法使いが、また一人誕生した。

オースと、風に吹かれてお散歩。
「ねぇ泗水、あの男の子、ちょっと元気がないよ。話し掛けてあげたら?」
「よし、今日も仕事開始だ!オース、今日も協力、しっかり頼んだぞ。」
「ラジャー!」
そして今日も一日が始まる。

[おまけ]

夕方、近所のスーパーにて。
「泗水、僕のりんご忘れてるよ!ご褒美、ご褒美!」
店内で目立たないように透明化したオース、念で頻りに話し掛けてくる。
「今日はいいでしょ、荷物多いし。」
「駄目!荷物は僕も持つから!りーんーごー!」
うるさいので、今週はご褒美をあげない事にした。
だが、そんな浅はかな考えは当然、オースには筒抜けだった訳で。
「泗水の馬鹿、泗水の馬鹿ー!」
鼻パンチが喰らわされるのだった。
勢い余って、店内で吹っ飛んでずっこける僕。
仰向けで寝転がる僕の上で、オースなんと泣きながらタップダンスを始めるのだった。
「りんご〜りんご〜Ohりんご〜♪」
嗚咽を漏らしながらオース、念で直接歌声を、僕の脳内に響かせる。
これは堪らない。
オース、自分の体重が一体何十キロあると思っているのやら。
「痛!痛!」
ギブアップだ。
と言うよりも、もう死にそう。
一歩間違えたら、とっくに死んでいる話だ。
息も絶え絶え、ようやく起き上がると仕方なくりんごをカート下段の二つ目のかごいっぱいに放り込む。
「やったね!さすがは泗水!」
やったね!じゃねーよ、そう思ってオースの心の声を聞くと、驚くべき事に泣いて喜んでいるのだ。
大袈裟な、りんごくらいで。
やれやれ、である。
そんな僕の思いなどどこ吹く風。
お会計を済ませて外に出ると、実体化したオースは顔を赤らめながらこう言うのだった。
「泗水、愛してる……。」
愛されていましたとさ。
どんな愛だよ。
ちゃんちゃん。

-完-

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恋を紡ぐ人 [Ability to Survive] -Essentials for Living 6-

転んで、転げ回って、立ち上がってまた転んで。
昔の僕の人生って、まさにそんな感じだったような気がする。
よく考えてみると、物心つく前からそうだったのだ。
これは師匠から聞いている。
今の師匠が居なかったら、多分生きてゆく事さえままならなかっただろう。
考えようによっては、悪運が強かったのかもしれない。

今から二十数年前。
僕は大きな公園の多目的トイレで生まれたらしい。
その後赤ちゃんポストに入れられ、孤児となった。
生まれからして人とは違っていたのだ。
施設に預けられた訳だが、そこの施設長の前で幼い僕がたまたま魔法を使った事で、事態は思わぬ方向へと展開する。
施設長の知り合いだった今の師匠に、紹介されたのだ。
そこまでは良かった。
師匠との出会いは、僕の人生を良い方向へと変えてくれたからだ。
父の逞しさも母の温もりも知らなかった僕。
師匠はそんな僕の、希望の灯となった。
優しかった。
いつでも笑顔で接してくれた。
師匠は僕に、穏やかな愛を教えてくれた。
養父でありながら師匠は、時に母の役割をも演じてくれた。
特に、魔法に成功すると、とても嬉しそうな、それでいて穏やかな顔を見せてくれた。
その表情が何度でも見たくて、僕は魔法にのめり込んだ。
師匠には見えていたのだ。
僕と魔法の明るい未来が。
僕には確かに、素質があったのだ。

だが、困難は他にあった。
僕はませていて、当時から恋多き少年だった。
女の子相手ならまだ良かったのかも知れない。
しかし相手は男、それもデブ専である。
これが不幸の始まりだった。
告白する度に変態呼ばわりされるのだった。
それでも僕は、めげなかった。
泣いても泣いても、次の相手を探した。
小学校に上がっても、中学校に進んでも、それは変わらなかった。
生存能力や魔法の能力には長けていたが、恋愛方面での学習能力がゼロに等しかったのである、自分。
そもそもヘテロセクシュアルばかりの学校の中で同性に告白した所で、上手くいく訳がないではないか。
愚かだった。
師匠からは泗水と呼ばれていたのだが。
そんな僕、いつの間にか学校中、近所中を敵に回していた。
気味悪がられたのだ。
子供の親御さんの中には、僕と関わる事が子供への悪影響へと繋がる事を心配する向きもあった。
まさに四面楚歌だった。
あからさまに攻撃される訳ではない。
みんなが無視してゆくのだ。
声を掛けても、ことごとく返答がない。
学習出来なかった愚かな僕に待っていた、これは天罰なのだとその時の僕は思っていた。
だが、そんなどうしようもなかった僕にでさえ、師匠だけは変わらず優しかった。
「また次があるさ。」
そう言って、笑ってくれた。

師匠は僕を、恋を紡ぐ職人に育てようとしていた。
恋の成就を知らない僕が、他人様の恋を紡ごうというのである。
最初にそれを聞かされた時には、一体何の冗談かと思った。
でも師匠は、恋に失敗し続けた僕だからこそ出来る事があると、そう熱弁した。
気圧されて、その話に乗っかる事にした訳である。
考えてみれば、恋愛に報われない事に関しては、師匠も僕の仲間だったと言える。
そうなのだ。
だからこそ、未来が見えたのだろう。
伊達に人生の先輩な訳では、なかったのである。

その後も魔法の修行を重ね、晴れて中学を卒業した。
修行はそれなりにはキツかった。
年を追う毎にハードになっていったのだ。
だが、元々魔法に関しては、他の能力者と比べても随分と恵まれた素質を持っていたので、なんとかこなす事が出来た。
もともと僕はぐうたらな方だが、魔法を使う時は何故だか、楽しかったのである。
だから飽きずに続けてこられた。
師匠はそんな僕を、変わらず嬉しそうに見ていた。
そんな訳で魔法は得意中の得意だったのだが、勉強の方はさっぱりだったので、学年でも大変珍しい事に進学はしなかった。
それで良かったのである。
魔法の世界に学歴は関係ないからだ。
契約後のお給料は固定給になるとはいえ、結局の所実力がものを言う世界なのである。
何の成果も上げられなければ、首筋も寒くなるというもの。
それはまぁ、頑張る訳である。

それから十年近く。
遂に瞬間移動の魔法をマスターした。
無数にある魔法の中でも、飛び抜けて高難度の技だけに、感激もひとしおである。
これもひとえに、紫蘭姐さんのお陰なのだ。
感謝してもし切れない。
普通、素質があっても長期間に及ぶ訓練で挫折する。
今までどれだけ多くの魔法使いが瞬間移動に挑んで、敵わなかったか。
紫蘭姐さんの指導が良かったから、出来るようになったのだ。
これはもう、奇跡と言っていいかもしれない。
これで僕は、日本で四人目の、グランドマスターの称号を持つ魔法使いとなった。
この肩書きがあると、弟子が居なくても師匠とみなされるので、師匠格と同額の基本給がもらえる事になる。
暮らしが楽になるので、実にありがたいのだ。
それに、よほど悪い事でもしない限りは、クビになる事がなくなる。
グランドマスターともなると、存在しているだけでも価値があるのだ。
しかしそれ本当かね?とはいつも思うのだが。
ま、それはともかく。
悪い者共を消滅させる魔法も、グランドマスターなら師匠扱いなので使えるのだ。
これで仕事も、やりやすくなる。
良い事尽くめなのだ。
消滅の魔法、今度紫蘭姐さんに教えてもらおうか。

さて、中学卒業と同時に、築何十年といった古い借家の一戸建てで一人暮らしを始めた、僕。
師匠から一人暮らしのお祝いに、赤ちゃんミニブタをプレゼントされた。
ペットショップには師匠と同行。
何でもその子、あと少しで売り物にならなくなるところだったのだという。
人気がなかったのだ。
こんなに可愛い顔をして、すりすりと甘えてくる。
人気がなかったのは不思議だ。
幸いにも師匠は、連れて帰る気満々だった。
しかし、確かに可哀想だとは思ったが、何故こんなにも人気がないのか。
その時の僕には、分からなかった。

オスなので、僕はその子をオースと名付けた。
よく撫で話し掛け、力を分けて魔法や会話の訓練をしてと、手塩にかけて育てたのである。
毎日添い寝をする程に可愛がっていた。
しかし度が過ぎたのか、体重は増加の一途を辿り、遂には90kgを突破した。
もう、全然ミニでも何でもない。
ただのブタである。
まぁ親ブタからして大きかったようであるから、仕方ないのだ。
不人気だったのは、これが理由だった。
親ブタが大きいと、大体子ブタも大きくなるようなのだ。
親ブタは100kgとの事だったから、90kgならまだマシなのである。
ブタだけに元来大飯食らいなのはもちろんなので、工夫してこれでも餌の量は減らしているのだ。
ただこの子、師匠が連れて来ただけあって、魔法の素質は実に豊富にあったのだ。
正直言ってこれは、ブタの中では一、二を争う天才ぶりだ。
師匠、自身の魔法の才能はともかくとしても、新たな才能を発掘する能力には非常に長けていたのである。
そんな訳でオース、訓練を始めて何年かが経った頃には、よちよち歩きながらもいっぱしの魔法使いになっていた。
そう、家の外では滅多にしないものの二足歩行も出来るようになったし、言葉も流暢に喋る。
人の心の内も読めるようになった。
他のミニブタよりも随分と長生きするとの事であるし、何よりも、賢くて愛嬌がある。
相棒にはぴったりなのだ。
オースのお陰で、毎日の仕事がより楽しくなった。
顔を見ているだけでも癒される。
こんな存在は貴重だ。
しかも、いざという時には頼りになる。
互いの間に恋愛感情はなくとも、紛れもなく掛け替えのない、大切な大切な相棒なのだ。
離れ難い、まさにそんな存在だった。

陽射しが暖かい。
こんな日は散歩日和だ。
ふらふらと当てもなく街を彷徨う。
日課のようなものだ。
これも仕事の内。
オース共々透明になって、目立たないように。
オース、最近になって透明化の魔法を覚えたのだ。
ブタとしては素晴らしい成果だ。
だがオースの並外れた才能からすれば、まだまだ伸びしろはある。
頑張って欲しいものだ。
「ねぇ泗水、あの男の子の背中、寂しそうだね。」
見るとまあるい背中が一つ、うなだれていた。
僕達は即座にその男の子の頭の中を覗く。
「だいぶ弱ってるね。」
「歳は16かな。」
「想い人に振られた挙句、跡継ぎの問題で父親とも対立している。本人は継ぎたくないみたい。」
「急いだ方がいいかもね。」
そんな会話をしながら男の子の後を追う僕達。
男の子は橋を渡ろうとしていた。
少なくともその時点では、そのように見えていた。
だが。
次の瞬間、欄干に手を掛けるとジャンプしてそれを飛び越え、あとはもう真っ逆さま。
慌てた僕とオース、魔法で男の子の腕を強引に手繰り寄せた。
周囲に気取られぬように透明化の魔法も併せて少年に用いた為、騒ぎになる事はなかった。
こうして、既の所で、危機は回避された。
「どうしたの!しっかり!」
「起きて!」
実体化した僕達が、気を失いそうな男の子に揃って声を掛ける。
「う……、あ……。」
完全に目を覚ます男の子。
良かった。

近くの公園で話を聞く。
男の子は訥々とした口調で事の起こりを語るのだった。
「あの、、、僕、好きな人に告白したら、いじめられたりゆすられたりするようになって、、、。」
男の子の言葉は短かったが、それで僕達は揃って大体の事情は察した。
恋愛には常にリスクは付き物だ。
男の子、良くない相手に恋をしてしまったのである。
これだから少年ゲイの告白はお勧め出来ないのだ。
何度も失敗してきた僕が言うのだから、間違いはない。
ちゃんとした出逢いの場で相手を選ばないと、大抵の場合ゲイの告白は失敗するのだ。
そしてそれは、少年ゲイには難しい。
念のために僕達は、更に男の子の頭の中を覗いてみる。
それは、切ない恋の繰り返しだった。
去勢されているオース、恋の感情は分からない。
性欲が湧かないだけではないのだ。
だからその持てる能力の割には、いつまでたっても僕の助手止まりな訳だが。
本来なら独り立ちしていてもおかしくない所だが、そこはブタであるし、まぁ仕方ないのだ。
しかし、オースには分からなくても、僕には分かる。
何度も恋で挫折して、遂に力尽きようとしていた男の子の心の内が、手に取るように。
少年ゲイの恋はまず叶わないし、立場が弱い上に偏見があるので、色々と難しいのだ。
絡まった糸をほぐし、紡ぎたての糸で新たな相手と結んであげる事、それが今回僕達に課せられたミッションである。
まずは男の子の告白相手の元へと向かい、男の子に関する記憶を残らず消去した。
これでいじめやゆすりはなくなる。
次に男の子の両親の元へと忍び寄り、関心を次男へと向ける事にした。
男の子は長男だったのだ。
関心が次男に向かう事で、家業を継がなくても良くなる。
親子間の関係には、なるべくなら手出しはしたくなかったのだが。
この場合は仕方ない。
そう言い聞かせた。
他に手はないのだ。
グランドマスターになると、こういった場合にも裁量の幅が大きくなるので、面倒がなくていい。
次男は少し可哀想だが、ここは頑張ってもらおう。
男の子の新しい相手だが、これには心当たりがあった。
僕の相方・浩司さんの弟である。
年上になるが、男の子にとってはそれ位がちょうど良いのではないかと、そう思えた。
浩司さんの弟は自活しているので、男の子も高校を卒業したらそこで共に暮らせばいい。

赤い糸で、恋の灯りに光が灯る。
男の子の目に、輝きが生まれる。
一度も恋が成就した事のない男の子にとってその目の輝きは久々の事だったようで、僕達としてもとても嬉しい。
二人は、結ばれた。
もう、離れない。
特に男の子にとっては、苦労して掴んだ幸せだ。
手放す道理がない。
もちろん、祝福される恋ではない。
それでも、当人達が幸せなら、それでいい。
このお仕事はこれにて、一件落着。
「泗水さん、ありがとう!」
男の子の笑顔が、素直に心に沁みる。
生き抜く力も、これで高まった事だろう。
僕達もこれでまた、前へと進める。
良かった。

後日談。
やはり二人は、男の子の高校卒業を待って、共に暮らす事にしたようだ。
今は日帰りで男の子が浩司さんの弟の元に遊びに行っている。
男の子は料理が得意なようで、ちょくちょく訪れては手料理を振る舞う。
食材の買い出しは二人並んでスーパーに出掛けるのだ。
ちなみに男の子の得意料理は、肉の野菜炒めと、豚汁らしい。
二人の見た目には、似つかわしい料理だ。
男の子、苦労してきただけに、幸せになって欲しい。
浩司さんの弟はともかくとしても、男の子は両親へのカミングアウトもまだであるので、今後色々と困難な事も待ち受けているだろうが、是非とも頑張って欲しいものだ。
僕とオースはこれからも二人のためになら幾らでも協力すると、誓ってみせた。
新しい門出、いつまでも応援している。

そして月日は流れ、男の子の高校卒業の季節がやって来た。
男の子の両親は、男の子がゲイである事を、とうの昔に知っていた。
そこは親なのである。
失恋を繰り返し、時に泣き、時に喚き、時に塞ぎ込む。
部屋には女の子のアイドルのポスターの一枚も、グラビアアイドルの写真集もない。
それはまあ、分かるのである。
何しろ女っ気が一切ないのであるのだから、分からない方がおかしい。
仮にも長年親業をやっているのである。
何年も前から覚悟はして来た事だけに、息子がゲイだからといって驚くような事は、この夫婦に限っては今更なかったのだ。
父は、男の子を黙ってきつくきつく抱き締めた。
母は、リビングの片隅で泣いていた。
この時母は、男の子の幸せを、心から祈っていた。
男の子は一言だけ、言った。
「好きな人が居る。僕、その人の家で暮らしたい。ダメかな?」
父は一言こう、答えた。
「お前が信じた人だ。それも良かろう。でも、辛くなったら戻ってくるんだぞ。」
父がそこまでを言い終えた瞬間に、男の子の緊張の糸が切れた。
男の子は号泣した。
ここまで愛されていたという事実。
それは男の子の涙腺を崩壊させるのに十分だった。
それから程なくして、男の子の引越しは行われた。
浩司さん兄弟はカミングアウト済み、揃って成功している。
これで男の子達を阻むものは、何もなくなった。
嬉しい、そんな些細な感情がこんなにも大切だったなんて、そう男の子達は噛み締めていた。
嬉しかった。
ただひたすら、嬉しかった。

男の子の引越し先で、細やかなパーティーをする事になった。
僕と浩司さんが招かれた。
男の子や浩司さんの弟のご両親を招いたパーティーは、顔合わせも兼ねて既に小さなレストラン貸切で行われていて、今日のはもっとプライベートなパーティーだ。
お料理担当として、オースももちろんいる。
オースはお手製のホールケーキを用意していた。
他にも鶏の丸焼き、ローストビーフ……気合が入っている。
男の子がまだ飲めないので、酒の類はない。
色とりどりのご馳走を前に、コーラで乾杯。
「美味しいね!」
男の子のひと言で、場が和む。
「そうでしょ!」
オース、誇らしげに胸を張った。
その様はまるで、そっくり返って倒れそうな程だ。

パーティーの帰り道。
僕とオースと浩司さんは、暗い夜道を並んで歩いていた。
「また来られるといいね!」
オースがそう言うので、僕と浩司さんは黙って頷いた。
今回もお仕事成功。
だが僕達はこれからも、その行く末をずっと見守っている。
それがこの仕事を生業とする者の務めだからだ。
まだまだ、未来は終わらない。

-完-

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恋を紡ぐ人 [Endless Winter] -Essentials for Living 5-

「惣治、ご飯よ!」
自室でテレビを見ていた少年時代の惣治。
夕食の時間になり、母が呼びに来る。
「はーい、母ちゃん!」
「今日はカツカレーとオムライスよ。」
オムレツではなく、オムライスなところがミソらしいのだが。
炭水化物が多めなのは、いつもの事らしい。
「やったー!いただきまーす。」
両方共、惣治の大好物だったようである。

「惣治、たくさん食べて早く大きくなって、いいお嫁さんと結婚して孫の顔を母ちゃんに見せるんだよ。」
「うん、約束する!」
小さな一戸建ての食堂には、惣治と母の二人だけ。
父は単身赴任中。
それでも食卓が和やかだったのは、親子二人の絆があったから。
きっとこの惣治という子には、自分と同じような丸々とした子供が将来、出来るのだろう。
そんな気がした。
そんな夢を見た。
でも惣治って一体、誰だろう。
少なくとも僕の乏しい交友録の中には、そんな名前は載っていなかったーー。

吐く息が白い。
寒さも峠を迎えつつあった一月下旬。
ある依頼が僕の元へと舞い込んだ。
直接依頼を受けたのは紫蘭姐さんの弟子だったが、デブ専というマイナーなジャンルの話だった事もあり、僕に回ってきたのだった。

歩きながら僕は、依頼主の住む家を探す。
道が複雑に入り組んだ住宅街。
魔法で大体の見当は付くが、普通の人なら迷子になっている。
そういえば恋というのも時に、ある意味では迷路のような一面を見せる事がある。
早々と運命の人に巡り会えた人はラッキー。
でもそんな人は、決して多くはない筈。
そうした大部分の人の恋の導き役となるのが、僕達契約済み魔法使いの仕事なのだ。
依頼主の住む家の玄関扉の前で。
丸いな。
自分だって人の事は言えないが。
とにもかくにもまぁ、そんな第一印象。
もちろん、依頼主の事である。
名前は、惣治。
なるほど、昨晩の夢の主は、この子だったという訳だ。
しかし正夢だったとして、ゲイだったとはなぁ。
これは一悶着ありそうな予感。
で、この子。
可愛くない事もないが、少なくとも僕の好みではない。
まぁ関係ないのだが。
その彼、会って早々にとんでもない事を言い出した。
「俺、恋をしたんです!相手は浩司っていう人で!」
恋をしたとの事だったが、よくよく話を聞いてみるとその相手というのがどうやら、あの浩司さんなのである。
僕の彼氏だ。
これには困った。
珍しく、一瞬固まったりもした。
私情に絡め取られてその場で突き返したように見えても困るし、かといってこの依頼をすんなりと受け入れられる程には、僕はまだ大人ではない。
ここはひとまず返事は後日する事にして、一旦保留とした。
後日やんわりと断って、別の相手とくっつけてしまえば良いかなと、それ位に思っていた。

それ以降ほんの少しの間、甘い時が続いた。
「浩司さん、浮気したら嫌ですよ。」
二人だけの時間。
僕の口からは半ば無意識に、そんな言葉が漏れ出ていた。
「大丈夫だよ、ずっと一緒に居ようね。」
蕩けるような時間。
この時確かに、僕は幸せの絶頂にあった。

事件は、惣治と出会ってから一週間ののちに起こった。
浩司さんと二人で、仲睦まじく歩く公園の散歩道。
一瞬の油断で僕は、浩司さんの手を取ってしまう。
そこへタイミング悪くやって来たのが、惣治だ。
見られてしまった。
まさに、決定的瞬間。
言い訳のしようがない。
「なんだよお前ら、俺の気持ちなんてどうだっていいってか!?」
ここで僕、覚悟を決めた。
「浩司さん、君にやるよ。その代わり、その先どうするかは浩司さんが決める。いいね。」
二人共、目を丸くした。

帰宅。
オースが出迎えてくれた。
「お帰り、泗水。早かったね、浩司さんは?」
これには、無言を貫いた。
オース、事情を察してくれたようで、こちらとしても助かった。
浩司さん、ここで暮らしてはいるが、まだ別にアパートを借りている状態。
とはいえ、ここに戻らないというのは珍しい。
オースが気の利く子で良かった。
「もうすぐハンバーグとロールキャベツが出来るよ!淋しいのなんて、お腹が膨れたら忘れちゃうょ!」
結局、二人で紡いできた思い出と絆に、一縷の望みを託すしかない自分。
情けない。
でも、こういった事を生業としている以上、この事態は仕方のない事なのだ。

思えば短かったけれども、楽しかった日々。
いろんな所に出掛けた。
テーマパークのアトラクションに十一時間並んで待った事も、今ではいい思い出だ。
そういえば原宿のスイーツカフェに三時間並んだ事もあったっけ。
良く考えてみると並んだ記憶は数多いのだが、喧嘩になった事は一度もない。
温かい人だった。
だからこそ、猛烈な喪失感に襲われた。
そのせいだろうか。
オースとの食事中、不意に涙が溢れた。
するとオース、黙って手ぬぐいを手渡してくれる。
その気遣いが温かくて、僕は号泣した。
「早く元気出してね。泗水のそういう顔見てるの、僕、辛いから。」
オースにまで気を遣わせてしまった。
自分が、情けない。
そこへ突如、人の気配が。
これはもしや……。
「まだまだだね、あんたも。」
「紫蘭姐さん……。」
紫蘭姐さんの、突然の来訪。
紫蘭姐さんは瞬間移動が出来るから、本来ならばこれは別に驚くべき事でもないのだが。
まぁ、瞬間移動は時短にはもって来いだから、紫蘭姐さんにはぴったりの能力だ。
何かと忙しい紫蘭姐さん、こうして会えるだけでもありがたい存在なのだ。
それだけに、嬉しい。
ちなみに瞬間移動、これが出来る魔法使いは今、日本には三人しか居ない。
百戦錬磨のうちの師匠でさえもが出来ない、極めて高難度の技なのだ。
「あんたは鍛錬さえ積めば瞬間移動だって出来るようになるわよ。今度、マンツーマンで稽古つけてあげる。多分オースも時間を掛ければ出来るようになるわね。しんどいけど、頑張るんだよ、オース。」
ガッツポーズのオース。
それにしても驚いた。
あの紫蘭姐さんにマンツーマンで教えてもらえる。
彼女の弟子達が聞いたら、嫉妬するに違いない。
「ありがとうございます!よろしくお願い申し上げます!」
頭がテーブルにくっつく位の角度で、僕はすかさず立ち上がりお辞儀をした。
オースも頭を下げるのだが、下げ過ぎて前のめりになって転んでしまった。
「あいたたた!」
ちょっぴり痛がるオース。
「面白いわね。」
紫蘭姐さん、くすりと笑った。
緊張がほぐれる瞬間だ。
「で、あんたの彼氏の事だけど。多分戻って来るわよ、もうじき。彼の頭の中、覗いてみた?」
正直、怖くて覗けなかった。
新たな幸せを満喫していたらどうしよう、そんな不安と恐怖が覗くのを憚らせていた。
しかしここは、紫蘭姐さんの言を信じる他ない。
恐る恐る、回路を開いてゆく。

良かった。
浩司さんは僕の事を、これっぽっちも忘れてはいなかった。
何回惣治と寝たとか、そんなのは正直関係ない。
気持ちが残っていた、それだけで飛び上がる位に嬉しかった。

それから一ヶ月。
長かった。
仕事をこなしながらも、そわそわしたりがっかりしたり。
そんな日々の繰り返しだった。
オースは度々励ましてくれた。
「付き合う事は出来ないけど、親友で相棒の僕が居るから、淋しくないでしょ。」
そうだ、僕にはまだオースが居た。
愛嬌のあるオースの顔を見ていると、元気がもらえる。
それだけでも、また頑張ろう、そう思えるのだった。

やがてその時は、ふらりと訪れた。
「やぁ泗水、ただいま。」
浩司さんの声だ。
僕は慌てて玄関まで駆け付ける。
とびきりの笑顔だった。
だから僕は、とびきりのキスでこれに応えよう、そう思った。
「ちょっと待ったぁ!」
耳をつんざく声。
その主は、惣治だ。
「お前の相方、返してやる。でもな、もしも浩司さんの事を泣かせたりしたら、その時は俺がまた取り返しに来るかんな!」
そんなつもりはさらさらないので、改めて。
久しぶりの、キス。
フレンチ・キスもなかなかいいもんだなぁ、と再認識させられた。

あれから浩司さん、惣治と円満に別れるために、苦労して立ち回ってくれていたらしい。
浩司さんとの赤い糸は、まだちゃんと繋がっていたのだ。
それも嬉しいのだが、何よりオースが今回の出来事を自分の事のように喜んでくれた事が、嬉しくてならないのだった。
「泗水、おめでと!これでまたみんなでつるめるねー。」
そう言われてオースを見ると、ニコニコ顔だ。
たまらなくなって、僕はオースに抱き付いた。
オース、軽い鼻押しでこれに応じた。

それから更に一ヶ月。
浩司さんと仲がいいのはもちろんだが、僕と惣治、友達になっていた。
お誂え向きの男の人が居たので、惣治と赤い糸でくっつけてやったのだ。
それがきっかけといえばきっかけ。
ただその人、システムエンジニアで、いつも忙しい。
短気な惣治が無理を言わないか、気掛かりではあった。
「なぁ泗水、うちの彼氏、明日も仕事だって!土曜日なのにデートはキャンセルかも。むかつくー!」
「まぁ落ちつけ。彼氏の頭ん中覗いてやったけど、本当に仕事みたいだから無駄な心配はすんな。それにしてもお前見てると時々思うんだけど、大学生ってほんと、暇なのな。」
この頃、暇な時はいつもうちに入り浸っているので、別に迷惑な訳ではないが、冷水でも浴びせておこうという訳。
そこへやって来たのが、紫蘭姐さん。
例によっての、瞬間移動。
「泗水、オース。しばらく暇が出来たので早速、瞬間移動の稽古をつけてやる。みっちりやるから、覚悟しておけ。ついて来い。」
「はいっ!」
惣治とはひとまずここでお別れ。
「じゃーなー、またなー!」
惣治の呼び掛けに、振り返る事なく手を振って応じる僕。
再会はどれ位先の事となるのだろうか?
正直、この時の僕には見当も付かなかった。
でも。
「一年はかかるな。」
その程度の覚悟なら、出来ていた。
浩司さんとも、ひと時のお別れだ。
でも僕達の絆は、壊れない。

ここで一服。

[オースの小噺]

僕、オース!
泗水の飼いブタです。
種類としてはオスのミニブタですが、サイズとしては既にミニではありません。
親ブタの体重が100kgあったので、仕方ないんです。
くれぐれも食べ過ぎで大きくなった訳ではありません。
巨大化してしまうのを敬遠されてなかなか引き取り手が見つからず、殺処分も視野に入っていて鬱になっていた所を、泗水の師匠が引き取ってくれたのでした。
僕の魔法の才能をただ一人、師匠が見抜いてくれたのでした。

ちなみに、水色の前掛けがチャームポイント。
外に出る時は、外します。
ハーネスを付けますので。
鼻で土を掘るのが、大好き。
泥浴びなんてのもします。
でも、これでも一応綺麗好きなんです。
トイレはしっかり覚えたし、毎日の水浴びは欠かしません。
特技はお料理。
和食に中華、何でも作りますが、一番の得意はやっぱり洋食!
ポークカツレツとか、ブタなのによく作りますし、大好物です。
良い事をした時の泗水からのご褒美は、刻んだりんご。
山ほど食べたいけど、そうはいきません。
残念。
でも、トイレを粗相しなかっただけでもりんごを貰えるから、俄然やる気が出ます。
時々お腹が空くと、自分を食べたくなります。
魔法を自在に使えるようになってからは、人間と同じものを食べても平気になりました。
本当は体に悪い筈なんだけど。

お掃除もよくします。
お陰で、家中ピカピカ!
そんな僕ですが、一番の悩みは、飼い主で相棒の泗水の事が時々、よく分からないという事。
お師匠さんに相談したら、「気にするな」の一言で片付けられてしまいました。
どうしたらいいんでしょう?
ちなみに、ここでは喋る生き物は長生きという事になっています。
僕もまだまだ、頑張ります!

[オースの小噺:ここまで]

九ヶ月後。
季節は既に再びの冬を迎えようとしていた。
僕は遂に、瞬間移動の魔法をマスターした。
オースには自主トレーニングが課せられた。
こちらはもうしばらく先かな。
まぁ僕にしても、ずいぶんと時間が経ったように思えるかも知れない。
それはそうなのだが、紫蘭姐さんの当初の見立てよりはこれでも随分と早かったのだ。
えっへん。

お祝いに師匠から一週間のお休みを頂いたので、オースや浩司さん、惣治達とのんびり過ごしている。
そこへ、突如、急報。
惣治のお母さんがくも膜下出血で倒れたのだ。
そのまま意識は戻らず、あっという間に他界。
惣治、大慌てで向かうも間に合わず。
先に触れた通りで、生前、惣治のお母さんは孫の顔を見るのをとても楽しみにしていたのだ。
惣治は一人息子だ。
責任を感じたらしい。
とんでもない事を言い出した。
「俺、彼氏と別れて結婚する。」
だからあえて、聞き返した。
「好きになった娘でも、居るのか?」
「いや、居る訳ないだろ。誰でもいい。適当に見繕う。子供さえ産んでくれればそれでいい。不妊治療でもなんでも、今は方法があるから。」
僕は殴った。
渾身の力を込めて、拳で。
痛かったと思う。
勢いでやった訳ではない。
あえての事だ。
「てめ、何しやがる!」
それはこっちの台詞だ。
「相手の気持ちも少しは考えろ、馬鹿野郎!」
人を殴ったのも馬鹿野郎と言ったのも、生まれて初めての事。
動悸が治まらない。
だが、確信はあった。
これで、良かった。
惣治はその場に泣き崩れた。
結局僕はその晩、泣き止まない惣治にずっと付き添っていた。

惣治はお母さんっ子だった。
父親は単身赴任が多く、コミュニケーションを取る機会がなかった事もあり、惣治とは疎遠だった。
幼い頃から惣治は、そうした事もあって母親を喜ばせようと勉強にスポーツにと、頑張った。
お母さんも、そんな惣治を見るのが嬉しくて、誇らしかったらしい。
惣治が今の難関私立大学へと入学出来たのも、お母さんのお陰だったと言っても過言ではなかった程だ。
だからだろうか。
浩司さんは惣治にとっての遅い初恋の相手だった訳だが、惣治、大学生にもなるのに自分がゲイであることについて悶々と悩んでいた訳だ。
僕なんかその年頃にはそんな悩みはとっくに卒業していた訳で、これはもう、人それぞれという他ない。
でも、いかに大好きなお母さんへの罪悪感があったとしても、気持ちもない女性に子供を産ませるというのは間違いだと僕は思うから、先の通り、殴ったことは別に後悔はしていない。
むしろ結果だけ見れば良かったのではないかと、それ位に思っているのだ。

終わりのない冬。
惣治にとってはまさに、そんな日々。
そうした中でも、惣治とその彼氏は上手くいっていて、それがお互いにとっての良き癒しとなっていた。
もう、僕の魔法の力など関係ない。
だが、この一件で自信を深めたのもまた、事実だ。
僕は惣治に、養子縁組を勧めた。
惣治にしてみれば、お母さんが他界したばかりでそれは、余りにも自分勝手な振る舞いだと、そう思ったのだろう。
そんな事もありためらいはあったようだが、彼氏の後押しもあって、最終的には手続きに至った。

手続きをした、その日の夜。
枕元に惣治の母が現れたらしい。
真偽の程は分からない。
ただ、惣治の母、こう言っていたのだとか。
「男でもいいわよ。孫の顔は諦めたわ。何より私がこんなんじゃ、抱っこも出来ないから意味ないですもんね。幸せになるのよ!こんなチャンスは早々ないんだから、お相手の悠宗さんの事、大切にするのよ。しっかりね!」
翌日、僕の前でも惣治は、泣いていた。
今朝は悠宗さんの前で、大変だったらしい。

でも、良かった。
雪解けは、間近だ。

-完-

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恋を紡ぐ人 [white with snow] -Essentials for Living 4-

しんしんと、雪が降り積もる。
都会では珍しい大雪。
滑りそうになるのをぐっと堪えて、ペタペタと進んでゆく。
所々、路面が凍結しているのが分かる。
気を抜けない道程。

空が重い。
辺りはもうすっかり暗いけれども。
まるで、これから起こる出来事を予期しているかのような。
正直、気が進まなかった。
でも、その気持ちとは裏腹に、足は前へと進むのだった。
職業病、かな。

正直、疲れた。
しんどい。
僕は滑らないようにと細心の注意を払いながら、指定の住所の辺りをぐるぐる、ぐるぐると回るのだった。
「あった、ここだ。」
僕は依頼主の住処をやっと見つけた。
それは、あばら屋といっても過言ではない程の、ぼろぼろの木造建築だった。
魔法で大体の場所の見当はついていたというのに、間口が狭く、廃屋にも見えたので、気付かずに迷っていたという訳だ。
「築百年位は経っていそうだな。」
人の住んでいる気配がおよそ感じられない。
だが、番地からするとここで間違いないのだ。

すうっと一つ息を吸い込んで、呼び鈴を鳴らす。
緊張で、身体が固まる。
少し、嫌な予感がした。
「気を付けるんだぞ」という師匠の声が、どこからか聞こえてきたので、僕はいよいよ落ち着かない。
その途端に、家の明かりが点いたので、僕は心底驚く。
奥からぱたぱたと足音が聞こえてきた。
「やぁ、ごめんなさい!泗水さん、ですよね?」
ガラス戸の奥から出て来たのは、年の頃十四、五の少年だった。
『なぜ電気を消していた?』
どこか少年には精神面で問題があるような気もした。
冬の夕方。
こんな暗い室内で何をしていたというのだ。
うたた寝?まあそれも一つの可能性としてはあろうが……。

お茶の湯気が、茶の間に舞う。
お茶請けに落雁が出て来るというのは、多分この少年のセンスではないだろう。
手を出して、一口。
意外と、美味い。
「お茶請け、渋くてすみません。母の趣味でして。母子家庭なんで、母、朝も夜も勤めに出ていて、まだしばらく帰って来ないんすよ。どうぞ寛いで、ゆっくりしていらしてください。」
部屋には、石油コンロ。
今時、珍しい。
時間が止まったような部屋の中で、忙しなく鳴り続ける携帯だけが、今を感じさせる。
SNSのやり取りだろう。
「やぁ、気になさらないでくださいね!あいつ、来客だから送るなって言ってあるのに、寄越すんだから。」
「あいつって?」
少し、引っかかったので、聞いてみる。
「友達っすょ!獅郎。あ、俺の名は直己です。よろしくです!」
手が出て来たので、握ってみる。
思いの外、冷たい。
「冷たいね、手。水仕事でもしてたの?」
「さっきまで母が居て、夕食を作ってくれたんすょ。その洗い物。残り物で良ければ、食べます?カレーっすょ、味はバッチリです!」
「せっかくだから少し、貰おうかな。」
「はいっ!」
夕食を作って待ってくれているオースの顔が浮かばない訳ではなかったが、正直お腹は空いていた。
ここは素直に頂こう、という訳だ。

明るい所だから気が付いた事。
少年、優しそうな面立ちの割には、目が少しきつい。
そして、どこか憂いを帯びているようにも感じられる。
こういう時、どうにも嫌な事がありそうで仕方ないのだ。

かつてまだ駆け出しだった頃、ちょうどこんな少年の依頼を受けた事がある。
いわゆる横恋慕というやつで。
なんとか叶えて欲しいという。
相手はバイセクシャルだが、まずいのは結婚していて子供も三人もいた事だ。
もっと良い相手を紹介するからと言って、結局依頼自体は断ったのだが。
そうしたらその子、泣きながら駆け出していった。
よくある事だろうと思って気にも留めなかったのだが。
その少年、憧れの彼の家、マンションの一階の部屋に乗り込むと、ガラスのサッシを突き破り、持っていたナイフで奧さんと子供三人を次々と殺害。
後に社会問題化するのだった。
一人生き残った被害者の男性の気持ち、いかばかりか。
想像するに余りある。

実はこの時は、世間の僕への反感はさほどのものでもなかった。
家庭を破壊しようとする横暴な容疑者の依頼を、毅然として追い払った、といった論調が主だったように思う。
師匠も優しかったが、僕はひたすら後悔に明け暮れた。

部屋を見回す。
こざっぱりとしていて、物があまりない。
精神的に病んでいるなら、もっと散らかっていても良いはずなのだが。
「ねぇ直己君、君の部屋、見せてくれる?どんな部屋で暮らしているのか気になって、さ。」
「あ、そんな事よりカレーあったまりましたよ。」
「ありがとう。頂くよ。」
やはり素直には見せないか。

僕の名は、泗水。
師匠やミニブタの相棒オースと共に、主にこの日本のゲイ達の恋を紡ぐ、いわば職人のような魔法使い。
この能力は、誰にでも備わっているというようなものでもないので、弟子入りを志願してくれる子達も中には居るが、基本的にそれらは全て断っている。
やって来るのが、能力を持たない人達ばかりだからだ。
憧れだけでは出来ない仕事なのである。
オースの場合も、僕が少し力を分けてあげたというのはあったものの、基本的には素質が十分にあったのだ。
だからこそ、相棒にもなれるという訳で。

カレーが、美味しかった。
少し、といったのに山盛り出て来たので、帰ってからオースの料理を食べられるかどうか。
やれやれ、これはもしかしたらオースには可哀想な事をしてしまうかも知れない。
カレーが胃の中で重い。

少年から話を聞いて、その内容が思いの外重たくて、そう、ちょうど今日の空模様、或いはカレーみたいで。
どうしようか、と迷いながらも結局、家路に就く事にした。
そういえば少年、どことなく不自然な感じがした。
笑顔に嘘があるのだ。
僕はそういうのは割と簡単に見抜く方だし、この少年、顔に出るから分かりやすいのだ。
「ここは誰が片付けているの?」
玄関先で聞いてみる。
気になっていた事。

「いえ、姉が……。」
少年、やはり口ごもる。
まぁ、この感じだと自分でやる訳はないよな。
水仕事も、渋々といった所だろう。

この日はそのまま真っ直ぐに帰宅となった。
今夜は一段とよく冷える。
途中、凍結した路面で尻もちをついてしまった。
かなり、危ない予感がする。
でも予感は予感に過ぎない。
未来が見える魔法があれば万事解決なのだが、あいにくそんな都合のいい魔法は存在しない。

元来胃腸の強い僕が、下痢をしてしまった。
帰宅してしばらく後。
自分でも驚いた。
後は察して欲しい。
くれぐれも、さっき出て来たカレーが痛んでいただとか、そういう訳ではなかったので、誤解のなきよう。
オースの作る料理があまりにも美味しくて、食い意地の張っている僕は無理をしたのだ。
それでもオースの無邪気な顔を見ていると、気分も良くなるというもの。
僕にしてみれば、オースは可愛くて仕方ないのだ。

それにしても困った。
ヘテロセクシャルな人間をゲイに変えて欲しいというのである。
しかも、恋を叶えろ、と。
歴史的に見ても、逆なら枚挙に暇がないのだが。
あまり前例がないので、離れた場所の師匠の頭の中を覗いてみる。
今は就寝中なので、バレる事もあるまい。
早速、今回の依頼と近い事例を見つけた。
だが、それはあまり参考にならない、或いは参考にしてはいけない事例だった。
師匠は断ったのだ。
悲恋になりそうだった訳である。
同じ立場で今だったなら、僕でもそうしていたかも知れない。
で、依頼主、自殺してしまったというのだ。
これはいけない。
それでなくても、昔の失敗の事もある。
今回の依頼、どうやら受けるしかなさそうだ。
が。

八年前のあの日の午後。
雷鳴が轟いていた。
僕達魔法使いでも、一般の人達の依頼を引き受ける事はある。
だが、それは内容にもよる。
あったのだ、僕にも。
迂闊に依頼を引き受けて、悲恋となってしまった事が。
思い出した、というよりも蓋をしていた記憶が後から後から止め処なく溢れ続けた、といった方が正しいかも知れない。

僕達魔法使いは神様の作った掟に縛られている代わりに、守られてもいる。
たとえ依頼主やその関係者が自殺したり事件を起こしたりしても、それが予期出来ない過失であるなら、不問に付されるのだ。
そうでもなければおよそ出来ない仕事なのであるから、仕方ないといってしまえばそれまでなのだが。

それは、哲郎と純也の恋の話だった。
八年前、二人は互いに惹かれ合っていた。
だが、各々の家中の人間が暗に反対していた事もあって、告白するには至らなかった。
今日と同じような雪の日。
耐えかねた哲郎が、僕の元にやって来たのだ。
哲郎は、自分達が無事に結ばれるようにと、強く願っていた。
「お願いします、泗水さん!」
その時の純粋で強い眼差しが、今でも忘れられない。
僕は、人助けをするつもりだった。
実際、僕の力で二人は結ばれた。
だが、谷底とでも呼べる状態は、その先に待ち受けていた。
家の者達が、二人を引き離そうとしたのだ。
彼ら家の者達の意志は、僕の魔法の力が及ばない程に固かった。
まぁそもそも彼らに直接魔法をかけた訳ではないのだから、仕方ないとも言えるのだが。
暗黙の了解で、そうしたことはなるべく行わないようになっていたのだ。
親子間の問題は、魔法を使わない円満な解決が理想、という訳で。
「いいかい、あいつはお前をかどわかそうとした悪人だからね、もう二度と会っちゃいけないよ。」
「あの悪党はお前をホモの道に引きずり込もうとしたんだ。会っちゃ駄目だよ、許さないから!」
各々の両親はそれぞれにそう言って、哲郎と純也の恋を踏みにじった。
それはまだ少年だった二人には、到底受け入れられない話だった。
その直後、哲郎の家の引っ越しが急遽決まった。
直接的には哲郎の父の転勤がその理由ではあったが、実際の所は哲郎の父が上司に強く懇願したから、そうなったのだった。

最期の日。
各々、両親の目を盗んで深夜に家を抜け出し、いざという時の待ち合わせ場所となっていた湖で落ち合う。
二人はその時、どんな顔だったのだろうか。
僕には、笑顔だったように思えた。
その後、手を取り合って、入水するーー。
天性の才能があるとの巷での評判があったとはいえ、まだ駆け出しだった僕には、この事態は予見出来なかった。
少年達は封建的な田舎に住んでいたのだ。
許される訳がなかった。
それを見落とすという、まさに痛恨の失態だった。
都会に居過ぎて、感覚が狂っていたのかもしれない。
その一報を聞いた僕、泣きながら崩れ落ちた。
師匠は、怒らなかった。
それどころか、遺族による謂れなき誹謗中傷から、僕を守ってくれた。
この時から、師匠への畏敬の念が僕の中で確固たるものとなった。

今回の件、慎重に対処せねばならない。
直己にも問題はありそうなのだが。
懸念していたのは、直己の母だ。
だがこれは意外にも、頭の中を覗いた範囲では、特に心配はなさそうだったのだ。
ここで懸念となるのは、獅郎の一族である。
彼ら、旧財閥の一門を遠縁に持っているのである。
実は直己と獅郎は通っている学校からして違う。
嫌な言葉ではあるが、育ちが違うのだから、当然だろう。
どうやって知り合ったのか、疑問にも思ったが何故だか仲が良いという。
獅郎の親御さんはこの辺りの大地主らしいので、たまたま住まいが近所だったのがその原因だったのだろう。
まぁそんな訳なので、二人が結ばれた所で、良くて勘当されてしまうのがオチだ。
どうすべきか。

考えた末に、僕は特殊な赤い糸を紡いだ。
技術としては習得してはいたが、実際に紡ぐのは今回が初めてだ。
現時点で結ばれたとしても、勘当されてしまえば二人、年齢を考えればおそらく自活は出来ない。
かといってそのままにしておいても獅郎はやがて、他の相手と交際を始めてしまうだろう。
そこで、二人の気持ちが離れないように固着させつつ、実際に結ばれるのは何年も先になるという、本当に特殊な赤い糸を紡いでみたのだ。
この糸、プラトニック・ラブと呼ばれる事もある。
成人してしまえば勘当された所でどうにかなるだろう。
ここは一つ、直己の忍耐力に賭けてみたのだ。

だが、事態はここで思わぬ方向へと展開してゆく。
悲観した直己、僕が魔法を使う前に、暴挙に出ようとしたのだ。
短絡的な、衝動的犯行。
僕がそこまで信用されていなかった証でもある。
まさに痛恨だ。
嫌な予感というのは、これの事だったーー。

吹雪だった。
珍しい事もある。
前途多難を思わせる冷たい風で、息が苦しい。
やけに胸が痛むのを感じた僕は、千里眼で直己の様子を伺う事にする。
直己は出刃包丁をショルダーバッグに忍ばせて、家を出ようとしていた。
急がねばならない。
だか、運の悪い事に獅郎はすぐ目の前に居たのだ。
とんでもない偶然だ。
よう、と獅郎が声を掛けるのとほぼ同時に、直己は獅郎の腹を突き刺した。
直後、同じ包丁で今度は己の胸を突き刺す。

幸い、目撃者は居なかった。
事は一分一秒を争う。
瞬間移動の出来る大変珍しい魔法使いである紫蘭姐さんを呼び出して、二人で直己と獅郎の怪我を治す。
幸いどちらの怪我も致命傷ではなかったので、助ける事が出来た。
「泗水、よくやったよ。ついでに二人の中のこの事件に関する記憶も、残らず消しておやり。」
「はい!」
念を込める。
程なくして目を覚ました二人は、事件の事などすっかり忘れていた。
出刃包丁は紫蘭姐さんが隠したようだ。
僕は改めて先程の赤い糸を二人に結び付ける。
これもいい機会だと思い、直己に思いの丈をぶつけるように促した。

「あのね、僕獅郎の事、好きなんだ。」
「知ってたよ。」
やはりな。
直己、顔に出るのだ。
「もうしばらく辛抱してくれるか?」
獅郎がそう言うので、直己は泣きながら獅郎に抱き付いた。
「出来るね?」
僕が改めてその意志を直己に確認する。
「うん、ありがとう、泗水さん!」
どうなる事かと思ったが、良かった。
この一件はひとまずこれでひと段落。
だが経過観察は必要だろう。
僕は内心で、心から幸運を祈るのだった。

翌朝、空は澄み渡り、晴れ渡っていた。
二人の門出を祝福しているような、そんな朝だった。
不幸なんてない方がいい。
好きな人を殺すなんて、惨すぎる。
元々直己が良い子だとは知っていたから、何としてでも救いたかったのだ。
間に合って良かった。
もしも二人が空の星になったら、この仕事を辞めようか、そんな事も頭の片隅を過ぎっていた位だ。
二人の幸せは、きっと約束されているのだ。
だって僕達が居るから。
頑張れ!

抜けるように青い空と同様に、僕の心も弾んでいた。
昨日までの頭痛からも解放され、気分がいい。
今回の件で、いつの日か瞬間移動が出来るようになるといいな、そう思った。
まず無理だろう。
だが、可能性はゼロではない。
何より、精進あるのみ、なのだ。
ミニブタであるオースだって、毎日魔法の鍛錬を頑張っている。
僕も負けちゃあいられない。
オースと共に瞬間移動をするのが、夢になった。
諦めたら終わり。
頑張らなければ。

家に戻ると、オースが朝食の準備を終えていた。
天ぷら、煮物、浅漬け、焼き魚、豚汁。
どれも美味しそうだ。
オース、今日もご機嫌だ。
だからあえて言ってみた。
「オース、僕の元に来てくれてありがとう。本当に大切な相棒なんだ。これからもよろしくね。」
オース、これには照れ臭そうに、鼻を擦り擦りして甘える。
これから何が起ころうとも、オースとの絆は揺るがない。
ある意味では、浩司さんとの仲よりも、大切かもしれないのだ。
これはもう、大変な事である。

朝食後。
僕とオースと浩司さんとで、雪だるまを作った。
映画に出て来そうな仕上がり、悪くない。
特にオースが、良く頑張った。
「いい出来で良かった。僕、頑張ったでしょ!」
胸を張るオース。
一同、笑いが絶えない。
この雪だるま、あまりに可愛らしいので、僕とオースが命を吹き込んだ。
人に命を吹き込む事は出来ない。
禁じられているのだ。
だが、雪だるまは無生物であるから、この限りではない。
これ、しんどい魔法なので、一人では出来ない訳で。
オース居てこその魔法なのだ。
ありがたい。
このお話はまたいずれ。
幸せはきっと、まだまだ続く。
今日もまだ、始まったばかりだ。

-完-

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恋を紡ぐ人 -Essentials for Living 3-

繰り返し、繰り返しの事で、挫けそうになっても。
それでもなお諦めないで、倒れても立ち上がる。
そんな気合いと根性があれば、どんな困難だって、きっと乗り越えられる。
そう信じているから、だから、僕はまだ生きている。
今も、心は折れそうだ。
でも、こんな時こそチャンスだ。
あの人に。
届け、この想いーー。

僕は、ここ日本で人々の恋を紡ぐ事を生業としている、魔法使い。
名は、泗水。
中国かぶれの師匠が付けてくれた通り名だ。
正式な名はもちろん他にあるが、滅多に使わないので、ここでは割愛する。

僕は自分の恋愛には無頓着だった。
そんなことにかまけている暇はなかったのだ。
でもこの頃、押さえ付けていた胸がざわめく感じがして、何とも居心地が悪い。

自殺しそうな女の子を見つけた。
恋の魔法を紡いでみようか。
目には見えない糸を紡いで、念力を込める。
彼女の好みのタイプを確かめて、フリーの男の子を探す。
見つけた。
やってみると早いものだ。
急いでいるだけに、ありがたい。
糸の両端をそれぞれの手の指に巻き付ける。
これでお膳立ては完了。
僕は姿を消す事が出来るので、こんなのはお茶の子さいさいだった。

男の子、女の子に気が付いた。
危なかった。
もう少しでベランダから飛び降りる所だった。
男の子が女の子に出逢ったのは、女の子が親戚に犯された後の帰り道だったのだ。
あと半歩でもタイミングがずれていたら、二人はこの路上で出逢えなかった。
女の子は死に、男の子はその事を知る由もない。
早速男の子が声を掛ける。
恋が始まった。
間に合って、良かった。

こうした事を生業としている魔法使いは、日本国内にだけでも何百人かは居て、僕は本来、男同士の恋愛を成就させる事を専門にやっているのだ。
今回は、たまたま見つけた彼女が死にそうだったから、特別。
お代は、彼女と彼の生気を少しずつだけ。
こうして僕は、生き長らえているのだ。
とはいえ、これだけでは生きていけるとはいえ痩せ細ってしまうので、食べ物も普通に食べる。
お陰さまで肌の艶も良く、丸々と肥え太っているという訳だ。
その分のお金は、固定給で毎月、師匠がくれる。
ありがたい事である。

姿を消して、街を彷徨う。
僕の日課だ。
ふと目の前に、虚ろな背中が一つ。
恋を紡ぐ事で救えないか。
幸いにもその男の人はゲイだった。
僕の領分だ。
確証はないが、何とかなるかもしれない。

一つ、また一つ、積み上げてゆく。
その繰り返しが、僕に信用を与える。
目の前の男の人の事も気にはなるが、先の女の子が心配だ。
千里眼の能力で覗いてみると、彼女、泣いていた。
どうやら親戚に犯された事を告白したらしい。
男の子、女の子を優しく包み込む。
これは上手く行く。
間違いない。
これにてこの件では、僕のお役目は終了。
目の前の男の人に意識を集中する。
彼、デブ専のようだ。
好きな相手にフラれたらしい。
いっその事、僕が彼氏になってみようか。
険しい表情をしている為に分かり辛いが、よく見ると彼、可愛らしい顔をしているのだ。
他の人に取られる位なら、僕が是非。
という訳で、ここで実体化。
気さくな感じで声を掛ける。

また失敗した、また上手く行かなかった。
そう思った。
僕はこういうシチュエーションに弱いのだ。
ところがである。
驚いた様子で警戒しながらこちらの方を見つめていた彼、踵を返そうとしていた僕に笑顔を向けたのだ。
明らかにこちらを見ながら。
その笑顔に邪気がない事を確認出来た僕は、彼の柔らかな頰を丸い指先で軽く突っついた。
これが、運命の出逢いの始まりだった。

師匠の機嫌が良くない。
「公私混同だろう、それは。」
そうには違いないが、これで彼は救われるし、僕も幸せになれる。
その上、仕事も捗る。
なんだ、一石三鳥ではないか。
良い事尽くめだ。
だから僕は反論を試みる。
「良いじゃないですか。みんなが幸せになれるんだから。」
師匠は明らかに苛立った声で、「仕方ない、今度だけだぞ」と言って、僕の意識の中から消えた。

その後、僕の自宅となっている築五十年の一軒家で、彼と二人で。
ほっこりとしたひと時を満喫。
この家には結界が張ってあるので、虫やネズミは出入り出来ない。
清潔なのだ。
地震さえ起きなければあと二十年は住めるだろう。
借家だが、古い家なので大家さんもうるさくない。
むしろ綺麗に住んでいるので、好評なのだ。
そんな中、僕の飼っているミニブタがビーフストロガノフとポークソテーを作っている。
自分の分も含めて、三人前だ。
なんだ、共喰いじゃんね。
ふと視線を逸らすと、呆気に取られる彼の姿があった。
こんな事でいちいち驚いてもらっては仕事に差し障って困るので、一応説明を試みる。
一通りの説明を終えて彼を見ると、何か言いたそうにしているので聞いてみる。
「ま、魔法で浮気とか、し、しないよね!」
なんだ、そんな事か。
僕は股をかけるのもかけられるのも大嫌いだ。
だから言った。
「大丈夫。僕はしないょ、絶対に。」
それを聞いた彼の綻んだ顔が可愛くて、僕はファースト・キスを彼に捧げた。

そこへミニブタのオースが料理を持って登場。
「こんな所でおっ始めないでよね」と釘を刺した。
「オース、今日の料理の出来はどうだい?」
隣で相方となったばかりの浩司さんが恥ずかしそうな顔をしていたので、それとなく話題を変えてみたのだ。
「バッチリだょ!」
まぁ分かってはいた。
オースは器用だし、食い意地が張っているから自分も食べる料理は手を抜かないのだ。
「オッケ!いただきまーす!」
宴の始まりである。

僕は人を殺せない。
掟でそう、決まっている。
たとえ相手が殺人鬼であってもだ。
こんな事があった。
ストーカー体質の男が居た。
彼、ゲイなのだが、既に好きだった男の人を一人殺してしまっており、先が危ぶまれた。
刑務所からの出所直後の事だ。
そこへ、格好のターゲットが現れる。
このままではみんなが危ない!
だから僕は姿を消して、ストーカーの男の耳元でこう囁いた。
「狂人。不細工。お前には一生、男は出来ない。」
彼はその途端に路上で叫び出した。
そこで早速、119番にお電話。
ストーカーの男は精神病院の閉鎖病棟に収容され、とりあえずの所は事なきを得た。
投薬治療の甲斐あって、今は病院の開放病棟の普通の病室で、穏やかな日々を過ごしているらしい。
まずはめでたい。

それにしてもオース、料理が上手い。
ビーフストロガノフにポークソテー、更にはポトフ。
どれも感激のお味である。
「オース、今日もお料理ご苦労さま。美味しいょ!」
「良かったょ、泗水。僕のとっておきだから、不味いなんて言われたらどうしようかと思っちゃった。それはそうと、前から聞きたかったんだけどさ、僕の名前、なんでオースなの?」
「オスだから。」
その瞬間に殺気を感じたのは事実であるが、のんびり屋のオースの事、危ない事はしないだろうと思い、無視する事にする。
「まぁいいや、毎日食材を買うお金いっぱいくれてるから、許してあげる。」
そうなのだ。僕もオースも食いしん坊。
こういう所で気が合うから、飼っていられるのだ。
ついでに浩司さんも食いしん坊のようで、みんな大満足の夕食だったのである。

僕は孤児だった。
それを引き取って育ててくれたのが、今の師匠である。
当時から僕の才能は見抜かれていたようで、僕は魔法の英才教育を受けて育った。
という訳で僕、学校の成績はイマイチだったが、魔法を使わせるとピカイチだったらしい。
僕や師匠のような魔法使いは人間ではあるが、神様と契約を交わしている。
殺人をしない、泥棒をしない、特に必要な場合を除いて個人情報を盗まないといった基本的な事から、国の転覆に関わらないといった事まで、様々な掟があり、それを承諾出来た能力者だけが、神様と契約出来る。
一旦契約してしまえば、お給料は歩合制ではないので、気は楽だ。
何処もみんな、師匠達が一括でお給料を受け取り、それを弟子達に支払う。
師匠を除けば誰も彼もがみんな同じお給料なので、喧嘩が起きる事はない。

ちなみにオースは、デブ専ゲイの僕にはお誂え向きだろうという事で、師匠がプレゼントしてくれた大切な相棒だ。
その、うちの師匠。
築三十年のこぢんまりとしたマンションに住んでいるのだが、そろそろ引っ越したいらしい。
飽きたというのだ。
新築の頃から住んでいたらしいから無理もないが、僕の所は築五十年。
三十年なんてまだまだ、序の口だ。
最近は引っ越しを諦めたのか、ちょっとした模様替えや観葉植物の育成、インテリア小物の見立てなどに凝っているらしい。

実はオースも、魔法を使える。
が、それを加えても二人と一頭。
魔法使い界隈でも有名な程、うちは小所帯なのである。
師匠と僕の二人共、ゲイの恋を紡いでゆくのが仕事であるが、その方面では他に有名な大所帯があって、うちはそこでは掬い切れないマイナーなジャンルの担当となっているのだ。

冬将軍の到来。
恋人達にとっては、美味しい鍋の季節である。
それにもかかわらず、鍋とは無縁の中学三年生が一人、孤独に喘いでいた。
オースは言う。
「ねぇ泗水、あの子助けてあげなょ。」
「そうだねぇ……。」
言われなくてもそんな事は重々承知の上ではあったのだが。
この少年、厄介だ。
正確には親が厄介なのだが。
この会話がなされたのは、朝の事だった。
朝だったから、或いはまだ良かったのかも知れない。
これが昼だったら、或いは夜だったら……。
薄ら寒くなる話ではある。
というのも少年の母、自分達にまつわる噂話を遠方からでも聞き取れる能力を持った、地獄耳の魔法使いなのである。
僕にしてもその話、同じ魔法使い同士、分からないでもないのだ。
気付いてしまったと言おうか。
残念ながら少年には何の能力もないから、母の元から逃げ出す事もままならない。
虐待されていたという訳だ。
この時は平日の朝だったから、先の会話を元に少年が虐待される事はなかったのである。
とは言うものの何はともあれ朝なので、会社に出掛ける浩司さんの事を先に僕は見送る事にした。
共に住み出したのだ。
「今日もご馳走だょ、すき焼きだょ、お鍋だょ。早く帰って来ると、良い事あるょ。」
オースが珍しく煽っている。
一方の僕は、不安からくる偏頭痛に悩まされながらも、浩司さんの事を手を振って見送るのだった。
その直後である。
「行くょ!ハーネス付けて。」
オース、少年の家に行こうというのだ。
ハーネスを付けるのは、一応大型のペットというていであるのだから、仕方ない。
僕はオースに急かされるままに、家を飛び出していた。
少年の母は、魔法使いではあるが神様とは契約していない。
そのような魔法使いはしばしば見かける訳で、そうした者達のパトロールも僕達契約済み魔法使いの仕事なのだ。
だから、オースは間違ってはいない。
仕事なのだから、せねばならない。
だがこの時の僕は、どうも気が乗らなかった。
こんな事は珍しい。

オースは家の中では二本足でちょこまかと動き回るのだが、目立つので外では四本足歩行をする。
オース、いつもよりも歩くペースが速い。
オースはオースで、思う所があるようだ。

オース、少年の家に辿り着くと、生け垣を飛び越えて窓ガラスをぶち破った。
「ここは僕に任せて!」
仕方ないので待っている。
これはやり過ぎではないのかと、当初はそう思っていた。
だが、事態はそれ所ではなかったのだ。
今まさに少年の母は、苦しみから逃れる為に首を吊って亡くなろうとしていた。
危なかったのだ。
だが、或いはそのまま死なせてやれば良かったのかも知れないーーのちにそう思う事になるのだった。
だから気が乗らなかった訳なのである。
オースが事情を聞く。
もちろん、少年の母にだ。

事件は、少年が四歳の頃に起きていた。
母が天ぷらを揚げている最中に、宅配便がやって来た。
母は鍋をそのままにして、少年に「見ていて」と頼んだ。
その直後の事である。
三歳になったばかりの少年の妹が、よたよたとやって来て母の真似をしようと、鍋に手を触れたのだ。
ひっくり返る鍋。
油を被ってしまう。
季節は冬。
運悪く静電気で、少年の妹は火だるまになってしまった。
その一連の様子を、文字通り少年は黙って見ていた。
或る意味では母の言い付けを守っていたとも言える。
これで、母はおかしくなってしまった。
夫は逃げるように離婚。
以来女手一つで少年を育てる事になったのである。
上手く行く訳がない。
それ以来今日まで、母も少年も、心に十字架を背負って生きて来たのだ。

オースが一通り話を聞き終えた。
その内容は念で僕にも伝わっていた。
母は虐待の罪で逮捕された。
他に方法はないのだから、仕方ない。
少年は、近所の遠縁の親戚の家で暮らす事になるらしい。
親戚、良い人達だと安心なのだが。
ここである事に気が付いた。
少年も遠縁の親戚の一人息子も、ゲイなのだ。
これも何かの縁。
結び付けてしまおう。
二人ともデブなのだ。
デブ同士、話が合うという事もあろう。
そうだ、それがいい。
僕は姿をそっと消すと、少年の指に赤い糸を結び付けた。
昨晩紡いでおいた、とっておきの赤い糸である。
もう片方の端を、遠縁の親戚の息子に結ぶ。
ぽっと恋の炎が、二人の中で温かく灯った。
これでもう大丈夫。
幸い、親戚は優しい人達だったから、虐待の心配もなくなった。
高校へも、無事に進学出来るだろう。
僕は孤児だったから、少年の気持ちは少しは理解出来ているつもりだ。
この家族はすでに壊れていたから、これで良かった。
願わくば、少年の母親にもいずれは立ち直って欲しい。
それだけでも、少年の心はきっと軽くなるだろうから。

季節は移ろい、翌年の春。
自殺しそうだった女の子は、僕の力で出逢った男の子と、結婚した。
お腹の中には、既に赤ちゃんが居るらしい。
なんともめでたい。

虐待を受けていた少年は、親戚の息子と無事に結ばれ、同じ高校に通うようになった。
二人は同い年なのだ。
親戚の息子は、気は優しいが力持ち。
見た目だけならガキ大将である。
それだけに、揃って歩いていても、誰も何も言わない。
上手く行きそうで何よりだ。

僕と浩司さんは、養子縁組をした。
照れるやら、嬉しいやら。
そんな僕達の元に、紫蘭姐さんが駆け付けてくれた。
うちと違って大所帯の、しかしながら同じようにゲイの恋を紡ぐ魔法使い達の、師匠である。
忙しい弟子達に代わって、お祝いに来てくれたのだ。
もちろん、うちの師匠も同席している。
最初は苦々しい表情を浮かべるばかりだったうちの師匠も、もうすっかり気が変わっていた。
僕達の事を応援してくれているのだ。
紫蘭姐さんが音頭を取って、みんなで乾杯。
「二人の末永き幸せを祈って、乾杯!」
紫蘭姐さんの気の張った声で、一同テンションMAX!
その後は和やかな宴となった。
会場は僕の自宅。
気楽なものだ。
料理はいつも通り、オースの担当。
「しかしお前んとこのブタ、飯が美味いな。」
滅多に人を褒めない紫蘭姐さんのこの言葉には、オースも思わずガッツポーズ。
こうして、ずっこけてばかりだった僕も遂に、幸せを手に入れたのだった。

桜が散りそうな頃。
僕は己の人生を振り返っていた。
色んな人達に助けられて来た。
それでも、孤独は消せなかった。
今は違う。
もう一人きりではない。
ようやく訪れた幸せを胸に、前を向いて進みたいーーそう心から思う、春の宵だった。
諦めなくて、良かった。
本当に、良かった。

-完-

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