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So Beautiful Soldier : 勇姿を掲げる戦士たちの詩

風が吹いていた。
頰に当たる風が、だいぶ冷たい。
十一月中旬。
季節は徐々に、秋から冬へと移ろうとしていた。

歩道の角を曲がると、急に強い向かい風に見舞われた。
前を開けていた黒い薄手のステンカラーのコートが、風を巻き込んでバサバサと音を立てる。
「寒いな。」
ぼくは慌ててコートの前のボタンを閉めると、口から生温いため息混じりに小さく、声を立てた。

今日はあの子の、そう、ぼくの弟の命日だ。
黒いコートであるのには、理由がある。

可愛かった弟。
ぼくなんかよりも、ずっと。
ぼくが代わってやれるのなら、みんなもきっと喜ぶのに。
長い間ずっと、そう思って生きてきた。
父も母も、弟が居なくなってからは、まるで抜け殻のようだった。
ぼくでは、ぼくなんかでは、所詮弟の代わりにはなれないのだ。
分かり切った事をこうして反芻しては、肩を落とす。
これがぼくの、ごくありふれた、透明な日常だったーー。

今から十二年前の十月十三日。
この日は、弟の誕生日だった。
神無月、十三日の金曜日の大安だった。
生まれた時の体重は約3,500g。
随分と大きかった。
難産だっただけに、可愛さもひとしおだったようで。
それはもう、特に母親からは大事に、大事にされた。
ところで、人間、どこか一点に意識が集中すると、周りが見えなくなる事があるようで。
残念だったのは、弟の出産を境に、ぼくへの母の関心が薄れてしまった事だ。
とはいえ、六歳も歳の離れた弟が出来たのだから、ぼくがしっかりしなきゃ、そう思ったのもまた事実だ。

あれから、随分と時は経った。
ぼくも少しは成長出来たと、信じたい。
弟が亡くなったのは、二年前。
死因は、小児がんだった。
あんなに可愛かった弟が、みるみる衰弱していく。
正直、母親でなくても見ていられなかった。
最期の晩、病室で。
うわ言のように家族の名前を呼んでいたのが、目に焼き付いて今でも離れない。
その場に居合わせた皆、どっと泣いていた。
病院からの帰り道。
親戚の一人がぼそっと呟いた。
「兄貴の方が死ねばよかったのに。」
ほろほろと、涙が止まらない。
それに気付いた親戚、そそくさとその場を立ち去った。
そんな事、分かり切っている。
分かっているんだ!!
ぼくはその場で何度も、地団駄を踏んだ。

今年の三月。
弟が亡くなってから一年と四ヶ月程。
弟を失った傷は癒えないが、いつまでもくよくよしている訳にもいかない。
ごくありふれた日常に揉まれる毎日。
ぼくは十八歳になっていた。
晴れて就職、独立出来る。
高校中退だと就ける仕事が少ないから、辛抱に辛抱を重ねて、この三年間耐え抜いてきたのだ。
実家でのぼくの扱いは、それは酷いものだった。

去年の事。
高校帰り。
正直帰りたくはなかったが、所詮は学生風情。
お金もなく、行くあてはない。
結局、帰るしかなかった。
この日は十一月中旬、弟の命日。
いつにも増して家の中が殺気立っているのが、容易に予想出来た。
「ただいま……。」
家に入るといきなり、洗礼が待っていた。
バチン!バチン!
往復ビンタである。
何の事か分からずに首を捻っていると、罵声が飛んできた。
「弟の命日にお墓参りにも行かないで、高校なんぞにうつつを抜かすとは、いいご身分ね!あんたが死ねば良かったのよ!」
またこれだ。
今年、命日が平日なのが、運の尽きだった。
とは言っても、命日でなくてもこの当時はいつもこんな事ばかりだったのだが。
その後夕食を摂って部屋に篭って独りで泣いていると、何処からか弟の、ぼくを励ます声が聞こえた気がした。
ぼくは、狂ったように泣いた。

弟が居なくなってからのぼくは、こうして歯を食い縛って耐え忍ぶ日々を送っていた。
だからこそ、自分を褒めてあげたい。
仕事に関しては正直、不安も大きかったが、やってやるしかない、そう思っていた。
就職先は、工作機械の製造工場だ。
ここはひとつ、頑張るしか!

そして、今年。
風が吹いていた。
頰に当たる風が、だいぶ冷たい。
十一月中旬。
季節は徐々に、秋から冬へと移ろうとしていた。
途中、コンビニに寄って帰宅。
疲れ果てて、部屋に上がるとベッドにそのまま倒れ込む。
今日は弟の命日なので、会社を早退して墓参りに行っていたのだが。
その後の会社の友人とのプライベートな飲み会で、会った際に喧嘩をしたのだ。
どうも気が立っていたのかもしれない。
些細な事だ。
明日、ぼくの方から詫びを入れよう。
それにしても眠い。
お風呂はともかく、せめて歯位は磨きたいのだが、身体がそれを許さない。
ぼくは未成年。
当然、酒を飲んだ訳でもないのに、身体がまるで泥のようだ。

そのまま吸い込まれるように眠りについて、目が覚めると、ぼくは知らない森の中に迷い込んでいた。
夢にしては、リアルだ。
立ち上がる。
腰が痛い。
ふと自分の身体を見ると、腰回りに銃と刀が差さっていた。
銃と刀を下敷きにして、変な体勢で横たわっていたので、腰が痛いのだ。
それどころか、鋼の鎧を身に纏っている。
重い。
だが、動けない程ではない。
高校時代、運動系の部活にのめり込んでいたのが功を奏したか。
頭には覆いはないから、息苦しくはない。
良かった。

夜の森は危険だ。
正直、眠りたいのだが、油断がならない。
それでも睡魔というものには勝てなくて、ついうとうととしてしまう。
そこへ。
風変わりな衣装の、呪い師風の老婆が近付いて来た。

「これこれ、ここで寝てはいけないよ。此処らはハイエナが出るから、たちまち餌食になっちまう。嫌な予感がしたから来てみれば、これだ。うちに来なさい。温かいスープがあるよ。爺さんが亡くなってから、つい作り過ぎてしまうようになって、ちょうど困っていたところだ。遠慮する事はない。さぁ、おいで。」

怖い人ではなさそうなので、付いて行く事にした。
老婆の家で。
スープとバゲット、これだけでもありがたい。
たっぷりのスープに、バゲットを浸して食べる。
正直、行儀は悪いが、この際気にしてはいられない。
お腹の虫がさっきから催促をしているのだ。

「そのなりだと、異国ーー或いは異世界から来た、戦士といったところだね。名前は、太助かな。」
老婆の話に付いて行けないぼくはドギマギするばかり。
大体なんでぼくの名前を知っているのか。
不思議だ。
というよりもむしろ、気色が悪い。
また、そもそもここは何処なのか?
疑問は噴出するばかりだ。
「その様子だと、ここがどんな所かも、知らないようだね。」
「はい!是非教えてください!」
ぼくがそう口にした途端、老婆の顔付きがみるみる内に悪くなる。
それでも、ぼくの熱意に押されたのかどうかは知らないが、渋々ながらも教えてくれた。

「ここは死後の世界、つまり魔界だよ。取り戻したい二人が居るんだろう?」
見透かされていた。
ぼくは動揺して話どころではない。
もちろん、取り戻したい二人の内の一人は、弟だ。
だが、もう一人いる。
その人はぼくの、掛け替えのない宝物。
相方・愁君なのだ。

「彼らは生前ゲイだったという事で、死後の世界でも不当な扱いを受けている。おかしなもんだね。子供を産むとか産まないとか、そんな事関係ない世界でも、こうして性差別は起こる。」
この、老婆の言葉に憤りを隠せない。
それにしても“彼ら”というのは聞き捨てならない。
それではまるで、弟がゲイだったみたいではないか。
「そうだよ。兄であるお前に、秘かに憧れていたのさ。」
!!!
「そ、それって……。兄弟愛!?」
言葉に詰まるぼく。
叶わぬ恋に身を窶していたという事か。
「別にSEXしろだとか付き合えだとか言いたい訳じゃない。ただ、取り戻したいのならば、大魔王との戦いは避けられない。万が一勝ったら、弟の事、邪険にはするんじゃないよ。」
頭の中は混乱を極めてはいるが、とりあえず、大きく頷いてはみた。

まぁ、戦わねばならない理由がある事も、実際に戦うであろう事も良く分かった。
ここは覚悟を決めねば。
しかし、自分一人では負けるに決まっているのだ。
友達はともかく、同士は欲しい。
それも、出来るだけたくさん。

「それはこの老婆に任せておきなさい。こう見えても魔界のお役人には顔が利くんでね。住人みんなでクーデターを起こせば、勝ち目はある。住人たちも、待遇には大変不満を持っているから、御し易かろう。太助、武道の経験があるようだな。だからお前が指揮を取るんだ。覚悟は出来たか?」
この時のぼくには、首を横に振る理由はなかった。

「魔界の住人たちの中には、安楽な暮らしをする者が居る一方で、更生してもなお永遠に激烈な拷問を受け続ける者も多い。いっそ消える事が出来れば楽なのだろうが、ここは娑婆ではないから、そうはいかない。可哀想でな。」
思わず、気が遠くなった。
「まぁ、お前さんには目的があるし、内通などしそうには見えないからな。そこは買っている。」
なるほど。
ぼくの不器用で真っ直ぐな性格が、ここでは役に立ったという訳だ。

ここに来る、少し前の晩。
夢を見ていた。
剣士にコテンパンにのされる夢だった。
そうだ。
一対一では到底、敵わないのだ。
ただ恐らく、数の上ではこちらが圧倒的に有利になるはずだから、包囲殲滅戦を仕掛ければ良いのではないかーー。
煙玉や毒ガスなどの飛び道具もありだろう。
ガスマスクが大量に必要だ。
逃げるふりをして地雷原に誘い込むという手もある。
この際、詭計や謀略の類も躊躇なく使わねば。
時間がない。
決行日は一週間後。
絶対に間に合わせねばならない。
急がねば。

愁君は、努力家だった。
普通科の高校を中退後、通信制高校に通う傍ら、大学受験の勉強もこなし、一浪して難関の志望校に入ったのだ。
その後も頑張って、希望していた税理士の仕事に就く事が出来た。

彼はかつては、虐められっ子だった。
給食のおかずをひっくり返されたり、教師の目の行き届かない音楽の時間に罵倒されたり、お尻の穴に割り箸を突っ込まれたり。
親も教師も見て見ぬ振り。
それでも、負けなかった。
倒れても、また立ち上がった。
いつかパートナーが出来て二人で戦える日が来るまで、決して弱音は吐かないと固く心に誓っていたからだ。

愁君とは、弟が亡くなってすぐに知り合った。
いつでも笑顔だった弟が居なくなって、寂しかったのかもしれない。
それでも、そんなどうしようもない理由で付き合い始めたぼくの事を、愁君は必死になって支えてくれたーー。

愁君は、通り魔に刺されて空の星となるまで、ずっと頑張っていた。
その姿は、紛れもない、戦士だった。
愁君が居なくなったあの日、ぼくはただひたすら、絶叫していた。
あの時、ぼくは無力だった。
ぼくはまだあの時のままだろうか?
まだ無力だろうか?
もしも、そうであっても。
取り戻さねば。
何としてでも、あの日々を。

戦いの当日。
ここまで、短いようで長かった。
この日まで、準備は極秘裏に進められていた。
味方の数が多いので、隊を二十に分けて、神殿と他の要衝を同時に攻めるのだ。
特に重要なのは神殿、敵の本丸である。
ここを落とせば、敵も戦意を喪失するだろう。
だから、神殿にはある程度戦力を集中させる。
神殿の傍には森がある。
そこから奇襲をかけるのだ。
正門前には、昨晩深夜に地雷をしこたま埋め込んだ。
夜、警備が手薄になるとの情報があり、それに助けられた形だ。
幸い、敵は強いが数が少ない。
敵一人につき千人でかかれば、勝機はある。

ぼくは、叫んだ。
「魔界の住人にだって、人権はあるんだ!万引きしただけで舌を抜かれるとか、量刑がおかしい!世界を変えたい奴らはぼくに付いて来い!きっと変えてみせる!」
「うぉーっ!!」
不満を溜めに溜めた住人たちの雄叫びがこだまする。
直ちに攻撃開始だ。
何処から持ち込んだのか、大砲がたくさん手に入った。
やはりお役人たちのネットワーク、侮れない。
これは効いた。
地雷原も相当な効き目だった。
いかに猛者揃いの神殿と言えども、何百万もの住人が一気に押し寄せるのである。
勝機はある。
「この期に及んで怯える奴は居ないだろうな。一同、突撃ーー!」
ぼくの掛け声で、千人毎の小隊が、城壁を超えて次々と神殿内部に押し寄せる。
作戦は順調だった。
ここまでは。

騒ぎを聞きつけた大魔王が、いよいよ姿を現した。
巨大だ。
桁外れのパワーは、残りの地雷などでは相殺出来ない。
地雷原の上を堂々と歩き、ぼくたちを睨みつける。
その様はさながら、阿修羅のようであった。
終わった、何もかもーー。
その場に居る皆が、そう思った。

その時。
一瞬の間(ま)。
偶然、隣の男の子が弓矢を持っていた。
それは、弟だった。
小児がんになる前の、愛らしいふくふくとした姿だった。
その向こうには、愁君の姿もあった。
ハッとした。
美しい戦士だと、そう心から思った。
依怙贔屓が過ぎるかもしれない。
でもぼくにとってはそれは、紛れもない真実だった。
だからこれからの一秒一秒を、永遠に目に焼き付けたい、そう思った。
『これなら、いけるか?』
早速弓矢を借りて、目に向かって数本、打ち込んでみる。
伊達にダーツが上手い訳ではなかったようで。
見事、全弾命中。
そしてそれは、効果てきめんだった。
これに気付いた皆も、後に続く。
遂に大魔王は、その巨体を身悶えさせながら倒れ込んだ。
こうなればしめたもの。
無数の味方が、大魔王の両目や腹の肉をズタズタにしてゆく。
皆は、一致団結していた。
勇敢な戦士たちによる、これがレジスタンスだ。
程なくして、大魔王は降参した。
罪を犯した者たちへの刑罰は応分のものとなり、不当に囚われていた者たちは無事に元居た世界に戻れる事となった。
若くして罪なく亡くなった者たちも、特別に戻れる事になった。

久方振りの再会。
「愁君、君がもしもジャンヌ・ダルクなら、ぼくも共に戦うよ。温かな未来なんてなくても、君が傍に居るなら、それで十分だよ。幸せなんてなくても、他に何もなくても、絆だけはちゃんと残るから、ぼくたちはきっと離れないで済むんだ。だって、そういう約束だったよね。」
遠回しな、再度の告白。
ちょっと、クサかったかもしれない。
でも、それで良かった。
愁君は、初めての告白の時と同じように、泣きじゃくりながらぼくの事をハグするのだった。
だから、それで良かったーー。
ふと気が付くと隣にいる弟が、相手にされなくてむくれている。
面倒臭いので、二人まとめてハグする事にする。
現金なもので、弟、嬉しそうだ。
後ろでは、お世話になった老婆が嬉しそうに笑っていた。
「さ、お行き。」
老婆の声と共に、ぼくたち三人の身体は、透き通ってゆくーー。

ーー意識が戻る。
ふと見ると、ぼくたち三人は一糸纏わぬ姿で折り重なるようにして、ぼくの部屋のベッドで横たわっていた。
ぼくは一番下。
当然ーー。
「お、重い。早く、どいて……。」
良く肥えた二人にのしかかられて、息も切れ切れである。
まぁ、ぼくも体型に関しては人の事は言えないのだが。

テレビをつける。
向こうで一週間以上過ごしていたのに、こちらの世界では一日も経っていなかった。
これは都合が良い。
すぐに連絡すれば、会社の人たちにも心配を掛けなくて済むだろうから。

みんなそそくさと服を着る。
抱き合うとか、そんな気分ではないのだ。
なんだか、妙なテンションだ。
ここである事を思い出す。
弟を実家に連れて行けば、母さん、きっと喜ぶだろう。
この世界では時々そうした事はあるから、特に怪しまれる事もあるまい。

正式に会社を休んで早速連れて行こうとすると、弟はごねるのだった。
「ぼく、兄ちゃんと一緒がいい!」
だから優しく、こう言った。
「十八になったら、またおいで。それに、会うだけならいつでも大歓迎だから、さ。」

インターホンを押す。
何ヶ月か振りの実家だ。
緊張する。
ドアが開くと、みるみる内に母さんの顔色が変わっていくのが、手に取るように分かった。
母さん、その場で泣き崩れた。
「ありがとう、ありがとう。」
ただそれだけを繰り返していた。

それから一ヶ月後ーー。
ぼくと愁君は、ぼくの実家で共に暮らしていた。
母さんの提案で、実現したのだ。
もちろん、弟も一緒だ。
「さぁみんな、ケーキよ!召し上がれ〜!」
母さん、人が変わったみたいだ。
それだけ、弟が戻って来た事が、嬉しかったのだろう。
壊れていた家族はこうして、再生した。
愁君という新たなメンバーも加わって、これからはますます楽しくなるだろう。
ぼくらの前には、明るい未来が拓けている。
そう信じられるから、ぼくたちは今、心から幸せだった。

-完-

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トラ猫劇場 [ミステリー風味]

抜けるような青空が気持ちのいい、ある夏の日の事。
僕は携帯と財布をボトムスのポケットに突っ込むと、自宅アパートを抜け出して、散歩へと出かける事にした。
玄関ドアを開けると、外は夏の匂いや空気が充満していて、噎せ返るようだった。
階段を降り、庇の外に足を一歩踏み出すと、照り付ける日差しの強さと眩しさに、一瞬目眩がした。
汗が途端に吹き出す。

失恋した。
良い子だったのだ。
それだけに悲しかった。
友達でなら居られるよ、そう言われて一瞬動揺したが、僕はその誘いは丁重に断った。
叶わぬ恋の相手と共に過ごすというのは、僕には地獄にしか思えなかったからだ。

かねてから野良の茶トラに懐かれている。
飼ってもいいのだが、僕は今アパート暮らしのご身分。
許可は得られるだろうか。
散歩の途中だったが、思い立って、その場で管理会社に連絡してみる。
意外な事に、OKだった。
そう言われてみると、街の不動産屋で、この物件はペット飼育可だから人気なんですよ、などと言われた記憶が頭の片隅に残っているのに気が付く。
僕はひとまず、茶トラに名前を付ける事にした。
とはいっても、気の利いた名前など全く思い付かない。
トラでいいのではないかと思って、呼んでみる。
「おい、トラー。」
「ニャー。」
呼ばれるとのっそりと立ち上がり、俺の足元で丸まって甘える。
「さ、トラ。ペットショップに行くょ。」
「ニャン!」
トラ、心なしか嬉しそうだ。
言葉が分かるのかな?まさかね。

ペットショップでは鈴の付いた首輪、キャットフード、餌用のトレイ、トイレ、トイレ用の砂など最低限の物を買った。
ケージなどは今度でいい。
ここまでは徒歩で来ている訳で、そんなには持てないのだ。

トラと並んで歩く帰り道。
こういうのもいいな、と思えた至福の時間だったーー。

部屋に入る。
振り向くとトラ、筒状に丸められた紙を咥えている。
次の瞬間だった。
『今から俺と契約を交わして欲しいんだ。』
耳からではなく、明らかにそうではなく、脳に直接声が入り込んでくるのだ。
これには驚いた。
『テレパシーだ。そんなに驚く事でもないんだけどな。まぁ、あんまり気にしないでくれ。逆に智彦から念じる事も出来る。会話をしなくていいから、外でも怪しまれなくていいだろ。』
なるほど、などと感心している場合ではない。
僕、いよいよ頭がおかしくなったみたいだ。
『まぁ落ち着け。今起こっている事を、素直に受け止めるんだ。俺は喋れないが、契約してくれそうな人間とだけ、テレパシーが使える。もちろん契約後も使えるが。智彦が俺との間でテレパシーを使えるのも、俺の能力のお陰だ。試しに何か念じてみ。喋らずにな。』

頭がぐるぐるする。
混乱の極みだ。
そんな中、一つの画像が咄嗟に思い浮かんだので、とりあえず念じてみる事にする。

『智彦、今特大オムライスの画像を思い浮かべたろ?』
『凄い!当たってる!昨日の夕ご飯のメニュー、トラは知らない筈なのに!』
帰宅してからここまで、部屋の中はほぼ無音である。
やり取りは全て、テレパシーによって行われていた事に、ここで僕は気付いた。

どうやらトラが念で語ってくれた事は、本当らしい。
僕はトラから契約書を受け取ると、中身に目を通す。
なるほど、トラがテレパシーなどの特殊な能力を持つ事に関しては、口外厳禁、と。
他にも色々と書いてはあったが、特に気をつけた方が良さそうだったのは、その項目だった。
それにしてもトラ、この契約書によると、未来や過去の出来事を見る事も出来るのだそうで。
凄い猫だな、などと思ってしまった、思わず。
『そんなに褒めなくてもいいぞ。何も出てこないからな。』
と念で語りかけつつも、満更でもなさそうなトラ。
しかしまぁ、筒抜けとは困ったものである。
頭を抱える僕にトラはひと言。
『俺をもっと褒めればいい。それだけで済む事だ。』
これにイラっときた僕は、心の中で『トラのブス、ブス、ブース!』と念じてみた。
するとすかさず、飛び掛かって来るトラ。
鋭い爪で顔を引っ掻かれて、哀れ僕の顔、血まみれだ。

二ヶ月前。
この近所で殺人事件が起こった。
当時中学生だった男子が、暴行を受けて殺されたのだ。
可哀想だという同情は広く集めたものの、事件は何の手がかりもないまま、今にも迷宮入りしそうなのだった。

もしやトラの能力があれば、解決に導けるのでは?
期待に胸を高鳴らす僕。
だが、続いてのトラの念による語りは、そんな僕に冷や水を浴びせかけるようなものだった。
『犯人の目星はついてる。だが、目撃者も物証もない。証拠がなければ、念で犯人を知った所で、何の意味もない。』
詰んだ。
行き詰まった、完全に。

『そんな事より。契約書へのサインが先だ。ほらょ。』
デスク上のペン立てから、放物線を描いてひとりでに飛んで来るボールペン。
そうだった。
完全に忘れ切っていた。
僕が慌ててサインをすると、ボンっという音を立てて、契約書は煙となって消えた。
『腕、見てみ。』
促されて見てみると、腕の内側に小さな青い印が打ってあった。
『その印は、何らかの理由で契約が切れない限りは、消える事はない。契約者である証のようなものだな。』
なるほど、見落としとしまいそうな程の小さな印が、しかししっかりと、腕の上で自己主張をしていた。
『これ、タトゥーみたい。嫌なんだけど。』
『俺と居たかったら、我慢しろ。』
まぁここは仕方ないか、そう思ってトラを見ると、心なしか嬉しそうなのだった。
結構、単純なのね。
『単純とはなんだ、単純とは!』
『その方が可愛いから、いいの!』
『まぁ、許す。』
思うだけで念になるのか?
落ち着かないなぁ。
とまぁこんな訳で、僕とトラとの共同生活はスタートしたのだった。

去年の夏。
僕にとっては、高三の夏。
照りつける日射しが眩しい休日の午後に、僕は両親にカミングアウトをしていた。
「僕、ゲイなんだ!もしも邪魔なら、高校卒業したら大学へは行かないですぐに就職するから。だから、あと少しだけここに置かせて!」
これに、両親の対応は実に素っ気ないものだった。
『ゲイなの?あら、いいんじゃない?別にあなたは悪くはないわよ。それよりせっかくなんだから、大学へは行きなさいね。学費は出すから。』
『今時ゲイなんて珍しくもない。実際の所は、数は少ないらしいがな。そんな事より、学生なんだから勉強頑張れ!あと、悪事は働くなよ。それさえ出来ていれば、後は何も言わん。』
両親共にこんな感じで、肩透かしを食らった気分でさえあったのだ。
とはいえこれはありがたかった。
今こうしてアパートに住んでいられるのも、両親の仕送りのお陰なのだ。
感謝してもし切れない。

しかし世の中そう上手くは行かないもので、大学に入って以来、いまだに友達も彼氏も出来ず終い。
元々が内向的な性格だったから、難しいのだ。
人間、そう簡単には変われないものなのである。
でも、そんな事では駄目だと、心が囁く。
そうだ。
あの男の子にもう一度だけ、告白してみよう。
ひょっとしたら、奇跡だって起こせるかも知れないーー。

大学のキャンパスで。
もう一度、男の子を呼び出した。
今度は花束を買って、用意してみた。
選んだのは、真っ赤なチューリップ。
薔薇だとキザかな、と思ってのチョイス。
花言葉は“愛の告白”。
お誂え向きだ。

初恋を経験したのは、小六の頃の事。
何も出来なかった。
目を合わせる事さえ、恥ずかしくて躊躇われた。
当然、何も起こる事はなく、僕の初恋は花開く前に散っていった。
僕は、意気地なしだった。

それから高三まで、ひたすら勉強に打ち込んだ。
ゲイである自分が病気ではない事はネットで知ってはいたのだが、良い出会いはなかなかないものだ。
だから、青春の有り余るエネルギーを、勉強に振り向けたのである。
それが少しだけ変わったのが、高三の春だったのだ。
僕はそれまでの勉強の甲斐あって、高校では選抜クラスに所属していた。
そのクラスメイトに、恋をした。
結局最後まで告白出来ず終いだったが、当時は顔を見るだけでも幸せな気持ちになれたものだ。
そのクラスメイトは、海外に留学したから、その後の事は分からない。
僕は東京の大学に進学したから、どのみち離れ離れになる運命だったとも言える。

男の子がやって来た。
浮かない顔だ。
だから僕は、怯むな!そう己に言い聞かせた。
僕が勇気を振り絞って告白しようとすると、目の前の男の子が、何かを呟いた。
「え?何?」
思わず聞き返すと、ここでは騒がしいから場所を変えたいとの事だった。
で、近くの喫茶店へと移動。
このお店、お値段がお高いから、学生さんはあまり利用しないらしい。
極小のカップに注がれた香り高いコーヒーが、程なくして僕達の目の前に現れる。
それはまぁ、香り高くないと困る訳だ。
これ、こんな量で結構するのである。
どうりでこのお店、空いている訳だ。
プリンアラモードなんて、小さいのにいい値段過ぎて、目ん玉が飛び出そうになった。
それはそうと、本題である。
「お願い!これが最後の告白。僕と付き合ってください!」
すると、まだ名前も知らない目の前の男の子が、泣いていた。

どうしたらいいのかは分からなかったが、とりあえず下ろしたてのタオルハンカチを渡してみる。
彼の名前は悠太郎と言った。
悠太郎は涙をそれで拭うと、鼻もかんで丸める。
ありゃま。
「僕、昔男の子に告白した事があるんだ。ちょうど智彦みたいな感じの子。その子、僕がゲイだって事学年中のみんなに触れ回っちゃってさ。父さんと母さんが助けてくれなかったら、今頃僕、死んでたかも。」
そしてこう続けた。
「今の告白が本気なら、付き合ってもいい。けど冗談なら、一生許さないから!」
だから僕は胸を張った。
「もちろん、本気だょ!きっと幸せにするょ。楽しくやろうょ。」
そう言って、チューリップの花束を渡した。
すると悠太郎、それまでの険しい表情が嘘のように、それはもう嬉しそうに花束を受け取るのだった。
「や、そういえば体型、似てるね。ナルシストではないつもりなんだけども。」
「似てるよね!アハハ!顔は似てないから、いいんじゃない?」
二人して、笑った。
幸せになれれば、過去の嫌な記憶なんて消し飛んでしまうもの。
そうに違いない。
だから僕達は、この時知らぬ間に、記憶の整理を頭の中で行っていたのだ。
要は、嫌な記憶を少しずつ消し去って行く作業、とでも言うのかな。

そこへ、場違いな事に美少女がやって来た。
いわゆる萌え系、という感じかな。
で、何となくツンデレっぽい、みたいな。
フリルのたくさん付いた服装で、店内で、一人浮いている。
「ねぇ、そこの君!」
ほうら来た来た。
僕のことを指差して、何となく偉そうだ。
ここまでは、予想通りの展開。
「茶トラを飼っているだろう。調子はどうだ?」
「あの猫なら、渡しませんょ!」
僕は目の前の美少女の事をキッと睨み付けた。
「大丈夫だょ、智彦。この子、僕の妹だから。猫は苦手だから、取られる心配はないょ。」
なるほどね。
心配して損した。
「あの茶トラ、トラって名付けました。元気ですょ。」
それにしてもこの子、何でトラの事を知っているのだろうと頭を捻っていると。
「また随分とありきたりな名だな。まあいい。私は超能力を使えるのだ。兄には遺伝子しなかった、特殊な能力だ。」
「じゃあ、トラの持つ特殊な能力っていうのは……。」
「先の兄の話にもあった通りで、情けない事に私は猫が苦手でな。何もしてやらないというのも不憫に思えたから、能力を授けてやったのだ。」

ここで、以前から心の片隅に引っ掛かっていた、二ヶ月前の暴行事件の事を思い起こす。
彼女の力で、どうにかならないものか。

「おそらくあの茶トラもだろうが、二ヶ月前の暴行事件、犯人の目星は付いている。ただ、何の証拠もないままでは、どうにもならんだろう。どうしたものか。」
「念だとか超能力だとかで見えている映像をそのまま、パソコンで開ける形式のファイルに出力出来ませんか?二ヶ月前の事件現場の映像をファイル化出来れば、手っ取り早いと思って。」
都合の良い話だとは分かっていた。
駄目で元々だ。
ここは一応、聞いてみるのだ。

「それは難しいな。それより遺体は何処で発見されたのだ?」
「ここからしばらく離れた裏山の山中に埋められていたそうです。表面が不自然に固められていたので、裏山の所有者が掘り返してみたのだとか。」
「そこに案内しろ。」
もう何も出ないと思うのだが。
でも一応、ね。

一旦僕の部屋に戻ってトラを連れ出すと、揃って現場へと向かう。
念のために所有者の家を念で確認してもらい、訪ねるのだが、留守だ。
トラによるとどうやら、山菜採りに出掛けたらしい。
現場が近付いて来ると、トラが騒ぎ出した。
念で伝わって来る言葉を読み取ってゆくと……。
『被害者は加害者から常習的に暴行を受けていたようだ。事件のあった日は、逃げる途中で捕まらないようにしながら、犯人の名前が油性ペンで書いてあるビニール製のメモを、少し離れた場所、そう、ちょうどこの辺りで埋めたんだな。ビニール製のメモは、やはりビニール製のファスナー付きの袋に入っているから、文字は読めるはずだ。』
これは一大事だ。
でも何故離れた場所に?
『犯人に見つかったら処分されてしまうからだろう。埋めた時点で、少年は自分の運命を悟っていたのだな。ビニール製の袋まで用意していたとは、泣ける。可哀想な事だ。』
トラは猫の癖に溜め息を吐いて、嘆いた。

僕と悠太郎はトラや妹さんが示した辺りを、ゴム手袋を付けて掘り返してみる。
すると探しながらゆっくりと掘り進んで五分ほど経った頃、ビニール製の袋が出て来た。
ビンゴだ。
「ねぇ、これ誰が警察に持っていくの?僕は嫌だょ。」
早速、悠太郎が妹さんに聞いてみる。
妹さんは、明快にこう答えた。
「もちろん、智彦君で。」
「え、えぇ!?」
トラと悠太郎、笑っている。
覚えてろょ、畜生……。
そんな僕を気にも留めずに、妹さんは話を続ける。
「私が行ってもいいのだけれど、万が一超能力が使える事が人に知れたら厄介だわ。今ここに居るだけでも冒険なの。これ以上やると犯人が、私のせいででっち上げられたと言えば、そこで話は終わってしまう。兄は記憶力がないから駄目。適任は智彦君、あなたなの。」
どうも僕は、犯行現場を見ていたという嘘をつく事になるらしい。
犯行当日の現場の詳細について、妹さんからレクチャーを受ける。
「でも、何で今頃申し出たんだって話になりますょ、きっと。」
すると妹さん、眉一つ動かさずに、こう言った。
「仕返しが怖くて今まで言えなかった、こう言えばいい。まだ二ヶ月だ、大丈夫。」
なるほど、怖い人だ。
敵に回したくはない。

その後、警察署で。
打ち合わせ通りの告白をする僕。
物証があるからか、すんなりと話は通った。
良かった。
心配は取り越し苦労だったらしい。
幸か不幸か、僕は元々犯人の顔と名前を知っていた。
高校時代の同級生だったのだ。
それ以上は知らない。
よって今回の事件の動機も不明だ。
後日逮捕されて、一件落着。
さて、警察署を出ると、僕は近くの公園へと直行する。
悠太郎がトラを抱えて待っているのだ。
「あれ、妹さんは?」
姿が見えない。
「帰った。それより、これからどうする?」
「うちへおいでょ、もし良かったら。」
「うん、行く行く!」

それから二時間後。
僕にとっての初体験は、終わりを告げた。
トラによると、悠太郎はちょくちょく遊んでいたらしい。
本気ではなかったらしいのだが、それでも心配だ。
そんな事を考えていると、悠太郎が一言。
「浮気しないでね!」
それはこっちの台詞だよ、と思いつつも、僕は無言で大きく頷いていた。

その後。
悠太郎は僕の家に泊まる事になった。
なので、僕達は二人で夕食の買い物に出掛ける事にする。
「ねぇ、夕食は何にするの?」
「すき焼きはどう?国産のお肉、奮発するょ。」
「やったね!」

ここでふと思い出す。
高三の頃、それまでの人生で唯一と言っていい友達が居た。
名は紀伊太郎と言う。
ヘテロであり、純愛に憧れるウブなところがあった。
彼は憧れていた女の子に告白、やがて付き合い出す。
初めの頃は、嬉しそうなメールが度々、僕の元へと届いていた。
が、彼からのメールは、「今夜は彼女とすき焼き!家族みたい。嬉しい!」という短文を最後に、ぷっつりと途切れてしまう。
それ以降、彼からのメールが僕の元に届く事は、遂になかったーー。
彼女は、股を掛けていたのだ。
紀伊太郎は、遊ばれていた。
彼は、空の星となったーー。

別に悠太郎に遊ばれていた所で、僕が自殺をする道理はない。
だが、忘れた筈の悲しい記憶が頭を掠めていたせいか、顔色は曇っていたようで。
「どうしたの?顔色悪いょ。」
悠太郎に心配を掛けてしまった。
「ううん、何でもない。」
慌てて取り繕う僕。
が。
「僕があんまり可愛いものだから、心配したんでしょ?大丈夫!僕はこう見えても、想い人には一途だから。」
悠太郎の言葉に少し安心しながら、近所のスーパーへと出掛けるために、玄関で靴を履く。
するとそこへトラがやって来て、ウインクなどするではないか!
もしやこれはーー。
「僕はトラのサポーター契約者。一匹の猫につき、契約者とサポーター契約者を一人ずつ付ける事が可能なんだ。だから僕もトラの念じている事が分かる。テレパシーは一対一の他、一対二、妹も交えた一対三で行う事も出来る。僕が契約者にならなかったのは、猫の世話なんてするつもりがなかったから。飼ってくれそうなあてはないかと聞かれたから、君の名を挙げておいたんだ。」
おやまぁ!
悠太郎、何と僕の事を前から知っていたのだ。
「可愛かったからね。何となく、知ってた。まさか両想いだなんて、思わなかったけど……。」
悠太郎が下を向いたので、すっと頰にフレンチ・キス。

僕達の恋はまだ始まったばかり。
これからどうなるかは分からないけれど、トラが居るから、少なくとも浮気の心配はなさそうだ、お互いに。
楽しい事がたくさんあるといいなーー。
そう思って悠太郎と顔を見合わせると、どちらからともなく笑みが零れた。
『二人共、幸せになれよ!』
トラの呼び掛けに、大きく頷いた僕達なのだった。

お・し・ま・い

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ANNIVERSARY

寒い冬の午後。
日曜日。
仕事は休みだ。
炬燵に入ってぬくぬくとする。
蜜柑を剥きながらふと窓に目をやると、結露で涙のように水が滴り落ちていた。
それはもしかしたら、あの時の君の涙かも知れないーー。
どうかしている、そう思いながらも、心の何処かでどうしてもそんな事を考えてしまう俺が居た。
あの別れから三年。
罰せられるべきは、俺の心だーー。

部屋のサボテンが萎れてしまった。
大した事ではないのだが、なんだか泣けて来てしまう。
冬なのにうっかり水をやったのがいけなかったのか。
一度の過ちで取り返しのつかない事になる。
人生には、そうしたトラップが数多い。

仕事を辞めようかどうしようか、迷っている。
今は製菓工場で働いているのだが、辞めて田舎に帰ろうかとも思っている。
田舎に帰るという事は、ゲイとして生きる事を諦めるのと、同じ事だ。
でも、それも良い。
どうしようもない俺には、ちょうど良い罰だ。
女を抱くのか。
俺に出来るか。

でも、やってみなければ分からない事があるのも、事実だ。

携帯のメールアドレスを変えられない。
出来なかった。
この三年間、ずっとだ。
また君に逢えたらーー。
そんな妄想に囚われて、女々しくも変えられず終いだった。
今日、変えようか。
どうしようか、悩む。
頭の片隅がやけに痛いのを感じながら、結局はまた変えられないのだった。

上着を羽織って、外に出てみた。
息が白い。
この季節は、いつまで続くのか。
いつまで俺の心を蝕むのか。

携帯がメッセージの着信を知らせる。
どうせ詐欺紛いの広告だろう。
俺はそれを開かない事にして、近所の花屋に向かった。
店頭で。
またもサボテンに目が行く。
サボテン、風水では良くないとされているらしいのだが。
まぁ、何を今更だ。
俺はセレウスというサボテンを買って帰る事にした。
ボブのヘアスタイルが印象的な、感じの良い店員さんが笑顔で言う。
「可愛がってあげてくださいね。」
俺はその時ぼんやりと、女を抱くというのはどういう事なのかと、考えていたりした。
「どうかなさいましたか?」
気が付くと、店員さんが怪訝そうな顔をしていた。
当たり前だ。
俺は自分の浅ましさに嫌気がさし、袋を受け取るとそそくさと店の外に出た。

雪がちらついていた。
君と、そう、あの子と出逢ったあの日の事を思い出す。
あの日も、ちょうどこんな雪の日だった。
五年前。
あの子はウチの最寄りの駅前で待っていた。
時折時計を見る仕草が、遠目から見ても可愛かった。

俺は駆け出していた。
目の前で転びそうになっている所に、手が差し伸べられた。
短くて太い指の、小さな桜色の手だった。
「あの……。嘉之さんですよね?僕、公彦って言います。はじめまして!」
冗談交じりで、空いた手で敬礼のポーズを取る。
そういえば公彦、警備員のアルバイトをしていたのだった。
小さな、丸っこい体の、警備員。
地元のスーパーで働いていたのだった。
あれから、どうしているか。
確か、正社員になっていた筈だったが。
元気にしているといいな。
あわよくば、一目姿が見れたらーー。
女々しくもそう思う自分がこの時、居た。
もう自分にはそんな資格は、ないというのに。

で、その時の俺はというと、転びそうになった事へのフォローに必死だった。
何しろ、可愛いのだ。
「やぁ、ごめんね。君があんまり可愛かったから、早く話してみたくて、焦っちゃった。」
俺は、照れ隠しに舌を出す。
「大丈夫です!ぼくなら、逃げませんから!」
そう言ってはにかんだ笑みを浮かべる公彦を見た時に、俺はこの子の傍に居たい、心からそう思った。

中学校卒業間際。
俺は失態を犯した。
部屋に隠してあったゲイ雑誌が、親に見つかったのだ。
その時の父親の対応は、苛烈と言って差し支えのないものだった。
「お前が心を入れ替えたら、高校や大学に進学させても良い。そうでなければ、中学卒業と同時にこの家を出て行け!これ以上親不孝者の面倒は見切れん。このままならもう二度と、ウチの敷居は跨がせん!」
だが同時に、こうも言っていた。
「お前は家の跡取りの、一人息子だ。心を入れ替えたら、いつでも戻って来るんだ。その時は、嫁さんも加えて、もう一度家族をやり直そう。」
或いはこれが、父親なりの温情だったのかもしれない。

俺は結局、着の身着のままで家を飛び出して、今も勤める小さな製菓工場に就職した。
最初は、忍耐が必要だった。
だが、仲間は出来ないまでも、周りの空気は次第に穏やかなものになっていった。
俺の働きぶりが認められたのだとーーそう思いたい。

当時、面接をしたのは専務さん。
俺は就職後しばらくの間、専務さんからはとても可愛がられていたから、採用されたのも偶然ではあるまい。
或いはもしかしたら、見る目があったのかもしれないが。

ここを辞めたら後がないーーそう思っていたから、これまで無遅刻無欠勤を通して来れた。
それがここに来て、崩れ去ろうとしている。
本当にこのまま流されていいのか。
後悔はしないのか。
何度己に問い質しても、答えは曖昧なままだ。
『どうしようもねぇな、俺。』
俺は積もって来た地べたの雪を蹴っ飛ばして、何となくふらつき始めた。

公彦とは、出逢ってすぐに意気投合。
そのまま、付き合い始めた。
何もかもが順調で、俺たちは幸せを謳歌した。
それから二年。
そう、今からちょうど三年前。
公彦に突如、結婚話が持ち上がる。
それは家同士の都合による、愛の欠片もない結婚だった。

「ねぇ嘉之、助けてよ!結婚なんかしたくないよ!」
涙交じりで縋る公彦に、俺は冷淡だった。
「別れよう。」
それが、公彦に告げた最後の言葉だった。
「うわぁぁーっ!!」
叫び声が、いつまでも耳に焼き付いて離れなかった。
とはいえ、どうせこのまま公彦を匿っていても、公彦の親御さんは乗り込んで来るに違いない。
こうするより他なかったのだ。
それに、この結婚を機に公彦は警備会社の正社員となれるのだ。
いわゆる、コネクションである。
こういうのは、大事にすべきなのだーー。
そう言い聞かせて、誰も居なくなった部屋で俺は独り、号泣した。

それからの三年間。
俺は何もなくなった空っぽの心を抱えたまま、ただひたすらに働き続けた。
汗水流して、一日も休まず、文句も言わずに、黙々と。
「嘉ちゃん、あんまり根を詰め過ぎると、続かんよ。」
パッと明るい笑みで専務さんが声を掛けてくれる。
実はこの三年間、俺は専務さんの性処理相手となっていた。
好きだった訳ではない。
でも、優しかったからーー。
だから俺は、その大きな背中に縋った。
もちろん、専務さんには家庭があった。
だからこれは密やかな、誰にも告げられない関係だった。

ある日、いつも使っていたブティック・ホテルのベッドの上で。
「嘉之は良い子だね。また会おうね。」
「うん。」
頭を優しく撫でられて、この時、俺は情けない事に溢れ出て来る涙を止める事が出来なかった。

気が付くと、サボテンの入った袋を提げたまま、最寄り駅の前まで来ていた。
「いけね、帰らないと。」
この時、何故だか携帯に届いていたメッセージの内容が気になり出したので、取り出して通知を見る。
それを見て、俺の体に衝撃が走った。

その時だった。
「嘉之ー!」
振り返るとそこには、三年前と寸分違わぬ公彦の姿があった。
「僕は今日、離婚して来た。両親とも、家族でなくなった。仕事も、辞めて来た。もしも許してもらえるなら、もう一度嘉之の傍に居させて欲しい。我儘かも知れない。でも、きっと嘉之となら“家族”になれる、そう信じられたから、だから今日、ここに来た。三年前のあの日、もっと体当たりでぶつかっていけなかった事、後悔している。今なら言える。嘉之、愛してる。」
公彦はそれだけ言い終えると、涙交じりの笑顔で、敬礼のポーズを取った。
俺は体が動かなくて、その場に崩れ落ちた。

それから三日後。
俺は専務さんと会っていた。
本当は、これで終わりにするつもりだった。
だが、専務さんはそれを許さなかった。
「ねぇ専務さん、こうして会うの、これで終わりにしようよ。」
「ーー好きな相手でも、出来たのか?」
どきりとした。
何も言えずにいる俺を置き去りにして、専務さんは続ける。
「お前がもう会わないというのならば、私はお前をクビにする。それだけだ。」
固まった。
動けなくなった。
そんな俺に専務さんは尚も続ける。
「別にそいつと別れろと言っているんじゃない。私にだって、壊せない家庭がある。お互い様だ。上手くやれ、そういう事だ。」
俺は何故だか込み上げて来る涙を止められないまま、黙って頷いた。

行きつけのブティック・ホテルからの帰り道、俺は昔楽しかった頃の公彦との思い出を思い返していたーー。

冬。
二人で時々、スノーボードに出掛けた。
転んでは雪をかけ合い、楽しかった。
夜は温泉に浸かって、ほっこり。
料理も楽しみの一つだった。
山菜や釜飯、川魚に舌鼓を打った。

春。
近所の公園に、お花見に行った。
夕方、花見客で賑わう中、ブルーシートの上でほろ酔い気分。
桜は、散る間際が美しい、この時改めてそう思った。
では、愛はーー。
それには、今も答えは出せていない。

夏。
二人してアイスと素麺ばかり食べていた気がする。
一応いっちょまえに海にも行ってはみるのだが、芋洗いの中に入り込む気も起こらず、二人してビーチの上でごろごろ。
もちろん、それはもう暑い暑い。

秋。
世間では芸術の秋なんてのもあろうが、俺たちにとっては違う世界の話だ。
もう脇目も振らずに、何と言っても食欲の秋!
色んなグルメがあるが、中でもすき焼きは良く食べた。
本当に、しょっちゅうだった。
二人共、大好物だったのだ。
そういえばあれ以来、すき焼きなんて食べていないーー。

あれから俺たちは、寄りを戻していた。
だが、何処かぎこちない。
たぶん公彦が、俺の振る舞いに不安になっているのだろう。
それでも、今会社をクビになる訳には行かない。
何としてでも。
何しろ、公彦は今、求職中。
俺の部屋で暮らしながらだ。
働いているのは今の所、俺だけ。
安月給と言えども、失くす訳には絶対に行かないのだ。

ある日、帰宅。
今夜はすき焼きにしようと、メッセージで送っておいた。
帰りがけについでに、材料もしこたま買っておいた。
食いしん坊の俺たちでも、たぶん足りるだろう。

鍋を囲んで。
公彦、笑ったままで、泣いていた。
器用な事だ、などと笑い飛ばせる訳がなかった。
公彦には、もう分かっていたのだ。
何も言えない俺。
口を開いたら最後だと、そう思っていた。

次の瞬間だった。
「ごめんね、僕、邪魔だったよね。」
泣きながらベランダに駆け込む公彦。
これはいけない、そう思った俺は、駆け寄りながら叫んだ。
「愛しているんだ、本当に!だから、止めてー!」

翌日、月曜日。
俺は、病院にずっと居た。
可哀想に、公彦の親族へは誰が電話をしても、誰一人として話を聞こうともしなかったらしい。
警察には根掘り葉掘り、色んな事を聞かれた。
それはもう、興味本位ではなかったかという位に。
公彦は、一命を取り留めた。
だが、その後の推移によっては、後遺症が残る可能性も、十分にあった。
俺は専務さんに、この日欠勤した訳を残らず、余す所なく話した。
それはとてつもなく、勇気の要る事だった。
だが、俺の心配を他所に、専務さんはこの時、優しかった。
専務さんは後悔をしているようだった。
そして、話の最後に、こう言ってくれたーー。
「公彦くん、早く良くなるといいな。嘉之、二人で頑張れ!仕事の事は心配するな。見舞いの為に定時で上がる分、ちゃんとフォローしてやる。明日から、ちゃんと来るんだぞ。」

俺は、どうしようもない奴だった。
一人息子なのに家業の和菓子作りも手伝わず、公彦の事も救えなかった。
俺は実家には戻らない決意を固めた。
何としてでも、公彦に寄り添ってやりたい。
その一心だった。

その後。
公彦はなかなか目を覚まさなかった。
だが、ここで俺が折れる訳には行かない。
病院代もあるのだ。
稼がねば。
毎日仕事終わりに病院に顔を出す日々。
「感心ね。頑張って!」
看護師さんには度々、励まされた。

ふと、思い出す。
昔付き合っていた頃に、公彦とこんなやり取りをしていたのを。

「なぁ公彦。もしも俺が浮気してたら、どうする?」
これに公彦、ニカッと笑って、こう言った。
「そしたら僕、居なくなっちゃうかもしれない。」

今思えば俺は公彦にとっては、最後のよすがのような存在ではなかったか。
それだけに、その心情を慮れなかった俺の失態は、決して許されるものではなかったのだ。

あの言葉。
ーーそしたら僕、居なくなっちゃうかもしれないーー

この時まさに、その通りの状況になりつつあった。
掌から零れ落ちてゆく砂のように、公彦の命は風前の灯火にも思えた。

それから半年。
険しい表情をして、ある人物が俺と公彦の居る病室に姿を現した。
公彦の容体は奇跡的に安定はしていたが、まだ目覚めない。
そんな中での来訪。
やって来たのは、公彦の実姉であった。
暫し、無言。
ようやっと口を開いたお姉さん、「これ。」とだけ発すると、小型のアタッシュケースを黙って置いて帰ろうとした。
カチンと来た。
中身の見当は、付いていた。
「何だこれは!」
じりじりと近付く俺に、お姉さんは冷たく言い放った。
「五百万。手切れ金。お金、要るんでしょう?これ以上は出せないし、もう関われないの。ごめんなさいね。」
本当は、怒る所だったのかも知れない。
だがこの時の俺は、情けない事に涙が溢れて止まらなかった。
お金は、喉から手が出る程に欲しかったからだ。
だから、俺はアタッシュケースを抱き抱えると、その場に崩れ落ちたーー。

一年が過ぎた。
この頃は安らかな寝顔を見せてくれる。
これで十分かもしれない。
そう思いかけていた。
だが、その時だった。
「公彦ーー!?」
ついに公彦は目覚めたのだ。

医者の見立ては厳しいものであった。
それだけに、感無量である。
とはいえ、本番はこれからだ。
右半身の一部に、麻痺が残っている。
長いリハビリが、始まろうとしていたーー。

俺は、仕事以外の時間は、極力公彦の傍に居てやるようにした。
俺が居ると、目の輝きが違うのだ。
何だか、照れ臭い。
が、これも大事な、二人の共同作業。
公彦が全快した際には、きっと笑い話になっているだろう。
この時の自分には、そんな予感がしていた。

だが、この話はここで終わらない。
俺たちの読みは、甘かった。
専務さんの奥さんが、かつての専務さんと俺の不倫の事を、嗅ぎ付けてしまったのだ。
たまには携帯のチェックをと思ったらしく、たまたま端末に残っていたメールを、ロックが解除された状態で専務さんがトイレに行った隙に、見てしまったらしい。
それまで綺麗好きで見た目も美人であった奥さんが、みるみる内に家事がこなせなくなり、部屋やリビングにはゴミが堆積。
容姿に至っては、見るも無残だったという。

結局、専務さんは小さな施設に奥さんを入れる事にして、別居する事となった。
その話を聞きつけた俺、いてもたっても居られず、翌朝会社で、専務さんにその事を尋ねてみる事にした。

翌日。
専務さんの顔は、優しかった。
「私は二人に悪い事をした。償っても償い切れない。気にしなくていいんだよ。権力を笠に着て、やりたい放題やっていた自分がいけなかったーーごめんな。」

それだけで、たったそれだけの言葉で、嬉しかった。
全てを許せる、そんな気が少なくとも今の俺にはしていた。
それよりも俺は、奥さんの方が気掛かりだった。
世の中、上手くはいかないーー。
この時の俺はまさにそれを、痛感していた。

それから二年。
俺は良く耐えた。
公彦もそれ以上に、本当に良く頑張った。
俺は会社での頑張りが認められ、副工場長にまで上り詰めていた。
中卒では異例の出世だ。
辞めなくて良かったーー。
本当に心からそう思った。

公彦は、警備員の仕事は絶望的だが、専業主夫としてなら頑張れそうだ。
脳にまだ障害が残っているので、記憶を忘れている事もザラだが、実家の人たちの事は覚えていなくても、俺の事は覚えてくれていた。
まさに、感無量だ。

これから先は、何があっても二人で助け合って生きて行こうと思う。
今日は俺たちの、大切な大切な、記念日となった。
何があってもこの日を、この絆を忘れないーー。
そんな自信がある内は、まだまだ平気だ。
そうだ。
まだ行ける、まだ大丈夫。
二人、手に手を取ったら、意外と俺たち、パワフルなんだ。
これは最近気付いた事。
遅過ぎたかもしれないが。

そう、とにかく頑張る!
脳裏に咄嗟に浮かんだ言葉。
それしかない。
あの子の、公彦のあの堪らない笑顔の為にも。
きっと幸せにすると誓って、俺は息を一つ、深く深く吸い込んだのだった。
掴んだ手は、もう離さない。

-完-

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Hero [キミに捧ぐ詩]

独りぼっちだった。
ずっと、ずっと。
もう思い出せない程昔から、ボクの傍には誰も居なかった。
そんな日々を、苦闘を、キミだけは見ていた。
いつの頃からか、そっと寄り添うように。
だからボクは、キミのためにならどうにでもなれる、そう思った。
初めての気持ちだった。
胸がポカポカ、温かかった。
そんなキミも、ずっと独りぼっちだった。
ボクたちは惹かれ合うだけではなくて、同じ、仲間でもあったんだ。
この話は、そんなボクたちの特別で普通な日常を綴った、日記のような物語であるーー。

Hero [キミに捧ぐ詩]

ボクは幼い頃から何度も自殺未遂を繰り返して来た。
リストカット、首吊り、色々やった。
両親や親類縁者からは、既に見放されていた。
通っている中学を卒業すると同時に、自活する事になっていた。
全てを、諦め切っていた。
ただ、寂しかった。
それだけだった。

胸が痛い。
いや、こころが痛い。
軋むように。
そんな中。
学校で。
ボクを見つめる、キミを見つけた。
独りぼっちで佇んでいた。
ボクと、同じだった。
憂いに満ちた瞳が、それを物語っていた。
もしかしたらボクもあの子にはそう見えているかも知れないーー。
そう思った。
だから、嬉しかった。
やっと、仲間を見つけた。
そんな気がした。

この時、ボクは中学三年生だった。
両親は居ない。
ボクが幼稚園の頃に、山のような借金を残して失踪した。
事業が失敗したのだ。
それ以来、親戚をたらい回しにされる日々。
誰からも疎まれていた。
仕方なかった。
所詮は親子ではない。
他人なのだ。

小学校の頃。
ある年の夏。
ボクは親代わりの親戚に、線香花火をねだった。
店先で。
「ねぇ、これ欲しい。」
バチン!
頬を叩かれた。
これが初めてではない。
だがこの時に、ボクはようやく学習した。
誰にも何もねだらない、決して甘えない。
そう、固く心に誓った。
隣には、別の親子の姿があった。
「ねぇパパ、花火やりたい。」
「よしよし、どれが良い?」
「これー!」
「よーし、帰ったら一緒にやろうな。」
息子の頭を撫でる父。
正直、羨ましかった。
でも、羨んでも意味はない。
ボクはこの時から、ある意味では諦めが良くなった。
自殺未遂を始めたのも、この頃からだった。
この世界に未練はない、これ以上迷惑を掛けたくないーー本気で、そう思っていた。
これは、単なる我儘だったのかも知れない。
それでも、衝動的に死のうとするのを止める事は、出来なかった。
だが。
死ねなかった。
意外と、難しいのだ。
ただ、一日一日が気怠く、鬱々としていた。

こんな事もあった。
ある日。
熱を出した。
珍しく。
39℃あった。
だが、親代わりの親戚は、何もしてはくれなかった。
学校へも連絡してくれない。
「軟弱ね!熱なんて気持ちの問題よ!早く学校へ行きなさい!邪魔なのよ!いっそこのまま死んでしまえばいいんだわ!そうよ、自殺するくらいなら、そうなさい。それがいいわ。」
罵倒された。
結局、行った先の学校で倒れてしまい、家まで帰る事に。
布団に寝ていたが、ぐちぐちと文句を言われたものだ。
今思えば、それすらも懐かしい。

それからも親代わりの親戚の顔ぶれは度々変わったが、互いの関係性に違いはなかった。
余計な物をねだれば叩かれる。
余計な事を言えば蹴られる。ど突かれる。
だからひたすら目立たないように、大人しくしていた。
それしか、自分の感情を押し殺す事でしか、生きてゆく事は出来なかった。
ただ、死にたかった。
その思いだけが、日増しに募っていった。

学校でも、いつも独り。
特に虐められていた訳ではない。
ただ何となく、無視されていた。
勇気を出して声を掛けても、誰からも返事はない。
独りぼっちの長い一日。
正直、持て余していた。
何の記録にも、記憶にも残らない、透明なだけの日々。
キミに会うまでは、ボクは空っぽの、本当にただの、がらんどうだった。

出会った日。
というよりも、ボクがキミを初めて意識した日。
ふと視線を送ると、キミは笑う。
憂いに満ちていた冷たい瞳に、温もりが灯る。
それは、精一杯の勇気の証。
だからボクも、笑った。
勇気には、勇気で応えたかった。
やがてボクは近付いて、教室を出るように促した。
「行こう。」
もう間もなく授業開始。
でも、ボクは進学しない。
だから、関係なかった。
すれ違った先生も見て見ぬ振り。
厄介ごとには関わらないのだ。
二人して、廊下を歩く。
気が遠くなった。
鼓動がうるさい。
自分でも意外な程に、この時の自分は大胆だった。
すると。
キミの手が、温かな手が、スッと伸びてきた。
慌ててそっと、握り締める。
誰も居ない廊下で。
無言のやり取り。
ボクはこの時確かに、幸せだった。

そのまま空き教室に入り、二人で話をした。
「ねぇ、キミ、名前は?」
ボクが訊ねる。
「悠真。キミの名は、何て言うの?」
「陽太。よろしくね。」
久々の、本当に久々の笑顔が零れた。
自分もまだ笑えるんだーーそんな当たり前の事が、意外にも思われた。
その時。
キミもまた、笑った。
「多分、陽太もボクと同じ、仲間だよ!仲良くしようね。」
そう言って、キミはボクのヒーローになった。
いつまでも変わらない、絆がここに生まれた。

それから、いろんな話をした。
悠真にも、両親は居なかった。
幼い頃に自動車事故で亡くしていたのだ。
親戚の元へと身を寄せる事の辛さ、切なさを、悠真は分かってくれていた。
悠真は言う。
「授業を抜け出してきちゃったけど、陽太は進学するの?ボクは就職するよ。だから大丈夫。これ以上親戚に迷惑も掛けられないしね。」
そんな事まで、同じだった。
「ボクも就職するよ!おんなじだね!」
嬉しくて、声が自然と上ずった。
その時。
不意打ちだった。
「陽太は、ボクの事好き?友達としてでも、それ以上でも。」
固まってしまった。
衝撃で思わず。
目の前の顔がみるみる残念そうに変わる。
でも、だからこそ、再び勇気が出た。
「好きだよ。大好きだよ。」
顔が火照っているのが分かる。
次の瞬間。
悠真はボクの事を力一杯抱き締めて、嗚咽を漏らし始めていた。
ボクはただ、あまりの展開の早さに戸惑って、悠真の胸の中で、もらい泣きをするしかなかった。
やがて悠真は、笑った。
「もしかしたら、ってずっと思ってたんだ。キミならきっと、酷い事は言わない気がしたから。だから勇気が出たんだ。」
だからボクも笑った。
「ボク、キミみたいな子が好きなんだ。付き合うってだけじゃなくて、仲間に、同士に、お互いの味方になれる気がしたから。嬉しかったんだ。ずっと想っていてくれて、本当にありがとう。」

その日から、ボクたちの交際はスタートした。
と言ってもまだ中学生。
ましてやどちらの親も、悠真やボクの来訪は歓迎しない。
という訳で、交際はほぼプラトニックだった。
まぁ、キスは済ませたけどね。

それから、学校をちょくちょくサボるようになった。
もちろん、二人でだ。
今のボクたちの親代わりの親戚は、そういった事には一切、無関心だった。
ただ、中学校を卒業したらすぐに働く。
これは絶対に破れない約束だった。
それさえ守れば、中学校卒業と同時に居なくなるのであれば、うるさくは言わない人たちだった。
まぁ、迷惑さえ掛けなければボクたちに無関心なのは、間違いがなかった。
それはある意味では、とても有り難い事でもあった。
さて二人共、小遣いはほとんど貰っていないから、お金のかかる遊びは出来ない。
という訳なので、図書館や公園通いは日課となった。
近所に大きな公園があって、そこは時間潰しには最適だった。
本屋での立ち読みもよくやった。

ある日、公園で。
悠真が悲しい顔をしている。
放ってはおけない。
理由を訊ねてみる。
「僅かなお金を毎月少しずつやっと貯めて買った一冊の漫画本、親代わりの親戚に破り捨てられたんだ。この穀潰しめ、資格の本でも買うと思ったら!って言って四発ビンタされちゃった。ボクが悪いんだ。けど、悲しいぃ。」
悠真の目には、涙が浮かんでいる。
もう、見ていられない。
ボクは思わず、叫んだ。
「キミは悪くないよ!僅かでも、お小遣いには違いないんだ。漫画を買ってはいけない、そんな道理はない筈だよ!」
悠真はボクの体にしなだれかかって泣いていたね。
本当はボク、そんな時間も幸せだったんだ。
悠真にはそんな事、口が裂けても言えないけどね。

この頃、学校ではちょっと困った事が起きていた。
ボクたちの交際が、クラスメイトにバレたのだ。
クラスにいる間中、嘲笑と嫌がらせの嵐。
机の足下に画鋲がばら撒いてあったり、宿題でやって来たプリントを盗まれたり。
ボクは正直に、プリントがなくなった、そう言った。
だけど先生は、全く取り合わなかった。
それどころか、ボクが嘘をついていると一方的に決め付けて、ボクをみんなの前で晒し者にした。
「忘れたら忘れたと、そう言いなさい!あなたは底意地の悪い大嘘つき。どうして嘘なんかつくの!やる気がないなら、出て行きなさい!進学しないからって、適当に授業を受けるなんて、私は許さない。この愚か者が!親が居ないから、こんな馬鹿が育つんだわ!後であなたの親戚を呼んで、叱咤してもらうようにします。覚悟おし!」
涙が、止まらなかった。
クラスメイトは皆、クスクスと笑っていた。
「みんな、こんな馬鹿と同じになりたくなければ、笑うのはよしなさい。ところであなた、まだ居るの?どうせやる気なんてないんだから、出てって頂戴。邪魔!」
ここで救いだったのは、悠真が駆け寄ってくれた事。
「もう学校なんて行かないで、一緒に遊ぼうよ。その方がずっと楽しいよ!」
悠真の言葉に、また救われた。
やっぱり悠真は、ボクのヒーローだ。

それからは就職活動までの間、前にも増して二人でよく遊んだ。
ちなみに、プリントの件では、ボクたちは二人共親代わりの親戚に、殴る蹴るの暴行を受けた。
「この恥晒しが!貴様なんて、人間の風上にも置けないわ!このアホンダラあぁーー!!!」
この一件で、また一段と強くなった。
元々の諦めの良さもあるにはあったが、いちいち落ち込んでいてはキリがないと、ようやく悟ったのだ。
まぁ、悪い事ばかりではないという事だ。

それから、卒業式まで一日も学校へは行かなかった。
職場は、小さな町工場。
雑用からのスタートだが、嬉しい事もある。
悠真と一緒に働ける事になったのだ。
仕事は、キツかった。
だが、二人だ。
一人ではない。
だから、まだ頑張れる。
やれる。

仕事を始めてから、一緒に住み始めた。
LGBTフレンドリーな物件に詳しい不動産屋さんで、男同士で住める格安の物件を見つけたのだ。
築28年だがこの際だ。
文句は言うまい。
二人暮らしでダブルインカム、しかも家賃は格安。
暮らしに少しばかりの余裕が出来た。
嬉しい誤算だった。

勤務先の人たちは、仕事さえ出来ればゲイであろうとなかろうと、関係はないという人たちばかり。
だからこそ、頑張るしかない。

やがて、勤務開始から半年。
仕事にも慣れて来た。
勤務先の人たちの殆どは、ボクたちの関係を知っている。
それでも、何も言われなくなった。
みんな、当たりが柔らかくなって来たような気がする。
以前のように罵倒される事がなくなった。
「おはようございます、皆さん!」
「おはよう、悠真、陽太。」
工場の中に、やっと小さな居場所が出来た。
もう手離すまい、そう思った。

ある日の夜。
二人の自宅で。
まだお酒は飲めないから、ジュースで乾杯。
お酒ってどんな味がするのだろう?
興味はある。
早く成人して、一人前になりたいものだ。
さて。
今日は悠真の誕生日なのだ。
珍しくホールケーキなど買って、お祝いをする。
プレゼントは、前から欲しがっていたテレビゲーム機。
「わ、これ、良いの!?」
「当たり前だよ!キミのために買ったんだから。」
「嬉しい!やっぱり陽太は、ボクのヒーローだね!」
あ、おんなじだ。
ボクがずっと思っていた事。
やっと共有出来た気がして、嬉しかった。

その夜。
布団の中で。
SEXもそこそこに、二人で語り合った。
驚いたのは、悠真にとってはボクが初恋の相手だったという事だ。
「陽太の事が可愛くて、ずっと見ていたんだ。男同士だし、それ以上の事は出来なくてさ。でも初めて目が合った時、きっと陽太はボクとおんなじだって、直感でそう思ったんだ。だから勇気が出た。出会えて、良かった。」
ボクにとっては悠真は二人目の恋の相手だったが、これには特に触れないでおこう。

翌朝。
今日は仕事がお休みなので、朝から凝った料理を作ってみる事にした。
なに、材料は昨日の内に買い出してあるのだ。
あとは腕次第。
どうなるか?

それにしても、二人並んで仲睦まじく料理だなんて、幸せ過ぎる。
今日は朝から天ぷらと煮物、それに銀ダラの煮付けと豚の角煮、そして山程の豚汁を用意するのだ。
気合いが入っている。
豚の角煮は圧力鍋で作る。
圧力鍋、珍しくボクがおねだりしたのだ。
やっぱり時短でしょ、という訳で。
ご飯は一升炊いてみた。
食べ切れるかな?
まぁ無理なら晩御飯にでも、と思っていたのだが。
やっぱり食べ切ってしまうのだ、二人で。
や、我ながらこの家、エンゲル係数高いな。
大丈夫か?
少し心配になる。
「何ぼーっとしてるの?陽太の分、ボクが食べちゃうよ。」
悠真になら良いのだが。
食べられても、別に。
でもまぁここは、慌てて食べるふりをするのである。

午後からは遅い昼食を食べに外出だ。
二人の洋服も見たいので、都心に出る事にした。
電車に揺られる。
勤務先の工場は家の近所だから、こんな事でもない限り、電車に乗る事はない。
車内の混み具合はそこそこ。
助かった。
ボクたち二人共、満員電車は苦手だったもんね。

やがて電車は新宿駅に到着した。
降りるボクたち。
が、ここで。
ボクはいつの間にかはぐれてしまった。
しばらく探していると、悠真に良く似た姿を発見。
たぶん間違いない。
筈なのだがーー。
その男、地下通路で女と、キスをしていた。
まさかね。
まさか。
でも、不安で。
悔しくなって。
久しぶりに涙が零れる。
と、そこへ。
携帯への着信。
悠真からだ。
「ねぇ、今何処?ボク、マルイ前。早くおいで。」
良かった。
本当に。
こういうのを、取り越し苦労と言うのかも。
心配して損した。

マルイ前に到着。
だが、別にマルイで洋服を買う訳ではない。
高いし、どうせサイズもないのだ。
洋服はサカゼンで買うとして、まずは腹ごしらえだ。
心配したらお腹が空いた。
こういう時は、食べ放題のお店がボクたちの味方だ。
とは言っても、別にホテルまで出向く訳ではない。
そんなにお金はないのだ。
格安のランチビュッフェ。
お値段なりだが、悪くはない。
「さっきボク、悠真に良く似た人が女の人とキスしてるとこを見ちゃってさ。心配したよー。」
「何だよそれー!ボクがそんなに浮気者に見えるのか?残念だ!」
「ごめん、悪かったよ。でも、良かった。」
二人で、笑った。
すっかり二人だけの世界に入り込んでいたボクたち。
気が付くと、ランチビュッフェの制限時間が到来。

その後、ボクたちはサカゼンで服を見立てて、帰途に就く。
電車の中で。
ボクたちは互いに見つめ合って、笑顔だった。
これからも、こんな平和な日常が続いていくといいな。
そう思った。
やっと得た居場所。
手放す訳にはいかない。
ボクたちはもう独りぼっちじゃないんだ、そう思うと、不意に涙が零れた。
それを悠真は、ハンカチで優しく拭き取ってくれた。

ーーキミは、ボクだけのヒーロー。
ボクもきっと、キミだけのヒーローになるから。
だから、一緒に居よう。
結婚なんて出来なくてもいい。
これがボクたちが見つけ出した、唯一無二の答えなのだからーー。

幸せになるんだ。
そう誓って、一人、拳を握り締めるのだった。

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Star that twinkles in the night sky -星々を巡る旅路で-

天の川銀河を航行する小さな宇宙船の中で。
「ねぇ兄ちゃん、あの星が綺麗だょ!」
「そっか、そだね。あの星にしよぅ!」
兄弟は地球を目的地に定めた。
二人は宇宙人ではあるが、その容姿は全裸に至るまで、日本人のそれと寸分違わず同じであった。
ただ髪の色が艶やかなグレーである事が、唯一の違いといえばそう言えなくもなかった。
彼らの脳内には汎用コンピュータが埋め込まれており、相手の話している事は視界にオーバーレイする形で翻訳して表示される。
喋る時には、汎用コンピュータに接続されたスピーカーが音を発し、口はそれに合わせて勝手に動く。
怪しまれる事はない。

兄弟は元々、天の川銀河に来る予定はなかった。
アンドロメダなどいくつかの銀河を周遊する旅に出ていたのだ。
だが、二人で乗っていた宇宙船の自動航行プログラムが故障してしまい、慣れない手動操縦では上手く操縦出来なかった為、なすすべもなく漂流。
二人は魔法を使えたのであるが、それを以ってしても宇宙船の操縦は難易度が高かった。
それだけ自動操縦に頼り切っていたのである。
やがて制御不能に陥りワープに次ぐワープを経て、エンジンは爆発寸前。
手近で綺麗そうな地球に、緊急用脱出艇で慌てて不時着しようとしていた。
どうやら自分たちの容姿が地球のアジア系の人たちと全く同一である事が判明し、とりあえず無難な所で深夜の東京湾に着水したのであった。

「ねぇ、とりあえずどうする?」
「戸籍と住民票とマイナンバーと職歴、それに住所をでっち上げよう。運転免許も取った方がいいな。」
「えー!いくらこの星より進んだコンピュータが体内に内蔵されているったって、それは幾ら何でも無理筋な話じゃない?」
「魔法を使えば、チョチョイのチョイ、さ!」
「ウゲェ。あれ、疲れんだょな。ま、しゃーないか。」

さて、二人には共通のペットが居た。
もっとも、ペットと言うよりは優秀な相棒に近いものだが。
それは、地球のリスと瓜二つ、並べても見分けが付かない小動物で、二人からはペグと呼ばれていた。
今まで寝ていた為に兄弟の脳内からは存在が忘れられていたのだが、運悪くここで起きてしまう。

兄弟はそれぞれ、ミリーとプリーという名前だ。
双子ではないがよく似ているので、初対面だと見分けが難しい。
ただ、性格的にはかなり異なっていて、ちょっぴり怒りっぽくてずる賢いのがミリー、のんびり屋さんがプリーだ。
二人ともふくふくとした体型である。
ミリーが兄で十六歳。
プリーは弟で十五歳。

起き抜けのペグにミリーが言い放つ。
「餌が欲しければ、ぼくたちの日本での戸籍と住民票とマイナンバーと職歴、それに住所と運転免許、魔法でよろしく!」
「嫌だね!何でぼくがそんな事しなくちゃならないのさ!」
ペグの怒りにも一理はあるのだが、残酷なミリー、ここでとどめを刺す。
「あ、そう。やってくんないなら、一週間飯抜きでカゴの中ね。」
「ちぇっ。面倒な役回りは全部ぼくに押し付けてさ。参っちゃうよ。」
ペグは愚痴をこぼすのだが、ミリーはここでも冷たい。
「やるの?やらないの?どっちなの!」
「しょうがないなぁ。やるっきゃないか。全く、動物使いが荒いんだから。」

東京・港区のタワーマンションの高層階。
庶民ならば目玉が吹っ飛ぶ位のお値段の、大型2LDK。
ここがミリーにプリー、そしてペグの新居である。
一応、二人の寝室は別々なのである。
ペグはリビングで就寝。
少し割高だったが、新築未入居の即入居可能な物件があったので、それを購入したのだ。
新規分譲時に新築を買うという手もあったし、そもそもこの物件にしても、もう少し待てばもっと下がるのかもしれなかったのだが、そんなには待てなかったのである。
まぁ腐ってもここは首都・東京。
不動産価格は安くはなかったという訳だ。

お金はどうしたって?
魔法で金の延べ棒をしこたまこしらえたのである。
インチキにも程があるが、背に腹は変えられない。
一応、出来上がった延べ棒は本物であるから、罪にはならないであろう。
ペグがぶつくさ言う。
「この魔法疲れんだからねー!ちょっとは労って欲しいょ。大体、職歴なんている訳?延べ棒作れば済む話じゃんか。」
身も蓋もない話である。
更にペグは続ける。
「大体、日本で運転免許を取るには、教習所に通わなくちゃならないの!あなたたち、ハナからそんな気さらさらないでしょ!魔法で運転なんて、ご法度なの!捕まるから!馬鹿!」
もっともな意見に、ミリーとプリーは沈黙。
まぁでも金はあるのだ。
何とかなるのである。
たとえば、タクシーとか、ハイヤーとか、ショーファードリブンとか。
だが、浮かないのはミリーだ。
「あーあ。プリーと二人きりでドライブに行きたかったな。ちぇっ。」
これにペグが噛み付いた。
「ぼくを置き去りにする気!?許せなーい!延べ棒なら出すから、一緒に連れてけー!」
「うるさいなぁ!分かってるょ。」

そんな事を言い合っている内に、プリーのお腹の虫が鳴った。
時刻は正午ぴったり。
プリーの腹時計は、下手なクオーツよりもよほど正確なのである。
「ねぇ、そこの。なんか食べようょ。これ以上お腹が空いたらぼく、暴れちゃうから。」
ミリーをそこの呼ばわり。
気が立っている証拠である。
これは危険だ。
プリーが空腹で暴れ出すと、抑えるのが大変なのだ。
人格が変わるのである。
早速ピザなる食べ物を注文。
Lサイズ四枚。
サイドメニューも色々と付けて。
や、多いな。
そう思った諸君は、まだまだ甘い。
デブにとってはピザは飲み物なのである。
二人で四枚平らげる位、訳ないのだ。
でもまぁ、ミリーとプリーにとってはこれがピザ初体験。
だから慎重になるのである。
そういう訳でたったの四枚なのだ。

ところで、ミリーとプリーにも戸籍が出来たのである。
ペグの魔法で記録を改竄したのだ。
年齢が十六と十五では何かと不便を生じるので、戸籍上は十九と十八という事にした。
童顔なので、それ以上の年齢には出来ないのだ。
で、名前である。
日本人らしい名前が必要なのだ。
そこでミリーは晨平、プリーは琉輔と名乗る事になった。
ちょっと個性的。
一方で苗字は、大澤。
こちらは、無難な線を突いたのである。

ピザが到着。
美味しそうな匂いが鼻腔を刺激する。
「頂きまーす!んまんま。」
「うんまいね。暴れる気も失せたょ。」
大好評である。
「それは良かった。で、ぼくの餌は?」
ペグがチクリ。
「後でね。」
冷たいミリー改め晨平。
これに、ペグが怒った。
「んがぁー!」
リビングのソファを魔法で宙に浮かせる。
プリー改め琉輔は食事に夢中で、この事態に気付いていない。
仕方ないので晨平、いそいそと木の実を皿に盛り、ペグの前に差し出した。
「ほら、お食べ。」
「そうこなくっちゃ!」
一心不乱に木の実に齧り付くペグ。
魔法で力を使ったので、お腹が空いていたのだ。
何はともあれ、平和な食卓である。

その頃。
晨平と琉輔の住んでいた惑星では、ひと騒動起きていた。
実は晨平と琉輔は、惑星トリーの王族であったのだ。
いつまでも戻らないので、母親である王妃サラトヴァが国王マクセンに掛け合う。
「あなた、軍を動かしましょう!とりあえず百個艦隊とXVR親衛機動部隊を動かして、敵を殲滅するのよ!あの二人はきっと今頃囚われの身に違いないから!」
「よし、そうしよう!私が指揮を執る!」
「あなた、どうかお気を付けて。」
「分かっている。心配するな。必ず生きて戻る。」

この動きが面白くないのは、晨平と琉輔の異母兄弟、サローグ。
晨平と琉輔がこのまま失踪していてくれれば、次期国王の座は自分に巡って来るのである。
そう、晨平と琉輔の乗った宇宙船に細工をして故障させたのは、他でもない、サローグ一派の部下連中であったのだ。
もちろんサローグの命で、である。
しかし国王自らが大軍を率いて出陣するこの事態。
考えようによっては好機なのだ。
軍の半分が出陣するのだ。
国内の軍は手薄になり、治安統制は難しくなって来る。
それどころか国王不在ならば、軍を掌握出来る可能性も高い。
クーデターを起こせる余地は十分にあるのだ。
いち早くこの事態を把握していたサローグの最側近、ラーベターは、サローグをも差し置いて自らの手でクーデターを起こそうとしていた。
上手くすれば自らが国王の座に就く事も有り得るのだ。
こんなチャンスをみすみす逃す訳にはいかない。

一方、地球では。
晨平と琉輔、それにペグは、地球でのセレブライフをそれなりに満喫していた。
何より自由なのだ。
これまでは王族として相応しくあるよう、教育ばかりの毎日だった。
国王である父は厳格であった。
息が詰まっていたのである。

マクセン率いる王立艦隊による捜索は、難航していた。
それもそのはず。
物理的に距離が離れすぎていて、地球までは捜索不能だったのである。
まさか地球に居るとは誰も思わなかった、というのもある。
そこへ、ラーベターによるクーデターの一報。
マクセンは国内に戻る事を余儀なくされた。
マクセンの部隊とラーベターが押さえた国内駐留の艦隊、数の上では互角だ。
だがラーベターは一つ見落としていた。
ラーベターは最新鋭技術の塊であるXVR親衛機動部隊の実力を過小評価していたのだ。
艦艇数こそ少ないが、第六世代ステルス技術に重装甲高高度完全自律型自動追尾ミサイル、近接距離ワープ機構付き重爆雷、超大口径六連装拡散ビーム砲、敵方のレーダーのみを選択的に妨害出来る電波妨害艇などの最新技術のいわばショーケース。
戦力としては巨大なのだ。
中でもマクセンが搭乗している総旗艦は、最新鋭の特殊な超合金を全面に採用していて、ラーベター麾下の艦艇の兵器では破壊する事はおろか傷一つ付ける事も出来ない。
そして、マクセン搭乗の総旗艦には、死の雨と呼ばれる、この宇宙に現存する兵器では迎撃困難な超重装甲広域拡散A2熱爆雷弾頭搭載大型ワープミサイル・ガルペゴンの発射口が二千もあるのであった。
その艦内には、実に四万発ものガルペゴンを抱えているのである。
その威力はたったの二十発で大型惑星をも粉砕する程のものだ。

やがてマクセンの部隊が惑星トリーに帰還。
決戦はその遥か彼方上空で行われた。
近過ぎては政府関係施設を始めとする各種建造物が危険に晒されるからでもあるが、マクセンが国民の安全を考えていたのに対して、ラーベターの脳内にはそのような思考は一切なかった。

「全艦、攻撃開始!」
マクセンの合図により、会戦の火蓋は切って落とされた。
最前列に超高高速連続ワープ機構を全艦に搭載するXVR親衛機動部隊を配して、必勝を期すマクセン。
ラーベター麾下の艦隊による攻撃をかわすかのようにワープしたマクセン麾下の機動部隊であるが、ワープアウトするとラーベターの艦隊を包囲していた。
ワープしたのはこれが目的なのだ。
マクセン麾下の残りの艦隊も先行する味方に守られながら、それに合わせて包囲体制を固める。
いわゆる包囲殲滅戦を企図していた。
決戦は短期で決着した。
中でも、マクセン搭乗の総旗艦による死の雨の効果は絶大であった。
ラーベターは炎に包まれた旗艦の中で、自らの行いを今更ながら悔いていた。
しかし、時既に遅し。
同艦内に拘禁されていたサローグ共々、冥界の門をくぐるのであった。

惑星トリーで国王マクセンの妹の長男が正式に王位継承者となる事が決まった頃、晨平と琉輔は地球上の各地のグルメを堪能する旅にちょくちょく出ていた。
ある時、マルタに滞在する二人。
バカンスも兼ねているのだ。
ビーチで寛ぐ一行。
「暇だな。なぁ琉輔。」
「平和が一番だょ。そろそろお昼だょ。食事の時間だょ。」
「いつもの事だけど琉輔、時計も着けていないのに良く分かるね。流石の食いしん坊だ。」
「でも時計はあった方が便利だよね。今度一緒に買いに行こっか?」
「そだねー。さ、食事、食事。」
「それよりぼくの餌、ちゃんとあるんだろうね。なかったら許さないょ。」
ペグが二人を睨む。
「あー、今のうちに食べちゃえ。木の実があるから。レストランでは鞄の中に隠れててもらわないといけないからね。」
ペグ、お腹いっぱい木の実を食べて大満足である。
ここで琉輔、閃く。
「ねぇ、魔法で宇宙船が出来ないかな?」
これをペグが一蹴。
「あんなに複雑なものは無理!延べ棒だって大変なのに、宇宙船なんて三人がかりでも死んじゃうょ。」
「そっかぁ、残念だぁ。」
眠たそうな目で空を見上げる琉輔。
実を言うと、ちょっぴり寂しいのであった。
それは晨平も同じ事。

惑星トリーに居た頃。
二人には友達が居なかった。
王位継承候補に悪い虫が付かないようにと、周囲の人間たちが追い払ってしまう。
父は国政で忙しく、母は教育ママときていた。
息が詰まる毎日。
それでも二人は、両親を嫌う事は出来なかった。
戻れるものなら、戻りたいーー。
ここで珍しく、晨平の目に涙が浮かぶ。
「お腹がいっぱいになれば寂しさなんて忘れちゃうょ。ぼくもそう。さ、ご飯食べに行こー。」
琉輔の言葉に救われた晨平。
そうだ。
自分には琉輔もペグも居る。
一人ではなかったーー。

とはいえ、そろそろ彼氏が欲しいのである。
東京に戻ったら探してみようか。
そう思う晨平なのであった。

それから一ヶ月後ーー。
東京に戻った一行。
「彼氏作るぞー!」
家に戻るなり、晨平が叫んだ。
「うるさいょ。それよりご飯。食べらんなかったら、暴れちゃうもんね。」
琉輔お得意の脅し。
ご飯の事になると、見境がなくなるのだ。
「右に同じく。」
ペグも腹ぺこ。
まずはご飯。
男探しはそれからだ。

晨平も琉輔もゲイである。
だが、惑星トリーではそんな事は、口が裂けても言えなかった。
ある時、父がこう言ったのだ。
「巷ではホモが流行っているようだが、お前たちはそれに乗るなよ。もしホモ行為をしたら、この刀でお前たちを斬る。容赦しないからそのつもりで。」
それからの二人は、ますます窮屈な思いを感じるようになっていた。

惑星トリーでは、魔法を使えるのは支配階級のエリートだけ。
これには、魔法の術を一般人にも教えてしまうと、社会の秩序が揺らいでしまうからという、支配階級ならではの発想があった。
そんな考えが、晨平や琉輔は嫌いだったーー。

日本にも問題は山ほどある。
それでも晨平と琉輔は、この国を次第に好きになっていったーー。

晨平の男探しは難航した。
晨平も琉輔も可愛いので男位出来ても良さそうなものなのだが、高望みである事に加え、ゲイ界での常識や日本での常識を知らなさ過ぎる事も致命的であった。
仮にも元王子、特に晨平であるが、プライドが高過ぎたのもある。
アバンチュールなどもっての外、ちゃんとしたお付き合いを望んでいたのだが、網にかかるのは金目ばかり。
それでも、晨平はともかく琉輔は焦ってはいなかった。
そもそも琉輔は晨平につられて何となく動いているだけで、特に彼氏を必要としている訳でもなかった。
「ま、のんびり行きましょ、晨平ちゃん。」
こんな男日照りの状況でもマイペースなのが、琉輔の取り柄。

惑星トリーでは既に公式に、晨平と琉輔が亡くなった旨国民に発表されていた。
その死を悼む民は多数に上ったが、ゲイである事が発覚してぶった斬られるよりは皆にとってマシだったのであるから、これも結果オーライであったと言えるであろう。

そんな中、二人のうちの片割れに彼氏が出来たのである。
これが晨平に出来たというのならばめでたしめでたしで済むのであるが、彼氏が出来たのは琉輔の方なのであった。
これには晨平、不満タラタラであった。
「何でお前だけ!ぼくの何処がいけないって言うのさ!」
「たぶん、そういう所ー。ガツガツしてると、逃げてくょー。」
琉輔の的確なアドバイスに、ぐうの音も出ない晨平なのであった。

琉輔のお相手は、駆け出しの弁護士であった。
逢うのは週に一日位で、過ごすのは専らお相手の家。
これでも琉輔、晨平には気を遣っているのである。

ある晩。
広くもないバルコニーに出て、並んで夜空を見上げる晨平と琉輔。
「あの空の向こう側の何処かに、トリーがあるのかな?」
感傷に浸る晨平に琉輔が言う。
「寂しいの?でもトリーに居たままだったなら、好きでも何でもない女性と結婚して窮屈な暮らしをしなければならなかったんだと思うょ。ぼくは今の方がいいな。」
「そだね。」
それだけ返した晨平は、いつの間にか流れ出た涙を、服の袖で拭う。

こうして兄弟の地球での暮らしは、まずまずの滑り出しを見せたのであった。
もちろんペグもずっと側に居る。
この先晨平に彼氏が出来ても、この兄弟はやはり共に暮らすのであろう。
何だかんだで、仲良しなのだ。
今夜は雲一つない晴れ。
満点の星空に、乾杯だ。

-完-

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